2018年6月28日木曜日

子供達が・・・

上の三人の子供達が・・・・私と同じ様に、景気が悪いと感じている様だ・・・

物流に関係する仕事・・・・・

肌身に色々、感じている様だ・・・・

私も、お客さんの、購買、動向を見ていると、殆どが通販を利用されている。

結果として、その商品関係に地元の商売人が悲鳴を上げる方向に成る。

この傾向が、ドンドン加速している。

結局は、地元に専門家が居なくなる方向に成る・・・・・

消費を続ける、消費者で一生を暮らす、この生き方しか、認めない流れに成りつつある。

正直、今、私が抱えている問題、色々壊れる・・・・・これも、お金が有れば、悩みも直ぐに無くなる。

全て何も考えずに、「壊れた」だから「買った」之で、済ませる事が出来るし、考える部分は、何を選ぶかの部分に成る。

この生き方が、良いと社会が言っている事に成るし、この生き方が出来ない人は、社会に居ない方が良いと言う考えにも成って行く・・・・

本当に、この様な生き方が出来る人が、多いのか?????・・・・私は疑問がある。

私の周りに地域では、天災による、災害が発生したが・・・・簡単に壊れた家・・・新築と言う人を私は見た事がない・・・・

よく家は高額だからと言うが・・・金額の大小で無いと思うし、この部分は各自の稼ぎで変わると思う・・・・・又、通販を選ぶ事は、基本、安いからであると思う・・・・

結局、お金が無いからという意味も含んでいると私は考えている。

長男も次男も、子供が居るので、時間を惜しまず、働きたいと思っていても、今は、残業も多くは認めてくれない・・・・結果、職を変える事は、危険性が孕むので、アルバイトを考えている。

今の、決まり事は、余りにも一極過ぎる・・・・働く、この部分は、各自の考えで、時間も変わって良いと私は考えている。

それを、強制的に、決まりを作り、させない・・・本当に之で良いのかとも思う・・・・

今後、時代は、一つの仕事で、上限が決められている為に、幾つもの仕事をする、この流れに成ると考えている。

田舎の商店では、店を開けていても、一日、一人も来ない、この様な事も有るとの事・・・之では、飯が食えない・・・

店を守る為に、色々他の部分で、飯を食っている人も増えている。

之と同じで、勤め人もこの方向に成ると思う・・・・


午前中は・・・・

後輩が、朝一から来訪・・・・後輩の車を見て、今度は、学友が来訪・・・

母屋で暫し、世間話に花が咲く・・・・

最近は、価値観の創造力この欠如が著しいと言う意見で、略、答えが出る。

要はイメージ力の欠如・・・・この行動が先にどうなるか???等々の、イメージ力まで弱まっている様だ・・・

毎日が切羽詰っている状態なら、解るが・・・・昔は、今日の飯さえ心配する本当に切羽詰った生活をしていた人も多かったが、その時代でも、将来に対しての夢・・・イメージは出来ていた。

今の自分では無理だが・・・この子がと言う思いも有ったし・・・この人がと言う思いも有った為に、自分以外にも情熱をかけていた。

その原動力は、イメージ力に有ると私は考えている。

なぜ、今は世界でも恵まれている、日本国に生まれているのに、このイメージ力の欠如方向に進んでいるのか・・・・この部分が、私は、疑問になる。

当然、私も自分の力もイメージ出来る、当然、劣る方向に向う年齢に成っている・・・しかし、私以外の、若者等には、先が有るし、発展の可能性がある。

この部分に情熱を注ぐ、これも現代では、何故かイメージ出来ない人が増えている。

若し、目標が有り、その頂点の旗を目指しているが・・・・途中で息が切れて、停滞する時も有るし、途中で倒れ起きる事が出来ない場合もある。

その為に、他人・・・後継者を創り、その旗へ進ませる、これも考え方として有ると私はおもっている。

当然、私位の,レベルなら,頂点が見えない・・・・しかし、厳然と有る・・・・途中で倒れ終わる身だとは解っているなら・・・当然、後継者を創る、之が大事に成る。

この他人に、思いを託す・・・・之さえ、今では、面倒と思っている人が多い様に感じる。

それなら、他人の意味は、文字通りの、他人に成る。
その為に、自分以外の人の事を考えない、この流れに成っているし、これを正しいと思っていれば、当然、結婚もしないし、家庭も作らない・・・少子化に向うのは必然に成る。

各自、思いが有るし、その思いも色々の筈・・・・・

人とは、感情の動物とも言われている。

以前、サラリーマンだった頃・・・・後輩のサービスマンに一流の修理人は、お客さんの心を修理する、修復し・・・「貴方を気に入った・・・新しい機械を購入する」と、機械に手を触れずに出来る、修理人と私は、言っていた事が有る。

機械が壊れた、之が一つの現象として発生した。その結果、それを使っている人は感情的にどうなっているか????之をイメージできるか???この部分が問題・・・

機械だから修理が出来ても、人の修復は行っていないなら、当然、問題は残り、増幅して行く・・・

勿論、その感情の内容は、人各々で違う・・・之を敏感に感知できる、能力が、人と関わる仕事には大事だと言う事に成る。

例として、以前・・・サラリーマンの時に・・・修理依頼・・・急いで伺った、一時間で現場に着いたが・・・お客から、叱られた・・・理由は、何処から来るかが問題との事、修理依頼先が50km以上離れていれば、この時間でも感謝に成る。

しかし、10kmの距離で、この時間で、急いで来たと言う雰囲気で、感情を害したようだ・・・

人は、問題の依頼をしても、その人の頭でイメージしている。このイメージに即した、サービスを受けて、納得・・・それ以上で、感謝・・・・それ以下で、憤慨される。

修理人だから、修理を100%こなせば、良いが、この修理の大部分は、人の心の修理に成る。

同じ事で、医者にも之を言いたい・・・勿論、体調を壊して、伺っているが、各自イメージを抱いて伺っている。
同じ、風邪でも・・・人夫々の思いも違うし、目的も微妙に違う。
之を治せば良いと言う安易に考えている、医師が多い事にも、私は驚いている。

理由は、優秀だから医師に成っていると、私は勝手にイメージしているから・・・

三流で、鈍感な人とイメージしてる人の行動と・・・一流に鋭い人とイメージしている人の行動と、当然、違う・・・・

要は、100点の条件が変わるという事に成る。

簡単に書けば、大学生に、小学一年生の算数の問題を解かせる・・・当然100点と成る。
この流れで、中学三年生の数学の問題を解かせる・・・・当然100点と考える人と、しかしと考える人が居ると思う・・・・
この部分が、大学性のレベルのイメージの違いになる。

人夫々、このイメージでの人を判断している。東大生が、算数の問題で間違う・・・どう感じるか???

肩書とは、結局は、足枷に成る場合が多い・・・肩書で人は勝手にイメージしてる。このイメージと違えば・・・・当然、凄いとなるか、逆にハ~~~と成るかのどちらかになる。

現代は、他人に感心を向けない、又は、他人の事を考えない、なぜこの風潮に成っているかは、この肩書の意味が、大きく変わり、ハ~~~と思われる人が増えている為になると私は考えている。