私は、個性が有るから、各自違うと思うし・・・もし、一極に集中した価値観が蔓延し、固定化したなら・・・個性が結果として、異端児扱いを受けるし、苛められっ子という立場を作り上げていくことになる。
日本国に生まれた、私・・一人一人の個性を認める国だと思うし・・・白人絶対主義の戦前において、世界に肌の違い等々での差別等の問題を提起した国だし、当然、今では正論と言われる言動も、その時代は異端児扱いを受けたし、苛められっ子の立場に国自体が成ったと言う過去が有る。
世界のルールも結果的に強者が主導権を持って創っている・・・仮に民主主義と言っても、反対・賛成等を確認しても、己の身を守る、強者に忖度する、等々が当然有るので・・・本心と違う対面だけの票決という事になる。
賛否を確認すると言っても、その賛否を行う立場も余裕が有れば忖度をする。当然、今なら周りによく見られようと、耳さわりの良い方向を選ぶ・・・しかし、平等が大事だと言いながら選んでいても、現実は違うと言うこと・・・仮に、ロシアが今回、動員令が発令される。要は、戦争にかり出される立場に成る・・・結果、己の命が危険に成る・・当然、今まで周りに流されていた人達も声を上げ出すことに成る。
勿論、検挙され死刑と成る犯罪なら、声を上げることも考えることに成るが、罰金等なら、声を上げる人も当然出てくると私は考えている。
要は、己の身として考えれば、いくら平等と言っていても、己が大事で有る。己を守る、自己保身の命は生命なら当然有る。
ここまで追い込まれないと、人は、本音を言わない様に成ってきたと言うこと、勿論、世界ではこれが常識だった。
しかし、日本国は、違ったが、先の大戦は敗戦・・この反省が、何処に向かったか???・・・又、この様な、理想論をぶち上げる危険な価値観・思想を無くそうとする、西欧列強の動きも現実に有る。
その動きに、素直に応じた国も、現実に近隣諸国に有るが・・・その結果、ドラえもんのスネオの様な立ち振る舞いを行っていたが・・・結果、守ってくれる国・宿主たる国が余裕が無くなれば、当然、最初に切られる立場と成る。
明治維新の時も、そうだが、社会の末端・現場で誰が動き、働いていたか・・当然、その結果・危機感を感じ、改革をと言う思いが重なっていく中で、革命的な変化が起きた・・・それが、結果的に良かったか・悪かったかは解らない・・・
現代、現場の状況等、足を運んで、身で感じたいと思う、リーダーが不在に成ってきている。
戦後日本国の復興を行った、リーダー達に多いのが、現場主義・現場に足場を確り持っていた人達が多かった。
しかし、現代、リーダーは出来るだけ、現場から離れたい、理由は諸々の事を知る事が結果的に、怖いから・責任が問われるからと、逃げる方向のリーダーが増えている。
要は、この部分も世界的常識に近づいている。
立場が上は、裸の王様が良いと言うこと・・・知らなかった、だから責任は無いと言う考えが楽だし、己の時代は生き残れる程度で、後継者の為・今後のため等々の思いは殆ど無いと言うこと・・・
要は、リーダーが会社の為・組織のため等々で生きていないと言うこと、己の為だけに成る。要は、己の私利私欲で立場を求めたと言うこと・・・
大義が無い、大志が無いと言うこと・・・
以前、サラリーマンだったが・・・・立場的に、先ずは社員を守る、部下を守る、一番弱い立場の社員の給与を稼ぐことが一ヶ月の始まりだった。
当然、その為には、お客さんを大事にしなければ、稼ぐことは出来ない・・・立場が強い、社長も結果的に、寄生虫・ゴルフ等で接待は行っているが、直接的、稼ぎが無い、結果、付き終わりにヤット、社長の給与を稼げると頑張るが、時間切れとなっていた。その為に、給与日は何時も申し訳ない気持ちがあるし、己が給与が頂ける・・当然、有りえないことだし、感謝になっていた。
この様な、言動振舞が、結果、会社の中でも異端児になる。社長と二人からの会社だったが・・・色んな、課が出来・・・しかし、私はどの課にも属しない・・一匹で過ごしていた。
要は、放し飼い・・勝手にセロという立場・・・・
この立場だったから、己の思う通りの事が出来たし、社員を増やしたい・会社を大きくしたいと言う、夢は叶えることが出来た。
本題に戻るが、日本国に生まれたなら、異端児程度が良いし、それが宿命だと私は考えている。
人の顔を見て、尻尾を振る・・・・生き方が良いときも有ると思うが、結果的に、己の命を売っていると思うし、命を蔑ろにしていると思う。己の命も蔑ろに出来るなら、他人の命もそれ程度に思っているとなる。
要は、絶対多数に合わせる事は当然だし、生き方として楽だし、良いことを教えている程度の認識で、個性が強い人に対して居ると言うことになる。
何度も書くが、人は間違いも失敗も起こす・・・当然、私の家族もに成る。家族の言葉は信じたいが、もし問題を起こしたなら、疑っても仕方がないと私は考えている。
当然、私も失敗も間違いも起こす、本人の私が気付いて居ていない場合も有る。だから指摘等されることは当然だと思うし、その事が多いことが、私自身の成長にも繋がると考えている。
しかし、現代、指摘等を行えば、敵とみられる・・・敵だから潰せ、悪く書けば、世から抹殺セロとなる。
この様な価値観も、大陸的価値観だし、一神教的価値観だと私は考えている。
何度の書くが、日本国も大陸的な方向に向かっているし、一神教的方向に向かっている。
敵味方論・勝ち負け論・・・それが幸せに繋がるという妄想に捕らわれている。
しかし、一端、申し訳ないと謙虚の姿を見せると、上手を取って、攻め入ろうとする人が増えていることも現実にある。
要は、謙虚に振る舞うためには、言論戦に長けた力が必要になるし、その分、知識や経験も必要になる。
要は、綺麗事が先走りし過ぎているし、それが当然となっている。しかし誰でも、本心では解っていると思うが、最近はこの部分も解らない人が多く成っている。
要は、説明努力が多く必要になっていると言うこと・・・
この程度の事、誰しも解っているという部分も解らないと言う人も居ると言うこと・・・
要は、洗脳・誘導が容易し人と言うことにも成る。
今後、ルールや綺麗事が増え続ければ、当然、グレーゾーンが拡大し出す。しかし、それを知らないという人の当然、増え出す。
要は、綺麗事が結果的にグレー部分は無い事にしてしまう。
これも書いているが、虐めは絶対に無くならないというのが、私の見解である。人は個性があるし、違いが有る。
生物も当然、種で違う・・・要は、違いが有ると言うことが基本で、前提に考える事が大事だと思うが・・・現代は違いが有ること自体が悪いとなる。
結果、己の個性が嫌だと言う人さえ出てくる。嫌な私を産んだ親さえ恨むことに成る。
要は、環境を憎むことに成る・・・・怖いのが、己は劣っているという方向と己は本来、優れていたが環境がその可能性を潰したと成れば、当然、憎むし、賠償等の要求心も出てくることに成る。
私は、三流だし、劣っている、親が商売を失敗し、多額の負債を背負ったが、宿命だと考えているし、恨んでもいないし、それが私を成長させたと考えている。
勿論、親が失敗したと書いたが、その間、私は子供という存在で共に生活をしていたので、私もその責任の一端を持っていると考えている。幼いと言っても、人間として一人として数えて貰っているなら、人としての責任が有ると言うことに成る。
家族や集団と言うことは、一心同体だし、共存虚栄だと思う。当然、負の部分も共同して担うと言うことに成ると私は考えている。
この価値観が現代、日本人から薄れ来た、己さえ良ければ楽になれば、この考えが主流に成ってきている。
私は、最低でも人として一人前と言われるレベル、母が言っていたが・・子守・親守・家族守・地域守に親戚守・・等々の守が有って、最後に墓守を行って、初めて、長男として一人前と言っていた。これが出来る前提が有って、初めて己が求めている事を目指せと教えてくれた。
守を放棄したなら、楽と思えるが、現実は鬼畜として身を落とすことに成るし、無間地獄の世界に生きることに成る。
喉の渇きが永遠と続く、それほど欲が深いと言うことにも成る。要は、全く満足感が無いと言うより、一瞬得れるが、その後は空しさが襲うだけ・・・・それが永遠に続く・・無限だし、もし、生死が有り、来世が続くと成れば、本当に無限に成る・・
要は、宿命に対しての考え方に成る。逃げたが勝ちという考えなのか・・・宿命は当然、それに向かい合い、どのように捉え、己を成長させるか・・・・
要は、一瞬一瞬が生死をかけた戦いと言うことにも成る。
戦いから逃げるのか、逃げずに対処続けるか????負ければ死ぬという思いで取り組むことに成る。