2019年11月2日土曜日

大志・・・・

息子に、大志と尋ねた・・・

どう考えるかを試す・・・大使と思った様だが・・・大きな志と改めて尋ねると・・・

夢を色々言いだす・・・我欲の部分しか言わないので・・・大きなと付いている・・この大を考えて・・・改めて尋ねると、我欲の大きくなるだけで・・・私が考えている大志とは、大きく意味が違う様だ・・・

現代の若者は、大志の意味をどう捉えているか、不安が出て来る。

私が考える、大志は、人様や世間様に対して、良い方向での影響力が有る、方向の夢と言う事・・・世間に広く・広くと、大きく考える方向性によい志を持つ、之を大志だと考えている。

単語に対しての認識が、現代の若い人と、違って来ている感じが、他の部分も感じる。

辞書等で意味を見ても・・志と調べれば、夢・希望・要望と出て来る。
勿論、含んでいるが、何処に向かっている夢かで、大きく違う場合も有る。
勿論、己の変化も必要だが、その目的は・・外に向かっていると私は考えている。

以前も書いているが、話を聞く・・・と・・一般的には書く・・・しかし、話を聴くと言う書き方も有る・・・結果、自分が変化したなら・・・話が効いたと成る。

人様の話を聞く・・・第三者が見て、文字にした場合に成る。
当事者は、聞くと・聴くと・効くとが有る。

指摘等々を、聞くと成れば、指摘する側が何の為に指摘しているかが解らない事に成る。
聴く方向性が有るから、期待もする・・・又、指摘が効いたなら信頼へと繋がって行く・・・・

見るも当然、色々有る・・・・

この様に単語の意味を知る事も、大事だと思うし・・・経験で増すしかないと私は考えている。

当然、経験も強い反省や後悔が有るから、身に着く・・・全てを流してしまえば、経験も意味をなさない・・・

私は、無知だと何時も思うし、後悔が有るから、次は・・・と考えている。

この部分も私の息子には乏しいし、周りの若者も同じように見える。

先人や先輩方の生き様を見て、学ぶ・・・勿論、凄いと思う方向に成るし、自分では無理だと思う方向に成るが・・・

この凄いと言う部分も、私と息子達では違う事も多々ある。

不幸を絵に描いた、生き様をされた、先輩を私は凄いと思うし、尊敬しているが・・・
息子達は、馬鹿・・負け犬と見える結果だけで批評する。

生き様とは結果で無い・・・しかし、現代は結果で全ての判断をする様だ・・・

若し、結果が、この形と決まっているなら・・・・それから程遠い環境で生まれた場合は、当然、諦めと、妬みが出だす。

各々、違う・・・しかし、結果は一つ、この世界は良いとは思わない。

しかし、文字だから、同じ発音でも違いが、認識できるが・・・言葉は、その点、難しいと私は考えている。

息子達との対話も大事だが・・・文字の有効性も考える時期に来ている様だ・・・

世間観・・・

私は、我が家の家長として、世間観を大事にしている。

当然、この世間観の大きさも・・・自分の分で変わる事に成る。

簡単に書けば、我身だ大事だから、我家が大事に成るし・・当然、社会・世間も大事と成る。
本当に、大きな器の人なら・・・地球観を感じていると思う。

勿論、現代は他の惑星等々との関係性が、実感として無いので・・・少し狭めて、世界観と成る。

仮に我家を考える場合・・・世間観で、どうなるかが見えだす。

リーダーも、内側を観る、方向性の場合も有るし、この方向性は、誰しもなりやすい方向に成る。
自分の範囲内を観る・・・当たり前だから、それ以上に大事な部分が、外を観ると言う事に成る。

この部分が、人の価値観として、幼い頃から養う部分に成る。

日本人が日本人から遠ざかっていると私が感じる部分が、この部分・・・
内に向かい過ぎている。

昨日のブログにも書いているが・・・現代は大樹の下に入りたいという価値観が多い・・・何故か、守って頂ける・・この期待感からに成る。
しかし、大樹を育てる、肥えさせる、努力はしているか???
若し、大樹から貪るだけ貪る・・・之がよいと言う価値観なら・・・当然、大樹は枯れる。

若し、この様な人だけの世界なら、大樹は必然的に多くに人を加護している事に成るし、之が意味する事は、多々に貪られ続ける事に成る。一気に枯れる。

当然、借れた木からは、人々は、一気に流出・・・何処へ向かうのか、次の大樹と成る・・・この無限の流れが、続けば、大きな社会さえ一気に崩壊する。

又、大樹側も枯れたく無いと・・・努力する・・・この大樹が、内に向かう価値観の人なら、当然、大樹の陰に居る人達から貪り出す。

win・winの関係とも言っていよい・・・しかし、崩壊への流れからは脱する事は出来ない。

私は、歴史は大事だと書いてきた。
その歴史を、どう捉えるかが問題だけに成る。
当然、歴史に残る事は、国に大きく影響を与えた部分に成る。
大きなリーダーの生き方等々に成る。

聖徳太子・以前から、日本国のリーダーは、世界観が確りしていたと思う・・・この世界観が、他の力有る同志を集めていたとも考えている。

傲慢で、強制・他の価値観等々を、全く受け入れない独裁的、リーダーなら・・その様な同志は現れないと私は、考えている。

大きな野望とも言われるが・・・私は大志が有ったと思う・・・志半ばで終わるが、それが有ったから、今の日本が有ると私は考えている。

大きな大志・・之が世界観だと私は考えている。

勿論、私は、三流の為に、我家を守る、これ位で、限界に達するが・・・我家を守る為にも、世間観・社会観が必要に成るし、それを磨く事に成る。

勿論、社会と縁を完全に切った、我家なら、考える必要性も減る・・・しかし、社会の中の我家・・・考える事に成る。

仮に、我家は私が家長である。家族の色んな要望や問題を私が背負う事に成る。
その為に、家族は、私を見ている事に成る・・・私が家族を見れば・・・当然、喧嘩方向に向かう・・・・私が見ている方向は、当然、我家外となる・・・
夫婦も同じである・・・見合わせれば、最後は喧嘩に成る。

責任や義務の部分は、後ろを見ていても、背負う事に成る・・・その場に留まる間・・・嫌なら、逃げる事に成る。