2018年7月22日日曜日

二家族来訪・・・・・

今日は、日曜・・・・私の上の子供達は、不定期の休みの仕事をしているので、日曜日に二家族が集まるのも珍しいが、昨日の土曜日と、二日間、二家族が集まった。

昼食は、二男家族・・・夕食は、三男夫婦と食事を友に出来、感謝に成る。

特に、嫁がハッスルして、食事にも力は入る。

この刺激が、私は良いと考えている・・・・

今日は、夕方遅く、地域の納骨堂の責任者が来訪・・・・お盆前の清掃のチラシの依頼で来られたが、地域が今後、抱えるであろう、問題も、語り合った。

次の日曜日は、我が村の夏祭りに成る・・・・担当、隣組が頑張っていると思うが・・・手を貸す・手伝って頂ける、住民が減りつつあるし・・・・私の先輩にあたる、干支で一回り多い、世代の家庭も、子供が巣立ち、居ない、之が現実に成っているし、今後、歳を重ね、人の手が必要に成った時も、田舎の場合、都会と違う問題が出て来る。不動産等々の管理が有る。

人は、国の保護政策で、対処できる部分が有るが、不動産・田畑は如何なるか、誰かが手を入れなければ、荒れ地に成り、当然、周りに迷惑を掛ける事に成る。

この部分を農協が行う方向に成る筈だと、農家は言っているが、農協も慈善事業で無い為に、如何なるかは、不安が有る。

今日来られた、人も、羨ましいと言われている・・・巣立った子供達が、集まって来る、之自体が、最近では、稀と言われている。

私の母からも言われていたが、世間・国の決まり・法律が有る様に、我が家には我家の決まり・法律が有る。勿論、優先順位は我家の決まり・法律と私は教わったので、子供にも其れを教えている。

親は、何故子供を育てるか、当然、親の老後を考えて、之を口を酸っぱく子供には言っているが、この様な事を言う親は、私位と子供達は言うし、他の家は、子供の自由を優先していると言う・・・

その都度に、世間や国の決まりより、我が家の決まりが大事と、私は言い続けている。

家族、家庭の部分まで、国が介入する。又、法律が介入する、之自体が、治外法権と考える私には解らない。

色んな、価値観・考え方を、吸収できる器が国には有る筈・・・・・女々しく、この基準以外は国民で無い等々、言う国では無いと私は信じている。

逆に、器が狭く、決まった基準以外は認めないと言う為の、決まり事や法律なら、国自体の能力を疑う。

勿論、子供が言う様に、親は子供の為に、全てを尽くして捨てられて良いと考えている人も居るとは思うが、私はその様な、器は無いし、レベルの低い、親と言う事に成る。

レベルが低い親を持ったから、其れを含みで、生きて行く、之が子供の宿命だし、使命だと私は考えているし、其れが当然と私は考えている。


普通や・当然と言う部分も、各自で違う事だと言う事に成る。

我が家には我家の普通が有るし、世間にも普通が有る。・・・世間と我家の普通は違うと言う事・・・

しかし、地域の人と話すと、十年後の不安が一気に大きく成る。

誰が、地域の人達のお世話をするのか、又、地域の土地・環境の世話をするのか・・・今は、歳に鞭打ち、人様の世話には成らないと頑張っている人も、十年後は解らない。

当然、この様に強がる人は、実子にも強がっておられると思う、勿論、実子だから、感じていると思うが、鈍感なら気付かない。

若し、気付きもしない、実子なら、都会から、家族共々返って来る事は無い・・・誰が全てを世話をするのか????之が問題に成る。

特に都会に住む人は直ぐに法律を持ち出す。荒れ放題に成る、田畑、家も、周りが気を使って、手を入れる事も出来ない。

荒廃した、荒れた地域に、人は集まらない・・・・将来に備える為にも、若者に期待しているし、特に、我が子には、口を酸っぱく言い続ける事が大事に成る。

一般と言われる、家庭とは我が家は違う、子供は、先人たちの思いを背負って生きるものだと私は考えている。

之が、無ければ、試験管ベービーと同じ・・・・家と言う環境で、大人に成ったなら、家に対しての恩が有る筈。又、地域で育ったなら、地域に対しての恩が有る。

家や。地域も、歴史の積み重ねに成る。簡単に書けば、先人の思いに答える。之が現世に生きる、人に与えられた、使命である。

ヤトイ・・児具が出来た。

今日は、時間の合間に、内職の最後の仕上げ・・・穴の皿加工・・・この部分が、肉厚が薄く、皿を大きくすると、穴の寸法まで変わる、その為にギリギリに成るし、周りの壁を避けて、加工する事に成るので・・・・

商品を滑らせて、加工する、為に、ヤトイを作った・・・皿加工が、一本で十ヶ所を超える、滑らせながら、穴のセンターに、皿加工の為の、ドリルを降ろす・・・

良い感じで、出来た。

内職だが、加工時間を短縮する・・・特に機械を使えば電気代も掛る。私の体の代金は暇の時にしているので、余り考えていない。

唯、仕事をする上で、使う、お金、この部分は最小限にしたいと考えている。

しかし、この仕事が、又、私の中に有った、忘れかけていた、価値観を思い出させている。

製造する仕事、時間は金なりで有る・・・・失敗すれば、取り戻す為に、十倍ほどの能力と費用を伴う。
失敗しない様に慎重に時間を掛けてしていれば、単価に対して、合わない・・・

一時間、失敗もしないで、仕事をして、幾らの加工単価か???・・・・千円を超えるが、之では商売に成らない・・・この様な、仕事が話を聞くと有るようだ・・・

企業・会社がする。動く場合、お金が多大に掛る。

最近、トイレの、水タンクの弁関係を、二つ交換したが・・・定価でのパーツ代が千円程度・・・之を、業者と言っても、会社が運営している。修理人を呼べば、幾ら請求されるか???

当然、一万円を超えると思う・・・しかし、考えようでは、その社員に幾ら、会社は一日、稼いでもらわないと????最低でも四万円と成れば、この様な修理を一日、四件する事に成る。
現実に其れほど仕事が有るか???

結局は、仕事も、経済原理に元ずく・・・仕事は有るが、それでは会社の維持が出来ない・・・こんな仕事が多々ある。

しかし、最近は、クールに商売に成らないと、辞める方向に成っている。

この事は、仕事は有るが、する人が居ない事に成る。

結局は、庶民が困る方向に向かうと言う事・・・・高い単価で仕事をする人は居るが、一寸した事も、当然お金が必要に成る。

消費者も、技術等々の、商品知識・修理・メンテ等々も、出来る、この様な方向に向かう事に成る。
当然、お金が有れば、済む話・・・・
自分で、管理出来る商品程度に留める、之も、貧乏人の知恵に成る。

第一線も色々有る・・・

私は無知なので、第一線と聞くと、直ぐに格好良い方向のイメージをしてしまう。

言葉で、第一線で活躍、等々有るが、この第一線の意味を考えると、辞書等では、最前線という、戦争での、敵と相対する場所と言う意味に成っている。

敵と、現実に戦う場所を第一線と言っている事に成るが・・・血みどろのけして綺麗で格好良いイメージとは無いが、何故か、格好良いとイメージしてしまう、私の無知さが有ると言う事に成る。

何故、格好良さを、イメージしてしまうのか、敵と戦う之が格好良いと感じているのか???・・それとも守るべきものが有ると、必死に戦っている???・・・色んな意味が有ると思うし、各自のイメージでも変わる部分だと思います。

しかし、何処でと言う場所も有るし、持ち場も有ると思う・・・其れに時・時期が有ると思う・・・

私は無知なので、直ぐに格好良さを考える、この事は、場所を限定してしまうし、又、その場所も目立つと成る。時も同じで、考えている事に成る。

しかし、良く考えると、第一線も各自で違う・・・・私は、家族を守る、之が第一線だと考えている。
格好良さという点で言えば、普通の事に成るし、普通を評価する人も少ない、しかし、私のレベルだと、家族を守る、之も戦いに成るし、戦争で例えれば、最前線で、利他の為に戦っている事に成る。

本来、この様な第一線や最前線で戦う、格好良さは、利他と言う部分が有る為・・・しかし、最近で
は、言葉に箔を付ける意味で、使っている場合が多い・・・その為に、私はと言う、利己の為の行動にも、最前線等々の単語を付ける、方向性が有る。


私は、レベルやポジションと言う、言葉を良く使うが・・・向いている方向・・・距離感・・時間的間、等々、その様な部分で、事を考えているし、物事を考えている。

仮に、親なら、子供を守ると成れば、どの方向に視線を向けるか、当然、周りに敵が要ると言う前提で・・・・当然、子供に背を向けていると思う・・・・

又、力のレベル等々で、子供との距離感も有ると思う・・・

現代は、アイドルに対するファーン的、振る舞いが、守や味方と言う考えが有る。
之を基準で考えると、先に書いた行動は、有り得ない行動だし、無礼な行動と思える。

本来、戦争で使う、言葉、結局は、守るべき人から遠く離れて、血みどろな戦いを行っている・・・目的、思いの部分は遠くに有るが、目の前の現実と、戦っている、之が人と言うものだと考えている。

しかし、この様な部分を、我が子に語っても、フ~~~で終わる・・・この部分が悲しい、

他が為に戦う、之を解ろうとしない・・・現代の教育に私は、疑問が有る。
又、この感覚が無い人が、簡単に第一線で等々を言う・・・・

私は、三流市民なので、今の場所しかないし、今、見える範囲が現実だし、その中でも多々、第一線と言う場所も有るし、又時も有る。
勿論、勇気も必要だし、其れが無い私は、逃げたいと直ぐに心が囁く・・・之が有るので、見て見ぬ振りをする、傾向性もある。

私には、第一線での血みどろの、行動が、出来る自身も無いし、之を格好良いと評価する人も居ないし、自分自身の心にも無い・・・・劣っている人間だと考えている。

この様な事を、簡単に出来る人が、優秀だし、リーダー資質が有る人と成る。

有る先輩が言われていたが、自分の血を分けた、子供や親さえ守り切れない、この様な人が、対外的、大きな組織・人を守れる訳が無いと・・・・

自分の分を知り、先ずは目の前の部分を守り抜く事、之が出来れば、当然回りも行っているので、世の中は良く成ると・・・この部分さえ、放棄し、逃げる人が多い、之を隠す為に色々な事柄が発生している。

虫や、小さな力が無い動物さえ、自分の範囲内で、誰も気づかないと言う事は、迷惑を掛けず、命のバトンを繋いでいる。

之が、何故、人間には出来ないのか???・・・・知能が高いから出来ないなら、知能の意味が解らなくなる。

友からのお誘いの電話・・・御免なさい・・

昨晩、RCコースへのお誘いの電話が、裕君から有った。

事務所の二階で・・・焼酎を煽って、寝ていた・・・・

嫁もお誘いで、出掛け、帰って来ているが、今度は長男が、職場の仲間と飲み会、当然、小遣いをせびりに来ていると思う・・・・

自分の住まいに変えるより、実家が都合が良いし、お腹に少し、入れる食事をして、風呂に入り、嫁が送って行った様だ・・・

嫁は喜ぶ、何時までも頼って来る可愛い、子供達を考えているが・・・

昔は、私も余り、気にもしていなかったし、嫁に指摘して、喧嘩するよりマシと考えていたが・・・

歳と共に、力の衰えを感じる様に成ってからは、気に成る・・・ポイントに成る。

勿論、この様な、状況を見たくないと、家から離れ、遊び回る。之も経験し、続けていたが、何の解決にも成らないし・・・この状況を可能にする為には、不死の生命が必要だし、家族が求める稼ぎを永遠に続ける、之が求められるが、現実の私には、無理だと解り・・・出来るだけ、家に居ようと考えている。

結局は、物事からの逃げ、之が結果として、今に成っている事に成る。

子供や嫁が、言う言葉は、私には、夢や天国的・・と思える。
しかし、彼らの思想の底辺には、マスコミ等々の情報で得た、基準が存在し、其れを叶えないレベルの父親と成っている。

当然、努力をすれば、一瞬程度なら叶えさせる事が出来るが、其れを永久にと言う、発想が有るし、何度も書くが、人・生物は「生老病死」の四苦から、逃げる事が出来ないと私は考えているが、
全てが、永遠に一定と言う価値観が、底辺に有る、家族の発想が私には解らないので、酒を煽って、寝ていた。之も、逃げに成る。

勿論、家族の価値観に準じる、価値観が私に有れば良いが、結果的には家族の中でも異端時に成る。

何時も思うのがこの部分、家族と言う集団を守りたい、先に発展させたいと言う、気持ちが有るから、色々模索し・考え、行動をする・・・結果、異端扱い・・・
居ない方が良いと言う雰囲気が有るから、遠ざかると、家族が崩壊状態に成っている。

結局は、その尻拭きをする事に成る。

私は、色んな集団に属しているし、属していたが、全てで異端児扱い・・・・殆ど同じで、居ない方が発展する等々言われるから、遠くから見る方向に向かう時が有る。

略その後は、同じ方向に成るのが、経験で解っている。

人は、同じ価値観、同士が集団を組む、之が発展すると考えている。しかし、大きな間違いが最初に有る。人各々価値観が違う・・・之を忘れて、近い事を同じと考えてしまう。

大きく価値観の違う人を排除すれば、当然、小さな違いが気に成りだす。

集団を形成する時の考えの基本の間違いが、有るので、最後は、些細な事で、喧嘩、中違いを起こす。

夫婦でも同じ・・・近づけば近づくほど、些細な部分が気に成る。

千差万別の人が要るし、多彩な価値観が有る、之が人の数かる・・・この様な違いを認めたうえで、如何、集団化させるかを、模索・考える人が、リーダーと言う存在に成る。

逆に、同じ価値観、勿論、俺の価値観に準じる集団を作ると言う考えが、お山の大将的、考えに成る。

この考えに属しているのが、私の父に成る。リーダーだから偉い、偉いから、上げ膳・据え膳をして貰える立場、この基本が有るから、些細な事で、怒り出す。

この父の子供が私、その為に、三流以下のレベル・身分だと考えている。
この部分を変革させるには、知識が必要に成るし、知恵が大事に成る。この部分を学びたいと考えているので、色々頑張っている。


結局は、中心者の思いに成る。
何を望んでいるか、優先順位が有る筈、勿論、中心者なら何が大事かは解る筈。

家族の中心者なら、自分より、家族が最初に来る。

この部分に、体裁や格好・・之も自分が・・・と成れば、その集団は中心者の為の集団と言う事に成る。

今、伺える、RCコースは、少ない・・・他は中心者らしい人から、来るなと言う雰囲気の言葉を言われたので、行かない方向にしている。

しかし、この部分は、何処でも有る筈・・・浮いた存在、異端児を笑顔で迎い入れる、組織はそう多くない。

だから、今のコースは大事にしたい・・・勿論、現状の環境に即しない私・・・行く事が良いのか、悪いのか之も数年前、考えた・・・・・今は、忘れた頃に伺う、之で、どう環境が、変わって行くかを見ている。
勿論、予想は出来るが・・・人は経験しないと解らない・・・

自分の思う通りの世界は、結局は飽きるし、面白みが無くなる・・去る事に成る。

人は、良い環境で育つか???・・悪い環境で育つか???・・・・・良い環境が飽きないか??・・悪い環境が飽るか???・・・・・・

思う様に成らないから、模索し考え、挑戦を続けている、之が結果として飽きないし、続けている事に成る。

生きる事も同じ・・・生きる事に飽きない為に、どうするか???・・・之を求める時と私は考えている。勿論、何を求めるかに成る・・・この部分の、考え、価値観・哲学が、最近は誰も教えない時代に成っている。