2020年8月29日土曜日

アイドリングのグズリ・・・念のために・・・・

 アイドリングのグズリが昨日から出ている。

それ以外にも、燃調が薄い傾向を示す時が、走っていて感じる。

前回、燃料コックのメンテを行っている。

直っていれば・・・燃料供給にムラが有る可能性が高い・・・当然、フロートの問題で、液面が、低下している可能性も有るが・・・先ずは、供給側から疑う事と私は考えているので・・・・前回、燃料コックのメンテを行っている。

息子達が楽しんでいたが、エンストを繰り返すのを見ると・・・先ずは燃料補給と考え、ガススタに・・・・・給油量は3リッターに成った。

予備タンクに切り替わる、ギリギリのポイントに成るので、この様な症状も理解できる範囲に成る。

補給後、アイドリングの安定したし、又、少し回転が上がっている。

自然落下式のタンク・・特にブレーキ等で減速する時は、燃料は前側に向かう・・・燃料コックは、タンクの後ろ側・・・液面が一瞬、下がる可能性が高い・・・キャブ自体の性能にもよると思うし、私のキャブは、ミクニに成るが、バイク屋のオヤジ曰く、中華制のキャブと言っているので・・・・性能の保証は基本、無いと私は考えている。

之も、モンキーの個性・・・勿論、不具合と感じれば、直す事に成るが・・・・・完璧を求めれば、切りがない・・・程々の個性も大事に、今後も楽しみたいと考えている。

又、前回、メーターの再設定を行った。その際、メーターの取り扱い方も、理解する事が出来・・・トリップメーターが有る事も知り・・・今回、満タンと同時に、リセットを行い・・・走行距離0にした。

今後、正確に走行距離が解る事で、燃費も計算できる。

貧乏人の私は、リッター50キロ以上を、求めているが・・・現実が解ると言う事に成る。


分相応の、燃費も大事だと考えている。

勿論、その前に、乗り物自体の価格も大事だが・・・この部分は、使用年数でも変わる部分に成るので、出来るだけ、長く乗り続ける事で、費用も低下する方向に成る。


しかし、私の分だと、之でも分を越えている可能性が有るし、他人様から分を知らないと言われると考えている。

要は、私には贅沢の極みと言う事にも成る。


各々レベルが違う・・・当然、贅沢と言うレベルも変わる・・・この部分を人や一般的部分に合わせるなら・・・当然、分が一般より低いなら、この様な事さえ贅沢とは思えないし、貧乏くさいと思ってしまう。

基準を何処に設定しているかで変わる部分・・・私は、己の分に合わせる方が、焦らずに生きられると考えている。

楽しみ方まで、人に合わせる必要はないと考えている。

各自、色んな部分が違う・・・己だけの楽しみが有っても良いと考えている。

この部分まで、人目を気にすれば、誰の為に楽しんでいるかに疑問が出て来る。

人から褒められない、認められない方向に、己だけの楽しみ方が有ると私は考えている。


何事も一流が良いと言われる・・・理に適っているが・・・心に響かない・・・私は己の心に響く、楽しさを求めている。




追わせるが・・・・

 夕方・・・倉庫に機械を搬入する為に、手前に有るバイクを外に移動・・・

事が済んだら・・・四男がエープで出て行った・・・・サイレンサーが無い、煩いバイク・・・・五男に、追う様に、モンキーでの出動をさせたが・・・怖がって中々、出れない・・・・・どうにか出て行った・・・・

暫くしたら、四男が、バカ・バカと言いながら帰って来た・・・五男がクラッチ付きのバイクに慣れず、ウィリー病態に、二度成ったと・・・笑っていた。

五男に、よく、転ばなかったなと尋ねたら、彼らしい、冷静にクラッチの繋ぎ方を、間違えたと言っていた。

この冷静さが、パニックに成り、アクセル全開・・・後ろにバックドロップ状態での店頭に成らなかった要因だと私は、考えている。

本来、失敗する事で、覚える・・と言われる・・・理由は冷静に原因を見つけ出す事が出来るからに成る。

しかし、成功の場合、理由は???と問われても、客観的に答えられない場合が多い・・・

勿論、常時、成功するならそれでも良いが・・・・殆どが失敗する場合は、成功は運が良かった程度に成る。

しかし、四男より・・・五男の方が、バイク等の運転が上達すると私は、考えている。

クラッチ付きのバイクにも、誰からも習わず、直ぐに乗れた・・・頭で構造・理屈を想像できている事に成る。

しかし、未だに、エンジンとの協調性に欠けている・・・エンジンが求める入力を行っていない、その為に、エンジンが思う様に回らないと成る。

この部分は、デジタル世代、仕方が無いと思う。アクセルもON/OFFに二極しかない・・・一杯、開ければ、エンジンがそれに答えると思っている。

馬も強く鞭を入れれば、早く走るとは限らない・・・愚図る場合も有る。

要は、アクセルを開けても、エンジンが回り上がるとは限らないと言う事・・・

彼も慣れが必要と言う事・・・しかし、この様な特性のエンジンは、現代、作られていない・・・その為に、必要でも無いと成る。

バイクや車・・・アクセルを入れる事で進むが・・・抜いても現実には進んでいる。

慣性力が大きく影響する・・・乗り物とはその様な物に成る。

アクセルを入れていない状態でも、下り坂なら加速して行く・・・当然の事だが・・・それも静的見え方だと解らない事に成る。

動的に見る目が必要と言う事にも成る。

しかし、子供の成長が楽しいと言う事に成る。



結局・・・私・・・


 

昨日・・・エープのシートカバーを注文した。

シートも固定せず、乗っているので・・・・何かの拍子にシートが取れ、シート後部の上側が、擦れて敗れている。

ビス等も、手に入れたので・・・四男と五男に、元に戻せ、直せと言っているが・・・・

何の行動も起こさない・・・・放置なら良いが、時々、サイレンサーも無い、ウインカーも無い、バイクで、乗り回していると思と、何故か、私がジーットしとく訳に行かなくなる。


親バカと言う事にも成る。

私の息子の場合、難しい法律等々より、己の思いを重視し行動してしまう。

ルールより、己の思いが大事と言うタイプに成る。


要は、思う通りになる事を求めていると言う事にも成る・・・結果、ルール無視に向かう事に成る。

私は、古い価値観を持っていると思うが・・・私は息子にこの部分を、幼い頃から教えて来たつもりである。

しかし、現実の息子は????


エールに公道で乗るなら、当然、ルールの範囲内に収まる必要が有る。

この様に、考えるが・・・息子は、要は、処罰を与える公権力を持っている、警察等に見付ならなければ良いと言う発想に成っている。


この価値観が、怖い・・・要は、誰も指摘しない状態なら・・・何をしても良いと言う事にも繋がる。

この部分が、日本人に昔から有る。「お天道様が見ている」この感覚が無いと言う事に成る。

この世に生まれた、当然、何時かは死ぬ・・・生まれた場の世に対して、何を残すか????之が、生きた証に成る。

世に負を残すのか???世に徳を残すのか???・・・・この二種類しかない・・・・この部分を、考えていない事に成る。

もう少し強く書けば、どれだけ負を処理したかに成ると私は考えている。

仮に世に、10人が負を残した・・・当然、誰かが処理する事に成る。

富の処理は、誰でも出来る・・・・しかし、負の処理は????意識が無ければ出来ない・・・

自由主義・民主主義の問題が、この部分・・・この部分も己の勝手と成っている。

簡単に書けば、甘い水と苦い水・・・どっちを選ぶか????・・・虫の蛍と一緒と言う事に成る。

その為に、強制等々が必要と言う考えも出て来る。

之が、独裁的集団に向かう事に成る。


自由主義と言えども、当然、負の部分・利の部分が有る。

負の部分は、誰が処理するのか????・・・この教育が必要だと私は考えている。

この教育が無ければ、誰も負を背負うものが居ない世界に成る。しかし、厳然と負は残り続けるし、増え続ける・・・最終的に大きな問題と成るが・・・当然、誰も背負わない・・結果、人でなく、組織・集団として、行政が等々に成って行く。

行政側から見れば、何故と成る。民衆の無知さに問題と成って行く・・・一番簡単な方法は、強制的に、独裁的な、行政に力が有ればと成る。


仮に、小さな集団、家と言う単位で考えても同じである。

要は、家の中で、自業自得で解消すれば、周りの家は、迷惑も感じない。

家の中の誰かが失敗したら、その家の中で、処理できれば、良い事に成る。処理する人は、強制的にさせられても、周りの家は迷惑を感じなければ、それでも良いと言う事に成る。

要は、一家と言う単位で、処理できている間は方法等々、どうであれ良いと言う事に成る。

しかし、現実の私の周りを見渡すと、独居老人の家が増えている、後の事を他人の私が考えると、心配が絶えない事に成る。

しかし、他人様の家、何も言えない・・・しかし、その老人が困ったと、我家に来訪されれば、手を貸す事に成る。

しかし、時すでに遅しと言う事が多い・・・・


仮に、この様な困った家が、周囲に有ると成ると、離れた場所からは、お前らの隣組だから、お前らが処理せろと言う流れに成る。

隣組内でも、お前が近い・・・付き合いが長い深い・・・等々で責任の押し付け合いが始まる。

結局、何の処理も出来ないで、揉める方向に成ると言う事・・・


要は、広い方向で考えても同じと言う事だと私は考えている。

国の大きさに成っても同じ。

だから、集団に属しない・・・その様な生き方を求める人も増える・・・理由は面倒な事に縁しない為に成る。

浮き草稼業と言う生き方が楽だと言う事にも成る。

農耕民族の、我国・・地と共に生きる人と言う事・・・しかし、地に留まる事が面倒と考え、行動できるようになるが・・・現実は、国と言う括り内に居る。

国の場は変える事が出来ない・・・之も、面倒・・迷惑と思う様に成れば、国と言う括りからも出て行く人が、格好良く見える世の中に向かう。

要は、自由とは、負から逃げる為のものに成っていると言う事に成る。

之が、教育だと私は考えている。