若いころ、私は時は金なりと、全て焦って事を進めていた。
その為に、車等の運転も今考えると、怖い、すっ飛ばしていたことに成る。
何故、思うのか???最近な、減ってきたが・・・私が走る車の後ろは何時も煽われ状態で、後ろがイライラしているのが解るほど・・・嫁が少し大きくアクセルを踏めばと言うが、今は私自身の稼ぎが無い、頑張っても増える見込みもない、それなら節約の走行が私には分相応と思う様に成ったし、ドライブレコーダーの映像が、バックミラーに映っているので、最近は、煽られる事も減ってきた。
不思議だ、自分の分に合わせた言動だと、無理が無いし、気持ち的に安穏である。
分が有ると思い、今以上に分を上げようと走っていた時は、気持ちが焦り・何時も不安が背中に迫っていると言う恐怖心で、無理に無理を重ねて、前に進んで居た感じがする。
それなら、今は、先に進んでいないのか????・・・昔は気づかなかた事、大事と思えなかった事・・・・それが、生きる為に一番大事だったと言う事に気付くことが出来た。
病も感謝と私が捉える理由に成る。
私は、骨を埋める場所が有る。又、最後を迎えるであろう場所も有る様だ・・・・勿論、己のレベルに応じた場所が有る。
私は、この地で命燃やし尽くしたい・・・・未だに燃えるだけのカロリーが有るようだし・・・それをどう使うかが、これからの私の使命だと考えている。
正直、出来な事が増え続けている。しかし、出来る事も残っている。
この残っている部分を使って、何が出来るか????
人様を引っ張る、背負える力は無くなって行く・・・後は、後ろ縦、支えに成る方向だと思う。今以上に、影の人、見えない立場、これを追求したい。
人は、一定でない・・・しかし、今は基準を決めている。人としての基準???私はそれが解らない・・・・
老いれば、機能不全に成るし、当然、頭の回転も悪くなる。病に成れば、機能が無くなる場合も有る。
私は特に三流で劣っているので、一瞬・一瞬の時間の変化で変わっているし、それが生物だと思うし、人間も属していると思っている。
しかし、それを認めないと成れば、何度も書いているが「生老病死」を認めない、若し有るなら、私の周りだけは無い事にする。と言う、人間を超えた神さえ超えた、傲慢な命に成ってしまう。鬼に等しい・・・
それが正義・誰しもが求めていると言うのが、その様な価値観の人が吐く言葉に成る。要、天に唾を吐く、これが人間と言う事を己が証明している事に成る。
価値観の一極化、それしか知らないし、他を知ろうとしない、これを哀れだと私は思っている。
何度も書くが、私の趣向も、一瞬で変わる、それほど、一定していない、これが人間と私は捉えている。
一定で一方向を一生続けれる人は稀だと思う。
劣っている私は、一分後でも変わっている可能性が高い