2016年4月15日金曜日

お墓・・・・

夕方・・・・市の、国土調査の担当者から・・・電話・・・


遠くに住んでいる人から、父母を其方のお墓に入れたいとの要望の様だ・・・・

急に何故かと質問したところ、今回の国土調査で、納骨堂の地権者の子孫に全て、文書を送っている為に、急に、予想もしなかった、土地の地権者として通知が行っている事が原因の様だ・・・

納骨堂の地権者は、150筆近くに別けてあり・・私の場合も祖父の名前で、会員として又、地権者としての権利が有る・・・・

その為に、先祖の名前の地権として、その子孫には全部、通知が行っている・・・勿論、解る人は、本家に任せている等々で、済む問題だが・・・・

親族の縁が切れている人にも権利者としての通知が行く事に成る・・・

今回は、その通知が老いている父母に来た・・・・親から嫁に行った娘に、良く解らないので任せる・・・・娘も解らない為に、父母に色々尋ねる・・・・結果、父母の故郷の、納骨堂と解る・・・

父母が、死んだ後は故郷に埋葬してもらいたいと、要望が有れば・・・・国土調査の窓口の、市に連絡・・・・この流れで、本年度、責任者の私に、連絡が有る事に成る・・・・

しかし、納骨堂の資料を探して、その先祖の名前を探すが無い・・・地権者に関係しているし、国土調査で、地権者の子孫に通知が行っている事を考えると、本来、資料に名前が有る筈だが、無い・・・・

田舎の為に、先送りや、ナ~ナ~の流れで、長い年月で抹消されているかもしれない・・・


地域の事に詳しい、先輩の所に、行って・・・・今まで伺っていた・・・

納骨堂の地権者の件と、伺ったら、又かと言う顔をされ、応じて頂いた・・・

何故、この様な顔をされるかは、後で察する事が出来たが、客間に通されて直に、今回、地域の国土調査の、責任者にも成っておられる方で、今回、この地権者の件で、公民館に集まってもらって、色々な事が有ったという事・・・

私には、その会合の連絡が無かったが、不思議に尋ねたら、この地域にいない、地権者の人達が集まって、居たとの事・・・・・遠くからも来られていた様だ・・・・・

納骨堂の敷地は900坪くらいある・・・・この権利が有ると思って、遠くから来られたようだし、土地の番地しか記載が無い為に、納骨堂とは思っていない人も居る・・・・

結果、900坪が、自分のだけの権利と思って来られている人も居るし、まさか、150の分筆されているとも思わない人達・・・・説明するのも大変だったという事・・・

しかし、中には、5坪としても権利が有ると、言われる人も居られたとの事・・・先祖の名前、勿論、1筆の権利は有るが、この7坪にも一杯の地権者が存在する、曽祖父の名前なら、子孫全部のハンを頂かないと、一人の地権者には成らない・・・・この処理が出来るかも問題だし、土地に関しての価値観が田舎と全然違う・・・・・300坪の田んぼ50万円もしない世界・・・・都会は1坪、1000万円という価格にも成る場合が有るが、土地の価値がまるで違う・・・・

その為に、900坪、全部が自分の物と思う人が一杯来られたと言われた・・・・一坪、20万と考えれば、1億8000万円・・・凄い金額に成る・・・・

今回、この様な会合が、公民館で行われていた事を私は、知らなかった・・・

権利を主張しに来られたようだし、権利も主張するなら、土地の管理の為の草刈等々も遠くのお住まいから来られる事も出来ると思うが・・・・

結局、価値観の相違で、話し合いは難航して平行線で、終ったとの事・・・

今後、この様な、問題が納骨堂でも多々出てくると、提唱を頂いた・・・・有る納骨堂では、一部の地権者が、納骨堂の入口に、売り地という看板を立てた所も有るとの事、勿論、権利の有る、その坪数内に看板を立てたとの事・・・・

権利を主張しているが、厳密にその人一人の権利でないし、子孫全体の権利・・・・結局は、嫌がらせで、迷惑に感じた方が、看板撤去に対してのお金が必要に成る、土地の値段以上に必要に成ったという話も有るらしい・・・・

遺産相続が、家督制度でない現代・・・・永遠に、子孫の広がりに従い、広く広がっていく・・・・この制度が本当に、日本国の習慣に合っているかが、問われる時が来ていると思う・・・・・


少し、話は飛躍するが、私も歳を取り、今後、我が子が社会の一線に成る時・・・・

若し、長男の嫁が、非常に良く出来た人で・・・私達、姑親の面倒を一生懸命に、してくれる・・・・・其れに比べ、下の子供達は我冠せずに、遠くへ去っていき、音信不通・・・・こんな事はよく有る話・・・・・

この様な、時に、長男が親より先に逝ってしまった・・・・しかし、嫁はその後、今まで以上に姑親の面倒を孫達と共に看取って、親が亡くなった・・・・この姑親の、遺産は誰の手に行くかに成る・・・・・

戦前の日本なら、孫の男の子に行く・・・・

現代は、一切面倒を看ていない・・・・兄弟に行く・・・・之が法律に成っている・・・・


言葉で親が勘当と親が言っても、現実には何の法律的、意味が無いのが現代・・・・

結局は、遺言書を残していないと、親不孝な、勘当した筈の、罰当たりの子供に、相続権が移る・・・・

田舎に住んでいると、色々な事が、勉強できるし、体で感じる・・・・

近所のある例を、書けば、由諸の有る家系で・・・・一人息子が、親の反対を押し切って、都会の水商売の女と結婚・・・・親は息子を勘当したと、我が地域に言っていたが・・・・・

10数年後に、都会の生活に破れ、離婚して、単身で帰って来られた・・・・子供も作っておられたが、親権を放棄して・・・・・

その後、親は亡くなり・・・・・親の兄弟が、本家の葬式と、盛大にされたが・・・・その後、その息子も数年後に亡くなられた・・・・・その葬儀の際・・・・従兄弟の人たちが、本家が無くなったと嘆いで居られた・・・・

その時に、耳にしたのが、相続の順序・・・・・由諸が有る家・・・・・その為に、親の兄弟も、相続権を放棄して、本家を守るこの方向で同意された・・・・その親が亡くなれば、必然的に勘当したと言う、息子に全相続権が移る・・・・・

勘当された息子が相続して、今度はその息子が亡くなる・・・・・結果、親権が無い、離婚した女の子供達に、相続権が移行する・・・・・

顔も見たことが無い・・・勿論、名字も知らない・・・・この田舎の地も一度も踏んでいない、人の権利に成る・・・この様に説明を受けた・・・・

その後、調べたが、親権と相続権は別の様だ・・・・・その従兄弟、又相続放棄された、親達が、本家が、人手に渡ると言ってあったが・・・・

結局、田んぼも家も、売却された・・・・・本家の仏壇も、位牌も嘆かれるもの解る気がする・・・

本家を、守る為に、沢山の人が、我慢や努力をされて来た、事が、一瞬にして崩壊している・・・

今回、納骨堂の件でも、欲に目が眩み・・・権利を主張する人が出て来る、之も当然と思うし、法律的にも間違っていない・・・・・

法律に即して考える、之が現代かもしれないが・・・何かが欠けていると思う・・・・

遺産・・・・この遺産にも色んな人が係わって残っている・・・・この係わった人の権利や意見も無視が、現代の法律・・・・・若し、この部分も大事だとすれば、確りと文書化して、残す事になる・・・・

今回、責任者として、この部分を、強く意識している・・・・全てに捺印と自筆でも署名の義務化を考えている・・・・・
法的に通用する書類に成る・・・・この部分も今後の勉強・・・・



嫁が病院へ・・・・

嫁が、偏頭痛が続くので、今日も病院へ・・・・

昨日は、五男がクラブの見学中に、テニスラケットが、目の側に当り、中学校からの連絡で、迎に嫁が行ったが・・・
幸い、目の横が腫上がっている状態の為に、「男の子、少々の怪我は仕方が無い、怪我も勉強」と言って、返ってきているが、その五男が、今朝は、目が・・・と、言っている・・・線が見えると言う・・・・・

今日の授業後、眼科に行く予定・・・その前に、嫁は自分の治療を済ませると、出て行った・・・・

その間は、お留守番に成る・・・・

私達、夫婦は幸せだと思う・・・・お互い、勤めていた時は、子供の事や緊急事態等々も、母が対応していた・・・零細企業のお勤め、急に仕事を抜ける事も出来ないし・・・・自分自信が体調が悪い等々で、急に病院にも行けない・・・・之が、田舎の勤め人の、本来の姿・・・

子守、老人の守をする、この立場の人が家に居るのが、前提で、有る様な感じが昔はしていた・・・その為に、若い時は、とにかく働く・・・働く・・・これが、現実だった

今は、熟年の歳に成り・・・病院の好きな時間に行ける・・・之だけでも幸せと思うし・・・学校等々から、子供を迎えに着て等々の要請にも直に答える事が出来る、之も幸せと思う・・・・

若し、単身で子育て、生活の為に、仕事も大事だし、若し勤務先が、遠ければ、地域からの依頼や子供のことに対して直に動けるか????・・・・やはり、疑問が出る・・・・

子供も寝込み、三日等々の看病・・・出来るか????・・・・・父母の介護、出来るか????・・・全てに対しての責任が、一人に集中する・・・・

この様な生き方も有るし、今の私達夫婦のような生き方も有る・・・・何を基準にするかで、幸せ感も変ると思うが・・・・私は幸せだと、感じている・・・

勿論、何か形で表せとなれば、貧乏だし、格好良いと言われる部分は何も無い・・・逆に大変という部分しか見えないと思うが・・・何故か幸せと私は考えています。

若い時は、肩に力を入れて生きた若い時も有るが・・・・

最近は、肩に力を入れない生き方が、楽に感じる・・・・

RCのテックコンバも・・・・私の生き方に合わせて、車の個性を変えてきた・・・・この方が、肩に力は入らないし、又、焦って争うような気持も出ない・・・・

結局は、自然体に成るし、車の受け入れて、慣性等々の動きの物理的要素も受け入れて走る・・・この部分に尽きると私は考えている・・・・勿論、下手な私、簡単に走れない、昔は、この技量側のレベルや・人に物理的要素も合わせたいという、無理な考えで取組んでいた事も有るが、自然の法則に逆らう事は出来ない・・・・

結果、下手の克服の為に、練習を重ねる事に成る・・・・・

私のRCドリフトの取り組みは、この部分を重視している・・・・

一般的には、自然の法則を無理にでも曲げてセットがRCドリフトの世界では常識のように成っている・・・・・

その為に、差が有るし、異端と言われる原因にも成っている・・・

根本を重視するか・・・対処療法で進めていくかの違いでも有る・・・・

何回も書いているが、走る物の基本に成る根本部分は、タイヤに成る・・・タイヤの能力をよく理解して、タイヤの能力に合わせたシャーシに成るし、パワーに成る・・・

之が逆に成れば、2駆の場合を例にすれば、グリップ走行で真直ぐも走れない車に成ると思うが、その様な表現は無いし、ジャイロを使う理由は、あくまでもセルフステの為と成っている・・・

グリップ走行が出来る車を作ることが難しいとは私は考えていない、タイヤに合わせてシャーシを考え、最後にパワー・・・この流れで考えれば、簡単に出来ると思う・・・

勿論、実車のドリフトカーがグリップ走行も出来ない状態なら、その様な考えも正しいかもしれないが、少なくとも市販車の車は、簡単にグリップ走行は出来る・・・

この様な考えが、RCドリフトの世界では変り者に成る・・・・パワー神話を否定するからだと思うが、

自然と敵対した様な走り方、セットの方法・・・・之も各自の好みに成る・・・

私は、自然を受け入れて、その中でどう操作するかを考えているし、自然の哲理が強いと思えば、それを軽く受ける方向に向ける事を目指す・・・

この考えは特殊だと私は、思っていない・・・しかし、特殊に成るのがRCドリフトの世界の面白い点・・・・

無事・・・・・

友から、電話・・・・・・トラックで鹿児島と、往復する事がお仕事・・・

心配していたが、無事だと電話・・・・・えびのサービスエリアで仮眠中に、地震で目が覚めたとの事・・・・

高速道路が使えず、降りて、一般道で鹿児島に居るとの事・・・

帰路は、高速・三号線が難しく成っている為に・・・・宮崎経由で大分から、久留米方面に帰るとの事・・・・

友は無事だったが・・・・震源地の地域は大変な状況である・・・・

一瞬に、長年培って来た・・・物が一瞬にして無くなる・・・・・想像も出来ない、位の、衝撃だと思う・・・・人だからの苦悩の部分になる・・・・

生活の基盤・仕事等が無くなる可能性のある人も居られると思うし、大事な人を亡くした人も居られると思う・・・・

無いも出来ないが、この地から、無事を願い、地震が終息することを、先ずは、祈るしかない・・・


人の無力さを、気付く部分と、人の強さを知る部分でも有る・・・・・


各自が自分の与えられた持ち場を、確りと厳守する事だと思う・・・・

自然の驚異・・・・

又、大変な地震が起きた、震度7・・・日本国で、観測・計測しだし、四回程と言われる、震度・揺れを経験したことになる・・・・

マスコミでは、活断層が動いただろうといっている・・・・その為に、震源が浅く・・・一気の揺れが震源地・地上で起きているようだ・・・

その為に、震源地に近い、熊本の益城町が大被害を受けている・・・・

我が地域も、かなり、揺れたし・・・・余震も強いのが何回も起きている・・・余震は何回も続くとテレビでは言っているので安心も出来ない・・・・

自然の驚異・・・・・避ける事も出来ないし、何時来るかを待つ状態が本当かもしれない・・・・

日本人は古来、自然の中で、生かされているという観念が有る・・・・・自然の驚異を受け入れて、それを乗り越えてきた民族・・・・・

自然の力、恐ろしさも知っている民族で有ると私は考えている・・・・・

西欧的考えになれば、この自然を力で支配・コントロールする・・・之が人間と考える方向性も有る・・・又、之が出来る事が人の力だと考える方向もある・・・・

日本人は、自然の力を認め・・・其れと上手に付き合う方法を、模索・経験で・・・「いなす」という言葉がある。

日本的に考えれば、自然との共存を基本に据えている事になる・・・

結局は、自然といっても、物理等々の法則が、確り関係している・・・・之を、無理に人間の都合の良い方向に向ける・・・・この結果が、大被害に繋がっている感じもする・・・・

東日本大震災も・・・・・先人がこの下は人が住む場所で無いと言っていた事を忘れ、平地、便利が良い、人の都合を優先して、人が住み・町になる・・・・しかし津波の怖さも教わっている、経験が無い人が創造して、これ位の防潮堤を造れば、津波に耐えると考えて、造った世界最大級の防潮堤も、今回の津波で破壊され、町が崩壊している・・・

人の驕り、傲慢的、考えが結果として、自然に負けた事に成る・・・・


我が地域も、先人達が言っていた事が多々あるし、私位の年齢までは、ギリギリ耳に出来た世代・・・・・この先は人は住むな等々も有るし・・・・何が理由でそういって有るかは解らないが・・・・

時が経ち、何か大自然の驚異が合った場合、理由が解ると思う・・・・

口伝えの伝承・・・昨今、全く耳にしない・・・・

勿論、迷信という部分も有る・・・・・しかし、その中には大事なことも有る様だ・・・・笑って聞き流すか・・・なるほどと耳に残すか・・・・この違いだと考えています。

物理の法則は、全宇宙の法則に近い・・・・微細な変化が、力を貯めて最後に大きく爆発する・・・・・

しかし、物理と心は全く関係ないように思うが、不思議に、人身の心と、自然の乱れは、時として同じ場合が多い・・・・・


若しかすると、人間に対しての警鐘かもしれない・・・・・