2022年1月31日月曜日

雑用で忙しい・・・

 嫁の体調が悪い・・・倦怠感・・・頭痛・・等々が、頻繁に起きている。

人手が足らない、仕事だが・・・・休養のお願いを行った・・・

私でも、陰性の高校接触者だが・・・・倦怠感等々が有る。基本、精神的部分だと考えている。

嫌われ者として生きていたので・・・少々の疎外感等々は、気に成らない・・・

しかし、今は、バイ菌扱いの様な対応をされる。

何度が書いているが、嫁や四男が陽性と成ってから・・・・世間様からの対応が大きく変わった様に感じている。

今日も、診断書が必要と言う事で・・・病院探しから始まる。

陽性者で、今は、活動制限も受けていない・・・勿論、陰性か????と問われても、PCR検査を受け、陰性だったので、制限が解かれた訳でもない・・・・

結局は、解らないとしか言えない・・・その為に、風邪の症状は無いが・・・病院の外で、診察を受けることに成るし・・・診察してくれる病院を探すのも一苦労する。

要は、保険制度の関係の様で・・・・病気に成り、薬を貰ったと言う事は、何処かの病院が看ていたと言う事らない・・その為に、先ずは、その病院が診察する責任が有り、他の病院は手が出せないと言うルールの様だ・・・・

しかし、保健所で、濃厚接触者と言う立場のPCR検査・・・結果が陽性で・・・自宅療養・・・しかし、体調が悪い為に、ホテル療養と成った。何処の病院もタッチはしていないし、誰から薬を貰ったと尋ねられても、ホテル療養で貰ったとしか答える事が出来ない。

結果、私の持病の主治医に頼み込んで、嫁を看て貰った・・・その為に、専門医で無いがと言う前提が付くが、診断書を頂く事が出来たと言う事に成る。

ルールが四角四面・・・しかし、現場は色んな事が起きている。

仮に、四男が、会社に提出する書類、陽性に成ったと言う、書類は保険所より来ているが・・・・制限が解かれた書類は未だ、来ていない・・・・

当然、会社側は、陰性に成った、公的機関の書類を求めている。

しかし、その提出が出来ないでいるが・・・人手が足らない為に、仕方が無いと言う形で勤務している。

私は、基本、世間様から、疎外感を感じている、生き方を長年続けているので、慣れも有るが・・・・嫁は、慣れが無い・・・・

大丈夫ね~~~と駆け寄って来ると、近い関係の人なら、尚更と思っている。

しかし、私は幼い頃から、疎外感を感じていたのが、大丈夫ね~~~心配しているよ!!!と言う、言葉だが、声を掛けてくれている人の腰が逃げているのが、肌で感じていたので、人とは、その様なものと言う、考えが基本に有るが・・・

それでも、今回の、感染症に対しての、世間の捉え方の怖さを、肌で感じている。

勿論、当初より、病より、世間の仕打ちが怖いと、私は書き続けている。想像していた事だが、之ほどとは思わなかった。

その為に、嫁からは、陽性や濃厚接触者と言う、個人情報を、他言しないでと言っている。

私は、迷惑を掛けたく無いから、正直に言う、当然、一気に距離が開く・・・仕方がないと思っているが・・・・普段通りの対応が出来ない位に、怖れる方向の情報で蔓延しているからに成る。


普通なら、高熱が出たが、治ったと言えば、今まで通りに付き合って貰えるし、当然、距離感も昔と同じ・・・しかし、今回は、症状も軽い、私の場合は、病にも成っていない、しかし、濃厚接触者と言う立場で、何故か、大きな距離感を感じてしまう。


現に、電話で、話に成らないので・・・行政、市役所に直接、伺う、当然、濃厚接触者と一目でわかる格好でと言うと・・・・何故か来訪を嫌がられる。

行政でもこの様な形・・・病院も同じ・・・公的機関が、この様な対応をしているなら、当然、一般の人達、世間もその様な対応を取ることに成る。

この対応を受ける、人達が、どう感じているか????・・・この様な事は、情報等では言われない・・・・

以前、書いているが、障碍者等の人権と言う、イベントが有る。勿論、入賞者も多いし、人権に関心が有るから、来られていると思う。しかし、当然、障碍者が目の前に居る情多様に成る。どの様に対応されているか・・・主催者側に私は居たが・・・腰が引けているのが現実である。

様は、口では奇麗事、しかし、現実の心、命の部分は、逃げたい、避けたいと言う思いが、行動に出ていることに成る。

私は、人とはその様なものだと思っているから、不思議とも思わないが・・・口で耳障りの良い事を、当然の様に吐いている人は・・当然、行動は違うと言う事・・・同じでない、之が人間と考えている。

識者で奇麗事、耳障りの良い事を並べている人の前に、ボロボロの状態で、助けて下さいとと言ったら、当然、その場から去られると言うのが、人間と言う事に有んる。

力が有れば有るほど、その距離は遠ざかる方向に成る。

ぞの為に、見えない、聴こえなかったと言う事に成る。

様は、上澄みを泳いでいる人は、絶対に、濁って先が見えない部分には近づかない事に成っている。若し、近づいた場合は、負け組を言われる事に成る。

濁っているから、その場で、手探りに進むしかない・・・この様な場所は、その場に居る人しか、理解できない問う事にも成る。

澄んでいる部分の人は、下の世界からでも泳いでる姿が見える・・・

何処のレベルが、世間をよく見る事が出来るか????少し想像すれば解ると思う。

この世に生まれたと言う事は、この世の全てを観たい・経験したいと言う意味だと捉えている。

見えるなら想像できる・・・見えない、気付かない部分は、想像も出来ない・・・

様は、仏法思想に通じる部分にも成る。