2019年4月1日月曜日

長男が・・・

長男が、若嫁の里の家の横に、家を建てる計画をしている。

若嫁は、三人姉弟の長女で・・・次女と弟が居る。

次女は、解嫁の里に、夫と共に住んでいる。
その夫は、一人息子で、大きな家が実家に有るし、親も当然居る・・・その実家は私の嫁の家の近所・・・本来はこの家に入るのが、昔の考えに成るが・・・
この流れに成って居ない・・・

結局、解嫁の弟は、身障者の為に、誰かが面倒を看続ける事に成るが・・・その彼も長男夫婦に、懐いているし、何時も長男夫婦の家に、遊びに来ているとの事・・

本来は、妹夫婦が嫁の実家に居座っているので・・・母親が隣の土地に家を建てろと言われていたらしいが・・・それもしない為に・・・結果的に、私の長男に、その土地に家を建てる様に、指示が出たという事に成る。

やっと、長男も人を背負う思いが出てきて、一人前に成ったと私は、思っていたが・・・先に、若嫁の母親から、指示を受けたことに成る。

一人前に成ったと思える時は・・・何故か、私の手元から遠ざかる方向に成る。

次男も同じだし、長男もこの方向に向かっている感じがする。

勿論、私の年代以上の人が、親に成る。この年に成ると、先祖に対しての責任等々に気付くが、自分の歳が・・・之も有るので、当然、確りした後継者を求める。

何度も書いているが、若嫁の外の親と会う都度に言われることが、五人の息子さんが居られる、羨ましいと言う言葉・・・

又、私の場合、子供に、結婚したなら、先ずは、嫁の里を大事にせろと、口酸っぱく言ってきた・・・その為に、若嫁の里の手伝い等々は、当たり前の事だと、子供たちは思っている。

現実に・・・長男も次男も、三男も・・・若嫁の里には息子さんが居られるが・・・地元に居ないか、又は障害が有る、等々で、若嫁の里の手伝い、嫁の親の痒い処を、かく事が出来ない。

結果、誰かを欲する・・・現代なら仕方が無いと思う。

当然、余所行きの顔をしている。義理の付く立場、少し親権が離れている人が良く見える。

簡単に書けば、同じ親に成るが・・・義理が付けば、寝間着姿では来訪できない。
しかし、実親なら、これが出来る。

対応が違う事に成る。

母が言っていたが、私の嫁・・・妻としては最低かもしれないが・・・嫁としては最高に良いと言っていた。

親から見れば、当然、嫁としてみる・・・・
最近は、少子化の為に・・婿と言う部分も大事に成っている。

よい婿とは???当然、嫁の里の親の感じ方に成る。

難しいのが、良い婿と、息子のバランスに成る。

特に、テレビ等々で、差別等々を話題にする為に、難しいさが増える。
仮に、同じ親だが、義理が付くと付かないで、対応を変えれば、差別と感じる人も現代は居る。
逆に対応を変えなければ、何の義理等々の意味かと思う、親も居る。

現実に、母の日が来るが・・・結構ンしている立場で、両親にする人も居るし、逆に片親だけと言う人も居る。

私の母が言っていたが・・・仁義に当たる部分は、借ってでもする様に・・・之が家訓である。結果、実の親に対しては、仁義でない・・と・・・私の子供たちは思っている。

然し、一旦・・我が家から出たなら・・・当然、仁義に成る。
之を解るかが、今後の彼達の、勉強だと思う。
当然、実の親は教えられない・・・世間がどう教育するかに成る。

この様な、昔からの円滑にする部分を、現代は教えていない。
凄い年数と言うより、歴史を積み重ねて出来た、知恵を・・・古いと数十年で変えている。

年号も変わる・・・教えなければ・・・・

長男も、良い婿と言う部分と、息子と言う部分で悩んでいると思う。
しかし、現実は、少子化の影響で、諸先輩、親の世代を誰が看ていくか、この問題が厳然とある。
この部分に気付けば、子供の必要性も解り出す。

正直、私は、一人の子供さえ、育てる自信はなかった・・・・しかし、如何にか五人の息子を育てる事が出来た。
勿論、マダマダ・・・一人前の子は少ない。

結婚したら、婿と言う立場と、息子と言う立場・・・又夫としての立場・父親としての立場等々・・・・多々の立場で、考える事が必要になる。

この部分を、広げる、これが人間力の拡大にも繋がる。

孫としての立場・・・甥としての立場等々は、確りしている様だ・・・

人間としての振舞い・・・之が出来なければ、一人前でない・・・








令和

四月一日・・・五月からの年号の発表が有った。
「令和」・・・響きが為れないので、少し違和感を感じるが・・・・・使い続けて慣れていくと思う。

話は変わるが、昭和の時代・・・三時代を生きた・・明治・大正・昭和・・当然、私が生まれた後には・・・・珍しく少なかった。

私は三時代を生きる事に成るが・・・・現代では珍しい事でも無いように感じる。

天皇が解る・・・今の皇太子が天皇に成られる・・・・その時代が「令和」と成る。

父と母の結婚記念日が・・・今の天皇の結婚記念日と同じ・・・
又、私達夫婦の結婚記念日も、今の皇太子の結婚記念日と同じ・・・

三男は、昭和最後の年、昭和63年生まれで・・・年号が変わった、昭和64年早々の為に、平成何年が、彼の年に成る。

又彼の、娘も平成31年二月に生まれたために・・・今後「令和」何年が彼女の年に成る。

冬から春に向かう、意味が有るそうだが・・・人間らしい生き方が出来る、良い時代に成って欲しいと願っている。

世界、ナンバーワンと言われる所迄、上り詰めた昭和・・・経済ではこのポジションを得た・・・平成で次の目標が有ったはずだが・・・一度得た、ポジションの固執し又、其の膿を出し切っていないのが、平成だったと思う。

今後の新たな時代は、膿を出しながら、末広がりに向かう、時に成ると思う。
未だに、唯物的価値観が支配している。

勿論、否定は出来ないし、生きる為に必要な部分に成るが・・・何の為に生きる・・この部分の大志が無さ過ぎる。又、唯心的価値観が必要だと、この事を気付こうともしない時代が、平成だったし・・・之を気付かせようと、色んな、天災が有ったが、直ぐに人は忘れる。
本来、平成の時代の、もう少し人間の本質部分に光を当てて、考える時だったと思うが・・・それが出来ず、今に至っている。

唯物的世界で生きている。結果的に唯物的、価値観が必要になるし、その価値観で、勝った・負けたを感じ、優劣を感じる。
一度は世界一とも言われた、我が国・・勿論、唯物的本質、お金が有ると言う事に成るが、それを得て、幸せだったか????・・・・各自、感じ方が違うと思うが、幸せ????・・・疑問符が付くと思う。
この経験をした、日本国民は、次のレベルへのステップUPが平成だったが、現実には出来なかった・・・・又、色んな天災が有って、気付く人も居るが、日々の唯物的世界の中で、直ぐに忘れてしまう。これを続けた時代が、平成・・・・

何時、命に刻むか???・・・之が出来なければ、当然、天災等々の都度に、人は教えられる事に成る。

「平成」の時も思ったが「令和」の時代も、人が人間らしい、営みが出来る、時代に成って欲しいと私は願っている。