2017年8月27日日曜日

中上貴晶イギリス・シルバーストーンMoto2・・優勝・・・凄い、又Gp昇格・・凄い

イギリス・・・・シルバーストーン・サーキットで、君が代が流れた・・・・・・感無量な気持ちに日本人の私は成る
Moto2の600ccクラスで優勝・・・

来季は、Moto Gpの昇格も決まっている・・・

最高峰のGpに日本人が参戦するのも、数年ぶりに成る。

最近のロードレース、特に、Motoの世界は、スライド、走法を多様する世界に成っている。

バイクの挙動も、タイヤが浮く、特にブレーキングではリアが浮く之が当たり前に成っている。

凄い、操作技量だと思う・・・

最近、レベルは大きく違う、モンキーで私も色々楽ししでいるが・・・・次元が大きく違う。

RCドリフトも楽しんでいるが、荷重移動や、フロントの転がり等々の勉強も出来、感謝している。



色々、学ぶ事が出来・・・感謝・・・

葬儀の場で・・・・縁する毎に、学ぶ事が有るし、故人に対して感謝にも繋がる。

葬儀の場は、親族間も見える・・・色んな人間模様を、確認する場にも成るし・・・それを如何捉えて学ぶか、之も各自の、考え、知恵に繋がって行く・・・


以前は、参加型で、名前を消す、これが目的で伺っていた事も有る・・・・

しかし、最近は、故人が作ってくれた、一つの会と思えば、何かを学ぶ、この貪欲さも私は良いと考える様に成った。

葬儀の場を、最近は学びの場だと考える様になったと言う事・・・

之も一つの考え方だと思う・・・・・

若し、私の葬儀の時が来れば、この様な会にして欲しいと私は願っている。

人は「生老病死」の宿命から脱する事は、現代では無理と思う・・・・必ず、この四苦と言われる、苦が有る・・・勿論、苦と考え、避ける方向を目指すか・・・・当然と受け入れ、それを含みで如何生きるかを模索するか・・・色んな生き方が有ると思う・・・

出来れば、この四苦も笑い飛ばせる、レベルになりたいと思うが、難しいから、出来るだけ考えない方向も目指すが、厳然と、人の死に対しての、葬儀等の参列も増えるので・・・その都度、考え、思案する事に成る・・・・

人生わずか、50年と言われた時代も有る・・・・・この歳を過ぎた私は、考え様では儲けの年齢に成っている・・・・

今生きている事を儲けと考えれば・・・・少々の損も苦にならなくなる。

人を生物と考えれば、子孫を残す、本能・生物の道理の原則で考えれば、子孫・子供を5人、この世に出し、社会人として3人が活躍している・・・・後の二人は生徒の身分・・・・

略、生物の責任は果たした事に成ると考えている・・・・

後は、人として、家族守・子守・親守・親族守・地域守・・・等々の守を頑張り、最後に墓守・先祖守を出来れば、人としての責任も果たす事に成る。

この責任を果たす、この部分も難しいが、之が出来ていれば、私は幸せだと考えている。

この様な責任も、優先順位が有る、この部分は、各自の考えに成るが、教育が大事だと考えている。

今日も葬儀の場で、彼の世の話をされていたが・・・若し有るなら、先人や先祖等々に、どう報告が出来るか・・・・若し、言われるように仏が現れるなら・・・私は怖くて、側に寄れないし、又その自信も無い・・・どちらかと言えば、恥かしいし、劣っている部分が多々有るし、地獄に落ちた方が、分相応と考えている。

自慢できる、武勇伝も無いし、人としての当然の責任・義務も、簡単には出来ないレベル・・・この様な人間が、褒められるとは、思えないし・・・彼の世でも叱咤をされる事は、当然に成る・・・

叱咤等々を、当然と思っているが・・・それでも仏の叱咤は、私のレベルでは怖い・・・勿論、仏が居る場に行けるとは限らないし、先に書いたように、地獄の方が、分相応とも考えている。

元々が格好よい、人生等、求める自体が、笑われるレベルと自分自身を考えているし、格好悪い、罵り等々を受けながら、生き続ける・・之が本望だし、当然のレベルと考えている。

この様な考えだから、褒められる事が、逆に怖いと成る・・・之が偏屈と言われる部分かも知れない・・・・

今日も先輩方と、色々、語らいが出来た・・・色々、考える事、学ぶ事が有った、感謝・・・

以前もブログに書いたが・・・各自のレベルを屏風に例えると・・・奇麗で有名な絵師が書いた屏風も有る、又、破れ・カビだらけの屏風も有る・・・・色んな屏風が有るが・・・後はどう広げ、屏風を自立させ立てるか????・・・・之が、知恵だし、その人の価値観に成る・・・

広げる向きも有る、その事は裏が有ると言う事にも繋がる・・・・又大きく広げ過ぎれば、少しの風で倒れる・・・この事は、環境で広げ方も変るという事・・・・・

広げない屏風は、内容が見えない・・・内容を見せるためには、広げる事が必要に成り、又内容を見せる側に広げる等々も必要に成る・・・もし、裏面が汚いなら、裏を見せたくないと言う場合も有る。

表書きが凄いし、格好良いので、大きく開こうとすれば、今度は少しの風の環境では倒れる・・勿論、格好良いと思っていても、観る人が変われば、思い・評価も変る・・・之も環境に成る。

恥かしいと屏風を閉じていても、内容が見えないし、個性を表す事も出来ない・・・又、たたんでいたら、自立も出来ない・・・・

この様表現は、私が18歳の時に、地域の凄い社長と言われる人から、教わった、例え話・・・

面白い事に、その社長の息子さんは、私より、一歳年上で、社長が亡くなった葬儀の際に、この様な言葉を私は大事に今まで、覚えていましたと・・・息子さんに話したら、息子さんは、父のこの様な、話の記憶が無いと言われていた。

側に何時も居るから、全てが解っているというのも、疑問が出る部分に成る。

何度がその社長に合うと、その事を何度も耳にしていたので、私は覚えていたが・・・・

思いを後世に残す、色々有るが・・・・最低でも人との関わり、語らいが大事だと私は考えている。

三流以下の人間の私にも、色んな助言を一杯、今まで頂いた・・・分以上の助言だと思うが、それを後世に伝える、私には責任と義務が有ると考えている。

声に成らない、表に出てこない、実社会の営みの中での、表現の言葉・・・私は大事だと考えている。

重苦しいかも知れないが・・・之が、仏法思想の根源になる、濁ったドブの中で、どう生きるか・・・どうすれば、濁ったドブを浄化できるか・・・・之を模索し、悩む、之も面白いと私は考えている。

上澄みが有れば、底も有る・・・・之が世の中に成る・・・・清んだ上澄みだけに居たいと思う之も、当然と思うが、現実は、殆どが底が見えない、濁ったドブの中に有る。

私も残されている時間が、減り続けている・・・何が残せるか????・・・・最近は之が大きな課題に成っている。


目を馴らす・・・・・

今日も、色々有るが・・・・・先ずは、SAKURA D3 2駆を走らせて・・・目を馴らす・・・・

馴らすと言っているが、リセットになる。

私の様に無知で、下手の場合・・・・コース等に伺っていると、環境に馴染み、それが普通に成る。

又、闘争心が高いタイプだと、その環境内で負けたくない・・この部分が出て来るし、その負けたくない部分が何かで・・・本来の目的から、大きく変わりだす場合が有る。

ドリフトは何か、之を抱いていても・・・変化してしまう場合が有ると言う事・・・・

その点、コソレン場等のプライベートの場所は、競争相手も居ない・・・この事は、自分の本来の目的にリセットできる、環境にもなる。

仕事も同じだが、相手が居るから、競争に成り、勝つ為には手段を選ばない・・・この流れに成って、本来の、仕事の目的から変って、最後は粉飾・破綻に成る場合も有る。

私の場合、仕事は生活の為・・・家族を守る・・之が目的・・・・之が出来れば、十分と考えている。

同じ様に、趣味のRCドリフトも、自分の目的が有る。

この部分を思い出す為にも、誰も居ない、場所でのリセット走行は、大事だと考えている。

私も昔は、コース環境を主体に考えていた、結果、少しのスペース等で楽しむ、之を忘れていたし、現実に、事務所内等々で走らせて楽しむ、之さえ馬鹿がすること位にしか考えていなかった時期も有る。

しかし、本当にドリフトが楽しい・・・・車を操作する事が楽しい・・・この部分を求めているなら、狭い場所の方が、私の環境では多い・・・直ぐに走らせる事が出来る場所が有れば、走りたいと欲求が出ても不思議でない・・・この欲求が事務所内等々では出ないと言う事は、本当にドリフトを楽しいと考えているか、車を操作する事を楽しいと思っているか、この部分が疑問に成る、

結局、環境に大きく依存した楽しみに成っている事に成る。

環境は変化する・・・この環境の好き嫌いで、RCドリフトを辞めてしまう方向にも繋がる。

長く、RCドリフトを続けれれたのもこのリセットが出来たからだと私は考えているし・・・

コースには、色んな人が来られるし、その人達の、意見・提案等々を真剣に考える、特に初心者や、見学者の意見・・・如何見えているか・・・この意見で、RCドリフトの問題を確認し、改善して行く・・・

この流れが、私をこの世界に留めていると考えている。

動画もその様な人達の、意見・疑問に対しての検証になる・・・

初心者さんの質問で、RCドリフトの世界で耳に入る、アクセルで向きを変え、コントロールして走らせる、この事はステアい頼らない事になると言われ、しかし、現実には考えられない位に大きな内切り等々で、切っ掛けを作っているが、之をアクセルで向きを変えているかとの質問に対しては、略、舵角0位の演出か出来ない、プロポ設定での走行動画を掲載した。

又、2駆の場合、何故直角に近い、舵角で走るのか???・・・・・又言葉としては実車思考と言われるが、実車であれ程の舵角演出は、市販車には無い・・・・・・この答えが、最小旋回半径を実車に合わせた舵角表現での検証になった・・・

又、如何見てもリアが出ているとは見えない・・・・車が斜めに走っている感じがするし、ヨーが見えない・・之は、見学者がよく言われる部分・・・この様な意見を、宿題と考えて、答えの提出に努力する、之が、この世界に居る、人の義務だと私は考えている。


勿論、最近は、私の周りで、実車はリアル等々の言葉の表現は減り、RCだから・・・この言葉に変って来ているが・・・之も先に書いた、環境の変改の一部・・・

しかし、強く実車感と思って取り組み、そのスタイルに体が馴染んでしまった人は、騙されたと去る方向に成る。

私は、大きく、実車とRCカーの考えは違う、大袈裟に言えば180度、違う・・・もし、実車志向なら・・先ずは、RCカーの特徴を・・実車に近づける事が大事に成ると考えている。

タイヤと路面のトラクション状態をパワーでギリギリに飽和して、坂を下がらない半クラッチ的・トルク感の演出も必要に成る。

之が出来る、アンプ・モーターを選ぶ事に成る・・・

先のブログに書いた、転がり感・・・・之も、浅い角度の坂で、アクセルをニュートラルにしたら、実車なら落ちそうに成る・・・この様な駆動系の抵抗も大事に成る。実車ではクラッチを切ると言う、操作に成る。

この様に、RCカーを実車に近づけると・・・私の様な、下手な人間は、長年のRCカー独特の操作が身に付いていて、一気に操作が難しくなる。

長年の経験で、よく、リアルや実車等々、言っておられる車を試乗させてもらうと、RC独特の操作方法で走る車が、何故か多い・・・・実車の操作感と大きく違う・・・

操作の微細さやギリギリ感の面白みを感じない・・・結果、コース環境に合うが、2~3週も周回すれば、飽きる車に成る・・・操作に面白みを感じないし、車が勝手に走っている感じが強過ぎる、こんな車なら、目的は、他の、RCドリフターに見てろと言う、上目目線の車と、アピールして走っていると、私には感じる。

若し、この様な車が普通なら、環境に大きく依存している車に成るし、孤独に一人で楽しむ等々の部分は丸で無い・・・・

人が居る、又同じ個性が居る環境が無くなれば、必然的に、RCドリフトを一気に辞める方向性に成る・・・・・

不思議と思う・・・・言葉の表現と之ほど、差が有る世界も少ない・・・