今、田舎で問題は、放置農地・・放置山林・・・又は家の放置・・・・
昔は、管理者がハッキリしていた。その為に、己の恥に成らない様に、確り管理も行う・・・
勿論、管理する為には、能力も費用も必要に成る。この部分を負と考えるから、利に成る事で帳尻を合わせることに成るし、若し、利を多く得る事が出来れば、富を生むと言う事に成る。
全てが、保持し続ける為には、費用が要る。しかし、人様からの目が有るから、損しても、維持管理を行っていく・・・その様な人々が居たし、当然、利を多く残す様に維持管理を行っていた。
しかし、土地・家等は、資産と財産と言う捉え方が有る。勿論、負も含みでに成るが、この言葉を耳にして、何を先ずイメージするか、殆どの人がお金が頭に浮かぶ、そのお金が、外に向かって飛んでいるか????己に向かって飛んでくるかで、その人の資産や財産に対しての捉え方の違いに成る。
昔は、一族と言う括りが有った、最終的な責任者、当然、負に対しての責任に成るが、本家本元と言う立場が、責任を持ち、処理していた。
しかし、この様な家督制度が無くなり・・・今は個人レベルの親等の順序に成っている。
当然、資産や財産は、お金が無くなって行く、負と強く感じるなら、相続放棄もするが、逆に、富と思えば・・是が非でも我が手にと成る。
しかし、物を管理・維持しえ行く事が先ずは、求められる・・・直ぐにお金に変わるなら、問題も少ない・・・しかし、お金に成らないなら、当然、それを維持して管理・保守を続ける責任だけが有ると言う事に成る。
之を行わない、相続者が増えていると言う事にも成る。
お金と思って、資産を貰ったが・・・結果は、お金が出て行く、経費が嵩む・・これを知れば、俺関係ないと言うスタンスを取る人達が増えていると言う事・・・・
子供と同じである、欲しい・欲しいと欲をかいて、手に入れたら、保守・管理が出来ない、面倒が看れないと放置する・・・子供に近い人が大人にも多いと言う事にも成る。
己を産んで育てくれた、父母の同じ、己の身に成る時だけは必死に縋りつき・・・人間、当然、老いるし、機能不全方向にも成るが、この時は、我関せず・・・・この様な価値観の人が、財産・資産と耳にすると、富が頭に浮かび、是が非でも我が手にと思う事に成る。
要は、幼い頃から、物を獲ると言う事は・・・維持管理が付きまとうと言う部分を学んでいないことに成るし、己の行動で、何が起きているか、当然、利も有るし負も創り出していると言う事を理解していないことに成る。
要は、負の部分を知らないから、旨い話、儲かる話には直ぐに耳が傾くタイプと言う事にも成る。その為に、負が耳に入れば、耳を塞ぐ、その場から去ると言う、人と成る。
誰しも想像できると思う、三十~四十代の人、格好良く振舞っているが、当然、その人を産み育てた人が居るはず。当然、還暦を超えるような歳に成っている。
その様な己に尽くしてくれた人を背負いながら、格好良い振舞いが出来る事は凄い事だと思う。又、この年齢なら、妻子が居て、当然、子供達の養育も行っていると成れば、尚更、凄い実力と行動力を持った人と成る。
しかし、その様な人と話すと、背負っている部分が見えない、見えないと言う事は背負っていない可能性が高いと言う事に成る。
簡単に言えば、人間の振舞いで無いと言う事を行っているが、本人はこれが正しいと思っている事にも成る。
要は、己の本当の姿を知っている人の前と、知らない人の前とは、振る舞いが違うと言う事にも成る。
己の住む地域社会が、本来は本人の姿、本性を一番知っていたが、今は、人の繋がりが苦薄で、それが判らず、目に見える姿しか判断材料と成らない様になっている。
私は、何度が過去書いているが、這いつくばって、匍匐前進で必死に前に進もうとする人が凄いと考えている、己の身も潰れそうだが、多くのものを背に乗せている。降ろす事も出来たのに、又、乗せる必要も無かったのに、何故、ここ迄の責任感が有るのか????この部分に凄さを感じる。
人間として、格好が良いと思うし、見習う部分だと考えている。
現代、負は背負いたくない、中には先に書いている様に、責任と義務を放棄して、知らん顔の人が増えている現代なのに、何故、負と思えるものを遭えて背負い続けるのか、責任が有ると問われることも無いのに、何故と考えると、残る部分は、使命感に成る。
ある人が、生きる一番の幸福は、使命を感じ、使命を果たす行動を行っているかだと言われていた。
中々、己の使命と言われても、解らないし、気付かない・・・しかし、目に付く負を背負おうとする、当然、勇気も要ると思うし、勇気だけが有っても出来る事でない・・・使命と言う答えに成る。
之も以前書いているが、己の生まれた環境は、宿命である。又、己の姿、能力も宿命に左右されている。この宿命から逃げる事が、現代の価値観に成っている。
しかし、この様な人は、宿命を使命と変えて捉えている。凄い事だし、先輩が言っていたが、幸福な人生を歩んでいると言う事にも成る。幸・福を広げ、増やしていく、その為には、その逆の部分を背負う人が必要に成る。この部分は己と捉える価値観、凄いと私は考えている。