私は無知なので、第一線と聞くと、直ぐに格好良い方向のイメージをしてしまう。
言葉で、第一線で活躍、等々有るが、この第一線の意味を考えると、辞書等では、最前線という、戦争での、敵と相対する場所と言う意味に成っている。
敵と、現実に戦う場所を第一線と言っている事に成るが・・・血みどろのけして綺麗で格好良いイメージとは無いが、何故か、格好良いとイメージしてしまう、私の無知さが有ると言う事に成る。
何故、格好良さを、イメージしてしまうのか、敵と戦う之が格好良いと感じているのか???・・それとも守るべきものが有ると、必死に戦っている???・・・色んな意味が有ると思うし、各自のイメージでも変わる部分だと思います。
しかし、何処でと言う場所も有るし、持ち場も有ると思う・・・其れに時・時期が有ると思う・・・
私は無知なので、直ぐに格好良さを考える、この事は、場所を限定してしまうし、又、その場所も目立つと成る。時も同じで、考えている事に成る。
しかし、良く考えると、第一線も各自で違う・・・・私は、家族を守る、之が第一線だと考えている。
格好良さという点で言えば、普通の事に成るし、普通を評価する人も少ない、しかし、私のレベルだと、家族を守る、之も戦いに成るし、戦争で例えれば、最前線で、利他の為に戦っている事に成る。
本来、この様な第一線や最前線で戦う、格好良さは、利他と言う部分が有る為・・・しかし、最近で
は、言葉に箔を付ける意味で、使っている場合が多い・・・その為に、私はと言う、利己の為の行動にも、最前線等々の単語を付ける、方向性が有る。
私は、レベルやポジションと言う、言葉を良く使うが・・・向いている方向・・・距離感・・時間的間、等々、その様な部分で、事を考えているし、物事を考えている。
仮に、親なら、子供を守ると成れば、どの方向に視線を向けるか、当然、周りに敵が要ると言う前提で・・・・当然、子供に背を向けていると思う・・・・
又、力のレベル等々で、子供との距離感も有ると思う・・・
現代は、アイドルに対するファーン的、振る舞いが、守や味方と言う考えが有る。
之を基準で考えると、先に書いた行動は、有り得ない行動だし、無礼な行動と思える。
本来、戦争で使う、言葉、結局は、守るべき人から遠く離れて、血みどろな戦いを行っている・・・目的、思いの部分は遠くに有るが、目の前の現実と、戦っている、之が人と言うものだと考えている。
しかし、この様な部分を、我が子に語っても、フ~~~で終わる・・・この部分が悲しい、
他が為に戦う、之を解ろうとしない・・・現代の教育に私は、疑問が有る。
又、この感覚が無い人が、簡単に第一線で等々を言う・・・・
私は、三流市民なので、今の場所しかないし、今、見える範囲が現実だし、その中でも多々、第一線と言う場所も有るし、又時も有る。
勿論、勇気も必要だし、其れが無い私は、逃げたいと直ぐに心が囁く・・・之が有るので、見て見ぬ振りをする、傾向性もある。
私には、第一線での血みどろの、行動が、出来る自身も無いし、之を格好良いと評価する人も居ないし、自分自身の心にも無い・・・・劣っている人間だと考えている。
この様な事を、簡単に出来る人が、優秀だし、リーダー資質が有る人と成る。
有る先輩が言われていたが、自分の血を分けた、子供や親さえ守り切れない、この様な人が、対外的、大きな組織・人を守れる訳が無いと・・・・
自分の分を知り、先ずは目の前の部分を守り抜く事、之が出来れば、当然回りも行っているので、世の中は良く成ると・・・この部分さえ、放棄し、逃げる人が多い、之を隠す為に色々な事柄が発生している。
虫や、小さな力が無い動物さえ、自分の範囲内で、誰も気づかないと言う事は、迷惑を掛けず、命のバトンを繋いでいる。
之が、何故、人間には出来ないのか???・・・・知能が高いから出来ないなら、知能の意味が解らなくなる。
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