私は、差別主義者と自称している・・・現代、ある基準を決め、固定化すれば、如何しても上下を創り出す。
社会の流れ・世界の流れとして、基準を決める方向に向かっているので、私は差別・不公平感が強まる傾向に向かっていると考えているし・・・之を容認しているなら、当然、差別主義者だと己を思っている。
親子の関係性を、私は社会の縮図と考えている。
奉仕する立場・・・奉仕を当然の事と、今以上と求める貪欲な立場・・・この二つの存在が有るのに・・・維持できている。
同じ様に、仕事の場所・・・職場でも、人様が喜ぶならと、頑張っている人も居るし・・・所詮、金の為の仕事と労を惜しんでいる人と居る・・・この両極端の二極がバランスしている時は良いが・・・バランスが壊れた場合、問題と成って行く・・・
親子間でも、食べ物を与える立場、貪欲にそれを求める立場と、二極が存在している。
この部分もバランスが取れているなら良いが、バランスが壊れた場合、問題と成る。
若し、親的、価値観の人だけの世界が、存続できるか????・・子的、貪欲な利己主義だけの人だけで、世界が存続できるか????・・・
私は出来ないと考えている。
価値観の多様性を私は求めているのは、捉え方の多様化だと考えている。
人様が喜ぶ事で労を惜しまないという事は、この行動が得だと考えているからに成る。
又、逆に、この様な行動を損と捉える人も当然居る事に成る。労を惜しんで分以上の対価を得たい、又それが得だという考えに成る。
同じ、得だと、行動は、全く逆という事に成る。
この損得と言う、価値観を固定化しる、流れが続いている。要は、唯物的価値観が蔓延し進んでいる事に成る。
この様な世界に成れば、親的立場は損だという、考えに成る・・・又、利己主義で貪欲な子供など、要らないという、流れにも成って行く・・・
結果、少子化だし・・利己主義の唯物的価値観の為に、己には投資できるために、当然、長寿に成るし、高齢化と言われる方向に進むことに成る。
飛躍した、考えに成るが・・・子供が多く居る。親の器では、管理できない・・・地域社会が看る事に成る・・当然、子供、悪ガキも出て来る。川で泳いでいて、溺れる等々が増える・・助けるのは、地元に残る、リタイヤした高齢者に成る・・助ける為に、命を落とす、人も出て来る。
人の人口も、バランスだと考えている。人が生まれるという事は、誰かが背負い、命を落とす可能性も出て来る。
祖父たちに聞いたが、先の大戦・・勝利の為に命を落としたのか???・・・殆どが守る人が居たから、命を落としたと、高齢の人は言われていた。国の為、等々は、奇麗ごと・・現実は、守りたい人が居たからに成る。
それを聴いて、15歳程度で、出撃された、少年兵も、強制と言うより、親としての心、守る人の為に、命を懸けられたと私は考えている。
しかし、戦後、この様な・・親的、価値観、振舞いを否定する教育が続いた。
結果的に、子供的な、利己主義で貪欲な人を、排出し続けて来た。当然、親的発想は無い、この事は、少子化や核家族・親子分裂等を作って行く事に成る。
この小さな集団の、結果が、今の社会・職場と成っていると考えている。
不公平感が有る。理由は、皆が、子供的、利己主義で貪欲な価値観が正しいと思い込んでいる。同じ対価を得ているのに???何故、私は楽していると悩んでいる人は少なく、苦労していると思っている人が多い筈。強く書けば、略全ての人が、楽している等々思っていないし、私だけ苦労していると思い込んでいる。
能力に対する対価・・全てが損しているという事は、誰が、得しているのか???・・誰も居ないという世界が、現代と言う事に成る。
私は、よく、周りに、貴方の理想の世界・又は、天国と思われる世界を尋ねる。
その人の価値観が、大きく反映されるからに成る。
私に取っての理想の世界は、今の世の中と思っている・・・問題が有るから楽しいとも思えると言う価値観が私には有るからに成る。
以前も書いているが、私に取っての天国は、地獄の様相の世界なのかもと書いている様に・・・各々、違うと思う。
人が、生物である限り・・・不公平・差別等々は、有り続けるもの、必然のものと私は捉えている。
生まれながらに、障害が有る場合も有る。之も不公平と言えば不公平だが・・・必然と言えば必然とも思える。
文明・医療が発達したから、生き残れている場合も有る。
之も、幸せと取るか、不幸と取るかも、各自と捉え方だと考えている。
仮に、神の力が有り、本来は、死ぬはずだったが・・・生きている、しかし、五感が経たれ・・意識は有るが、表現できないと成れば、生きている事が幸せなのか、不幸なのか・・・神は非道と言う部分も有る。
何故、非道なのか・・・道は各自で違う・・その道を、力が有る一部の人が之が正しいと成れば、殆どの人が、非道な道を歩く事に成るし、非道が不幸と思い、決められた道に無理して向かう事にも成る。
私は、正しい道が一本とは思っていない・・・多々有るし、人の数、有っても良いと考えている。
子供が悪ガキだったから、親として成長させて頂いたと成れば、悪ガキの存在に感謝に成る。この思いが有るなら、幸せだったと言う事にも成る。
子供が優秀で、何も親として苦労していない・・・当然、これに感謝できる親なら、幸せだったと言う事にも成る。
何時も書く事だが、事柄、現象で、全てが決まる訳でない・・・要は、捉え方に成る。
比べる・・比較する材料が有ると言う事自体が・・・差別だし、区別と私は考えている。
仮に、他の惑星に、天国の様な環境が有ると、比較する材料が出た場合、この地球から脱出する人が出て来ると思う。
今は、比較する材料が無いので、他の惑星と言う部分には成らない。
しかし、国毎での違い・比較が出来るので、国を捨て、他の国を目指す人も出て来る。
小さな単位、家庭でも・・・他所の芝が奇麗に見えると同じで、比較できる家庭が有るから、不公平・差別を感じている。
問題は、比較するものが存在するからだと私は考えている。
当然、他の家庭を、無くす事は不可能・・・結果、不公平も差別も厳然と存在し続けると私は考えているし、人は差別主義者だし、それが普通だと私は考えている。
しかし、現代で、私は差別主義者と自称すれば、抹殺される時代に成っている。
結果的に、私は神だと言わないと、生き残れない世界とも言える。
本当に、生物を越えた神的、振舞いが出来るのか???当然、出来ない・・・結果、不平・不安が、増大して行く・・・又、それも差別だと私は考えている。
登山家に、何故、山を目指すのか・・・答えは山が有るから・・・
この様な価値観が大事だと考えている、何故、人に手を貸せるのか???・・人が居るからと成る。
要は、己の命を懸ける、意味が有るのか???・・・勿論、人の数、違いが有ると私は考えている。この部分が多様化、している時代が良い時代と私は考えている。
この部分が、狭まる時代が不幸な時代だと私は考えているし、その時代が、先の大戦時に成る。時代は不幸だったが、その中で生きた人は必死に生きたと思うし、命を落として守ろうとされた人達には、頭が下がる。
逆に、生きる事に必死だったから、幸せ感も多く、得られてた考えている。
今は、恵まれた時代だが・・・何故か、幸せ感を得難い時代と成っている。
不思議と思う。