2020年3月22日日曜日

納骨堂の総会・・・

今年は、よい総会だったと思う・・・

以前、私が責任者だった時に、登壇者が幾ら、危機感をアピールしても・・・・誰も聞く耳を持たない・・・・

しかし、聴衆者側に私が居る・・・質問等々、問題提起に興味を持ってもらう為に・・・桜を演じる事に成った。

問題意識を、会員と共有する・・・大事な事と思うが・・・・今は、会合等も二極に別れ・・・言う側・聞く側と成っていて・・・言う側の思いが効いたかは別問題に成っている。
要は、効く為の会合の趣旨が・・・今までは、単なる、通過点程度の認識の為に、誰も、内容等に興味はなく・・・参加・名前消しの為の、会合に成っていた。

後継者が育って居に・居ない等々が、結果的に墓守が、居ないと言う方向に向かっている。
墓守が、居ないと言う事は・・・親守が居ないと言う事に成る・・・当然、地域守も居なくなる方向と言う事に成る。

家を守る為の、家族が・・・・家が守ってくれる家族に成っている。
結果、家と己が、同体と言う事を知らず・・・別たいと思っている。

この価値観が、墓守、当然、己がすると言う価値観から・・・・何故、俺がと成っている。

この状態で・・・・納骨堂の維持管理、誰がするのか????当然、昔は己だったが・・・今は、なぜ俺と成る。

要は、この部分の価値観が、家と言う部分に繋がっているし・・・村・社会と言う部分に繋がっている事に成る。

村と己は同体・・・当然、社会と己も同体と成る。

逆の価値観に成れば、村が悪い、だから村に属しないと成る。
社会が悪いと、他を攻める方向に成る。

この部分の認識を、少しは解る人が増えている様に、今回の納骨堂の総会では感じた・・・・直ぐに変わる事は無いと思うが・・・毎年、引き続き論議していく事が大事だと私は考えているし、その様な形に成ったので、良い会合だったと私は思う。


小さな冒険・・・

昨晩・・・五男から、自転車のブレーキが壊れたと言われた。

その前の晩は泊まると、行って、出て行ったが・・・・

彼達が、太宰府迄・・・・自転車で冒険旅行を行った様だ・・・・
一晩は野宿・・・帰って来たが、リア・ブレーキワイヤーが切れて、壊れたと成っている様だ・・・

公民会の総会と納骨堂の総会と参加し・・・帰って来てから、修理を行った。

ホームセンターで・・・ブレーキワイヤーを購入する・・簡単な作業に成る。

高校一年での、彼には大冒険に成る・・・・

上の子供達は、小学校時代に、鳥栖に有った、玩具の大店舗へも自転車で行ったし・・・・野宿をし、二日間にわたって、近くと思っていた、奇麗な川・・・菊水川までの冒険もしている。

早い遅いは有るが・・・各々成長と思っている。

色んな事が有るが・・・全てを糧に出来る人に育って欲しいと願っている。

年度末・・・

今日は、我が地域の公民館の総会が有る。

我村は、元々が大きく・・・結果として、二つの行政区に分かれている。
この部分は、行政の都合と言う事に成るが・・・・元は一つの村・・・公民館は一つに成っている。

村事は、次年度の班長等が、順送りで変わる・・・その為に大事な総会に成っている。
しかし、最近は次年度の役回りの人が、参加されない・・・この様な事が続ているし、増え続けている。

要は、村内の、役に付きたくないと言う、意思表示とも思もわれる。
勿論、毎年有る、総会にも参加されていないので・・・役回りの時だけ、参加と言っても、何をする等々の、経験が無いので、解らない人が責任者等も、有りえないと思うが、これが、我村の昔からの慣習に成っているので・・・・続いている。

最近は、地域貢献等々の、言葉が、普通に耳に付く時代・・・昔は、この様な言葉や意識も無く、普通・当然と、参加していた。

若しかすると、この様な標語が耳付聞き出す時は、之が出来ない現実に対しての、題目とも思える様になっている。

要は、地域貢献をしない之が普通だが、之では駄目だと言う、標語と言う事に成る。

昔は、駄目な人が多かった、大昔は、バカで何もできなかった・・・今は、優秀で入一流の人間が多い・・・この流れと成っているなら、当然、優秀や一流と言う人は、利己主義で、自己保身に長けている人と言う事にも成る。

と言う事は、一流・優秀と思っている人が、この様な貢献には無頓着な人と言う事にも成る。己以外には興味を持たない・・それに長けている一流と優秀と言う意味に成る。
人様からの評価が、一流や優秀・・・しかし、己以外には、利や得を与えてる事をしない人は、他人が、本当に一流や優秀と、思っているのか????・・・・私は疑問がある。

私なら、人でなし・・・鬼畜としか思えないと成る。
例と知れば、空腹で死にそうな人に、美味しい物を食べている姿を見せる・・・当然、空腹度が少ないなら、羨ましいと思う・・・・しかし、死にそうに空腹なら・・・鬼畜かと成る。

要は、村全体から見れば、昔は一部・・・己が思うままに遊び、参加しない・・・羨ましくも思える・・・・・しかい、村と言う集団が崩壊しそうになっている。要は死にそうになっている。この状態で、思うままに遊んでいる人を見れば・・・当然、鬼畜に見える事に成る。

何度も書くが、同じ事でも、環境の変化で、捉え方が変わる。
各々、環境も違う・・当然、多々の捉え方が有ると言う事・・・この捉え方を誘導する流れが有る。又、扇動し、利を貪っている人も居る。

人は、神では無い・・・・今、居る環境で生きている、この部分も各自で違う・・・要は正しいも一つで無いと言う事・・・逆に間違いも一つで無いと言う事に成る。

しかし、人は如何しても、神的な視点で物事を考えようとする癖がある。
その為に、之が真の正しさ等々を、求めだす。

しかし、考えれば、犬は犬である。猫は猫である。
人間は人間である。人間が神とは成らないと思う。

犬は、他の犬を見て、違いを多く認識していると思う・・・しかし、人間の私は、犬程度の認識で終わっている。

人間は、人間の違いの多く認識していると思う・・・要は、違いが有るのが当然と言う事だし、解る事も当然と言う事・・・この部分が、駄目だと言う、思いが、神の視点等々に成っていると言う事にも成る。

私は、人間だが・・・三流と思っている・・・その為に、一流や二流とは、多くの違いが有る、之が当然だと思っている・・・・・駄目だとは思わない・・・間違っているとも思わない・・・・違いが無いのが平等という感覚の人も居るが・・・・私は違いが有るのが当然と思える考えが、平等だと考えている。