2023年2月23日木曜日

ヤット、足下が気になりだした。

 昔は、どうにかなる、頑張れば道は開くと思って・・・足下に気を遣わず、遠くを目差・・・強引にでも進む・・此が大事だと思っていたが・・・

最近、己自身に自信が無い・・・全てに劣りだして・・・競争社会なら、当然、勝てるわけが無い立場となって、初めて、己の足下が気になりだした。

結果が、家事をどう処理するか???・・・当然、昔は、己でと言う考えより、稼げば済むと言う、単純な発想で事を進めていた。

しかし、金欠で、お金を稼げない立場に成ると、如何すれば己自信で対処できるか???・・・此を考えるようになってきた。

勿論、遅すぎる、体も真面に動かない状態で、何が出来るか???・・・と、問うと・・・出来ないとなるが・・・・今、私に有る、十分過ぎる部分は????・・・・時間となる。

時間を要しても、他に影響を与えにくい立場に成った。

仮に普通なら、1日で済む作業も、3日使って、処理できるなら、行う事が出来る。

私自身の、値打ち・・・時間あたりの単価は、減り続けているし、己で処理した方が安いとなる・・・

人の価値、値段と考えれば、私の価値は安いと思う。私の一日の対価・値打ちが10万なら、人様のプロに依頼した方が安いし、早いし、安心も出来る。要は、己の値打ちが、安いと思うから、己で行う事に成るし、他に頼んでも、その対価を払える自信が無いと言う事になる。

益々・・・家事を探し出し、行おうとする方向に向かっている。

要は、外から稼いで来ることが難しく成ったので、その穴埋めは、今、私が出来る事でに成る・・・勿論、何時まで出来るかは解らない、体調が悪くなれば出来ない・・・出来る間は無理しても頑張りたいと考えています。

出来なくなる方向が本来だし、自然の流れ・・・・出来るから感謝だと思うし、幸せだという事に成る。

人は、三十歳くらいが頂点で有る。その後は坂を下り出すのが当然・・・その下り方が色々という事に成る。



水回りの修理・交換

 お風呂のシャワーが壊れたとのこと・・・私は使用しないので解らなかったが、子供達が言っている。

調べると、給水は出来るがシャワーに切り替えが出来ない、バルブが問題と、取り外しを試みたが、ナットが緩まない・・・又、部品としてのバルブが直ぐに手に入るとは限らない・・・・

結果、新調することにした。

配管等の大きさ・温水と冷水の距離・・等々で合う商品・元が古い規格なので、古いタイプのシャワー混合栓を購入・・・・

しかし、問題が、敷地内に有る、水道の給水栓を回す部分が錆びて付いていない、此は10年ほど前からで、その都度・・役所等に連絡していたが、対処がされていない。結果、路上にある、元の給水栓を確認すると、深い処にあるし、暗くて見えない・・・見えても専用工具が必要と思ったので・・・壊れている、バルブを、バイスレンチで挟んで締めて・・・

取り替えが済んだ・・・しかし、素人、道具が無い、等々、時間を要したし、今の私の体・・・完了できただけでも奇跡に近い・・・・

テスト、水漏れも無く、無事に終了・・・・

感謝である。30年ほど前に変えた、シャワー・・・・長い間、ご苦労様でしたとなる。



担い手・・・育成!!

 世界的に大変な時機に来ている。

私は勝手に・・個々の自立が大事だと考えている・・自立とは???・・私の見解だと担い手と考えている。

人は集団の中で生きている。その為に、人に対しての依存が必ず有る。

どの様に依存しているか、又、求めているのか???・・・この違いが担い手か、担われる側かと、変わると考えている。

よく、私は寄生虫と宿主の関係性をブログに書くが・・・・

寄生虫側から見れば、己に都合が良い、宿主が理想となる。

この都合が良いが、本来、個々の個人で違うはずだが、もし、一極化、同じ方向なら・・・寄生虫側の競い合いが始まる。理由は、宿主の力を誰が得れるか????・・・此を求める為に、競い合う。競う事は、向上心で己のレベルも変化させるので、ある面、良いとも言えるが、この部分を放棄し、相手を潰す、足を引く行動をする者が出てくる。

要は、向上心で良い意味での競い合いなら良いが・・・相手の足を引っ張り、その対比で己がよく見える・・・この様な方向に走る者が出てくるし、この部分が、民度と言う部分にも影響し出す。

何回か書いているが、民衆の革命で、民衆中心主義に移行すると思えても、結果として、宿主を求める、それも、勝者側に都合が良い宿主になる。要は、革命前と首が変わっただけで、同じだと言う事・・・・

己で、道を切り開くという、思いが無いし、要は、担ぎ手で無いと言う事、担がれる側を求めているし、理由は、楽で富を得れる、此が幸せと勘違いを起しているからになる。

要は、寄生虫という、奴隷を、輩出し続けているのが、現代の、教育・価値観に成る。

私の周りにも、悪い意味での親分子分の関係性が有る。

親分側と話すと、子分の悪口ばかり・・・・子分側と話すと、親分の身勝手さの悪口ばかり、この状態で、よく仲間と纏まっていると私は感心する。

どちらにも言える事だが、己が汗を掻き、苦労して、担っていくと言う思い、喜びを持って居ない。逆に、苦痛だし、痛いからしたくない。女々しいと私は思うが、何故か、この価値観が男らしく、威張って、虚栄を貼れると思い込んでいる。

私は、焦げ付きバッタと言われるように、何時も御免なさいと頭を下げ続けている生き方になる。

息子らから、何故、お金を払っているのに、頭を下げ、お礼を言うのかと尋ねられた事が有る。

理由は、簡単、物を売ってくれる、この思いが有るから、お金を支払い買える。お店は、無言だがその思いが有るので、物を買えている、その為に、この思いに対して感謝する・・・私は、当然と思うし、感謝なら当然、頭を下げる事にも成ると教えていた。

息子らは、頭を下げる事が、悪いことした弱いからと言う、イメージが有るようだ・・・・

詫びる意味と、感謝の意味と、頭が下がるにも色んな意味が有る。

担い手が居ないと私は感じている。

現に、指定難病の病を煩い・・・どうすれば、先を見えるのか明かりが見えるのか????と・・考えているし、色んな人に伺っているが、光がなかなか見えない・・・・

「生老病死」のこの現実は、昔から有るし、先人対置も経験してきたと思うし、当然、その為の知恵が多々、蓄積していると思い、縁ある先輩方にも伺うが、目が開くような回答を得ない。

何故なのか????・・確り現実として襲い来る、生老病死に対しての回答が無い・・・・人は、寄生虫なのか????・・私はその様に思うように成る。要は、己の将来、未来も考えず、今ある欲を貪り得る為に生きている。その為には、力ある宿主に寄生する当然、己だけ、他を排除する方向にする。悲しい生き方だと私は思うが、この地獄図状態を、人が望んでいるなら、人の世は無間地獄という事に成る。

当然、本当の意味での希望も未来も無いと言う事・・・・今、今さえ帳尻を合わせて、その場しのぎで生きる、どうせ、最後は死ぬだけと言う短絡的な価値観に陥っていると思える。

死の苦しみ、楽しみを、経験せず、少し、思う通りに成らないで、リセット、死ぬ・・・

民主主義・自由主義と言っても、先に書いている状態、ファシズムとも言える。


電気炊飯ジャ・・・

 

数ヶ月前から、調子が悪かった、炊飯ジャー・・・ご飯を上手に炊けず、保温も出来ず・・結果、最近は使っていなかった。

の半値弁当に魅力を感じて・・・それで済ませていたが・・・子供達が納得できないと、高級な弁当等を購入してくる。

特に白米を食べたい・・この要望が強く・・・昨晩、家電量販店で購入してきた。

以前は、大家族で一升炊きを使っていたが、今は、三合炊きで十分という事で、小さな炊飯ジャーを購入することになった。

その際、保証を最大、三年に出来るという事で、費用は必要だがお願いした。店員さんに聴くと・・・・この様な商品、5年持てば十分という考え方の様だ、その為に、高い商品が長く持つ等々、無いと言う事・・・

その結果、三年ほどの保証が最大という事らしい・・・

要は、三年ほどで買換える、このシステムになっているという事に成る。

貧乏な私の考え方と違う・・・優秀な消費者になれない私、出来るだけ長く使い続けたいと考えている。

しかし、それが許されない環境、システムに変化しているという事・・・

現実に、昔は、修理も小さな部品単体で設定が有ったが、今はユニット交換・・・数百円の部品が問題なのに、ユニット数万円のパーツ代が要ると言う時代になっている。

私も修理人で生活していたので、昔は、数百円の部品、結果、人件費を頂いても数千円で、済ませることが出来たが、今では、数万円のパーツ代・・・・・人件費まで頂こうとすると、払えないと言う方向になる。

結果、買い換えを薦めるために、訪問している状態・・・私は一文も成らないで、新しい商品がメーカーが納入する、この様な形に成っている。

結果、ユーザー側に即した修理を行っていた人達が、生活が出来ないと廃業・・・メーカーの意向に乗っている、人達が生き残る、状態に成っている。

勿論、世間に見えている部分は、耳障りが良い、良い環境が見えている。

しかし、現実の社会を回っている立場から言えば、綺麗事・・それに従えないと言う人達も、多いが、声を高らかに世間に言えない状態に成っているので、無い事に成っている。

要は、今後、弱い立場と言われる。私の、それが普通の人達と思うが、その様な人達が益々、住みにくい、生きにくい世界に向かっていく。

当然、耳障りが良く、否定するためには、人様から白い目で見られる状態のために、出来ない・・・結果、従わざるおえないという流れに成っている。

要は、分相応の生き方が出来ない方向・・・勿論、この分と言う事を見せない為に、無い分という捉え方・・・

優秀な消費者で無ければ、生きていけない・・・命が有るだけでも幸せだが・・・その様に感じさせない世界に向かっていってる。