2022年10月26日水曜日

立場・価値観で捉え方が変わる。

 今朝、テレビで、バイクのすり抜け・・・追い抜き・追い越しが危険・・この部分までは解る・・・事故等に繋がる、又ドライブレコーダーの動画を見せて、誘導をしている感じを受けた。

当然、すり抜け、追い抜きは危険だから駄目と、言う人が多い、それを取り上げ、違反行為の方向と、働きかける等々が有っていた。

私は、昔、渋滞中の車が通してくれたので、小さな交差点を通過し用と思ったら、路肩を猛スピードで、車が追い抜きをしていて、その車が私の車の横に激突・・・当然、その衝撃で、渋滞中で停止していた他の車にも被害を与えたが・・8対2の割合で、私が悪いというのが、その当時の裁判所の判断になった。

要は、車線が一車線だから、一台しか通過しないと思い込んで居る、私が悪いと成ったし・・・当然、バイクや自転車・歩行者が居たら、人をはねた事故と成る。

先に逝ってしまった、義理に弟が判事を行っていたので、論争を時々きしていた。様は、一方的な私の勝手な価値観での正義感が強い、又、この考えが正しと思い込む癖があり、それを指摘もされていた。

日本国の裁判官という前提、正義に成る。その為に他国や、価値観が違う場合、判決も180度変わる可能性が有るのが裁判と言っていた。正しいと言うことで無いと言うこと・・今の環境が是邸での判決と言うことに成る。

もし、今日の報道で、すり抜け、追い抜きは交通違反と成ったら・・・田舎の我が地域だと10強位のスピードでユックリ、走っている原付スクーターのおばさん達を追い抜が違反行為に成る。当然、幹線道路は大渋滞に成る。

又、電話で一時停止し、路肩に停止中の車も簡単にすり抜けることができないと成る。

要は、一方向からの捉え方で、事を決めてしまうと大変か事に成ると言うこと・・・

以前、書いているが30kmのスピードで一種のバイクは走ることが求められる・・・大型トラックのタイヤが体に当たりそうな状態で、すり抜けていくと言うのが田舎の道路事情に成る。出来るだけ迷惑を与えたくなあいと、路側帯に入って、左ギリギリは走ってこの状態・・・追い抜きが違反成れば、この様な配慮は必要なくなる。堂々と、道の真ん中を遅いスピードで走り続けても迷惑とならない事にも成る。

此も書いているが、愚民化が加速している。要は、己の足で立てない、人、特に力を持っている権力側の力に頼ろうとする、民衆を創り続けているように見える。

敵、悪い敵だから、被害者が苦労している、だから法を整備してくれ・・・

私は、敵味方という考えは無い・・・しかし、肩書や、カタログスペックで人を信用しない、信頼までに留めるし、当然、失敗も間違いも嘘もつくのが人間という基本も解っている。

要は、目の前の人、事柄をどう捉えるかは、己の判断で、自業自得と成る。特に、家族・守る人が居るなら、背負う人が居る分、用心深さも強くなるのが当然と私は思っている。

この部分で、信用していたなら、騙されると言うことは無い・・・子育てと同じ、親として勝手に期待し、期待通りに成らなかったからと、騙されたとは成らない。

信用とはその様なこと・・・逆に己の欲が深く、言われた効能に魅力を感じ、それを得ようと、お金を渡したが、効能が無かった、だから騙されたと成るなら、少しは私も理解できるが、信用したからと最初に言うなら、損して、負を背負っても良いと言う覚悟が有ったのに何故と、私の場合は成る。

善意での行動で無く、己の欲・我欲から発する行動は、結果的に思うような結果を得ることは出来ないと私は思うし、この価値観の人なら、何が有っても満足というレベルには達することは無い。

結果、味方から、一旦・・敵に変わったら、匂い、陰さえ消し去りたいと成る。

要は、無かったこと、歴史にも存在しない、抹殺する方向に成る。

要は、己の失敗、消す方向に成る。

間違い、失敗を認めない言う価値観の持ち主に多い・・・

勝てば官軍・勝つ事が正義の証明等々、思い込んでいる・・生き残るためには、この価値観なら、敵でも相手が勝てば上手に取り入れられようと努力するのが人間・・・しかし、その中で、生きられた、此が、この後、今度の敵が勝ち、同じ様に、新たが正義に取り入れられようと成るが、当然、己の意思で前政権に取り入れたわけで無く、強制・命令で奴隷のように過酷に使われたと言った方が、己の身の安全に近づく・・・

当然、旨い水を楽して飲んでいたこと等、死んでも口から言えないと成る。

私は、生きていくことで楽したいとは思わない・・・生きられているだけで感謝と思うし、幸せだと考えている。

要は、富が有るから、恨みや妬みが出るし・・・満足感を得たいが、貪欲すぎる我欲に負け、充実感も感じない、満足感も無い・・・当然、世に対して感謝の思いも無い・・・・

今、危惧することが、民衆が弱くなって・・全て権力者に頼り、ルールで我々を守ってくれという流れに成っている。

ルールを作っても、結果として、管理側の責任がなくなる方向・・・様は権力側が楽になる方向・・本来、民度を上げる、教育・対話運動等が必要だが、それを放置し・・・問題が出れば対処療法で・・・バンドエードで傷を隠すという流れ・・・傷を創らない方向を何故目指さないのか???

ルールが厳しくなれば、無くなることも無く、地下に潜る、見えない方向に行くだけで、現実には有り続ける。

ルールを簡単に創る・・勿論、それは一般市民を縛ることになる。此が解っているなら、日本国は???と、義理の弟が言っていたが、他国に比べ、幸せな国、国民の民度に期待し、有る国と言うことになると言っていた。

燃し無ければ、直ぐにルールが出来、一般で無い人は、苦痛・生き難い世界と言うことになるし、当然、言動の自由も、愚痴も言えない・・そのストレスが、爆発、大事件を起こすことになる。

現実に、今言われている一般・普通の人・・・存在しない、人間なら無理で不可能な人間を超えた、神的な人と言うことになる。

結果、全ての人が不幸になる、ルールを作り続けることになる。





人は、求めている人に己も近づく・・・

 最近、師匠と弟子という関係と書いたが・・・この関係性も、各自の捉え方、価値観で変わる。

昔、漫画で「巨人の星」と言う・・劇画が有った。

星 飛雄馬が野球で、巨人の星と言われるレベルに向かうまでの劇となる。

この漫画で、師匠と弟子の関係性が、色々、有った。特に飛雄馬と父の関係性・・・師弟関係だが・・・鬼のような父・・死んでも食い下がる子という流れになっている。

現代だと、虐待等々言われると思うし・・幼児虐待等々で、摘発される可能性が有る。

しかし、この経験が、一人の子供を、立派な一流な大人にしていくという流れが有った。

現代を考える、師弟という関係性も解らない人が増えているし、現実の親子感と思っているし、今の親子感は、愛玩動物としてのペットが子供という状態に成っているので、「巨人の星」の様な親子感、師弟感は有りえない、常識から外れているとなる。

子育ては、一人前の大人を社会に巣立たせることだと私は考えている。社会に何が出来るか???此を問える子を育てるものだと私は思っている。

一生、私の哀願する立場で有り続ける必要性は無い・・逆に、私も老いるし、死ぬ、後継者として、人様の役に立てる人になって欲しいと私は願っている。

本題に戻るが・・・今後の社会、人は???と聞かれることが有る。

私は、人は、憧れる・求めている人に似だすし、要は、その人の後継者的な同じ、価値観・捉え方をする、人間に成ると私は考えている。

結果、師匠が大事と言うことにも成る。

誰の言葉に頷き、正しい、そうだと言っているか・・・この誰かがその人の将来の姿と言うことにも成る。

憧れる人に近づく・・・当然と言えば当然・・・

今、マスコミ等で、コメンテーター等々、一流で優秀な雰囲気、姿をしている人の言葉に頷く人が多い・・と、言うことは、その人に似ると言う事になる。

以前も書いているが、平等・人は大事、命は地球より重い等々、耳障りの良い、コメントを言っている人の前に、ボロボロで、汚い姿で、手を貸してと泥だらけの手を差し出したら????・・・結果は想像できると思う。

口と行動が大きく違うとなるし、当然、その人に憧れ、正しいと思っているなら、己もその様な振舞をすると言うことになる。

此は、我が身うちにも言える・・・品が有り、エリートに見える人ほど、動かない、上座は何処と座布団を求める。

逆に、柄が有り・・反社会的な容貌の人の方が、何か手伝うことは無いかと、近づいてきて、己が邪魔にならない様に、直ぐに場から消える。身銭を切って、一所懸命に動いてくれる。

勿論、色んな考えが有るから、バランスが保たれている。一極化が結果、不幸を生むし・・悲惨を創り出すし。

不思議なことに、絶対的力が有ると言われる、一神教の神・・・しかし、その世界には悪魔が存在する。

神だけで十分と思うし、無限の力が有るなら、悪魔も無くす事が出来ると思うが、厳然と居る・・・・

悪魔も否定するなら、抹殺できるはず。

要は、神も全ての人間の欲に応えられない・・結果、出来ないと言えないので、敵の存在で誤魔化す事にも成る。

懺悔すれば、全ての罪が報われると言われるが・・何故、その後、この世に再度生まれたときには、過去の罪を背負って生まれるのか???

一端精算できた借金が、現実な社会に生まれたら、再度、登場なら、あの世で懺悔する意味も無い。

期待を持たせ、裏切るという流れになる。

私は、人として自由人で生きたい・・・・・当然、完全な自業自得の生き方だと思っている。

良い行いをしているなら、当然、良い結果を感じているはず。

燃し、感じていないなら、何かが問題と言うこと、消して、他に責任の転換しないこと・・・全て己で帰結させる。

私は、幸せで恵まれていると思っているし、感謝している。結果が此なら、行いは良かったと????・・・成るのか???・・・・

痰壺・・・捉え方が怖い方向に一極化への洗脳が加速している。

 捉え方・・価値観で変わる部分になる・・・しかし、何故か、この捉え方・この策が正しいという・・流れが現実には有る。

以前ルール・・・例として学則で示したことが有るが、誰の為の学則なのか???今は校則と言われるので、学校側、組織側に都合が良い、要は責任放棄になる、誰に対しての責任放棄か、当然、学生に対してに成る。

要は、学生のための、ルールで無いと言うこと・・・・

前回、痰壺の事を書いた・・・愚痴を吐ける痰壺・・大事な立場と私は思っていると書いている。

この愚痴に対しての捉え方・・・権力側・強く書けば独裁者的、価値観の人なら、愚痴を言うと言う事は良くない・・だから、その人の価値観で、愚痴は言うな、言わせない環境にする。此が求められているし、民が求めていると捉えてしまう。結果、不平・不満が言えない社会になる。

本来、愚痴に中に社会等の問題が隠されている。愚痴を指摘と捉え、学ぼうとする姿勢がリーダーには求められると思うが・・・先に書いた様に、独裁者的、件局側で自己保身が強ければ、己だけは責任から逃れられる策をルールとして決める。

世の中、同じ価値観なら、得する人が居るなら、損する人が当然、創り出すことになる。

よく、男女間の差別等言われる、私は確りと違いが有ると思う、自称、差別主義者と己を思っている。

今朝、4時半に起床・・五男を起こし、6時半迄に会社に送り届ける・・・此を行っていた。四男も今日は福岡の現場、早起きが必要・・・現代っ子・・・簡単に目覚めない・・・基本一時間近くの時間が必要・・ヤット、目覚めるという流れになる。

私を信頼しているのか????・・・子供達は私に、起きる時間を伝えている。要は私が必要と言うことになるし、難病の私も家族に役立っていると思えるので、感謝しているし、有難うとなる。

又、嫁が働いて稼いでくれている・・結果、私は闘病が続けられる。当然、気持ちよく仕事に行って欲しいから、基本、嫁の送迎も私が行っている。

今日は、朝時間が余ったので、洗濯物等を干す事も、する事が出来、感謝しているし、有難うとなる。

要は、捉え方になる。仮に、私が女・・難病で苦しんでいるのに、子供達の送迎・配偶者の職場への送迎・・家事等々を、痛みを堪え、苦しんでしているという捉え方も有る。女だから、目立たない下働きを病を患っていてもさせられる。指示される・命令される・強制されたという捉え方に変化していく・・

理由は、己は、権力側で独裁者に成れる立場、しかし、この様な難儀をさせられ、悲劇の主役と言う・・価値観を持っている人が、私の目からだと一般的に成っている。

会社等もコンプライアンスと言って、組織、会社を守る、要は組織側に責任が及ばない方向のルールを創ることに成る・・・結果、セクハラ等は表面化しにくくなるだけで、陰湿方向に向かう・・・

要は、民度と何度も書くように、個人レベルと思う。

言動では、良い子を装っていても、心・命は、妬み・恨み・怒りが蔓延しているかもしれない。

何故、怒るのか????捉え方の問題、価値観の問題、価値観の多様性を知らないと言うことに成る。

前回、人様から頼られ、当てにされ・・・色々、使って頂く、当然、お金も必要になるが・・社会の中で人様の役に立てていると言うだけで、幸せだし、感謝になる・・・

勿論、時間が無い・体調が悪いときも有る。忖度無く、平常時の様に使って頂く・・感謝だと思う。

今は、難病で闘病中・・・結果、忖度され、依頼等が一気に減った。悲しし事に成る。

世に役に立たない立場・・・社会に必要性がなくなってきたという私と言う事になる。

お願い・依頼される、幸せなことだと思う・・・しかし、此を、命令・強制されたと捉えたら、当然、恨みや妬み・怒りが出だすと思うし、この思いが出ると言うことは、己は、独裁者的、価値観を持っていると言うことになる。

又、この様な人を求める同じ価値観の人なら、力ある、拡大・得する組織・集団・国という捉え方になる。

要は、得はするが結果として多くの損を誰かが背負うことになるが、己は損しない立場という勝手な思い込みがあるから、この立場に成ると、悲劇の主役と思ってしまう。

要は、勝たなくても良い、絶対に負けない・・要は、勝ち負け論に支配されないことだと思う。

現代は、見える部分、言動等に対しての策になる。本来、命・心が大事だし、この部分が有るから人間と私は思っている。

仮に行動力が有ることが良いなら、殺したいと思ったら、直ぐに殺した・・エリートで有ると成る。

心に正直に生きる、此が良いと成れば、犯罪者だらけの世になるのが現代と言うことになる、結果、強い拘束力の有るルールが必要となる。

何度も書く、ブランド品で身を固め・・優秀で一流に見えているが、心・命の部分は、地獄と言うことになる。

この様な世が、良いとは私は思わない。

しかし、見せかけのルールが増えて、厳しくなることになる。

生きも出来ない社会に向かっていると言うこと・・・当然、今は、屁も糞も尿も出来ない世の中と言うこと・・・


思うとおりに生きられない・・・・

 私の知り合いにも、有名人・政治家や芸能人といる。

何時も思うのだが可哀想だと思うし、何故、思うように生きられない世界を求めたのかとも思うときになる。

私は、好き勝手な、毒舌が言える。

しかし、この様な立場、又は優秀な人や一流の人は、人からの要望も多々有るし、それに応える為に、私なら嫌と思うことさえ、和やかに、昔からの知り合いという顔で接している。

怖いのは、それを写真で記録に留めていること・・・証拠になる。

以前、書いているが・・・私の同窓生には、人様に自慢できない、反社会的集団に属している人も居る。私は友達だから、昔ながらの付き合いをしているが・・・同窓会等に、私は誘われ、その様な人が誘われない、要は、同窓生として認めていないという流れがある。

私は、何故と思うし、仮に犯罪者でも共に過ごした共なら、縁の無い人と対応が違っても当然と思っている。

此が、駄目となるなら・・・友とは肩書き等々で、決まる、要は差別は駄目と言っている立場が、差別するシステムを創り上げていることに成る。

このシステムがあり、強いので、この様な人を同窓会に誘ったら、立場が有る・・同窓生が来れない・・・一緒の場に要ること自体が悪だと言う流れになるし、模し、このシステムが蔓延し続ければ、親族間でも、この流れになる。

親の葬儀にも、肩書きの関係で、世間様から泥を塗ると思われる人は、拒絶する方向になるし、システムを知っているなら、自ら時代するという流れになる。

私は、数度、ブログに、嫌われ者だし、現代、家族葬等で、葬儀が終わった後に、友の死を知る事がある。その人の家の仏壇に手を合わせることが出来るならと思うが、私は嫌われ者という部分がある。迷惑を与える思うときは、納骨堂等の建物の外から手を合わせる事で、気持ちを表している。

知り合いで、この様な反社会的な人が居るが、この様な扱い方をされることに対して、怒りを感じ・恨みを感じている人も居る。

結果、共に接していると言う、事をネタに、私の捉え方だと、駄々を捏ねる様な方向になる人も居る。

怒りの解消だが、此が面白く、仮に、お金本位主義が蔓延している社会、お金に繋がるとなれば、当然、此を糧の一つの方法と思う人させ出てくる。

今は、片側に責任を背負わせる、此が勝ち組の権利・利権と思っている。

当然、負け組は背負っていくことが当然という流れになっている。

私は、何度も書くが、何が良いか悪いかは、仮に二極が有れば、両方だと考えている。因果・・・因が良ければ、結果も良いはず、因が悪いから結果が悪い・・・・

この因の時に、正邪・敵味方的な発想が、結果的に人を除外し、差別することになるし、この差別感を感じて、妬み・恨むという流れが出来る事になる。

私は、何度も書くように、三流で、差別主義者の鬼畜の命を持った、人の姿をしてるだけの、変わり者と思っている。

だから、多くの命も殺めているが・・鬼の命が有るので、命の数さえ記憶も無いし、当然、今日も目、殺めていると思うが、意識も記憶も無い・・・

人として優秀で一流という人とは大きく違うし、些細な事と、己の価値観で勝手に決めつけているし・・私は三流以下と要った方が理にかなっていると言うことにも成る。

模し、この感覚が、私だけなら、変わり者だからで終わるが、全ての人間に有ると成れば・・・・差別・蔑視・除外・抹殺を己の好みで勝手に行っていると言うことになる。除外・抹殺される側は・・・その気持ちは???と私は考えている。

有る哲学者が、思う通りに行きたいなら、孤独になるし、集団を求めなくなる。逆に、他人様の目を気にし、集団の中で、好かれようとすると、思う通りな事が出来なくなる。

要は、此は駄目と解っていも、笑いながら従う方向になる。

他人様からの人気商売は大変だと私は思うし、人間として生きられないと思っている。

私は、人間として生きていきたい・・・機械・六法全書の様な、冷たい心で、人気を得たいと嘘の笑顔で、過ごす、私には無理となる。

しかし、現代の社会は、この様な人を何故か求めている。

私の様な人、生き方は求めていない・・・結果、リーダー不在となる。