2017年8月27日日曜日

色々、学ぶ事が出来・・・感謝・・・

葬儀の場で・・・・縁する毎に、学ぶ事が有るし、故人に対して感謝にも繋がる。

葬儀の場は、親族間も見える・・・色んな人間模様を、確認する場にも成るし・・・それを如何捉えて学ぶか、之も各自の、考え、知恵に繋がって行く・・・


以前は、参加型で、名前を消す、これが目的で伺っていた事も有る・・・・

しかし、最近は、故人が作ってくれた、一つの会と思えば、何かを学ぶ、この貪欲さも私は良いと考える様に成った。

葬儀の場を、最近は学びの場だと考える様になったと言う事・・・

之も一つの考え方だと思う・・・・・

若し、私の葬儀の時が来れば、この様な会にして欲しいと私は願っている。

人は「生老病死」の宿命から脱する事は、現代では無理と思う・・・・必ず、この四苦と言われる、苦が有る・・・勿論、苦と考え、避ける方向を目指すか・・・・当然と受け入れ、それを含みで如何生きるかを模索するか・・・色んな生き方が有ると思う・・・

出来れば、この四苦も笑い飛ばせる、レベルになりたいと思うが、難しいから、出来るだけ考えない方向も目指すが、厳然と、人の死に対しての、葬儀等の参列も増えるので・・・その都度、考え、思案する事に成る・・・・

人生わずか、50年と言われた時代も有る・・・・・この歳を過ぎた私は、考え様では儲けの年齢に成っている・・・・

今生きている事を儲けと考えれば・・・・少々の損も苦にならなくなる。

人を生物と考えれば、子孫を残す、本能・生物の道理の原則で考えれば、子孫・子供を5人、この世に出し、社会人として3人が活躍している・・・・後の二人は生徒の身分・・・・

略、生物の責任は果たした事に成ると考えている・・・・

後は、人として、家族守・子守・親守・親族守・地域守・・・等々の守を頑張り、最後に墓守・先祖守を出来れば、人としての責任も果たす事に成る。

この責任を果たす、この部分も難しいが、之が出来ていれば、私は幸せだと考えている。

この様な責任も、優先順位が有る、この部分は、各自の考えに成るが、教育が大事だと考えている。

今日も葬儀の場で、彼の世の話をされていたが・・・若し有るなら、先人や先祖等々に、どう報告が出来るか・・・・若し、言われるように仏が現れるなら・・・私は怖くて、側に寄れないし、又その自信も無い・・・どちらかと言えば、恥かしいし、劣っている部分が多々有るし、地獄に落ちた方が、分相応と考えている。

自慢できる、武勇伝も無いし、人としての当然の責任・義務も、簡単には出来ないレベル・・・この様な人間が、褒められるとは、思えないし・・・彼の世でも叱咤をされる事は、当然に成る・・・

叱咤等々を、当然と思っているが・・・それでも仏の叱咤は、私のレベルでは怖い・・・勿論、仏が居る場に行けるとは限らないし、先に書いたように、地獄の方が、分相応とも考えている。

元々が格好よい、人生等、求める自体が、笑われるレベルと自分自身を考えているし、格好悪い、罵り等々を受けながら、生き続ける・・之が本望だし、当然のレベルと考えている。

この様な考えだから、褒められる事が、逆に怖いと成る・・・之が偏屈と言われる部分かも知れない・・・・

今日も先輩方と、色々、語らいが出来た・・・色々、考える事、学ぶ事が有った、感謝・・・

以前もブログに書いたが・・・各自のレベルを屏風に例えると・・・奇麗で有名な絵師が書いた屏風も有る、又、破れ・カビだらけの屏風も有る・・・・色んな屏風が有るが・・・後はどう広げ、屏風を自立させ立てるか????・・・・之が、知恵だし、その人の価値観に成る・・・

広げる向きも有る、その事は裏が有ると言う事にも繋がる・・・・又大きく広げ過ぎれば、少しの風で倒れる・・・この事は、環境で広げ方も変るという事・・・・・

広げない屏風は、内容が見えない・・・内容を見せるためには、広げる事が必要に成り、又内容を見せる側に広げる等々も必要に成る・・・もし、裏面が汚いなら、裏を見せたくないと言う場合も有る。

表書きが凄いし、格好良いので、大きく開こうとすれば、今度は少しの風の環境では倒れる・・勿論、格好良いと思っていても、観る人が変われば、思い・評価も変る・・・之も環境に成る。

恥かしいと屏風を閉じていても、内容が見えないし、個性を表す事も出来ない・・・又、たたんでいたら、自立も出来ない・・・・

この様表現は、私が18歳の時に、地域の凄い社長と言われる人から、教わった、例え話・・・

面白い事に、その社長の息子さんは、私より、一歳年上で、社長が亡くなった葬儀の際に、この様な言葉を私は大事に今まで、覚えていましたと・・・息子さんに話したら、息子さんは、父のこの様な、話の記憶が無いと言われていた。

側に何時も居るから、全てが解っているというのも、疑問が出る部分に成る。

何度がその社長に合うと、その事を何度も耳にしていたので、私は覚えていたが・・・・

思いを後世に残す、色々有るが・・・・最低でも人との関わり、語らいが大事だと私は考えている。

三流以下の人間の私にも、色んな助言を一杯、今まで頂いた・・・分以上の助言だと思うが、それを後世に伝える、私には責任と義務が有ると考えている。

声に成らない、表に出てこない、実社会の営みの中での、表現の言葉・・・私は大事だと考えている。

重苦しいかも知れないが・・・之が、仏法思想の根源になる、濁ったドブの中で、どう生きるか・・・どうすれば、濁ったドブを浄化できるか・・・・之を模索し、悩む、之も面白いと私は考えている。

上澄みが有れば、底も有る・・・・之が世の中に成る・・・・清んだ上澄みだけに居たいと思う之も、当然と思うが、現実は、殆どが底が見えない、濁ったドブの中に有る。

私も残されている時間が、減り続けている・・・何が残せるか????・・・・最近は之が大きな課題に成っている。


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