2020年1月27日月曜日

リアル・・・ワーゲン オフローダー


昔のRC・・・特にリアルに拘った、時期のタミヤのラジコンには魅力が有る。
勿論、レース等でタイムを競う方向の車でないが・・・

車の動き・挙動等々に、私は魅力を感じていた。


最近、ドリフトの世界も二駆が流行っている。しかし、その動きには、面白みも感動も受けない・・・しかし、それを、リアルや・実車ポイと言う人が、多いのも現代に成る。

私の感性とは違うと言う事にも成る。

その為に、復刻で出て来る、昔のタミヤのラジコンカーの動画を観て、楽しんでいる。

特に、リアルを拘った、二駆のバギー・・・リアヘビーな動き・・又、足回りの動き、挙動が・・・実車ぽくて、見るのが飽きない・・・・

勿論、外部操作の為に、このギリギリの操作で、他の車と絡む、これは難しいと思うが、単独で走っている、姿だけでも、私は、感動を覚える。

今回、ワーゲン・オフローダー2010が、復刻した・・・その車の動画も見る事が、出来る様になった。

リアーエンジンの、ワーゲンを、サウンドバギーにした車を、ラジコンとして、再現している。
足回りも、ワーゲンのシステムに酷似しているし・・・車の重さも、有るので、重みの有る、ばね上が重い、動き・・・之も、面白いと感じて観ている。

現実のスケールにすれば、凄い凸凹を走っている事に成る・・・凄いパワーと言う事・・・上手にパワーをコントロールできれば、ドリフト走行も可能に成る。

砂の、ミューとタイヤの関係性・・・それに、パワーが関係して、スライドを誘発、結果、ステアがカンター方向に、出るが、その舵角のスライド量の、バランスが、又、実車ポイ・・・当然、リアヘビーの為に、舵角が少し深いが、それがワーゲン・又はバギーらしくて、感動に繋がる。

要は、異端児に成る、私の感覚が、一般の人と違うと言う事に成る。

走る、当然、絡みの感動も有る、しかし、孤独に走っても、楽しさ・感動が私は大事だと考えている。

バイクも同じで、団体・集団で走る、その際は、特徴、同じ価値観での、自慢が大事に成る。
しかし、私は、走るこの部分にしか、興味を持たないし、面白みを感じないタイプに成る。
結果、孤独で走る、この方向性に私の場合成る。

走っては、壊れる、壊れるから・・修理するし、バイク屋さんにも、よく通う事に成る。
又・・微妙は調整等々が、必要と感じる・・・結果、何時も触り続ける事に成る。

走る物に対しての、捉え方も各自で違う筈・・・私は私の楽しみ方が有る。

又、集団・人との絡み、等々も面白いと考える、この部分は、又、別の部分と私は考えている。

この大きな違いが、バイクの場合、二輪車・・当然、倒れると私は考えている。
倒れる事を前提に考える・・・結果、傷が付く等々は、当たり前と考えている。この部分が、普通のバイク乗りと私は違う事に成る。
修理前提で、バイクを考えている。
技量な無い、技量を上げる為には、今の技量以上の事をしなければ、上達しない・・この事は、当然、倒れる、事故る、之を前提に、バイクは考えている。

100km/h強での、車との正面衝突も経験している・・・生きていた・・当然、それ以上のスピードだったら、又、環境等の条件次第では、死んでいた事に成る。

私の、技量レベルでは、当然、100km/h以下のレベルでの練習に成るが、10km/h以下でも転倒等する。結果的にスピードが遅いので、大怪我に成らない・・・

遊びの世界、命を懸ける必要も無いと思う・・・しかし、技量を上げる為には、危険も付きもの、結果、命の危険性を低い、維持して、練習する事に成る。

倒れて、笑える、この位のバイクが私は良いと考えている。

操作を楽しむ為には、この程度が、私の分に合う。

要は、何を目的にしているかで、変わる部分・・・

腰痛が尋常でない・・・

先週から・・・腰痛が・・・・・
昨日位から・・・その激しさが尋常でない・・・・

歳が関係しているのか????・・・・右腕の障害が、影響しているのか???・・・解らないが・・・・痛さに弱い私に成ります。

嫁が、私の痛みを理解したのか????・・・・夕方に成って、初めて、大丈夫と声をかけてくれた・・・嬉しい・・・・又、塗り薬を塗布してくれた・・・・感謝に成る。

孤独に、生きていれば、この様な処置も期待できないが・・・私しには、してもらえる可能性が、少しは有る。
この部分も、幸せと言える部分に成る。

夕方、モンキーを預けた、バイク屋に行っていたが・・・・強制的に体を動かす・・之が、私の場合必要な様だ・・・・運動の大事さは、頭では解っていても・・・実行できない・・・その為に、強制性が必要に成る。

運動を主体に考えると出来ないタイプに成る。
その為に、好みを主体にして・・・それが結果的に運動に成る。
この方法を考えた場合・・・・バイクに乗る、之も一つの方法だと話していた。

しかし、昔と違い・・・林道等々を走り回る、その技量が、今は無いと思う・・・1タンク走る・・・燃費が落ちるが、容量が少ない、トレールバイクで・・・100km強の走りで、汗をかき、ヘトヘトに成っていた、昔に比べて、体力的には半分以下と思うので・・・30分、林道が走れるか????之も疑問が有る。

勿論、林道も舗装が進み、楽に成っているが・・・・それでも不安が有る。

今日は、バイク屋のオヤジから、車から降りて来る、私の姿が、一気に10歳程、歳を取ったように見えたと言われた・・・・若さが欲しい・・・・

要望としては、モンキーを早く、修理してもらいたい・・・モンキーを三十分程、乗り回しても、体力を賞もしている事が、実感できる。

笑われるレベルと思うが・・・・私の体と技量のレベルから、考えれば、モンキー位のレベルでも十分と言う事に成る。

又、私は、小さなバイクの経験が、若い頃無かった・・・その為に、小さな特に小径タイヤの扱いが、難しく感じる。

小さな凸でもバイクが暴れる・・・速度域は、当然、大きなバイクに比べれば、遅過ぎると思えるスピードでも、暴れる・・・それを抑える為に、ニーブリップ等は、クルブシ・膝等々の行っていても、フロントが飛び、暴れる・・・

この部分は、修理で、フロント周りを取り換えるので、フリークッションダンパーに注入するグリスの量と質で、少し対応を考えている。

本当は、オイルダンパーが欲しいが、同じ形でと成ると、全長が少し長く成るので、却下に成った。

モンキーは、小径タイヤが、特徴・・・ハンドルも畳まれ・・・小さく成るし、車にも簡単に積載できる、この部分が、特徴だと考えている。

この特徴を大事に乗りこなしたいと考えているが・・・技量が供わない・・・

昔のバイク乗りの、知合いは、大きなロードスポーツバイクが楽だし、乗れと言うが・・・私が乗れば、バイク屋のオヤジが言う様に、命が幾つ有っても足らないと、私も思う。

昔から書く様に、私は低パワーで体が慣れている。結果的にアクセルを直ぐに全開にしてしまう。技量が有れば、良いが、無ければ、当然、吹っ飛んで死ぬことに成る。

特に、ダートが私のフィールドに成るが・・・路面に確り、トルクを伝えた方が、良いし、操作も、そのトルクの伝え方の微妙な差が、大事に成る。
大パワーだと・・無駄に伝え過ぎて、前に進むトルクより、スライド方向に大きく成り、結果的に、遅くなる・・・・
この部分は、2ストのバイクと4ストのバイクでは、迫力や見た感じのスピードは、2ストが早く感じるが・・・現実には4ストが速い事が多い・・・

又、操作も、二倍強・・・2ストが疲れる、この様な経験が私は有る。

特に、市販車で、一般公道を重視した、トレールバイクの場合・・・安定性の重視で、2ストは、フロントヘビー方向の重量配分のバイクが多かった、ピーキーなパワー感に合わせて、フロントの接地感を無くし難い設定に成っていた。
その点。4ストは、アクセルに対してリニア・・結果、フロントの接地感もアクセル操作で十分コントロールが出来る。
結果、フロントが軽い、設定のバイクも有った。

林道等で、下り坂の、大きな凸凹・・・フロントを上げたいと思った時に、アクセルで楽に私が感じたのは、4ストに成る。

2ストは、舗装林道のレーサー的、走りが得意なバイクだと、私は感じていた事に成る。

私の感覚だと、フロントの接地感をアクセルの少しの操作で、変化できる、コントロールできるバイクが、ラフな林道では良いと感じる。
2ストは・・少しのアクセル操作では、フロントの接地感の変化が感じ難い・・・結果、大袈裟に操作すれば、今度は、一機な竿立に成ったりする。

己の技量に合った、パワー感・フィーリングが有ると言う事・・・・
ドッカンパワーを求める。この様な人も居るが、本当に走り・操作を楽しんでいるのか???私は疑問が有るし、パワーの意味が、見せる自慢程度にしか感じない・・・

バイク屋のオヤジも、古い人なので、私の感覚と、近い・・・その為に話がよく合う。

今日は、雁ノ巣のレースの話を、聴く事が出来た・・・高橋国光が・・等々の話が面白かった。

技量が無ければ、死ぬ・・・この危険性を、強く感じられる、レースだったとの事・・
勿論、運も大きく関係すると思うが・・・・

オヤジも参加したとの事だが、死を感じたから、辞めたと言う事・・・・

凡人の私には解らない、レベルに成る。


看板・・・

昔から、書いているが・・・人々を見ていると・・・個は見えるが・・・看板が見えない・・誇りが見えないと書いて来ている。

人は、集団の中で生きる・・・属する集団が有るし、その看板を本来、かざして生きていると私は考えている。

しかし、息子らの、友達等々を見て・・・最小の集団の家と言う部分が、見えない・・・

集団の一部でも責任の分担を背負っているなら・・・様相に見えそうだが・・・之を見せるのが、恥ずかしいのか????見せない、子供が増えている。

逆に責任の重さに、潰れそうな・・・又は負担に感じる、子供も増えている。

何故、誉と捉えきれないのかとも思う。

日本国は、恥の文化とも昔は言われていた。

之が悪いと成ったのか?????・・・この部分が薄れている。

何度か書いているが・・・・学校に通う・・・この部分も私の子供の頃は、家・一族の代表として、学校に通っていると言う思いが有った。

己は、バカにされても・・・家・一族には迷惑を掛けられない・・・結果、不の部分は己の部分で止める・・・利の部分は、家・一族にもたらす・・・・之が、事を丸く収め、集団同士の、円滑な繋がりに成ると思っていた。

考え様では、集団の為に生きていると言ってもよい・・・それが誉と考えていたし、感じていた。

母が言っていた・・・子守・親守・家守・一族守・親族守・地域守・・等々が有って、最後に、墓守・・・この部分を、貫徹して初めて、己の欲を求めろと言っていたが・・・

先に書いたような価値観なのか???素直に、聴く事が出来た。

要は、己の欲を見せびらかしても、人様は、評価しない、それこそ、己の家や一族に対して、恥の上塗りと、昔の人は見ていたと思う。

現代は、自慢が良いと思っている・・・誉が良いとは思わない・・・
要は、西欧の一神教的、価値観に染まり過ぎている事に成る。

之が、進めば、当然、自慢できな、之を不幸と思うし・・・その様な環境が悪いと成る。
他に責任を転換し続ける生き方・・・結果は、当然、無限に続く地獄図に成る。
この世界に落ちれば、当然、絶大な力への憧れが出て来るし、直ぐに、助けてと成る。

レベルが上がっても、己の欲の大きさが勝るので・・・手を差し伸べた人さえ、不満・騙されたと捉えてしまう。

要は、先に書いている、無限地獄と言う、生き方に成る。

之も、昔し書いているが・・・私の子供の頃・・・バナナを食べる・・・夢の様な話、現実に、周りの環境もこのレベル・・・バナナ一本を兄妹で分け・食べた・・・当然、その当時は自慢話に成る。
しかし、その姿は見せない・・・事後報告を周りにする程度・・・何故か????・・取られる危険性が有る為に成る。その当時は夢の様な自慢話に成るが・・・・
現代では、バナナを一本、兄妹で分けて食べた・・・皆が奪いたいと思える、自慢話に成るか????・・・成らない・・・

要は、周りより、良い物と思われるものを、持つ、之が自慢と言う事・・・
昔は、白飯を食べる、之も夢だった・・・当然、食べられたら、自慢と思う。

衣食住で、最低も最低な生き方をしていた、食べる事さえ、夢に成る・・・着る事も夢・住む事も夢・・・・その夢も、現代から見れば些細な事だが・・叶える事が出来れば、充実感も有ったし、当然、生きる為に大事な部分なので、喜びは多かった。

今、何を自慢しているか????・・・・恵まれ過ぎている・・・それを得る、力が有るなら、他に仕えると私は考えている。

しかし、現代は、他と比べる・・価値観・・・結果として、周りに合わせる事が大事に成る。之を簡単に手に入れれる、人も居る・・・・不可能の人も居る・・・之は、当たり前だし、私は普通と考える・・・・

各々のレベルに合わせた生活が有ると考える。しかし、現代は、この生活環境部分に、普通を当てはめている・・・・・

何故・・己のレベル・分を最初に学ばないのか????・・・分相応の生き方も、己が解らなければ、出来ない。

情報や、マスコミは、結果的に、優秀な消費者を創る事が、目的。

今の普通以上のレベルを、自慢げに、伝え続ける・・・・普通以上だから、見る側も、欲を擽る事に成る。

無限に欲は有る・・・・無限にある慾を、貪り続ける・・・この姿は、私は、バカな鬼畜と見える。

この流れが、私の考えでは20世紀で終わると思っていたが・・・今も続いている・・

欲のパワーゲームが何をもたらすか?????・・・・不安が有る。

人間なら、人間として、生きたいと考えている。