今朝から・・・・廃品回収業の後輩が来ていた。
機械の廃棄の為に、分解、分類作業の手伝いと言う事・・・
頑張って、数台を、処理できた。
しかし、手伝いと思っていたし、彼は、廃品の金物を持って行く・・・利益は出ると思っていたら、嫁がアルバイト料を支払っていた。
この様な事が解っていたら・・・当然、ノルマ的に、台数を多く、処理していたが・・・
遊びながら作業・・・・損した、気持ちが芽生えた・・・
気持ちが小さし人間なので、仕方が無い部分に成る。
2019年6月15日土曜日
優秀な消費者・・・・年金・・・
前回も書いたが・・・所帯・・一家の単位・・・各自で違う筈だが・・・
テレビで、年金の事を言っている。
何を基準として考えているのか????・・・・私の周りでは、子育て、親の介護をしながら・・月収20万強位で・・・一家を維持しようと・・・夫婦で頑張って居られる一家も有る。
勿論、生活の為の稼ぎだが・・・消費を行う、消費者に成る。
之も、立派な消費者と思うが・・・之を基準としていないかのような・・・発言が多い・・・
国の発展も含めて、消費が影響する。
勿論、発展を望めば、消費を多々して頂く、これが求められる・・・国として経済成長、発展を重点に考えれば、国民の消費も多い方が良い・・・
言葉を悪く書けば、遊ぶお金を多々使って頂いた方が、発展にはつながるという事にも成る。
しかし、現実的に、無駄なお金を使っている事が、発展に繋がっているのか???
生産が供わない・・・発展が有るのか???
額に汗しなく、儲ける・・・投資等に成る・・・・しかし、これも誰かが額に汗して頑張っているからに成る。
私も、親の借金も有ったので、子育て中に、自営業を行った・・・・要は、お金が必要だったからに成る。出来るだけ、早く、返済したい・・・それも父が生きている間に・・・
お金が必要だったから、私なりに考えた結果に成る。
目的は果たした・・・しかし、今度は、自分の老後が心配に成る。
自営業の為に、国民年金・・・余裕があるお金は、返済に向ける。
結果、貯えも無い・・・・その為に、私は、老後の為と、子供を沢山、儲ける事にした。
一人、四万の協力をしてくれれば、月20万円に成る・・・しかし、その様に教育してきたが・・・現実は、社会の風潮と同じ方向の子供に成る。
私の母が言っていた言葉だが・・・・一家の中で、稼ぐ人と、消費する人との割合が大事だと言っていた。
一家で、仮に、四人の稼ぎ手が有れば・・・大きな借金も返せる方向に成る。
余裕が出来れば、当然、消費側に成る、子供も作る事が可能に成る。
この部分の割合を、バランスさせ続ける・・・之が一家を守り続ける事の基本だと教わった。
稼ぎ手が多ければ・・・各自の少しの努力で、月何十万も違ってくる。
之は、優秀で高所得の人と同じか、勝っている事に成る。
しかし、現在は・・・稼ぎ手で、消費者を養っていない人も増えている。自分の稼ぎは自由に使える、これを良しと考える人も多い・・・
この様な、人が、稼ぎ手を辞めた場合・・・誰が、養うお金を扶養するのか???ここが現代は、年金と成っている。
一度、自由と言うより、我儘な生活が身に付いた人・・・当然、普通のレベルも高い・・・その人が、納得できる、年金額と成れば、当然、少ないと成る。
本来、年金とは、老後の生活を全て賄う為に、出来たもので無い・・・隠居に成った時に、後継者に全てを託すのでなく・・・少しでも楽させたい・・・自分の小遣い程度は、年金でと言う事が、基本である。
それが、少子化方向に進むにつれて、年金の役目が変わって来ている。
政治家が、子供を作って増やせと言っても問題に成る。
当然、子供を作らない之もあると思うが、その事は、老後の事を確り、担保した状態が求められているが・・・・これも無い、今、楽で、自由が良い、この程度の発想で、高齢に成ったら、生きて行けない、当然と思うが、それを年金が少ない等々に結び付ける方が、私は、不思議と思う。
説話の、アリとキリギリス・・・結末が、昔と、今とでは変わっている。
現代の、結末にする為には、利他の精神を強く、教える事が求められるが・・・現実は、自分さえ良ければ、キリギリスを多々、創り出す方向に成っているし・・・
利他の思いを、得た、蟻は?????・・・・当然、減るか、居ない状況に成っている。
自己中のキリギリスが多々居る世界で・・・誰が利他の振舞いをするのか???・・・私は矛盾を感じる。
テレビで、年金の事を言っている。
何を基準として考えているのか????・・・・私の周りでは、子育て、親の介護をしながら・・月収20万強位で・・・一家を維持しようと・・・夫婦で頑張って居られる一家も有る。
勿論、生活の為の稼ぎだが・・・消費を行う、消費者に成る。
之も、立派な消費者と思うが・・・之を基準としていないかのような・・・発言が多い・・・
国の発展も含めて、消費が影響する。
勿論、発展を望めば、消費を多々して頂く、これが求められる・・・国として経済成長、発展を重点に考えれば、国民の消費も多い方が良い・・・
言葉を悪く書けば、遊ぶお金を多々使って頂いた方が、発展にはつながるという事にも成る。
しかし、現実的に、無駄なお金を使っている事が、発展に繋がっているのか???
生産が供わない・・・発展が有るのか???
額に汗しなく、儲ける・・・投資等に成る・・・・しかし、これも誰かが額に汗して頑張っているからに成る。
私も、親の借金も有ったので、子育て中に、自営業を行った・・・・要は、お金が必要だったからに成る。出来るだけ、早く、返済したい・・・それも父が生きている間に・・・
お金が必要だったから、私なりに考えた結果に成る。
目的は果たした・・・しかし、今度は、自分の老後が心配に成る。
自営業の為に、国民年金・・・余裕があるお金は、返済に向ける。
結果、貯えも無い・・・・その為に、私は、老後の為と、子供を沢山、儲ける事にした。
一人、四万の協力をしてくれれば、月20万円に成る・・・しかし、その様に教育してきたが・・・現実は、社会の風潮と同じ方向の子供に成る。
私の母が言っていた言葉だが・・・・一家の中で、稼ぐ人と、消費する人との割合が大事だと言っていた。
一家で、仮に、四人の稼ぎ手が有れば・・・大きな借金も返せる方向に成る。
余裕が出来れば、当然、消費側に成る、子供も作る事が可能に成る。
この部分の割合を、バランスさせ続ける・・・之が一家を守り続ける事の基本だと教わった。
稼ぎ手が多ければ・・・各自の少しの努力で、月何十万も違ってくる。
之は、優秀で高所得の人と同じか、勝っている事に成る。
しかし、現在は・・・稼ぎ手で、消費者を養っていない人も増えている。自分の稼ぎは自由に使える、これを良しと考える人も多い・・・
この様な、人が、稼ぎ手を辞めた場合・・・誰が、養うお金を扶養するのか???ここが現代は、年金と成っている。
一度、自由と言うより、我儘な生活が身に付いた人・・・当然、普通のレベルも高い・・・その人が、納得できる、年金額と成れば、当然、少ないと成る。
本来、年金とは、老後の生活を全て賄う為に、出来たもので無い・・・隠居に成った時に、後継者に全てを託すのでなく・・・少しでも楽させたい・・・自分の小遣い程度は、年金でと言う事が、基本である。
それが、少子化方向に進むにつれて、年金の役目が変わって来ている。
政治家が、子供を作って増やせと言っても問題に成る。
当然、子供を作らない之もあると思うが、その事は、老後の事を確り、担保した状態が求められているが・・・・これも無い、今、楽で、自由が良い、この程度の発想で、高齢に成ったら、生きて行けない、当然と思うが、それを年金が少ない等々に結び付ける方が、私は、不思議と思う。
説話の、アリとキリギリス・・・結末が、昔と、今とでは変わっている。
現代の、結末にする為には、利他の精神を強く、教える事が求められるが・・・現実は、自分さえ良ければ、キリギリスを多々、創り出す方向に成っているし・・・
利他の思いを、得た、蟻は?????・・・・当然、減るか、居ない状況に成っている。
自己中のキリギリスが多々居る世界で・・・誰が利他の振舞いをするのか???・・・私は矛盾を感じる。
他人と対比で感じる。
幸・不幸を何故、感じるのか????
私は、人の価値観の基本に成っている部分の捉え方が影響していると考える。
人は、一人では生きて行けない・・・之は原理だと考える・・・しかし、この人の中でどう生きるか????・・・・この目的が、勝つ為等々・・・対比で良いと思える方向に向かう人が多い・・・・・しかし、勝や良い方向と言う部分も、人の価値観に成るし、社会の教育で身に付く部分に成る。
諺に「負けるが勝ち」と有る・・・勝敗も、考え方、人の価値観で変わるという事になる。
多々の勝ちが有るという事に成るし・・それが人の数あるという事に成る。
私は、現代・・・還暦前の歳に成る。若し、若者と比べると・・・劣っている部分が多い、之を不幸とは考えていない・・・分相応と同じで、歳相応と言うものもある。
違いが、ハッキリしている部分では・・・比べない・・結果、近場の同じ、レベルの中での対比・・・「どんぐりの背比べ」で・・・幸・・不幸を感じている可能性が高い事に成る。
よく考えると、大事な集団・仲間に成る・・・・・この集団を守る、これが一番大事だと思うが・・・何故か、集団を崩壊させる方向の、競争を、心が起こしている事に成る。
之を、避ける為に・・・一般的には、他の集団を仮想敵として・・・集団を統制する方向性が、良いという流れも存在する。
相手を知らない、無知が、これを加速させるが・・・現代は情報が多々あるので、仮想敵を創る、これも難しくなっている。
要は、集団に属しない、方が良いという事に成るが・・・個なら・・対比もしないので、幸・不幸も大きく感じないはずだが・・・現実は、他人と対比しているし、集団に属している事に成る。
私は昔の事を、書くが・・・・・終戦後の混乱期を過ぎた時に、子供時代を過ごした。
今考えると、楽しかったし、正直、幸せだったと思っている。
焼け野原の日本と言われ・・・復興の渦中に過ごしたことに成る。
状況・現実は・・・現代の価値観なら、不幸に成る・・・又、悲惨と思える。・・・・しかし、当事者の私は、幸せと感じていた事に成る。
この部分が、境遇と境涯の違いに成る。
唯物的部分は、不幸だが・・・唯心的部分は、幸せと・・・感じていた事に成るが・・・
何故か、五体から得る、情報は唯物的部分に成るが・・・それを頭が、どう判断するか????・・・・当然、近場の仲間・一緒に生きている、他人との対比も加味されて頭が判断している。結果、不幸とは感じていなかったことに成る。
若し、現代の価値観で、その当時を、見れば・・・・基本的人権等々を無視し・・・虫けらの様な、環境に成るかもしれないが・・・
しかし、虫けらと思われていても、当事者が不幸と思わなかったことに成る。
生きると言う事は、基本、現実を受け入れる、これが最低限の基本に成る。
若し、現実に問題を感じたら・・当然、それを改善する義務が有る事に成る。
現実に対しての、挑戦に成る・・・簡単で無いし、不可能に近い・・・それでも義務を果たすとの思いが、使命と成る。この部分が有る事が、一番の幸福だと私は、考えている。
理由は、生きる意味の大儀に成るからに成る。
若し、この部分を、責任と感じる事が出来れば、責任者のレベルと言う事に成る。
この部分を、我関せず・・・現場逃避の部外者と言う事にも成る。
現実を生きる、当事者としての振舞いをしていれば・・・不幸とは感じないと私は考えている。
どんな環境で有れ・・挑戦続ける使命を持てば・・幸せと言う事に成る。
決して、形や物で無い・・・・心の部分に成る。
しかし、現代は、唯物的部分が、中心に成っている・・・その様な価値観を、社会全体が教えている・・・人間教育と言うより・・・一流の消費者を創る教育に成っている。
誰が、人間教育をするのか????・・・・
本来、子育てで・・・・母親の使命に成るが・・・見かけ重視に母親も増えている・・・・
人間を、創っているのか???・・・・男を育てているのか????・・・・之を、言えば、差別者と言われる現代・・・
怖い、世の中である。
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