2018年6月18日月曜日

疲れた・・・・

暗くなって来たので、内職も、終了・・・・

目が悪いし、見えないと、商品自体に傷を付ける可能性が高い、

ドリルの刃と、スペース的にクリアランスが0.5mmしか無い為に・・・少しでも横に当てると、傷が入り、それまでの苦労が水の泡に成る。

本来は専用の機械を作っる事に成るが・・・数量が付く無すぎる・・・・

現実に多ければ、結果的に海外生産に成る。

中途半端の数量で、面倒臭い、作業を要する、この様な加工品が日本国に残る可能性が高い・・・・

結局、恐々の作業に成る為に・・・時間が掛かり過ぎる。
この部分は、体に思え込ませる為に、馴れが必要だし・・・職人の勘を高める必要が有る。

昔、リーマーをボール版に付けて、それを回転させて、手で商品を持ち、リーマーに通す、作業を父は、鼻歌混じりに簡単に行っていたが・・・私が行なうと、非常に危険な、思いをした記憶が有る。

リーマーに対して、水平に商品を、通す能力が必要に成るが・・・・私にはそれが無く、結果、リーマーの回転で、商品まで回りだし手を、怪我する方向に成る。


長い、経験で、身に付けた能力に成るが、父は、当り前と思っている。

理屈は解っても、出来ない事は多々ある。

出来ないから、練習・鍛錬をする事に成る。

RCカーも、今は、サーボーホーンが、緩々のガタガタ・・・結果、プロポのステア操作で、舵角表現が、出来難い方向に成っている。
勿論、微細だが、トルクは右・左とステアに加わっている・・・・加重移動等を持ち要り・・・上手に操作すれば、簡単に車を走らせる事が出来ると、頭では考えるが、現実に操作すると、自分の今までの無理で大袈裟な操作の癖が有る為に、不可能と感じる事に成る。

この部分が、外部操作のRC独特の操作の癖に成る。勿論、私の場合に成るが・・・・・
しかし、この操作に、私は矛盾を感じていなかった。
外部操作のRCと言う部分を強く、意識していた為に・・・この操作が問題とは、感じていなかった。

RCドリフトのジャンルを始めてから・・・実車チックな操作方法等が、当然の様に言われているし、耳に入る・・・この環境が無ければ、自分のRC独特の操作に、疑問を持つ事も無かったと思う・・・

加重移動を考えれば、前後、左右に加重を動かし易い、これも求められる。

当然、重量バランスも大事に成るし、その重さが、何処に有るかも大事に成る。

誰しも解る部分で、ホイールベース内の出来るだけ、中央に重い物が有る、之が一番、加重を動かし易い・・・

オーバーハング部に重さが有れば、当然、ヤジロベー的に、その車軸に常時、加重が乗り続ける方向に成る。

ドリフトの場合、駆動輪、リアの、考え方に成る。

車・シャーシはその人の、思い、考え方、方向性を示す。

大人しい、車を先ずは作る・・・・尖っている部分が有る事は、癖になる。

大人しい、方向を模索する・・・RC独特の操作の癖は、極端に書けば、尖り過ぎた操作に成る。

単純に、走らせる、これだけで、面白みを感じられる、車にする。この部分で、感動が出来る事は、派手な動きをすれば、当然難しいし・・・出来れば、当然、感動が強く得る事が出来る。





トヨタ・・・ルマン、総合優勝・・・おめでとう・・・

トヨタが、ルマン24時間レースで、総合優勝・・・・一位・二位に輝いた。

日本のメーカーが、この栄光を摑んだのは、マツダ以来・・・・もう三十年近く経ってしまっている。

殆ど、トラブル無しに、走行を続けられた・・・凄い事だと思う・・・

土曜日の晩から、日曜日の晩まで、テレビで・・・・内職の合間、観戦していたが・・・日本人として、感無量な、気分にさせて頂き、感謝に成る。

レースの世界は、地味で目立たない、この部分を努力が、最後は結果に結びつく・・・

徹して続ける・・・この思いが、結果に成る・・・・・・・

大企業のトヨタさえ・・・・長い年数を必要とした。

ノーハウと言うものは、形に表し難い部分に成る場合が多い・・・・

その時の時代で、最高の物を獲て、作っても、結果が出ない、之がレースに成る。

私が車のレース等に興味が有るのが、この部分・・・・地味で目立たないが、この部分を確り考えている部分に魅力を感じるからに成る。

考え様では、文化・哲学が有る・・・・機械工学の尤物的部分の最高傑作の作品だが、結果として、其れを操作し、運営している人が、大事だという事に成る。

人間らしさ・・・之が有るから、面白いし、観戦する意味も出て来る。

要は、歴史・文化の積み重ね、之に意味が有ると言うことに成る。

之も、徹して続けたと言う、事を意味している。

現代は、結果、この場合は優勝に意味を感じる人が増えている、見える部分で評価すると言う、流れに成る。

しかし、本来、人は行き続けている、時間の中を、過去から未来へと進んでいる、この歴史の積み重ねが、大事だし、之が有るから、人は生きている。

瞬間的、部分より、その以前の歴史が、大事だという事に成る。

しかし、結果至上主義と、言われて何年か過ぎている。

そろそろ、人の、評価の見方も変る時期だと私は考えているが、未だに見える部分に気を向ける傾向の強い人が多いのも現実には有る。

どう、時間を経過して行くか????・・・・・之が人の生き方に成る・・・当然主体者の自分も変化して行く・・・・・どう変化して行くか、これも先人を見れば、解る部分だし、イメージが出来ると思う。

その為に、先輩を多く持つ事が、大事に成る・・・自分の将来をイメージする為に、必要に成る。

人は、順送り・・・・嫌でも必ず、自分の番が来る・・・・

嫁の叔母・・・・

地震・・・・・大阪・・・

嫁の叔母が大阪の、震度が高い地域に住んでいる。


里に電話して、安否の確認をしている。


地震国・・・・日本・・・地震の災害等は当り前と成っていると私は考えている。

我が地域も、近辺の地域は水害等々、つい最近有っているし・・・・天災は、何時起きても不思議で無いのが現実と私は考えている。

何時、何が起きるか解らない・・・・・現状の生活も、一気に変る、之が現実と私は考えている。

守るべきものが有る・・・之が私の価値観・・・之を広げる、之が結果として、守られると私は考えている。

現代は、孤立化が、楽だし、得だと言う価値観が蔓延している。

今の生活を守る、これだけを考えている・・・・しかし、この部分は、直ぐに崩壊する可能性が高い・・・

私の、家族も・・同じで・・・子供達は、自分勝手に、今が良ければで生きている。

昨年の半年間・・・長男は一寸した、正義感を出し、結果、見え・格好よさを優先した結果、会社を辞める事に成る。

しかし、長男、家族の生活の糧を、無くす事になる事より、見栄を優先した結果・・・誰が、長男夫婦の生活の為の強力をする、事に成るか???

結局、私の嫁が、私に内緒で、彼の家族の生活の糧を渡していた事に成る。

最後の最後は、家族や親族の手助けが要ると言う事は、普段は、その部分への協力を続ける事に成る。

明日、どうなるかは、解らない・・・・今の生活が保たれると言う、保障は基本無い・・・・

普段が大事と言う事・・・・会社の為と、頑張っていても、会社も潰れる可能性がある。

最後は、血族に成る・・・・・之を、忘れているから、思い出させる為に天災が起きている可能性も有る。




兼営集落基板整備事業・・・????

区長が、説明会の書類を持って来ている。

兼営集落整備事業と言う内容・・・・・・

クリークの、整備・・・の様だ・・・・

基本、農業事業者に関係する事・・・・私は、百姓の経験は無いし、我家には田んぼは、基本無い・・・

しかし、台帳に我家の田んぼが有ると成っている為に・・・参加の要請が有った様だ・・・

私の、祖父母は、宮崎は飫肥で、商売をしていた。

期待していた、子供は、戦死・・・・・幼い子、私の父に成るが・・・・・戦後、商売を辞めて、熊本は、佐敷に、親族や山が有ったので・・・隠居生活をしながら・・幼い父を育てて、余生を暮らそうとしていたようだ・・・・・
佐敷の小学校に、父は通っている。

その後、農地解放政策が有ると成り・・・・故郷の、福岡に帰ってくる事に成る。

しかし、時既に遅しで・・・・二兆部有った、田畑が農地開放政策で無く成っている。
祖父も納得できない・・・特に、長兄の立場、先祖が残した田畑が、他人に渡る・・・祖父母が稼いだ財産を売って、国を相手に裁判を起しているが・・・・当然、負けている。

しかし、短期間の処理・・・帳簿書き換えの、漏れが有り・・・・私の先祖の名前の田畑が有ったと言うこと・・・・

しかし、その田畑は、当然、自分の物と思って、稲作を続けている家が有るので、この様な会合に出るのも、気が引ける。


考え様では、家督精度が有り・・・・確り管理を続けた、土地・・・・之が、戦後に開放に成り・・・小作人の物と成った。

この管理が出来ているか???・・・・・結局、この様な事を、知らない人が、管理者に成る立場に成って来た。

小作人意識の、今さえ良ければの価値観の人が、資産・財産を持った事に成る・・・・維持、管理が出来るか???・・・・難しいと思う・・・・・

文化、歴史の継承・・・・之を、家と言う単位で、物事を考える・・・家系と・・・・今さえ良ければと言う、考えの、家系と有る。

土地等の、財産が有る事は、それを管理・維持する・・この責任が出て来る・・・当然、人間には寿命が有るから、後継者の大事さが出て来る。

この価値観に繋がる・・・物事の考え方の順序を、知らない人達が、財産もちに成っている。

長者は三代続かない等々、言われる部分が、この、基本部分の価値観になる。

しかし、現代は、人が大事だと、教育している。
自分が、一番大事と言う事に成る。

結果、家や、家族・一族・親族等々は二の次に成っているし、面倒九歳と言う捉え方に成っている。

私は、古いかも知れないが・・・個人は、当然、何時か死ぬし、無くなる・・・・・一過性のものと私は考えている。

個人の欲と言うものは、瞬間的な部分だし、其れを得ても瞬間的に、良いか???悪いかを感じている、個人的な部分・・・

出来るだけ、永遠性のある、普遍的部分、之が私は大事だと考えている。

何度が書いているが、人の義務・責任には、色んな守が有ると・・・子守・親守・親族守・地域の守・・・等々、色々な守が有り、最後は墓守・・・・之が出来て、一人前・・・

この一人前に、成ってから、自分の事に成る。

この流れが、現代は、先ず最初に自分の事に成っているし、この価値観が、当然と言われ、又増えている・・・・・

この部分が、薄れれば、当然、日本国という部分も薄れる・・・・

現代の日本国は、世界でも恵まれている国・・・・だから居ると言う事にも成る。

若し、国の体力が衰え・・・・他の国が良く見える様になれば・・・現代の人なら、直ぐに国を捨てると私は考えている。

この価値観の蔓延が、世界中で広がっている・・・結果、人の移動が増えているし、それを難民と言ったりしている。

何度が書いているが、最近は、徹すると言う、単語も死語に成りつつある。