2021年4月25日日曜日

孫が・・・入院・・・・

 四男が来訪・・・母の法事と思っていたら・・・車を借りに・・・・

孫の熱が引かない・・・4日ほど続いているとの事・・・何故、病院に診せていないのか・・・先週、孫の怪我で、通院していたが・・・その時には症状が無かったとの事・・・・

一歳を超えているが・・・これからが色んな、感染症にかかる時に成る。

他の兄弟たちは・・・原付スクーターで身ごもの妻に赤子を背負わせ、三人乗り・・腹の子まで合わせると、4人乗りで、何故、病院へ行かないのか等々、言っていた・・・

私が幼いころは、周りは全てこの様な方法で病院に向かっていたし、緊急事態・・警察も黙認していたが・・・

田舎は交通の便が悪い・・・公共の乗り物等も、限定される・・・・当然、病院・特に大きな病院へ迄の距離も有るし、タクシー等では金額的に無理と言う人も多い・・・

四男も何故、歩いて数分の嫁の里を頼らないのか????・・・・・

又、日頃接している、親族が居るのに、気付かないのか????

今日も、我家に、息子達、家族が集まったが、私は、一人一人の変化を注視していたし、少し痩せ・やつれた等々・・・気を掛けるのが、家長の務めと私は考えている。

四男家族は、私の思いと違う方向に向かった。当然、昔なら勘当と言う事に成る。

その際、来訪された、若嫁の父親に、今後は、其方でお願いいたしますと、私は頭を深く下げている。

要は、手を出せなくなるので、そちら側の指示で動いた彼達を、任せますと言う意味に成る。

私達夫婦も、若くして子を授かった・・・子供の異変に対して、経験がない私たちに、的確な指示をしてくれた母が居たから、子育てが出来たと私は思っている。

熱が高い、これは脳に障害を残す可能性も有るので、二日も続けば、本来、病院に行く・・・頭の温度を下げる等々の処置を取る事が大事に成る。

特に、子は強い、少々の熱でも動き回る・・・その為に、抱いた時等々に、確りと監視する気持ちが無ければ、見落とす。

経験者が祖母に居るのに・・・と・・私は、思うが・・・最近の核化が、その様な繋がり、気の使い方等々も無くしているように思う。

四男から連絡・・・入院に成った・・・RSウィルスによる、肺炎に成っているとの事・・・肺炎に成るまで、放置した・・・・若い夫婦なので仕方がない、又、経験が乏しいの仕方がないと、言われる時代だが・・・・本来、この部分が解っているなら、解る人が常時側に居る事が、求められると思うが・・・子より、己達の自由を優先する現実が有る。

子より、己達・・・当然、己達に成れば、少しの諍いで、別れると言う事にもなる。

己達と言う、事は・・・・己が大事と言う事・・・達と言う言葉を付けて、複数形にしているが、思いは、己が再湯煎と言う事を意味していると私は考えている。

家の為・親族の為・・家族の為・・子の為と言う、順序が後回しに成っている。

現代の教育は、己が大事と言う教え方に成っている。

己以上に大事な人を求めていないと言う事にもなる。

この様な価値観で、結婚・子育が出来るのか????私は疑問が有る。

何故、キツイ・苦労する方向と判っているのに、進むのか????責任と義務が有ると言うと、苦に思うが、使命と思えば、気が楽に成る。

本来、家と言う括り・一族と言う括りが、この様な幼い・未経験者を保護していた・・・勿論、保護とは、一個に側が良くなる、責任の所在が判る状態が、良い・・・

私は、勘当し、嫁里の父親に頼んだ・・・責任はそちら側でと言う事に成るが・・・何故か、若夫婦の勝手、自由と言う理屈に成ると思う・・・・

耳障りの良い、言葉だが・・・・本来、背金が有るから、しらがみを感じさせる・この部分が嫌で、自由と言う言葉で、離れていく・・・・

何か、有れば、自由を謡っている。人に多いのが、何か問題が起きると、各自の自由。俺は関係ないと言うスタンス・・・・

無知で、経験の無いと解っている人達を、自由と負う言葉で扇動する。

当然、各自の思い、無知が問題を起こす・・・それに対して、勝手に振舞った結果、俺は関係ないと言う・・・・その方向に扇動する人達に、多い方向性に成る。

要は、教育の賜物・・・何を教えているかに成る。

人は、人と人との繋がりで生かされている。集団と言う単位に生かされていると言う事・・・之を否定するような教えがなされている。

先に書いた、しらがみ・・・・以前も書いているが、柵と書いてもしらがみという・・・人は己の欲で流されるし、溺れる・・・それを、受け止める柵まで、否定するような教育を受けている。

勿論、急流でも泳げる、実力が有るなら良いが、それを目指し、それ以外は無いと言う、教えに成っている。しかし、多くの人が己の欲に押し流されて行く・・・それを受け止める柵私は必要だと思うが、現代は、それさえ否定する方向の教えに成っている。

勿論、日本国は優秀で、一流の人が多いと思うが、全てでない・・・その中の一人の私は、三流だし、劣っている・・・この様な人間に必要なのは???・人様の配慮に成る。

この配慮さえ、尊宅と言う言葉に変え、否定する方向に向かっているし、差別等々と言われる部分に成っている。

子育ても、結婚も、経験者・熟練者で無ければ、無理と言う世界に向かっている。

未経験者は、当然、出来ないと言う事に成る。



無事終了・・・・

 母の13回忌法要・・・無事終了・・・・

叔父・叔母孝行が出来たと思っているし、何より、母の為に集まって頂いたことに感謝している。

準備が上手にできる・・・我が家の恥にもなるし、当然、家長代理といての私の責任にもなる・・・しかし、嫁と私、二人で、頑張っても時間的、余裕が無かったし、多くの手が必要な行事、下働きが居ない、結果、色んな動きが出来ないと成る。

叔父から、家長なら、じっと座って、待てと言われたが・・・・私は、今までこの様なポジションの経験が無いので、如何しても、裏方側の振舞い方をしてしまう。

之も母が教えた事・・・勿論、父は何を出来なかったし、知らなかった、何時も上座に座る立場と思って、又は育てられている。

要は、下々が行う事などの経験がない・・・この部分を母は、私に仕込んだ思う。

要は、料理人が居ないのに、食べ手だけが多々居る、状態はバランスが悪い・・・下働きの事は、解る私だが、一人では無理な部分も多々ある。

送迎・・・当然、食材等々の引き取り・買い出し・・・・客の応対に、嫁と二手に分かれるが・・・座り手が居ない・・・本来は家長と叔父は言ってくれたが・・・それが不在・・・

勿論、息子達、特に若嫁に言いたいと思うが・・・現代は、実親からも色々言われたことが無い、指示・依頼等々を、受けた経験も少ない・・・・

結果、私の言葉の取り方が・・・・現代だと怖いと嫁が言うので、黙ってるが・・・・

しかし、これも現代の流れかもしれない、この様な行事・・・・本来は葬儀さえ、自分達で行っていた、特に、地域・隣組が下働きを賄ってくれて、我家での葬儀が昔は一般的だった。

しかし、地域社会の繋がりが薄くなり、下働きの担い手が居ない現実に成り、この様な行事をイベント屋・・・冠婚葬祭業と言われる仕事を作り出している。

当然、法事等々も、業者に依頼する、流れに向かうと思う。要は、お金が全てになる。

些細な行事もお金次第と言う事に成る。

叔父達の年代が、ギリギリと思う。この様な部分が大事と教わった年代が、後継者にギリギリ居る・・・・勿論、我家でも同じ教育を受けたと思うが・・・妹は、価値を見出せずに負参加した。

叔父・叔母の子供達も、妹と同じ様な考えを持つ、人も居る。

しかし、少数だが、大事だと思って・・・行動を起こしてくれる従弟たちも居る。

しかし、私達年代が、高齢に成り、車の運転も出来なくなった時に、兄妹の伴いに、行く事も出来ないと成れば、私は悔いしか残らないと思う。

何故か、己は自立した立派な人間と思っている人に、この様な方向性の人が多い、勿論、今はその価値観でも良いと思えるが・・・将来、老いて、身動きが出来なくなってきたら・・人の手を欲しいと思わなければ、良いが・・・人間なら、思うと思う。

若し、身内が居なければ、国と言う部分に不満を持つことに成る・・・・

国が全ての高齢者の扶助をする、当然、国も破綻する。

本来、後継者がこれを行う事が、普通と言う価値観で、作られたシステム・・・システム自体が崩壊する事にもなる。

国が色んな手段を使って、情報を流す・・・しかし、それを捉えきれる能力が無くなれば・・・誰かが名代と成って、振舞う事に成るが・・・・この部分も居なく成れば・・・

簡単に書けば、孤独死と言う事にもなる。

今、話題の、感染者の自宅待機・待機中に病状が急変して死んでいた・・・高齢者はこれがいつ起きるかも分からない・・・人は一人では生きられない・・・しかし、一人で生きれると妄想を抱いて、自立した、一人で生きれると勘違いを起こす、時期が有る。

この流れで、進めば、将来、どうなるか????・・・当然、想像が付くと言う事・・・一人寂しく、孤独死と言う事に成る。

要は、死の瞬間、死と言う一瞬の時は、一人である。

しかし、それまでの時間が、人で違う・・・一瞬に死と成る人も居る・・・基本・事故死に近い・・・死に向かうまでの時間、生まれた時からだが・・・・どの位、一人で居る事が出来るか????これも人で変わる。

私は、幸せで死を迎えたいと考えている。

その為に、何が必要か????・・・お金・資産・財産・・・私は人だと考えている。

遅くなったが、5人の息子、4人は集まってくれた。長男は、朝仕事前に来てくれたので、5人参加したと言っても良いと考えている。

母は喜んでいると思う。






哀れ・・・アッパレ

 先のブログに書いているが・・・哀れ・・・

私は、同情を求めての哀れが、現代は多くなっている様に見える。

要は、被害者として振舞う人・・・

勿論、物事には被害を得る人も居る。

パチンコと言う場所でも・・・勝人・負ける人が存在している。

しかし、勝つ事・負ける事に対して・・・・負けたと言う事が被害者に成るのか????

若し、この発想なら、勝人は加害者となる。

要は、この様な負けたから被害者と言う価値観を持った人を見ると、哀れと私は見える事に成る。

要は博打・・・昔は、人間以下と言われていたし、その世界で生きる人は己を、日陰の存在と言っていた。

要は、お天道様の下を歩けない、人生と言う事を己で、言っていたし、その様な人は、己分を知っているし、私はアッパレと思う。

アッパレ・・漢字では天晴と書く・・・

清々しいと言う意味に成るが・・・・私の捉え方は・・・・負を背負って、必死に藻掻いているが、決してその現実に負けず、前の進み続ける、心意気を私は天晴と捉える。

見え方は、哀れとよく似ている・・・しかし、心意気が違う・・・・

負に対して、挑戦する・・それで身を滅ぼしても良いと言う覚悟・・・・天晴だと私は思う。

しかし、負に対して・・それから逃げる為に、努力する、又は、被害者と同情を求める・・・同じ様に見えるが・・・思いが違う方向に成っている。

本来、日本人は、天晴な生き方に憧れを持っていた。

しかし、戦後、この価値観を、撲滅しようと言う流れが出来た。

その為に、現代人は、負に対して、あえて俺が背負うと言う考えを持たない・・・・俺の部分で、終わらせる・・この覚悟も無い・・・

要は、負を無くす努力をする人が居ないと言う事・・・・負を放置し逃げ続ける・・・若し負を背負うと成ると、強制されたと無意識に思ってしまう、価値観に成っている。

要は、哀れな生き方が、良いと思っていると言う事・・・・

若し、多くの物を手に入れ・・・多くのお金を持っている・・・しかし、資産・財産が有っても人は死ぬ・・・・

哀れな生き方を続けて死ぬか????・・・又は、天晴な生き方をして死ぬのか???

要は、後世に対して、負を残すのか・・・・負を減らそうとしたか・・・この違いが未来の違いに成る。

先の大戦で・・・天晴な戦いをした・・これが今の日本国を残したと私は考えている。

当然、戦った人は、哀れに見える・・・しかし・・何の為に・・この部分が天晴・・・徹して負けない、理由は、守るべきものが有る・・・

勝負は負けに見えるが、私は負けたとを思わない・・・

現代、人様からバカと言われる位が、丁度良いと私は考えている。

勿論、力も無いし、人様に影響力も無い・・・このレベルでも天晴な生き方が有ると私は考えている。

母が言っていた・・・何度も書くが・・・親守・子守・家族守・家守・親族守・親戚守・地域守・等々を行って、最後に、墓守、過去の守を行って、初めて、一人前の大人と言っていた。これが出来ない状態の時に、己守に走る、人間は、鬼畜と言っていた。

私は、己守を優先する、教育を受けていたので、中々、母が言う事が解らなかった。

しかし、鬼畜の命が有ると言うのは、理解していた・・・人を蹴落としても先に行きたい・・・何の為か???・・・この様に考える様になって、母が言って居た事を少しづつ解りだした。

私の価値観は、己は留まり、それで勝、要は、人を落とす価値観しか教わっていないと言う事・・・勿論、己は努力したと思っていても、現実は、違う・・単に行動した・・これで良い結果か・勝つ事が出来るか???・・出来ない・・周りを蹴落とす事が、己で出来ないから、今度は被害者として振舞う・・・哀れさを利用し、同情を得る。

何も創り出さない・・・要は、人様に負を背負わせている事に成る。

要は、チンピラのカツアゲの方法が違うと言うだけに成る。同じ、利を得たい・・勿論、少ない苦労で・・・・その策が違うと言うだけに成る。

哀れと私が見える理由に成る。

奪う・奪われる・・・・・与える・与えられた・・・・現象は同じだが・・・・哀れ・天晴の違いに成る。


朝から大騒動・・・・

 私一人だが・・・5時半から、仕事車を洗い・・・送迎の準備・・・息子達が担ってくれる確率が低い・・・・

又、ほとんど使わない・・・座敷と次の間・・・当然、玄関も色んなもので散乱しているので・・・・大きな物は、倉庫等に移動している。

7時からは嫁が参加して・・・・掃除等を行っているが・・・・口から出るのは愚痴・・・・本来なら、若い若嫁たちが、行う部分・・・勿論、これは我々世代だと、当然と私の場合行って居た事・・・・

下働きに汗を流し・・・親の指示に従う・・・・勿論、費用等も賄うのが、一人前・独り立ちしたと成った、大人と私の場合、教わっていた。

しかし、現代の一人立ちは、負からの逃避・逃げに私は見える。

卑怯だし・哀れと私は思う。

この部分の私の価値観は、次のブログに書こうと思うが・・・・

取り合えず、事を進める為に、汗を流すが・・・三流の私だと、不備が多々あると思う・・・・之も、経験が無いのと、無知が原因・・・・

息子達は、経験から逃げ・無知を埋めようともしない・・・・哀れと思う。

勿論、私の感覚、哀れの捉え方も各自で違うと考えている。

10時から行う、母の13回忌が無事に終わる事を、願って頑張る事に成る。

勿論、私のレベル、バタバタする事に成ると思う。