2018年11月22日木曜日

内職・・・・・納品完了・・・

長男が手伝ってくれたので、内職も終わり・・・・

納品する事が出来た。来月の17日納期だったが、月末〆が25日の為に、少し急いで終わらせた。

長男に、出来るだけ、耳さわりの悪い、この方向に意識を傾ける様に・・・之を今日も話した。

人は如何しても、自分の価値観で、耳さわりの良い方向の情報を欲する傾向が強い・・・
自分の価値観と言っても、直ぐに之だと言える人は少ない・・・

しかし、情報の好みが有るし、価値観が欲しているので、不思議とも思わないと思う・・・
之が、結果として自分の価値観の肯定に繋がるし、又、欲している情報等々も、この方向性を求めるので、之が多いと思い込む・・・・これが、価値観の固定化に繋がるし、この事は、違う価値観等々、考えない・・・無視する・敵対する・・・この方向に成る。

だから、自分の価値観等々考えずに、耳さわりの良くない、方向性を大事にして、聞く・又何故か等々を考える。之が求められる。

前世紀から、今まで、価値観の固定、又価値観の正しさ等々を争っていた世紀から、そろそろ脱皮する世紀だと私は考えている。

よく、口では、人が大事だと言われる、一人の人間の命は、地球より重いと言った人も居る。
しかし、現代は、お金本位主義で・・・命より、お金と言う、尤物的部分に執着している。
勿論、生きる為にはお金も必要だし、今の社会の中で、過ごすなら、お金を無視する事は出来ない・・・・

午前中は、今年度の、納骨堂責任者が来訪された。
納骨堂の、配置の名前、各名前を入口付近に、掲示しているが・・・・脱会された人が増えているので、その名簿を最新のものに変更する為に、来られたが・・・

現実的に、各年の責任者がその都度、行っていれば、問題も減る。
しかし、現実には、行っていないので、一気に数世帯を削除する方向に成る。

責任者としての、各自の価値観の違いで、この様な事が起きている。
責任から逃れようとする思いが強い、責任者も居ると言う事に成る。

本来、責任者が処理する部分を、当り前の様にする人が普通で、凄い・偉い訳でない・・・・しかし、この部分もしない、責任者が当然の様に増えているので、当り前の事をしていても、不思議らられるし、凄いや偉い等々の、単語が付く、しかし、本音では、お金に成らない事で苦労して、馬鹿と思っている人も居るから、責任者に成っても、当り前の事すらしない人が出て来る。

人の心が、濁り・・・信頼すら出来ない、時代に成れば・・・手を差し伸べるこの様な振る舞いでは人は手を握らない・・・・・結果、踏み台に成る事しか出来ないのが、今の責任者等々の現状に成っている。

その踏み台も、結果的に濁っている現状なら、ドブに手足を付けて、踏み台に成る必要性が出ている。

臭い、汚い、解っているが、そこに手足を居れなければ、責任を全う出来ないのが現代に成っている。


自分の趣向には合わない、話も耳を傾ける、之が最後には意味が出て来る時が有る。

特に長男、色々な事を、教えないと・・・・現代の価値観なら、差別に成るかもしれないが・・・・先祖からの、流れが伝える、義務が彼には有る。

しかし、それも教えないと、後世に流し続ける事が出来なくなる。

今日来られた、納骨堂責任者も、脱会される人達の多くが、今後は、地域に墓守まで、任せる之に罪感を感じて、現代風の管理のお墓や・・・永代供養してくれる、お寺に変更されている。

しかし、この様な人は、世間様に迷惑を掛けられないと言う思いと、当然、経済力も必要に成る。

責任と言う意識が強い人は考えている。しかし、之が無い人は、当然、誰かに甘える、之が楽な生き方と考えているなら、その様な人だけが、納骨堂に残る・・・
後の管理が、益々大変に成って行く・・・・

この意識が、結果的に、国の保護政策に、甘え利用する、之が楽で、得な考えと言う方向性を創る事に成る。

勿論、色々考える事も無いし、現代の様に、ON・OFFの二極的価値観なら、考え話しあって、結果を出す、之も面倒くさいと思える時代に成っている。

仮に、生活保護の認定が出る前には、必ず親族に、養育の意思を聞いている。
当然、一家を養育する、一軒の家では無理・・・直ぐに無理と答えるか???・・・又は、親族・血族で相談して結果を出すか???
今の価値観なら、相談・話し合いも結果は見ていると、何もしないで無理と答える人が多いと思う・・・

この、努力をしない・・・又、自分と同じ価値観だと、思い込んでいる・・・人の数だけ本来は考えが有る・・・・之が一局なら、人の数等々、頭数は関係するが、意味を持たない事に成る。

長男にも、どうせこんな考え等々で、人を決めつけない・・・・人は日々変化しているし、之が普通・・・
この部分が変化していないなら、死人と同じ・・・

しかし、起点となる、基礎となる部分は確りと学び、頑丈でなければ成らない・・・

自由だからと、糸の切れた凧には成らない・・・・之を、教え続けている。

凧の糸の起点、この部分を学び、重くしなければ、現代の風なら直ぐに凧糸が切れる。


人間の永遠性の無視・・・その場の一瞬が重んじられる・・・

個人主義が台頭し・・・利己主義が之を加速させている。

之を、自由と言う人も居る・・・人の勝手を認めると言う事に成る

結果、小さな集団の単位・・家と言う括りが崩壊してきている。

家の中で、生きる、人の責任を負う、これさえ苦痛に感じる人が増えだした。又、個人がした事で、他の家族は関係ないと言うスタンスを取る、之も可能に成っているし、之が当然化している。感じさえする。

結局、自由を我関せずの放任主義と思っている人も増えている。

この価値観は、西欧から又は大陸的価値観だが・・・この様な価値観の国は、ファミリーと言う部分を、大事にしているし、この部分を守り抜く、之を尊敬しているが・・・この部分を見ないで、表面的部分を取り入れれば・・・・楽な方向に進むのは人の本能である。

小さな集団の家の、考え方、価値観が、無法地帯的に成っている。

結果、少し大きな世界の地域社会も、この流れに成っている。

会社も同じ・・・・・・・・・結局、国と言う括りもこの流れに成って行く・・・之が民主主義の性に成る。

自由の捉え方の間違いが・・・・限界点に足して来たと私は考えている。

宗教感も、自分だけが・・・この我欲をそそる之が意味する事は、集団の崩壊に成る。
勿論、確りした、統制・・・封建的力で抑える、之が出来ている間は、維持が出来るが・・・

一人一人の、自立した確りした、考え等々が無い、直ぐに楽な方向に先導される、人達が多い世界は、当然、封建的・独裁的、環境でなければ・・・・集団の維持が難しい事に成る。

家と言う単位で考える事が、一番、解りやすい・・・・小さな子・・・この子の自由を認め・・・勝手にさせる・・・人として、言葉で指導しても、勝手が終わらない・・・この様な人には、当然、力で抑える之が必要に成るし、封建的集団、方法が、良いと成る。

少し、人の話を理解できるレベルに成る・・・・今度は、言葉で扱い出来る様に成るが、その後、色んな情報を得て、自分に都合のよい、自由を求めて、言葉で対応してくる、時に成る。
俗に言う、へ理屈言う、年代に成る・・・・
この時代が、難しい、責任者として自覚が有る人間なら、その理屈に理屈で対応する事に成りだす。しかし、情報、楽で簡単、この様な情報が多い・・・この多さを大多数の意見と思っている、又、常識と思っている、人との論戦に成る。

又、保険主義、独裁主義は悪だと、現代は教わっているし、当然、民主主義の国家には合わない、悪の考えだと、思っているし、信じている人に、如何、対応するか・・・・


勿論、この部分の論戦を通して、子供を確りした、大人に育てなければ、結果的に社会に旅立たせた後に、大きな問題に成りだす。

結果、この様な人が、国を形成する事に成る。

私は約束していない、何故私が???この様な、心が動きが出だす・・・・

家の責任者としての自覚が有るなら、嫁がした事・子供がした事、最終的な処理は・・・この部分が家長の立場の、振る舞いに成る。
当然、親がした事の責任も、家長に成る。

この部分が崩壊して、妻がした事、私は関係ないと若し家長が思い、振る舞えば、家の言う意味が無くなる。

不思議だが、自由と思われているが・・・家と言う単位で、代三者が、家長は???と考えた場合・・・・幼い子供と思う人は居ない・・・又、痴呆症の高齢者とも思えない・・・暴れまくる若者とも思わない・・・・・若し、家と言う単位が住む、場所と限定すれば、暴れまくる若者だけが住んでいるアパートも家に成るが、何故か、大きな家と言う括りで、責任者・家長が、別に居ると思うのが、普通だと私は考えている。

この括りが無いと、解れば、怖くて、側に近付けない・・・・責任者不在で、暴れまくる・・・当然、責任者は、常識豊かで対応する人と言う考えに成るが・・・・之が無ければ、社会は崩壊する。

勿論、国と言う括りで、犯罪を起こせば、自由を束縛されるが・・・之も、期間が有る。
又、病気で他人に問題を起こす、之も、自由を束縛されるが・・・・之も、期間が有る。

若し、責任者も自分勝手な振る舞いをする人なら・・・怖いしその組織・集団に属している人も近づき難い事に成る。

以前、ブログで、母の死後・・・・ローン会社から、電話が有り、結果的に法的相続人が、完済すると言われた、母は死んだら、払わないで良いと言う、セールストークで、色々買い込んでいたが・・・
払いを済ませた。
私は、母に、その様な上手い話は無い・・・・保証人を書かなくても、結果的に死ねば、法的相続人に、負債等々の移ると、言っていた、何故かは、この部分に私が成るからに成る。

私の、言う事を聞かずに、行った事に対して、結果的に処理する、之が、責任者としての立場だと思う、

会社でも同じ、部下が行った事で、負の部分を背負う、之が責任者と成る。
だから、口酸っぱく、言い続けてる事に成るが・・・之を、パワーハラ等々言われる世界なら・・・当然、利は責任者・負は部下、この流れも加速する。

若し、家の単位で、幼子が居る、この責任者なら、どう振る舞うか???・・・・この振る舞いをパワーハラと言われる、之が現代に成っている。

しかし、人の違いで対応を変える、之を差別とまで言われるのが、現代に成っている。

若し、大多数の家と言う、集団の殆んどが・・・・自分勝手に理屈を並べ、責任から逃避する、之が、良いと成れば・・・・地域社会、会社・国さえをこの流れに成りだす。

家と言う、永遠性が、結果的に人の言動を抑制するし・・・自由を束縛している様に見えるが・・・責任を果たす、この目的の為なら、当然、必要だと私は考えている。

親の負を背負う、之も、家と言う単位を確りと、命に刻んでいるから、出来る事に成る。

私は、危惧する部分が、この様な価値観の台頭が、国さえ滅ぼすと思うからに成る。

何度も書くが、今生きる、この意味は、過去から未来へと繋げる為に成る。
当然、キツイ・大変に成る。
しかし、今、楽に、簡単に、之を重んじれば、過去はどうでも良い・・・未来も知るか・・・と成る。

人の寿命は限界がある。しかし、責任や義務等々は永遠に続く・・・・その為に、後継者を創り育てる事に成る。
特に、大事な事は、負の部分を確り、教える事に成る・・・・恩を受けた、之も負に繋がる何故なら責任が出て来るからに成る。

人として、自分で自己完結出来れば良いが・・・世間から受けた恩等々に対しては、中々自己完結出来ない。
だから、後世の人に宿題を残す事に成る。

この宿題が有る事を、教えなければ、当然、後継者も解らない・・・

人の心で、一番汚・・・恨みや妬み・・・之が出るのも、知らないからに成る・・・・同じ現象でも、想像していたら、当然と受け止める・・・・しかし、想像も出来ないと成れば、何故と成るし、結果的に恨み等々の心に成って行く。

私が知る限りの、我が地域の昔も書いて来た。
現代なら、見たくない、有りえないと思う、現実が有ったし、生きる為には仕方が無い部分でもある。

其れを、知れば、今、左うちわで大きな顔をしている人も、過去の親の振る舞い、等々が有ったからと言う事が解ると、何故、先祖に感謝出来ないのかと思う事も有る。
しかし、親の振る舞いが、現代の価値観では恥ずかしいので、親は馬鹿だった、汚かったと表面的に言っている。
しかし、私の価値観で判断すれば、凄い勇気、子供、家族を守る為に、出来る部分を必死にされていた。凄い行動だと思うし、偉いな~~~自分なら出来ないと成る。

之が事実を曲げて、後世に伝えている事に成る。

戦後、大多数が、生活が貧窮していた・・・又、未だ小作人が大多数だった・・・之が意味する事は、予想が付くと思う・・・
農地解放が有り・・・・・その後、経済発展を成し遂げている。
勿論、インフラ整備を続き・・・農地が宅地等々に成った・・・・地権者に成って、間も無い人が、先祖のからの土地・・と言って、地上げに奔走する。
一気に、家の崩壊、お金本位主義の、民主主義に進んでいく・・・
綺麗事だけを教える。

生きた証、生活部分が忘れ去られている・・・

今後、大変な時代に成ると、私は、考えているし、書き続けている・・・・
今、言われる、エリートや一流と言われる、人達の振る舞いに成るが・・・其れを認めている、民衆の価値観が、私は怖い・・・・

人の争いは、結果的に悪いと成るが・・・その一瞬はお互いの正義に準じて行っている。思いは間違いで無い・・・・
結果主義と言われるが、原因が無ければ、結果も無い・・・原因を作る、思い、間違いと思えば、誰も起こさない・・・

その原因を作る、時の、価値観の厚みが問題と言う事・・・

争いを起こせば、結果は、勝敗に成る・・・・負ければ、原因が悪い・・・勝てば結果主義
本当に、原因が悪い、切っ掛けが悪い、だから負けるのか???

この価値観が、正しいと成れば・・力が正義に成る。

勝負も勝つ、之が絶ていに成るし、負ける勝負はしない・・・・この方向に成れば、負けると思わせない方向性の教育をすれば良いと言う事に成る。

本来、負けると思う、勝負も戦う・・・・之も有ると思う・・・・この部分に美学を持ち、価値観を感じる、人間が、日本人に有る・・・・


しかし、最近は、之を無謀と言うし・・・挑戦者としての大事な部分を無くしている感じもする。

この様な環境で、育つ子供達・・・・特に私の年代に成ると、孫達の時代が心配に成る。

今なら、私も存在出来るし、教えなければと言う責任感も有る。しかし、其れを伝承してくれる、子供達が、居るが意識が無い・・・・

世の中のシステムは、人が居る之が前提に成っている。
勿論、人は動物の部分も有るので・・・人のレベルも多々あると思う・・・

どのレベルを求めているのか???・・・勿論、人の数も大事に成る。

利己主義が蔓延すれば、責任等々を負と感じだす。

負が損と感じ出せば、終りに成る。

之が常態化すれば、当然、責任逃避が当り前と成るし、之は、人としての責任・義務を放棄する方向に向かう。

種の発展等々より、維持さえ難しく成るし・・・全滅に向かう流れに成って行く・・・

苦しみ、もがき・・・何をしているのか、少しでも前に進もうとする、未来に対しての希望が有る為の行動・・・・考えてみれば、先に繋げる行動・・・幸せなのかもしれない・・・現状を変えようと、頑張る姿に成る。

楽しみ、浮かれ・・・・何をしているのか、今を楽しもうと、一瞬に溺れている・・・当然、先なの考えない・・・・考えてみれば、今だけを求めての行動・・・・不幸かもしれない・・・・現状に満足し、何も考えていない事に成る。