2025年2月23日日曜日

自宅から帰って来た。

 午後二時間の予定で一時帰宅・・・嫁と次男・三男が私の送迎をしてくれたが、一歩、病院から出る時に次男から、車イスでは難しいと言う・・・歩行器を使おうと言う・・・車椅子を守衛所前に預け・・・外へ・・・非常口を出てすぐに玄関から歩道に段差、車イスで個人で超える事が出来ないレベル・・・病院を出た瞬間にこの状態、駐車場は道を挟んだ向こう側、横断歩道を渡るが、信号の青の時間が短すぎて、這うようなスピードだと渡る事も躊躇する状態・・・数度、タイミングを見て、青に成った瞬間から歩き始めるが信号が点滅状態でギリギリで通過できる能力、之では社会のインフラに対応できないと言う事にも成る。歩道も駐車場も私にとっては試練の登山の感覚・・・家は覚悟を決めていたので想定内で終ったが、此処も登山と同じ疲れを感じる。家では、仏壇に線香をあげ、先祖に報告、帰って来たと感謝を伝えた。その後、三男親子が来訪、今春一年生に成る長女が大きくなっているのに驚き又18日に誕生日と言う事を言われ、孫の誕生日も頭をよぎらなかったことに愕然、よほど忙しいなら解るが、病に伏して暇な状態で思い出せなかったことに後悔し、詫びたい・息子達は気にするなと言う、今は己の事だけを考えろと言うが、之なら私は死んだ方がマシだと思う・・・・送迎中が一番の体の負担・・帰宅後は精神的な負担を感じる。娑婆世界で生きるだけの能力が戻るのか、挑戦し続けるしかない。    

お迎えを待っている。

 昼食を終えた、看護師さんの話だと、今後、いつ帰られても良いが、夕食前に帰って来てとの事・・・・・家族のお迎えを首を長くして待っている。帰る事に不安も有るが、仏壇に手を合わせ先祖に報告と感謝の思いを伝えたと思います。その後は孫と遊びたい、時間が許すなら、軽食を挟みながら雑談も出来たらと思う。

独り立ちはマダマダ!!!

 帰宅用の寝間着に着替えられたことで、気を良くしていたが、嫁が持ってきてくれたジャンパーを立って手に持つことが出来ない重さに感じる。ジャンパーの重さでバランスが壊れ、倒れそうになる。その後、バックを床に落とす、腰を下ろして拾う事も出来ない、独り立ちに近付いていると思っているがほど遠い先の感じもするし、伸びしろが広くあるので、挑戦するしやすい、伸びしろが無い挑戦には大きな勇気がいる。物体の消滅に向かってる。消滅までの間に何が出来たか???当然、他の為!!!太陽系だと、太陽・・・彼が輝く・熱量等が、地球の環境を創っているし、凄い影響力を人間は気づくので、太陽信仰等が発生する。太陽も命・心が有ると私は信じている、だから「生老病死」の流れを続けているし、全ての光星も何時かは消滅する。

帰宅前に挑戦!!!

 今朝は(、何時もの様に自主練を行ったが、帰宅のことが気になり、軽めに行った。その際、昨日嫁が持ってきてくれた。帰宅時の寝間着、家族に着替えを手伝わせるのも嫌なので、己で行なおうと挑戦・・・関節の可動範囲が少なく・・・今までは介護の手を借りて着替えていたが、節々が痛いが、ギリギリ出来た。何も考えずに出来ていた、事も出来ない此が現状だが、この状態を良しとは私はお思わないし諦めもしたくない勇気を持って、挑戦するしか改善には向わないと私は考えている。特に環境がこの思いを強くさせる、殆どの人が病人コスプレ・・・呻き声・嘆き声が常時耳に聞える環境・・・私には地獄の環境に思えるし、少しでも役立とうと思っても、聴く耳を無くした人が殆ど・・・・死を待っていると言う状態だし、その様な様態の人が集められている。今はこの列も並びたくない・・・悪足掻きと言われても争いたい・・・今の身でも人様の役に立てると思っている。現に今居る環境では求められている、誰でも良いと言う事だし、説話の「蜘蛛の糸」の様に、蜘蛛の糸にも縋り付きたいという人達が、周りにおうぜい居るが、私の吐く、糸を掴もうとしないし、拒絶する人が殆ど、何を求めているのか???この状態に成っても絵に描いた餅を求めていくのか???心・命の安穏を何故目指そうとしないのか???不思議で成らない。

私は、体の事を器と表現するが、この器は当然色々有る。生物としての人間・動物・等々、多岐にわたる生物・・・見える物質には全て、命・心があると私は思って居る。道に落ちている石にも命・心が有ると思う。私が理想とする共存共栄は、全ての命・心になる。しかし、同じ種族の人間はお互いに対峙して事を進めようとしている。又、此も何度も書いているが、「生老病死」で人間だけが老と病との期間型の哺乳類に比べ長い、私の見解は昔のブログに書いているので省くが、生殖能力が無くなっても寿命がある置得事は、人間の場合、集団生活を行っているこの集合体で高齢者も必用という事に成るが、現代は不執拗の方向に向っている。此が進めば、当然、寿命も生殖の力が無くなったら尽きると言う、一般の動物の様になる。病の部分は、医療の発達で、死んでいたことが、生き残れる時代、何の為に生き残るのか???死を待つ人達を作り残った命を役に立たせたいとも思わない、此で生き残れるのか又宇宙のリズム命が其れを容認するのか、疑問が有る。人間という器を手に入れた命に過ぎない、無限にある生命の姿の一つ、動きたくない無いにもしたくないという思いが強ければ、石に生まれるかも知れない。この考える能力で長けているのが、地球上だと人間となるし、この器を手に入れたなら、如何、心・命を磨くかが、将来・未来・来世に影響する。

現代人、本質部分を忘れて器のキラビラ差を競っている。意味は殆ど無いと思うし、それに気付くのが、終活も終焉になる。今の病棟の様相だと思う。

気付いてくれ、今なら間に合う!!!このままでは危惧していた最悪の悲惨方向に向う気が強くなってきた。人の命の内在している仏性を信じている!!!