2021年7月5日月曜日

疲れが・・・・

 今日は、嫁は公休・・・・本来は、接種後の三日が公休だったが・・・私が予想していた様に、今日に変わった。

機械でない人間・・・予想通りに事が進んでいる人も居ると思うが、予想通りに成らない人も当然いる。

特に、子育て世帯は、何が起きるかは想像が難しいし・・・当然、親の介護等行っている人なら、尚更と言う事にも成る。

結果、独身で、束縛が少ない人が、束縛を受ける環境には、必要性を増している。

しかし、自由度が有ると思われる、人も、その人自体の捉え方で・・・・自由が有るが予定が有ると、束縛されていると覆いこんでいる人も、増えている。

地域事で、区長や民生員等々の、色んな立場の人が居られるが・・・その人達から、私に連絡が有る時は、必ず「今、居る・・・今、暇」・・・等々、私に時間が有るかの確認をされる。勿論、殆どの場合、暇だから、何か???と尋ねることに成る。

先週も、地域の交通安全協会の会長から、連絡・・・仕事で、お客さんの処に居たので、その旨を話して、何時くらいに自宅に戻ると言って、電話を切った。

その時間に会長が来訪され・・・書類作成の依頼を行った。

要は、優先順位と考えている。

私は何度も書くが、差別主義者と言われる。しかし、己の身が安全なら、家族に事に成るし、家族が安全と成れば、地域の事に成る。

基本、己が大事・・・しかし、己の身が無事なら、当然、次の優先順位に意識が向かうと私は考えている。

何事も、究極の時の優先順位で事を考えている。

母が言っていた・・全ての守りが出来て、初めて、己の事に成る。平時だから出来ることに成るし、平時と言う事は、恵まれ・幸せだと言う事にも成る。

要は、地域事が、私に出来ると言う事は、私は幸せだし、幸福だと言う事にも成る。

私でも、己の命が危ないと成れば、他を考える余裕も無くなると思う。

この状態は、危機だし・・辛い事だし、不幸だと私は考えている。

要は、己をさて置いて、他人に何か役に立つ、之が幸だと私は考えている。

漢字も、辛い事に一つ足す事で、幸に成る。

私は、鬼畜の命を持っている。その為に、この様な行為は、己の本心で無い・・母の言いつけを守っているだけ・・・本心では、金にも成らない、キツク、面倒な事と、思ってしまっている。出来ればしたく無い・・・人間で無く、畜生に近い・・理由は辛いと感じているからに成る。

しかし、依頼者に取って、役に立っていると思えれば、辛いと感じているが役に立つと言う一つが加わる事で幸と感じていることに成る。

勿論、現代は、私の様に、己を差別主義者と言う人も少ない・・・平等意識が有れば、大事な人は、人類全てと言える人だと思う。

特に、人も強い人、弱い人が居る、平等に扱えるか・・・弱い人に思いが行くか???等々の些細な違いだけと私は思っている。

若し、本心は差別主義者で、己が一番と言う意識が有るのに、平等主義者の顔をしている人は、鬼より劣ると言う事に成る。

要は、鬼が住む、地獄だが、無間地獄と言う、次元に居る事に成る。

一瞬の充実感・喜びを得る為に、多くの人を不幸にする・・・・要は、悪魔と言う事にも成る。我欲と言う渇きに、苦しみ続ける事に成る。

嫌われ者、除外されても仕方がない私が、人様の役に立つ、考えれば、奇跡的事だし、依頼者に感謝と成る。

しかし、人様の思いに答える・・・レベルが低い私の場合、疲れが・・・と成っている。

要は、若い時にこの部分に対して、意識が薄かった、罰だとも考えている。

しかし、死ぬ前に気付くことが出来た・・・当然、感謝と成る。





事を成す・・・・

 事を成す・・・成す理由は利を求めてが多いと思う。

しかし、何度も書いているが、事を成すと言う事は、負も当然、発生する・・・この負を考えていれば、維持管理・保守等々の部分も当然と成ると思うが・・・

何故か、人は忘れてしまう・・・・要は、「生老病死」と同じで、避けれない負が存在しているが、この問題に直面しないと、意識しないこれが人間と言う動物の正体に成る。

勿論、人間・動物とはレベルが違うと「生老病死」と意識させる為の色んな諺や戒め等々が有るが、結果、耳に入っても、効いていないと言う事に成る。

災害が、又発生した・・・人間の欲の結果と私は考えている。

以前も何度も書いているが、人が住む場所で無いと言う、先人からの言いつけを忘れ、住むように成る。又、人が手を入れては駄目だと言う土地に手を入れ・・結果、それが問題を起こす。

昔は、自然・物理の法則が、全てだった・・・その為に、田は水を得やすいように、堀の水面に近い高さが良い・・・自然と物理の法則で、自ずと田の高さは決まる。

人の住む場所は・・・水の不便は有るが、少し高台が良いと言う事に成る。

利便性より命が大事と言う捉え方に成る。

しかし、現代の価値観は・・利便性の追求に成る・・・インフラの道路も、土地の購入等が楽な処を通ることに成る。

以前、我が地域でも、水害・山津波等々が有った。星野と言う地域は、江戸時代から有る、旧道は被害が少なく、通れたが・・・・新道と言われる道は崩壊、又その沿線に出来た家屋も崩壊と言う事に成った。

先人の知恵の凄さを感じた、現実の災害だったと私は考えている。

自然の力は、凄い・・・荒ぶる時も有る・・・普通と言う事の方が稀と私は、考えている。

我が住む・筑後平野も、阿蘇山の大噴火で出来た土地と聞いた事が有る。

土石が堆積して出来た平野に成る。

凄い体積の土砂が運ばれたことに成る。

以前、災害を経験された、山の人達が、津波と言う単語が付く現象は、本当に怖い・・・避けようが無いし、逃げる事も不可能に近い・・・・海で起きる津波しか知らなかった私は、山津波と言う、言葉も初めて知ったし、大きな岩、木材が、車の走るスピードで突っ込んでくる・・・

以前のブログにも写真を掲載しているが・・・二階の外壁に、丸太が付き刺さっている等々の写真を掲載したが・・・当事者は、何も出来ない、恐怖を経験されたと、想像は出来るが、その怖さの実感が無い為に、私には正確には判らない。

現代、人が住む場所で無いと言う場所が開発され、発展している。

利便性は良いが、本当に人が住む場所なのか????・・・考える必要が有ると私は考えている。

自然に形成された、土地を、人間の手で、何を行っているか????利便性の追求に成る。

勿論、事を成すと言う事は、負も有ると言う事・・・この負に対しての対処を確り考えているかが大事だと私は考えています。

利を儲けと考え、その部分だけに注視する・・・それなら、負を考えず、次々と開発を続けていく・・・

何事も終わりが有る。人の死も同じで、今日かも知れない・・・普通ならと言う思いが結果、判断を誤らせる。

些細な事で、想定の範囲外だったと成る。これが口から出ると言う事は、先人が培ってきた知恵を無視していたと言う事で、継承者としての人間だが、失格者と言う事にも繋がる。