今日は、自宅に一時帰宅でき、子供・孫達・後輩と数時間だが楽しい時を過せた。彼達の言動を見ているだけで幸せだと思える、話す元気もなく、漫才だとボケの立場で皆の安心に繋がれば感謝だし幸せと思って居た。人は対外的な部分にどう接しているのか_???私は謙虚にと努力している。差別主義者の特性で区別が有る。特に興味が無いものには謙虚に振る舞う事が難しい、修理人として失格だとも思って居。修理する物に謙虚に取り組んでいるのか???
人は、生きていれば己以外と対峙する。その時どう思うのか???また、己は如何するのか???・・・・先ずは己から謙虚に対処する事が正しいと思って居るが、それが許されない時代にも向かっている。謙虚に接するから尊重している事に成る。これが大事だと思う。尊重の対義語に「軽蔑」「蹂躙」と有る。要は、何度も書いているが、己と対外全てをVSでの価値観だと、事を進める事全てがVSの発想で、他に対して軽蔑・蹂躙的な発想をするし、この価値観でそまっれいる人は、同調してしまう。義理人情の任侠の世界と言うより、反社会的集団の暴力団の価値観が世界に蔓延しだしている。苦しい世界に思う程、救世主を求める修正が有る。救世主・当然スーパーマンと成る。絶対的力が全てと成る。
0 件のコメント:
コメントを投稿