今日も、寝起きから忙しい・・・・・五男は公休の為に、起す必要が無い・・・先ずは、身支度後、台所の片付け・・・夜中、息子達が色々食べた、食器等が放置されているのが通例・・・・
その際、市指定のゴミ袋が無い事に気付き、近所の24時間営業のディスカウントストアへ・・・・・袋も、燃えるゴミ・プラゴミ・ペットボトルと三種類有るし、大きさも二種類ある・・・勿論、我家は大きい袋になるし、三袋を購入した。地域では、分類がレベルが色々有るようで、嫁が勤務している、久留米地域では、レベルが高く・・・昨日も、二日間休みだった嫁が、帰りに、沢山の燃えない・燃やすことが出来ないゴミを持って帰ってきたので、それは昨日、分類処理していたが・・・
一日・一日で、ペットボトル・プラゴミ・燃えるゴミ等が出るので、結果的に、袋は必需品になっている。
その後、庭への除草剤散布・・・・田舎の為に、我家の周りも動けない人や老人、空き家が増えている。
又、田舎の場合、我が一族等々の感覚があるし、我が地域だけと思うが、負の部分は、誰もしたくないのか、責任転換をする人が多い、その為に、結果的に、お前の一族の家だから、周りだけでも片付けろ!!!と言う流れが有る。後に残る物が、尻拭きは当然の事だし、基本、何度も書くように±0で人生が終れば、良いが、燃し、プラスでもマイナスいでも残せば、それを処理する立場が必要に成る。要は尻拭きになる。当然、人数が多く、力が有る人が必要という事・・・・しかし、現代はこの部分の人が居ない方向に成っている。
結果、細い繋がりを理由に責任を押しつけられる可能性が高い・・・これも先に書いている、少子化の問題となる。
結果、田舎は怖い、周りに知合い、過去が解らない、この様な環境が良いと地元を離れて、縁を太くしなく一生を暮らせば、最後は寂しし人生になる。仮に私のような体に成ったら、誰かの手助けが居る。誰が居るのか????各自、当然、育成していると思う。行なっていなければ、誰も手を貸すことが無いと言う事になるし、最終的に人で無く、国・世間が悪いと、国か環境さえ恨む、一生に成る。可哀想である。
この様な、田舎に住んでいるので、多めの除草剤を作り、隣程度の外回りだけは、除草剤の散布を行なっている。
特に、裏の「オッタチャの家」過去、大成され・・・当時、小学校を建設費と同じ、金額
の家・・・昔の洋間があり・・・廊下は檜の幅が広い一枚板を数枚で作ってある。床下は、コンクリートのベタ基礎・・・・昭和初期か???大正時代になる。今は空き家に成る、オバさん一人・・・他の兄弟さんは、南で大成された商売人、阿久根市に居られるし、私と同じ歳の息子さんが居られたと記憶しているが、オバさんが施設には入所されてからは、この家に来訪される事は無いようだ・・・
結果的に、この家の横の道が、幼稚園への道に成っている。送迎で親御さん達が出入りされるが、以前は、横の先生宅が合ったので、道幅が狭く、除草しないと普通車でギリギリの幅だったが、先生宅も宅地として売りに出され、5~6件の家が建つとのこと・・・
周りが変わっていく・・・・
昔は、家督制度が確り合ったので、分家が問題を起しても、本家筋や一族で解決する流れが有った。しかし、この制度が無くなり、結果的に、此処の問題は、誰が責任を取るのか????・・・当然、人は永遠性が無い、長くで100年生きれば長生きを言われる。その間に何かを残す、立つ鳥跡を濁さずは理想だが、何か残る、これを誰が処理するのか、片付けるのか????居なければ、世間・国が対応することに成る。
当然、世間も国も、誰が行動し、処理するのか・・・・人間で有る。
しかし、その人間さえ居ない、世に向かっている。
今の世の中を表した言葉が「銭の切れ目は縁の切れ目」これを、どの様に捉えているか?????・・・本来、この要に、唯物的に損得だけの価値なんで成立してる関係性の場合、お金が無くなれば縁も切れるという意味。だから、本来、人間の関係性には、これ以外が必要という事・・しかい、それが正しいと、身内・家族内でもこの考えが蔓延しだしているのが私の周りに成る。
勿論、意味を確り理解している人が多いと思うが、私の狭い田舎の世界はこの様に成っている。
要は、負が無ければ、縁が保てるが、負が有れば、縁を切るのは当然という考えになる。これも、家督制度等の責任の有無が、個人に限定されるようになったからになる。
自己完結出来る人なら良い・・・しかし、現実に出来るのか????己で死んだ後、火葬し、納骨できるのか????・・・不可能で有ると私は考えている。だから家族・親族・一族・地域が大事だと私は考えているし、家督制度も必要性が有ると考えている。
昔は、全て家と言う単位・・・・・結果、誰か確りした人が居た、しかし、今は個人が家・・・色んな人が居る。日本語が分らない人も居る。目が見えない人も居る。話せない人も居る。その様な千差万別な人々に同じ要に平等に情報が提供できるのか????行政はそれが出来ていない。
結果、情報を得る事が出来ない人々が増えている。これが格差になる。
しかし、一人の個人が困る程度の話で、声が上がっても、大きな声で無い、無視される世の中になっている。
この様な世の中で、生きるには、何が大事かを考える事に成る。
四男も休み、五男は、夜遊びが過ぎて、車校の迎えのバスに乗り遅れたし、今日は行かないと言っている。
長男も公休で暇、次男の田植えのお手伝いも、要らないとなり、暇だからと我家に来訪、四男と長男で、ベランダと雨漏りの修復をお願いした、アルバイトになる。
又、三男が、子供達が保育園を休んでいるので、大変、来ても良いかと電話・・・・時期、来ると思う。
孫・・三人、嬉しい・・・・