2018年8月2日木曜日

過去の動画二つ掲載・・・



過去の二つの動画を掲載します。

約、二年ほどの、期間が有る・・・・その間、RCドりフターが言われている事を、取り入れ続けた、同じシャーシの二駆に成る。

最初のは、基本、ケツカキ状態のセット、勿論、軽量化を意識した、車だが・・・其れでも、ボディー込みの重量が、1400gを切る位・・・

タイヤもゼロワンR2で私は、食い過ぎるタイヤと考えていたが、今動画を見ると、なんとリアの重い車、重苦しい動きをしているし、荷重移動等全く見えない、その証拠が、ステア操作の大袈裟さ・・・

ドりフターはアクセル操作で荷重移動と言われる。之がこの重さ、タイヤだと出来ないと言う動画に成る。

当然、ダメ出しも多いし、笑われる操作に成る・・・・之を格好良いとは、どう見ても思えないし、基本、玩具的挙動に見えると成る。

実車やRCカーに詳しい人が多い世界のドリフト、恥の上塗りに成る、事に成る。

この期間、軽快さを求め、確り荷重移動が出来る、方向に進めた、結果が、後の動画に成る。


勿論、二年経った今の私、勿論、無知で下手な私が見ても、之でも矛盾が有るし、如何しても舵角操作の大袈裟が気に成る。

しかし、変化は解ると思う・・・

何度も書いているが、車の個性で走らせ方も変わる・・・・・・同じシャーシだが、タイヤが違い、重量が軽く成れば、当然、個性が大きく変わる。

その結果が躍動感、もう少し厳密に言えば、瞬発感の違いが見える筈、トラクションを得る操作がどの方向が、向くか・・・

重ければ、結果、アクセルを沢山入れる方向に成る。理由は動き難いから、しかし、そのパワーが結果として、空回り、失速を作る。

この部分が無ければ、蹴り出すリアの演出が出来ないし、単純に滑っている流れている方向に成る。特にリアが軽ければ、リアを抜く、フロント荷重でリアを抜いて出す、この時も楽に成る。
この出が有って、次に蹴り出し感が有る、この方向を探す為に、色々模索を続けた結果が、この車に成るが、その時点でも環境から浮き過ぎているので、この時点で車の進化は止めている。

しかし、操作技量は下手の為に、伸び代が有ると考えて、操作の練習、不得意の克服、下手の限界への挑戦を続けている。

ドりフターが見れば、勿論、駄目出しが多いと思うし、実車と大きく違う、舵角の入れ方、戻し方、アクセル操作に伴う、タイヤの回転等々、見れば誰しも、実車・リアルで無いと言われると思う、
其れほど、玩具的な、パタパタした操作を、ステアリング・アクセル両方で行っている事に成る。

基準の置き方・・考え方・・・・

最近は、伺っているコースで、タイヤの食いの高い、低い之を余り、耳にしなくなった。

この部分は好みと私は考えている。

しかし、RCドリフト界が言っている、実車やリアル、之を基準に考えると・・・

路面は???タイヤは???と成る筈。

しかし、殆どのドりフターはこの部分が、低い、食わない、トラクションが掛り難い、とブリップ力が無いと言われる。

もちろん、一般のツーリングカーのRCカーを基本に考えれば、間違いでは無い・・・

しかし、先に書いた、実車やリアル・・・之を基準に考えれば如何なるかに成る。

この部分が、私は、食い過ぎる、早過ぎるタイヤだと言っている事に繋がる。

しかし、普通の人は、滑るから、空回りするからとタイヤや路面のトラクション不足は言われている感じがする。

この部分は、膨大すぎるトルクと回転、パワーが原因だと私は考えている。

この考えで、進めて来て、十年を優に超えた。

何度も書いているが、実車の0~100km加速・・・何秒・・・・若し、パワーが大きくて滑らせ続けて、三秒で通過する、普通なら難しいと思う・・・
RCカーだと10kmに成るが、滑らせ続けて何秒???・・・・この様に考えれば、凄いトラクションと考えている。
若し、滑らせずに確り加速が出来れば、もっと短縮できる。

又、RCドリフトの世界は、RCカーにも詳しい人が多いので、目指せ、100kmの経験も有る人も居ると思うが・・・・モーターとバッテリー電圧でパワーを上げれば・・・数秒で到達する。

この時の、グリップ感等々から、RCドリフトのタイヤや路面を考えれば、当然、プアーと感じるが、現実に、スケールを実車にすると、音速に近い速度に数秒で到達する、車と言う事に成る。

リアルや実車と言う単語の意味、又、之を何処に基準として取り入れているのか????之が余りにも曖昧な感じさえする。


仮に、凄い、グリップの高いタイヤ、之に負けない凄いパワー・・・この組み合わせで、作った車の個性は、実車に近いか???

この様に私の場合成る。

ブログ掲載する当初に書いている、タイヤの食いの感じ方、考え方が、車の作り方に大きく影響する。
勿論、RCドりフターは実車を基準に考えていると思うので、直ぐに解る筈。

如何解るか、食い過ぎるタイヤだから、飛ぶような挙動が、意識もしないで出てしまう。
又、タイヤとのバランスで、高過ぎるパワーが、結果として、前にも進まない、大失速・・・空転を作っている。

空転が原因で進まないなら、けん引力を上げる、タイヤの接地面圧を上げる、重量を増す。方向に成るし・・・空転をさせるより、アクセルを緩めると、一気のタイヤの食いで、加速が増す、この様な現象まで、使いだす方法に成って行く・・・・

結局は、老舗のメーカーが、考えていた、方向性と違ってきた事に成る。メーカーが推奨するパワー源を無視した、方向性が、一般化した為だと私は考えている。

RCカーの全てのジャンルに対しての入り口として、ドリフトをメーカーは考えていたが、独特の操作の癖が、他のジャンルへの方向性を無くした事に成る。

パワーを掛ける、この意味が大きく他のジャンルと違うし・・・実車とも違う・・・・
独特の引き操作に成らざるおえないと言う事に成る。

この部分も最近、やっと解ってきた人が出て来ている、パワー源の縮小・・・・

しかし、操作の癖が大きな縮小に対して、足枷と成る。


趣味のRCカーも、色々・・・

趣味のRCカーも色んな、個性の車を多々持っている。

基本、メーカーの考えで出来た、個性の車だが、ジャンルやメーカーの考え方等々でも、個性が違うし・・・

当然、個人の拘りで、色々な処を触っているので、個性が変わる方向に成る。

この意味する事は、多々の個性が、広がる方向に成るし、その様な車を多々持っているが、何故か、一番、今の私の環境下で楽しいのは、SAKURA D3 二駆に成る。

勿論、環境が変われば、楽しいと思える車も変わる。

この部分が、RCカーの面白みだと私は考えている。

車の個性が変われば、当然操作も変わって行く・・・個性で対応が違うと成る。

しかし、RCドリフトの世界は、何故か、この対応に対して、之が正しいと言う、言葉が氾濫している。

その様な言葉を、踏襲して、出来た、車が、この二駆に成るが、何故か、現状のRCドリフト環境では浮いた車に成っている。


勿論、コースには色々な個性の車が有る筈・・・その為に、オーナーが許可をして頂くと、試乗をさせてもらう・・・・・色んな、車を操作するが、何故か、個性が近いし、操作方法も結果として略同じ・・・

車の個性に合せた操作に成るのは当然だが、操作が同じという事は、個性が似ていると言う事に成る。

勿論、下手の為に、凄腕が言われる様な走りは出来ないが・・・・其れでも、10分も走れば、お腹一杯と感じる、車が多い・・・

この部分の個性も似ている・・・・・走っていて感動を感じ難い、その為に直ぐに相手を求め出す。

車の考え方、哲学が解ると言う事に成る。

勿論、操作技量が劣る私の感覚なので、車の本当の個性が見えないのかも知れないが・・その様に感じる。

この私の感じ方が、一般と違うので、異端児と言われていると思う・・・

操作の考え方の違いに成るかもしれない。

ギリギリ感を私は、実車感と考えている・・・実車もスピードを出せば、一瞬の操作の遅れミスが大きな事故に繋がる。

之と同じで、RCカーの安定志向の考え、外部操作の為に、楽で簡単で速く走る、この方向性の、逆転を試みている。

私の場合は、操作の経験が無い、方向が難しく感じる、元々のRCカーの操作は、実車と大きく違う価値観で作られていると考えているので、操作が難しく成る方向性を模索している。

当然、この部分も、基本の操作が何かで決まる。私の場合は、RCカー独特の操作の癖が体に染みついているので、この様な方向性に成る。

この部分が、顕著に出るのもこの二駆に成る。子供や、素人さん達は、意外感が少なく、走らせる事が出来る。
しかし、RCカーの癖が強い私の場合、難しいし、練習が必要に成る。

之が意味している事は、この車が、一般的に言われる、自然な動きをしている事に成る。

しかし、この自然な動きが、逆に、強い操作の癖を付けている私には難しいと成る。

しかし、ここ半年、以前はよく、耳にしていた、リアルや実車等々の単語も耳に入り難く成ってきた。
之が意味する事は、何なのか????
之も、今後の課題に成る。


四人の息子と、仲間達・・・・

二男以外の息子達が、昼食前に集まってきた。

嫁は喜んでいると思うが・・・私は母屋に近付けない・・・

五男も今日は、夏期講習が休み・・・結果、朝から友達たちが集まって来ている。

母屋は楽しそうだが・・・・私は、部外者の為に、事務所で、モンモンとしている。

嫁が言う様に、愛情が無い私には、子供達が懐く訳がない・・・・

勿論、私には与えられるだけのお金を嫁から頂いて居ないし、何もして上げる事が、基本無い・・・
有る部分は、口で色々、教える事に成るが・・・煩いオヤジとしか見えていないと思う・・・

之も、分相応・・・私のレベルが低い、力が弱い為に成る。

特に三男は、私を嫌う方向性が有るが、その理由は何か、私から言われる之を恐れている様だ・・・
三十を超えた、上の子供達、たいがいで大人に成ればとも思う・・・・

何時までも子供の状態・・・・・オヤジと酒の一本でも持って来る、之が外に出た子供の役目・・・

嫁の里、子供達からだと、バーチャンの家に成るが、手ぶらで行く事は無い・・・之を見ているのに何故、気付かないのか????

逝った母が、嫁る妹に・・・一度、この敷居を超えたなら、今後、一人では絶対に、敷居を跨ぐ事は出来ないと言っていた・・・之が頭に残っている。

母に何で???と尋ねたら・・・夫婦で来訪する、家族で来訪する、之が最低条件・・・之以下は認めないと言っていた。

結局、この言葉のせいかは解らないが、嫁った後は、殆ど我家に来る事は無かった。

母の言葉の意味も、今だと良く解る、

昔も書いているが・・・・
私が四十歳を超える時に、母に、もう十分、父母を食べさせて来た・・・たいがいで許してと言った事が有る。
私は、二十年間、育てられた、この現実に対して、二十歳から四十を過ぎるまで、父母二人を食べさせた・・・子供の頃に父母は、お前を食べさせている、感謝せろと言われていたので、この様な言葉を、投げかけた・・・・・答えは、恩に対しての、恩返しは、二倍で当然、二倍以上してヤット、感謝されると母は私に言った。

母は逝ってしまったが、続いている。

勿論、父の事業の失敗も有るので、多大な借金を返す、之が一番だったが・・・・

特に、個人からの借金、之は恩を受けた形に成る・・・返さない時は、人以下の様に、扱われるし、之も当然・・・この部分を、先に書いた倍返しと考えなければ、この地で住み続ける事等不可能に成る。

この経験で、恩を与えている人の心が解るようになった。

恩を売る、この様な人の居るが・・・恩を与える人は、何気にするし、恩を返せ等々を性急に言う人も基本居ない・・・しかし、一度裏切る、信用を無くしたら、その優しさが、今度は逆に成る。

この部分は、親でも一緒という事を、私は、学ぶ事が出来た。
之に、気付いていない、人も多い・・・

結局は、期待するから恩を与える。勿論、その部分も各自の感覚で、期待も違う。

その期待に答えたなら、恩に報いる事に成る・・・・しかし、その期待も本音を言わない人が多い・・だから、気付く之が求められる。

又、借金返しの時に感じた事が、日ごろの振る舞い、格好も大事に成る。
この部分も、先に書いた期待と重なる・・・・苦労して、身なりも悪い、其れでも一生懸命という振る舞いなら、千円でも許せるが・・・・大きな事を言って、威張り、格好も良い、この様な状態で、千円・・・期待と違うと、成る。

期待を持って頂く事は、感謝だが、この期待のレベル・高さも振舞い方で変わると言う事に成る。

先のブログだと、基準を作る、勿論、正しいという基準・・・之が一極方向・・・・しかし、本来の人は、人で変わると言う事・・・

仮に、日本国の文化にはチップと言う習慣は無いが、有名でお金持ちからチップを貰った、誰しも、知っている人、リッチで何時も夢の様な大きな話をされている。
当然、誰しもが、一万、二万と思っているが、百円だったと成れば、如何思うかに成る。

当然、貧乏そうで、お金が無い風貌の人から、貰えない、之も当然と思うし、仮に、百円貰ったと成れば、凄いと成るし、又感謝の気持ちも高く成る筈。

基準の金額を言えば、同じ百円だが、感じ方が違う・・・之が人と言う生き物に成る。

逝った母が言っていた事だが、旅立つ、数日前・・・私の嫁に感謝していた・・・又、親とは子供の前でも、親としての思いが各自有る・・・母の場合は、強がる・・・弱い部分は絶対に実子には見せたくない・・・この様なタイプの場合・・・嫁が居た事が救いだったらしい・・・

親の中には、子供に強がって見せている人も居る・・・心の思いと違う事を、口から言っている場合も有ると言う事・・・

特に、背負う、この思いの有る人は、死んでも背負い続けようとする、思いが有る。その為に、周りの配慮が大事に成る。

結局は、人も色々、だから、対処も色々・・・何が正しいかもその都度、違う。

特に、名が知れている有名な人の言動は、影響力が強いので、注意が必要に成る。

仮に、ニートの青年に、有名な人物が・・・時には、遊びも大事・・・この言葉を投げかけた・・・・
当然、ニート仕事はしていない、この事を肯定する為に、この言葉を使う、有名な人から、遊びが大事だと言われたと・・・・

意味が大きく変わっている。

この様な、ボタンの掛け違いが世の中には多々ある。



完璧を目指す・・・正しいのか???

何度も書いているが、人は不完全が当り前・・・

しかし、何故か完璧を目指す・・・・之も人だと私は、思う・・・・

しかし、そこに、人の誘導・操作を可能にする・・・・事に成る。

又、完璧の方向性・・・之も本来は色んな方向や考えが有るし之が価値観の多様化に成るが・・・現実はこの部分まで、一極にする方向性が有る。

結果、完璧に成る為には・・・・等々を問いかければ、誰しもが興味を持つし、当然、その方向性の価値観も同じなら・・・誘導・操作が楽に成る。

この部分を、行う人達が若し、居て、その様に人を操作していれば、怖い事に成る。

しかし、何故、人は完璧を目指すのか????この部分にも疑問が有る。

この完璧が、若し、神に近付きたいと言うなら、先の聖人と言われる人達は、凄い、苦難に有って居られるし、最後は命さえ取られる、この様な状況まで成られている人が多いが・・・この様な人を目指す為に、完璧を目指しているのか?????

完璧という意味も、各自で微妙に違う事に成る。

一般的には、自分の持っている欲を叶えられる立場、思いを全て現実に変える事が出来る、力を完璧と考えている人も多い感じがする。

思う様に現実が成る、出来る力が完璧と成れば、この状態を、人は不幸と言うか、幸せと言うか、この部分も本来は色々な考えが有ると私は考えているし、この様な価値論の、格闘は十代後半で本来は、誰しも行っている筈だが・・・

現代は、之を悩みと考え、考え様としない人も増えている。

何故、この部分を、私は良く、ブログ場で書くのか・・・・世の中の集団、組織、会社、社会、国家、等々色々有るが、全て人が介在しているし、人が居るから、集団に成っている。

この基本の部分が、人だと言う事、人は当然、失敗もするし、間違いも起こす・・之を前提に団体としての集団が、有るのか???

ここに、色んな絡みや複雑なカラクリが有る様に感じるから・・・・

若し、人が完璧が良い、その事は間違いも失敗もしない、この様な事を求めた集団が有る、一般的には会社が、現代はこの方向に成っている。

会社として、表現している、風潮している等々の部分に、人が集まった集団、当然、人が行っているので、失敗もしますし、間違いも起こし可能性が有ると、対外的に言っている会社等無いに等しい・・・・

又、この様な会社に、人が集まるとも思え難いのが今の価値観に成る。

完璧、理想に近い事を、風潮する会社に当然人は、集まる・・・しかし、先に書いている様に、事を起こし、行動する部分は人で有る。人の当然の部分が出せない世界に成る。

簡単に書けば、失敗をしたら、会社は失敗しない完璧と成れば、当然 個人の問題と成る。

この夢の様な完璧な会社が若し有るなら、私は分相応を考えれば、怖くて近くにも近付きたくないが・・・逆に入社したいと考える人も出て来る。当然、完璧な分の人なら良いが・・・普通の人間なら、当然失敗をする、しかし、認めたら、責任を全て追う形に成るので、当然逃げたり、責任転換に長ける方向性に成る。

この部分が、私は本来、恥と言う部分に成る。

現代は、格好が悪い、之を恥と考えているが、格好が悪い????・・・何が???と成ると・・・答えが出難く成る。

分相応の格好をしている、之は当然・・・分を超える見栄の為の格好をしている、之が恥と言うし、その姿が若し、完璧で私は失敗しないという方向性で、失敗したら、恥の上塗りと成る・・・之を恐れて、隠し、責任転換、之は、恥を超えて、人で無い、畜生レベルに成る・・・之も気付かず責任転換が出来て、勝ち誇った様子を出す人を・・・外道と言うレベルに成る。

要は生物で無いと言う事・・・

私が今思うのが、会社が今は外道かしていると言う事・・・
当然、会社だけでなく、集団と成る団体や組織がこの方向に成っている。

その基点が、完璧の考え方の違いだと私は、考えている。

誰しも完璧と言われると、聞きたくなる。又、近付こうとする・・・・

しかし、人の宿命を確り認識しているかに成る・・・・何度も書くが、「生老病死」この問題からは生きている人間は逃げる事が出来ない・・・其れなら、確り考える事だと、私は思っている。

完璧なら、死の問題を解決できるか????完璧なら、老いる問題を解決できるか???等々、
この完璧に近い、事を、一流や優秀と現代は言っている感じが私はします。

それなら、当然、この問題も確り、対処出来る筈。

よく、考えて頂きたい、集団、会社や組織が、この様な問題を持っている人間を最後まで、面倒を看るか????

何度も書いているが、利用できる時は利用し、利用できなくなれば・・・・当然、廃棄・・・機械の運命と同じ、方向性に人間が成っている。
之を肯定できる、理屈道理を作っている、完璧から程遠いからと成る。
之に、従うしかないし、当然、反論するだけの知識が無いと成る。

私が何時も思うのが、人間と言う事を自覚しているか????之が無い感じがする・・・無いから、永遠に、今の環境が良ければ続くと思っている。

私が思う、幸せととは、この様な事が有ると言う事が解っていて、其れを経験する事だと考えている。
勿論、一般に言われる良い事で無いかもしれないが、人だから仕方が無いし、宿命に対して確り受けている事に成る。
この行為が、嫌と思うなら不幸だし、当然と思えれば、普通だし、その際、色々な人からの施しを気付いたら感謝に成るし、感謝が有れば、当然幸せと成ると私は考えている。