2022年12月10日土曜日

スマホを届けに~~~

 スクーターでツーリング・・・・リハビリを兼ねて・・嫁の仕事場の施設へ~~~~・・・・スマホを忘れたと電話が有り・・・目の前に有ると伝えたら、分ったと電話を切ったが・・・・

持って来て欲しい感じがしたので・・・出かけて往復、一時間のツーリングを楽しむことが出来た。

五体不満足だが・・・バイクの運転、何故か車等より、思うように成る・・・不思議と思う・・・・嫁の里の母親も90歳を超えたが自転車は思うように操作している。

体で覚えた部分は、何故か、最後まで残っているようだ・・・

勿論、体力的には、弱い・・結果、立ちコケ等を起こしそうになるし、現に二回ほど経験している。

スクーター程度の重さも、支えきれない体力と言うことだし、メインスタンドも、上げる事が出来ない・・・

若い時は、大型バイクでも、乗車したまま、勢いを使った方法で、メインスタンドを上げていたが・・・体力・力勝負の部分は全く駄目になっている。

しかし、こじったりしない、スムーズな操作の場合は、私の体でもギリギリ出来ている感じがする。

勿論、無理は出来ない、その後の対処が力勝負の可能性が高くなるので、己の技量の範囲での操作・ツーリングとなる。

購入当初は、バイクの性能等を見たい・知りたいと無理した操作をしていたが・・・・今は、出来るだけ、ユックリとで楽しんでいる。

又、金欠の私には、燃費も伸びる方向になると思うし、燃料計が半分を示したが・・・120kmの走行距離になっている。以前までは150kmで燃料警告が点滅・・・燃料補給となっていたが・・・今回は伸びそうだ・・・・

リッター50kmを超えたいと思っいる。

収入に応じた、燃費も有ると思う。勿論、燃費と言えるだけ幸せとも言える・・・人力で距離を稼ぐ人も居る・・・それに比べれば、楽だし、楽な分、お金も必要と成る。


ご臨終さま・・・・

 最近、マスコミ等で、ご臨終様の使い方で、問題と騒いでいる。

日本国は、なんて幸福で幸せな国かと改めて思っている。簡単に書けば、平和ぼけと言ってもよい・・・

ご臨終様・・・三流で私の様な立場、特に五体不満足に成り、難病指定の病を患っていると、嫁も家族もご臨終さまと、私の目の前で口から吐く・・・勿論、色んな人、特によく合う人等は、私を見て、ご臨終さまと言う単語は耳に入る。

この言葉・単語を、言葉もよく理解していない、0歳児から三歳児の保育士が昼寝をしたという意味で使っていたとの事が問題とテレビから流れてくる。言葉も解らない寝ている人に、ご臨終さま・・・

私は、意味も解る、当然、意識も確りしている時に、ご臨終さま・・・私は、申し訳ないし、迷惑も掛けているので仕方が無いという判断で・・・笑って対応している。

此も捉え方に成る。言葉の意味と使い方がと言われるが、私に使う分には良くて、意味も理解できない子には駄目だ・・・私は????に成る。

何時も私は書くことだが、サービスの部分は、人間欲が出て、多大な要求をする。何故か、対価が求められないからに成る。

仮に、己の対応を良くして貰いたいと思うなら、素泊まりの旅館より、宿泊費は高いが、一流のホテルを選ぶと思う。

仮に、子育て中の保育・・・本来は、親がする部分・・・しかし、人間の場合、保育期間が長く、中学校卒業までと考えれば、16年間必要と言うことに成る。この保育期間が長いから、集団で生活する、最初単位が家族・一族に成っている理由にもなる。

若い両親は、当然、食べる為に、働く、その間、高齢の祖父母や曾祖父母が保育を担当・・・・仮に、20歳で親になると言う流れなら・・・孫は40歳の祖父母が面倒を看る。又、食べる為の部分も時間を作り協力も出来る。寿命が延びれば、60歳代の曾祖父母が居ると言うことになるし、五体満足なら、当然、子育て、保育等の協力も出来ると言うことになる。

このシステムが壊れたから、父母で子育て、保育が出来ない、理由は、稼ぎ手の人数が足らないと言う現実に今は成っている。

結果、子は保育所等に預けて、稼ぐことに夫婦で奔騰することになる。国とすれば、良い生産者という国民になる。

当然、先に書いた、己の子は、良い環境で、良い対応をして貰いたいと思うなら、自分で確り調べ、費用対効果でこれ位ならと言う保育所にお願いすることになる。

しかし、現代は、国の許認可・・又、国からの補助が有るから、保育所の運営が出来るとのこと、不思議だ、何故、費用の全額を保護者に説明して頂こうとしないのか????・・・・理由は、国からの補助に甘えているとしか言えない市、平和ぼけの考えと私は思っている。

以前も医療保険も・・・全額負担が基本で、保険加入者は、公的保険なら、役所等に、医療費の請求書を提出すれば、その場で、仮に今の三割負担なら、七割の金閣を還付すればと思っている。理由は、単なる風邪と思っても、医療費等も国が管理している現代、大きな病院・腕が立つ医師等々の理由で金額の差は無い・・・結果、得すると思える病院を勝手に患者側が使っていると言うことになる。

誰しも、言葉は悪いが、同じ金額で、ブスと美人の写真、どちらを選ぶか???・・好みも色々有ると思うが、一般的に言えば、美人の選ぶとなる・・・これと同じ事、国が介入していると、どうしても甘えが出てくる。要望等も己の懐と関係ない・・・結果、出来もしない理想を言い出す。

勿論、理想は大事、しかし求め過ぎても・・・と思う。

例とすると、学校も、義務教育で、公的に有る学校と、私立が有る。

一般的公的、小中学校は、教育費としては無料で有る。又、教科書等も無料で有る。その他の、雑費みたいなお金が必要程度で、義務教育は受ける事が出来る。

勿論、この対応では、嫌だ、もっとキメ細かく、確りした教育・勉強をさせたいし、将来、大学等を考えた場合と、その様な要望に特化した私立の小中学校も有る。

現代は、昔と比べ、格差が広がっている。又、価値観も当然、多様化しているし、個性も本当に千差万別だし、悪い意味での個人主義の台頭で、己の思う通りに成る、此が正しいし幸せと思っている人が増え続けている。

結果、多々の要望・要求が基本的に有るし、それを言えない内気な人も多い此が日本人と言える。配慮・遠慮と言う言葉で、内気の気質を耳障りの良い単語に変えているだけ・・・様は、不満が、有るという事・・・

この不満に対して、攻撃できる武器を私作業を、マスコミ等が行っているように見える。

今朝、嫁を送る車の中で、ご臨終さまと話したら・・私が言われるのは当然と言った。家族の夫が、周りの他人から、ご臨終さまと言われても、気にもとめない、事実だからと言うし、笑っていた。

しかし、テレビで、言葉も解らない幼子・赤子が昼寝等で寝入ったときに保育士が、発したと言う事で、大きな問題に成っている。何故???・・・女で、嫁なら理由が解ると思い、聞いてみたら・・・

介護施設等でも、同じような問題が多々有る。痴呆症の老人に意味を理解させる・・この困難さ、想像を絶するし・・実の子達も面倒が看きれず施設に預けているはず・・・資格・免許を燃し持っていても、解らせることは困難と言っていた。此をストレスと為続ければ、人間、感情の動物、手が上がることも仕方が無いと言っている。

それが、嫌なが、施設で無く、我家で親の面倒を看れば良いと言っていた。

要は、此が本音だと私は思う。

親さえも看きれない・・・子を・・・現代の子、大人をなめているし馬鹿にしているので、簡単に、ため口・・・馬鹿等々の単語を使い、命令口調で大人に言う・・・それを受け入れ、要望に応えていたら・・・将来、どんな大人になるか????・・・・逆に怖いし・・・

この様な、ぬるま湯の環境で育った、大人が、保育士になれば、ストレスを感じないで、対処できるか????今以上にストレスが溜る、レベルの大人になっていると思う。

以前も書いたが、良い環境が良い人間を育てるかは判らない・・・

悪い環境、悪い上司が居たので、成長できたという人は多い・・・しかし、感謝しているので、その人には良い環境・上司だったと言うことになる。結果論から言えば・・・・

子育てをした親とすれば、子供が悪さをする・・・此が結果として、親の育て方に問題が有った成る・・・どんなに理想と思える親を演じてきても、この様な判断の結果になる。甘い対応の親だったとなるし、逆に厳しくしていたら、その反動でとなる。

この結果、誰がジャッジしているのか????・・・現代はマスコミになる。本来は裁判所等になるが・・・何故かマスコミ等が、世論と言って、先導・誘導を続けている。

要は、良い生産者・良い消費者を創る為に、奔走しているのがマスコミで有る。理由は、その方向性で得する側が居るから、飯が食えている立場に成るから・・・

考えようで、権力、利権者に張り付く、寄生虫で・・たちが悪いレベルの虫だと言うことになる。

要は、お金を使わせる方向にしか、向かわせていない・・・当然、お金を使えば、相手の対応も変わる、特に私のように、差別主義者で優先順位が有ると、公言・自称している人間ならその様な世界が、今の社会だと思っている、勿論、極僅かで・・・大多数の国民は、平等主義者で、同じ釜の飯を食べても当然と思える人と思うから、我が子だけは、私だけはと言う、利己主義的な考えは無いと思うが・・・現実は、その様な人が、テレビの中に移されていて、耳障りが良い、単語を並べて、話している。

勿論、視聴者も、耳障りの悪い事でも言う人間が、テレビに映れば、直ぐにクレーム等が殺到して、テレビから消えることになる。



ワンマンショー・・・

 何時ものように、土曜日だが4時過ぎから頑張っている。

四男は、現場に向かった。しかし、起こし続けている五男が起きない、毎回のことだが・・・階段が上れない私は、手すりを持って、手の力で彼の部屋まで向かって、起こしたが・・・結果は、又、寝入っているようだ・・・これも何時もの事・・・・今朝3時くらいまで、友達達と騒いでいた。

己の体は己で解っているはず。無理は出来るだけ避けた方が良いと思うが・・・無理を覚悟で行ったなら、その責任は己で取るのが人間だと私は思っている。

今日は、嫁も仕事・・・朝6時台は息子達の出社の手伝いに成るし、その後は嫁の出社のお手伝い・・・私の今の体で出来る事に成る。

彼達の足程度にしか成らない・・・昨晩も嫁の忘年会・・・送迎を頑張ったし・・・彼女の歌を聴きたいと、最終的にはカラオケ屋さんに言って、リクエストに応えて歌っていたと言っていたし、彼女は、喜んで頂く此が一番の快感のようで・・・楽しく過ごせたと言っていた。

私が一番大変な時間帯が朝と成る。

今、バタバタ・・五男を駅に届けた・・・毎日、大変だが、考え様では私には良いリハビリかも・・・・

今では、機械いじり等が趣味で・・・時間があれば、創意工夫を行っていたが・・・ドライバーも握りたくないと思う体に成っている。

当然、先に書いている階段が上れない・・・これに対して、何かリハビリを行っているか????・・・己の意思では無理・・・

是が非でも息子を起こさなければと言う思いが有るから、無理して階段を這って上る事に成る。

その結果・・・今では這わなくても上がれるように成っている。五男のお陰と言うことにも成る。感謝に繋がる。

先のブログで個人と言う、単語に対して私の思いを書いているが・・・五男は、今の日本で思われている個人主義の自己中・・・己の思うとおりに成りたい、損したくない・利を得たいと、全てギリギリで事を考えているし、思うように成るという前提で事を組み立て、又、出来ると思い込んでいる。しかし、遅刻でもしたなら、どうなるか???・・私が起こさなかった事が原因と、私を恨むことに成る。

私は自己本位で事を考える、当然、自己中とも言える・・しかし、己の思うように成るとは思わないし、何故か???、世の中で生かされているなら、色んな人、色んな個性・色んな価値観の人と共に、生きているという事・・・要は思うように成るわけが無いと思っている。

だから、色んな個性・価値観を容認出来る、寛容な人に成りたい、当然、先ずは己と思っている・・・自己中だし、個人主義だと私自身も思っているが、五男の自己中・個人主義とは180度違う感じに成ってしまう。

以前、書いているが、言葉・単語、その捉え方は各自の勝手・・・しかし、注意が必要なのが、耳障りの良い方に捉え、誤解するという事・・・・利己主義と言えば、大事だな~~~と思う、何故か、苦や損・負を感じないからに成る・・・誰が己がに成る。この状態で人様が幸せに近づく当然、良い事と思うし、正しいと思う。

しかし、現実に出来るか????・・・レベルが無い・力が無い等々、出来ない理由を並べて結果、逃げる事に成る。

要は、現実味を感じない言葉は己の都合、耳障りの良いという部分で、聞き入れている・・・しかし、効いていないという事・・・

その為に、利の対義語・負に変える・・・他の対義語・己に変える・・・負他主義と成る。この言葉に成ると、何故か耳障りが悪い・・直ぐに己に損・負が迫ると言う感じがするので、拒絶方向に対応することに成る。

行政等や、組織等で・・私は何時も疑問を投げかけるが、言っている意味を理解できない人が増えている。優秀な筈の人が、一極方向の価値観でしか事を判断できない・・・この様な人が、リーダーとして存在している。結果、先に書いた個人主義等の捉え方も、その様な人、要は模範と言われる人達の姿・考え方・価値観が、民衆に蔓延し出すことに成る。

私は、異端・三流・変わり者、差別主義者の、自己中な人間と自称している。この様な私の言葉と、優しく、利他主義と自称しているリーダーのような立場の人と、どちらの言葉を信じるか???・・・私の息子達も、一般に言われる、立場が高いリーダーの言葉を信じる傾向が有る。

要は、先に書いた個人という意味を解っていないという事・・・己の権利と思っているだけで、他人対しての義務とは思っていない・・・

どうしても、下に見てしまう、個人も、己と同じレベルで見る、義務が有るという事・・・・

己が優秀と思っているなら、又、一流と思っているなら、相手も同じ様に見ると言うことに成る。どの分野・価値観で優秀かは解るはず、優秀なら・・・・私は私のレベルで、相手を見ると言うこと・・・当然、殆どの人が凄いな、学ばなければと思う人達に成ると思えるが・・・現実は????

餓鬼界の個人主義・自己中が有る。菩薩界の個人主義・自己中が有る。

要は、世界、意識世界・命の世界が、どのレベルかで、同じ、言葉だが、意味が大きく変わると言うことに成る。




個人・・・

 個人を指す言葉で・・・俺や私・己等々と思っている人が非常に多いし最近、増えてきた感じがする。

勿論、俺や私も含んでいるが・・・・日本語の個人は・・私の見解だと・・一人一人の人権を認る。当然、価値観や個性が違うが、一個の人として確り認識・配慮をする・・事・・・強く言えば、人としての義務を言っていると私は思っている。

しかし、私の周りでは、俺・私の、我欲を叶える為・・・我侭が言える事を個人という認識の人が増えている。結果として、人としての権利だと思っている人が多い感じがする。

権利と義務・・・同じ事柄なのに、捉え方が大きく変わる。

何度が書いているが、私の父母の法事等を行い・・・何月何日何時に行うと、息子達に連絡すると、お客として、その時間に伺う・・・彼達の気持ちだと、言われたから、来てやったという、思いに成る。

当然、その様な気持ちなので、こちら側がお前達は客で無いと言ったら、帰ると言い出す。彼達にしてみれば、当然の捉え方と思っている。

本来、法事等で○○家に属し、その中心に近いなら・・・主催者側、要はお客さんに来て頂く立場・・・その為に受け入れを完璧に遂行する立場が、開催時間に着けば良いという発想自体が・・私は、違うと考えている。

要は、お互いが、してあげた・・・要は恩を売る方向の二人が対面したら、当然、揉める・・・何時も書くように、バランスにはプラス側が居るならマイナス側も必要という事・・・・

何故、この様な簡単なことを、学校等で学んでいないのか???又、教える人材が居ないのか????・・・答えは多々有る・・・色んな考えが有って、バランスが保たれているときが安定している社会に成る。

要は、勝ち負け論・正邪論等々は、人を縛る方向には向く・・・しかし、同じ個性だけの集団なら纏まるか????私は揉め事が増えると考えている。

何が正しいか解らない事を教える・・・一番大事だと私は考えている。

己自身で、正しい・・此を探し・求めるのが・・・生きる意味でも有る。

要は、人夫々、違っても良いと言う事・・・・此が個人という意味・・・それを容認でき、寛容できる己になる事が、個人という意味だと私は思うし、義務というのは、それ位、私には難しいと言うことにも成る。

三流の私の場合でに成る。当然、一流の人は、苦労しなくても解っているし、当然のこと、間違っても、己の思う通りや我侭が通る事が個人、又それを追求したいという主義と成る。要は、権利の主張が個人主義と思っている人は当然、三流以下の四流と言うことにも成る。

日本国は一流の人が多い国なので安心しているが・・・現実には増え続けている感じがする。

本来、個人主義の人なら、人の権利等が解ると思う、しかし、己と意見・価値観が違う、結果、面白くない・除外したいと言う思いが出ると思うが・・義務と己に言い聞かせ、己の好みでは無いが、一個の人として認め・容認出来るとならなければ、本来の意味でなくなると私は考えている。

西欧から来た、理念、価値観に成る。全体主義的な国だったが、個人主義という言葉を日本語にするために出来た

この部分が解らないと、基本として人は一人では生きていけない事は誰しも体が解っている。要は、己が好む人で周りを固めたいと勝手に思い込む・・・結果、他の価値観の人等は除外する方向に成る。全体主義の悪い部分に成る・・個人主義と言っても、一人で一生は生きていけない・・・人との関わりが必要に成り、どうしても悪い意味での全体主義の頂点、独裁者に成りたいと無意識に思ってしまう。動物の世界のハーレムと同じ事・・・・人間なら、嫌いな人、価値観が違う人も含みで集団を形成する事が出来ると私は考えている。この考えが元で、個人という単語が出来たなら・・・・個人の意味の確りと、学ぶ必要が有る。

しかし、私の息子達にも反しているが・・・彼達の頭は?????状態に成る。意味が解らないとなる。

個人の捉え方が、私と違うと言うことだし、個人という言葉で、己が良ければと直ぐに成る。事自体が問題と言うことに気付いていない。単純に三流の親の子なので、馬鹿としか言えない。

この様な、事・捉え方の基本が、現代は変化してきている。

何が大事なのか???綺麗事で無い・・・私は人より、地球が大事だと思う、当然、今の人間のレベルならに成る。

地球に依存して生きている。今のレベルの人間が足掻いても、地球なしに生きていけない。要は、地球に比べ、人、一人の命が時と場合では軽いと成る。勿論、現代でも・・・昔なら、些細な天変地異でも世が壊れると思えば、人の命を差し出しても損で無いと思っていた時代も有ると思う。

人の命は地球より重いと言った、総理大臣がいたし、それで多額の身代金を出した過去が有る。要は、人の命より、金の方が安いと思ったから・・・地球等は綺麗事で言った言葉と思うが・・・此が一人歩きをしてしまい。国は、一人の国民の為に全てを投げ出す覚悟が有るかどうかを問う馬鹿な人が増えている。

この様な事が書けるのも、差別主義者と自称しているからに成る。

平等主義者なら、動物の命も、人の命も、虫の命も同列に扱える思う。

しかし、この様な人が、先に書いている、個人の意味を、はき違えている人が多い気がする。