最近は、敵対・・・認めない・・・この方向に進む傾向が強く有るし・・・
それを扇動し、利用しようとする、権力者も多く居る。
要は、敵対構造が、権力者には都合が良いと言う事にも成る。
又、人には個人の好みが有る・・・好みで優先順位を決める・・之は自由意志だと私は考えている。
しかし、優先順位が差別を生むと、言う考えの人も居る・・・結果、平等が自由を縛る可能性が有ると言う事にも成る。
この様な、傾向が、敵・味方・・・この部分に注視する人々を創る事に成っている。
又、この様な傾向が・・・結果的に、何を求めているか???・・・敵を潰す・・この部分を求めている事に成る。
要は、人の興味・求めている方向性が決まると言う事にも成る。
しかし、それが問題の根本部分を、無くす事が出来るか????・・・私は疑問が有る。
人々が求めていない・・・興味を示さない部分に、解決の答えが有ると私は、考えている。
私は、出来るだけ・・・生活の部分に、縁故等の力を持ちいらない生き方が今まで来た。
当然、力の有る知り合い、縁故を頼れば、経済的には富を得たかもしれない。
しかし、何か大事な部分を無くすと、私は用いらなかった。
結果、己の思うままに、発言も出来るし・・・有りの儘で生きれる環境を手に入れたと私は考えている。
私の基本に有る・・・恩の倍返し・・・之を強く思っているので、分を超える恩を受ける事が怖い・・・理由は、倍に返せる自信が無いからに成る。
しかし、生きていれば、必ず人様からの恩を受ける・・・その部分は倍返しを念頭に頑張っている。
結果、人に対して、引け目を感じる事も無くなる・・・堂々と生きれると私は考えている。
之も、仏教思想から来ていると私は思っている。
基本、仏教には上下感が無い・・ポジションとしての上下は有っても、人の命には上下は無い・・・
与えられたポジションを、死守する使命が有ると言う考えに成る。
勿論、ポジションも色々有るが・・・何を選ぶかは各自の勝手と言う事にも成る。
しかし、分を超えるポジションの死守が出来るか????・・・当然、己の分に応じたポジションに必然的に落ち着くと私は考えている。
しかし、墓のポジションを見れば、楽で、楽しそうと思える・・・当然、死守の事は忘れ、笑っている姿に憧れる事も有ると思うが・・・之は幻だと私は思う様にしている。
私は、三流だと己を言っているし、ブログにも書いている・・・三流を死守する事も難儀する分に成る。
この様な人間が、二流のポジションに成っても、意味が無いと思う・・・要はそのポジションで偉る富を、貪る人間に私の場合、成ってしまうと思うし・・・この様な人が、居るから、仕方のレベルから見れば、格差・差別感を感じる事に成ると私は考えている。
要は、既得権益が欲しい為に、己の立場を上げる・・・之が、今の社会の不平等を改善と、敵を創り戦って、勝っても・・・人の顔が変わるだけで、何も変わらない世界に成る。
今、マスコミでは、白人至上主義の価値観等で、問題提起しているが・・・仮に、世が変わり、黒人至上主義世界に成ったら・・・今の肌の違いでの問題が解決するか???
私は、解決しないと思っている。
既得権益が誰に移行したかと違いに成る。
若し、この方向の改革しか出来ないと、思う、白人は、当然、それを阻止する・・・理由は、白人主情主義者が行っていた、蛮行を・・・今度は、白人側が受ける事に成るし、当然、それは過熱する方向に成ると解っているからに成る。
私が、何度も書く事だが・・・価値観の一極化・・・之が、解決を不可能にしている・・・その理由も証拠も、背負う価値観・認める価値観等々には誰もが関心を示さないし、勝つ・儲かる・負から逃げれる等々は、貪るように求めている。
要は、ブランド品を身に付けている人々が、地獄図の様相で社会を構成している事に成る。
地獄の世界で、一つ、他と違うのが、身に付けているブランド品・・・その上下で評価する、当然、品物だが、それを己の評価と勘違いして、喜ぶ世界と言う事にも成る。
この様な人を見て・・・哀れだと私は思うが・・・当事者はそれが幸せだと思っている。
私は、不幸とは人と比べるからと思っている・・・何故、比べるなら、己の分と同じ人を選ばないのか???・・・又、上は直ぐに見るが・・・何故下を見ないのか???
又、大事な部分は、表面より、内面に成る・・・之に何故・気付かないのか???
勿論、気付かさえない方向の価値観を植え付けられているので、利しか見せない人が多いのも原因だとは思うが・・・
私は、家族・夫婦で、必死に世の中で生き残る・・・この挑戦を続けられている時が一番、幸福だと考えている。
勿論、全員が戦力に成るなら、理想だが・・・現実は、難しい・・・しかし、その様な状況下でも、生き抜く・・・死守する・・之が幸せだと私は考えている。
要は、威張れる、物は何もない、当然、無冠である・・・・・しかし、確りと生き抜いている・・・之が幸せだと何故思えないのかが、逆に不思議である。
私は、来年早々に、還暦に成る・・・この歳迄、生きられた・・・感謝に成るし、奇跡的・偶然が繋がった、結果、生きたと言う事にも成る。
又、人生を共に過ごしてくれた人が居る・・・・こんな幸せな事は無いと思っている。
その感謝が有るから・・・続いているとも言える。
今の価値観で考えれば・・・離婚・一家利離散・・之が普通・正しいと成る家庭であるが・・・共に生きられた理由が、感謝が有るからと私は考えている。
要は、どんな小さな恩も、倍返しと思っていると・・・・恩を返せない己が居る事に気付く・・結果、残る部分は感謝と言う思いに成る。
現代は、10受けた恩も、1も返したら、終わったと思う人が多い・・・結果、負を2受けたら、その人を切る方向に成る。
この様な、価値観が人々に蔓延したら、夫婦の崩壊・家族の崩壊・地域の崩壊・国の崩壊と成るし、最後は、世界の崩壊と成る。
亡国の思想と私は考えている。
要は、国から得たいと考える、国を守る、死守等々は、頭にない・・・大きな単位・大きな力が有れば、当然、弱い己に何かをしてくれると言う思想に成る。
他力本願的、宗教心から起きる、価値観・・・寄生虫的価値観とも言える・・・要は、神や仏は何を求めているか???・・・その手助けをする人が、信仰者に成る。
要は、神仏は何も与えない、当然、物質としては・・・・どんなに縋っても、得るものは、物質でないと言う事・・・・神仏の手足に成る立場が己と言う、価値観が信仰者に成る。
この様な価値観で、社会の姿を作っている・・・その為に、力が有る様に見える人に縋る、この方向に成るし、当然、力が有る立場は、人の為にその立場に成った人で無いなら・・・縋る人を利用しだす。
考え様である・・・社会の構成が・・・神仏に近い人が上に居る世界なのか????鬼畜・悪魔に近い人が上に居る世界なのか????・・・
この様に考えたら、今ある価値観は解る筈、当然、構成者も解ると思う。
要は、仏教的には、三悪道の者が多い世界、それが長けている人が、何故か、上の立場に成るのが、世の常と言う事にも成る。
しかし、今世紀で、この部分の大変革が起きなければ、世界が滅びると私は考えている。
ひとつ前の歴史では、第一次大戦中に、スペイン風邪が流行・・・その後、関東大震災・・・世界の大不況が続き、新興国の日本が、覇権を伸ばす、西欧諸国は、保護貿易・ニューデリー政策等々を打ち上げる・・・結果、日本は孤立・・・
当然、白人主情主義が未だ強い、世界・・・黄色人種が覇権を広げる事を、良いとは思わない、益々、締め付けが強く成る。
以前から言われているが、第三次世界大戦に成れば、世界は滅びると言われる。
しかし、その方向に進んでいるように感じる。
要は、敵対関係を、増大する情報が、溢れる方向に向かっている。
家族の中で、利己主義で、己だけ得したいと言う価値観が強いが、能力がない・・・この様な人が居ても、私なら、同じ家族、私が背負うと成るが・・・・
今は、家から追い出す方向が普通に成っている。しかし、世間はどう見るか????
世界も同じである。
暴れて、手が付けられない時は、周りも心配するが、能力の無さを気付き、陰に籠り出した場合、誰が面倒を看るのか???・・・当然、家族・親族と言う流れが、我国にも有る様に、世界でもある。
国も先進国・発展途上国と分類されている・・・大人か子供かと言う事に成る。
当然、子供も大人だと風潮したり振舞ったりする・・・しかし、大きな問題を起こしたら、誰が尻を拭くのか????・・・当然、親に成るが・・・親が子供なら、当然、親族の大人と言う事に成る。
人も、集団も、国さえ、子供か大人かと言う、基本部分の判断が必要に成る。
様相は、大人でも、命・心は子供と言う場合も有る。
この部分は、仏教の創始者・・・釈尊の弟子で、私の命・心が解った弟子は、スリハンドクと言う逸話がある。
弟子の中で、末弟・・・頭も悪い、字も読めない・・・しかし、その他の弟子は、優秀で能力も高い・・・それを気付いた、末弟の弟子、スリハンドクは、釈迦に兄弟子たちの手伝いをしたい、下働きをします。と進言した。
この行為・思いに答えた釈迦は、私の境涯に近いのはスリハンドクと言う逸話に成る。
要は、見掛け行動以上に、命・心が大事だと言う事に成る。
しかし、現代、この部分を軽視する方向性が有る。
その為に、怖いと私は考えている。