2018年11月10日土曜日

四男は・・・

四男は、急にノリ漁師の手伝いが、出来なくなった・・・妻帯者二人が、手伝いに雇ってくれと来た為に・・・・・・・・経験者なら二万ほど貰えると言う、仕事・・・・・この時期に稼ごうと、思う人が出ても不思議でない・・・

之も経験に成る・・・人助けも含みで仕事をしていた、四男・・・・

今日は、三男が働いている、ガススタで働き出した・・・・愛嬌が有るので、職場が明るく成ると店長が来るように言って居られた。

お客さんからの、受けも良く、私の耳にも入るので、客商売が彼は向くのかも知れない・・・

之も、今の時期に色々、試し、経験して、自分の道を探す、之も大事だと思う・・・・

若い時は色々、試す事が許される年代だと私は考えている。

人生片道切符・・・どの道を進むか????解らないのが普通だと思うし、私も未だに解らないでいる。

又、現状だと、真っ直ぐに平らに見える道でも、時間が経てもどうなるかも解らない・・・之が、普通である。

私は、運が殆んどだと考えている。しかし、その運を掴むのも、日頃の振る舞いだと考えている。

若し、運は誰かが与えている、仮に神とするなら・・・・どの様な振る舞いをしている人が幸運を手に入れやすいかも、各自の考えで変わる部分に成る。

それなら、幸運とは何か???之も各自の価値観、考え方で変わる。

私は叱咤される、之を幸運だと考えている・・・・生きている証拠の、行動を促す、叱咤は私の壁に対する、勇気に繋がるからに成る。

死にたいとは思わない、生きたいと思う・・・・生きている証拠の、行動、それも負荷を与えた行動が、生きている証拠だと思うし、又、生きた証が、負荷の力だと考えている。
当然、生きた年数が長く成れば、負荷が強く成って行く、この状態で、行動する・・・・ワク・ワクする、楽しさが有ると思う・・・・

母が言っていた、老いを楽しむ・・・・之に繋がるとも考えている。

人の一生「生老病死」が厳然とある、之を知っているなら、当然、どの様な負荷が有るかも想像できる。しかし、想像と現実は違う、この違いを学ぶ為にも経験するしかないし、この部分から逃げる事も出来ないなら、楽しもうと思った方が良いと私は考えている。

子供達にもこの部分は言っている、子供達の価値観だと、幸福は楽だと思っている、楽を追求すれば、最終的に行動しない方向に成る。
この事は、人は最後は行動できない、死と言う部分が有るので、この部分を求めなくても誰しも成れる。

よく死ぬ事を楽になると言う表現が有るが、楽を求めれば、死に向かう・・・・その為に生きている間は、逆の苦を、求めた方が良いが、勇気が無いから、結果的に、叱咤してくれる人を多々持つ事が、私には大事に成る。

楽と楽しいとは違うと思う・・・・楽しい・・一瞬は直ぐ空虚に成る・・・楽しいが続く、夢が続く、之が大事だと思うし、私はその部分が、子供達、孫達に成っている。

先人からのバトンを渡す立場が、今生きる人の使命だと私は考えている。
当然、バトンを渡す人を創る、之が再前提に成る。勿論、多い方が良い・・・

私の一生等は、長い人の歴史から見れば、一瞬・・・・・しかし大事な一瞬に成る、この部分で途絶えたら、先人の思いを裏切ることに成る。

この部分が、無ければ、死ぬ事も怖いと成るし、当然、彼の世で、どの様なあしらいを受けるかが心配に成る。

勿論、経験が無いので、解らないが・・・長い歴史で培ってきた先人達が言っているから、少しは私も気にするし、当然、今後確りと経験できると思う・・・・

五男の、進路・・・・

私の最後の子に成る、五男・・・中三で、高校受験が来年早々に有る。

子供に、大きな期待はしていないし、上の子供達も、私の想像より、良いとは言えない為に、この様な部分には期待しない事にしている。

競争社会なので、如何しても肩書が整う方向を与えたいと思うのが親だと思うが・・・
この部分は、子供達に任せているのが私に成る。

この様な部分は、子供達の周り等々の絡みが有るので・・親が考える部分で無いと思っている。
この考えが、結果、上の子供達は、人様に言える様な、学歴で無い方向に成るが・・・この部分は、子供が選んだ部分、自業自得と考えている。

今日は、その話し合いが、中学校で有ったので、嫁が窺っている。

私は、子供に、人間としての部分を教えたいと考えている。昔は、何度も書くが地域社会等々が、子供との関わりで、教えていた部分に成るが・・・最近は、我関せずの大人が増えたので・・・親がしなければ、成らない部分に成る・・・
しかし、難しいのが、親孝行や、家を守る、この様な部分を親が教える事・・・第三者だと親孝行をしないと等々は言えるし、又子供も聞く耳を少しはたてる。

しかし、親が、親孝行せろとは言い難いし、言っても子供は聞く耳を持たない・・・

昔なら、親は、人様の為に生きれ・・・・仕事が大事だから・・・・・親を気にするな的事を言えた・・・理由は、第三者が確りと子供に言い教えていた部分が有る為・・・

現代も、親は同じ様に振る舞っている・・・この振る舞いを真っ直ぐに受け取ってしまう、之が現代の若者に成る。

見栄も二種類ある・・・第三者を守る、迷惑を掛けない・・・又、成長させる為の見栄・・・・後一つは、完全に自分の欲での見栄・・・・

同じ見栄でも目的が違う場合が有ると言う事・・・・

一人の子供に、昔は大勢の大人が、色々言っていた。

現代は、之が無いし、又、犯罪等々に繋がると、大人が子供を怖がっている方向に成っている。

子供に関わる、大人が少ないと言う事は、少ない大人で、その部分を教える事に成る。

親として考えれば、親の役割が増えている事に成る。

犬・猫のペットを育てているとは、違う、人間を育て、人にする之が有る。

自分自身を考えると、父親から人としての部分を習った記憶は無い・・・母は有るが、一部・・・
祖父も一部だし・・・伯父・叔母も一部に成る・・・地域社会の大人も一部・・・・

特に多い部分は、先輩等々から習った部分が、一番多い気がする。

同窓の者からも有るが、一部だし、当然、価値観も近いので、勉強に成ったと言う事も少ない・・

母が言っていた、年上の先輩を多く作れ、之が私には合っていた様だ・・・・

勿論、子供達にも言っている・・・年上の色んな価値観の先輩を作れと・・・・しかし、中々縁が出来ないでいる様だ・・・

色んな、組織・グループに属する方法が有るが・・・何故か自分の志向で決めている為に、難しい様だ・・・・・

奉仕団体等々も色々有る、村内でも幾つも有る、しかし、若い人は誰も来ない・・・・
村内の過去も、教えて頂くし、色々学ぶ部分が多々ある・・・

結局、無知を埋める為には、一番良いと私は考えている。

勿論、立場やレベルで変わる・・・・私は、この地で骨を埋めようと考えているので、この地の歴史が大事に成る。

私も習った部分を子供達に教えたいと、考え、行っているが、実の親の話など、聞く耳を持たないのが、子供である。