先のブログに書いているが・・・哀れ・・・
私は、同情を求めての哀れが、現代は多くなっている様に見える。
要は、被害者として振舞う人・・・
勿論、物事には被害を得る人も居る。
パチンコと言う場所でも・・・勝人・負ける人が存在している。
しかし、勝つ事・負ける事に対して・・・・負けたと言う事が被害者に成るのか????
若し、この発想なら、勝人は加害者となる。
要は、この様な負けたから被害者と言う価値観を持った人を見ると、哀れと私は見える事に成る。
要は博打・・・昔は、人間以下と言われていたし、その世界で生きる人は己を、日陰の存在と言っていた。
要は、お天道様の下を歩けない、人生と言う事を己で、言っていたし、その様な人は、己分を知っているし、私はアッパレと思う。
アッパレ・・漢字では天晴と書く・・・
清々しいと言う意味に成るが・・・・私の捉え方は・・・・負を背負って、必死に藻掻いているが、決してその現実に負けず、前の進み続ける、心意気を私は天晴と捉える。
見え方は、哀れとよく似ている・・・しかし、心意気が違う・・・・
負に対して、挑戦する・・それで身を滅ぼしても良いと言う覚悟・・・・天晴だと私は思う。
しかし、負に対して・・それから逃げる為に、努力する、又は、被害者と同情を求める・・・同じ様に見えるが・・・思いが違う方向に成っている。
本来、日本人は、天晴な生き方に憧れを持っていた。
しかし、戦後、この価値観を、撲滅しようと言う流れが出来た。
その為に、現代人は、負に対して、あえて俺が背負うと言う考えを持たない・・・・俺の部分で、終わらせる・・この覚悟も無い・・・
要は、負を無くす努力をする人が居ないと言う事・・・・負を放置し逃げ続ける・・・若し負を背負うと成ると、強制されたと無意識に思ってしまう、価値観に成っている。
要は、哀れな生き方が、良いと思っていると言う事・・・・
若し、多くの物を手に入れ・・・多くのお金を持っている・・・しかし、資産・財産が有っても人は死ぬ・・・・
哀れな生き方を続けて死ぬか????・・・又は、天晴な生き方をして死ぬのか???
要は、後世に対して、負を残すのか・・・・負を減らそうとしたか・・・この違いが未来の違いに成る。
先の大戦で・・・天晴な戦いをした・・これが今の日本国を残したと私は考えている。
当然、戦った人は、哀れに見える・・・しかし・・何の為に・・この部分が天晴・・・徹して負けない、理由は、守るべきものが有る・・・
勝負は負けに見えるが、私は負けたとを思わない・・・
現代、人様からバカと言われる位が、丁度良いと私は考えている。
勿論、力も無いし、人様に影響力も無い・・・このレベルでも天晴な生き方が有ると私は考えている。
母が言っていた・・・何度も書くが・・・親守・子守・家族守・家守・親族守・親戚守・地域守・等々を行って、最後に、墓守、過去の守を行って、初めて、一人前の大人と言っていた。これが出来ない状態の時に、己守に走る、人間は、鬼畜と言っていた。
私は、己守を優先する、教育を受けていたので、中々、母が言う事が解らなかった。
しかし、鬼畜の命が有ると言うのは、理解していた・・・人を蹴落としても先に行きたい・・・何の為か???・・・この様に考える様になって、母が言って居た事を少しづつ解りだした。
私の価値観は、己は留まり、それで勝、要は、人を落とす価値観しか教わっていないと言う事・・・勿論、己は努力したと思っていても、現実は、違う・・単に行動した・・これで良い結果か・勝つ事が出来るか???・・出来ない・・周りを蹴落とす事が、己で出来ないから、今度は被害者として振舞う・・・哀れさを利用し、同情を得る。
何も創り出さない・・・要は、人様に負を背負わせている事に成る。
要は、チンピラのカツアゲの方法が違うと言うだけに成る。同じ、利を得たい・・勿論、少ない苦労で・・・・その策が違うと言うだけに成る。
哀れと私が見える理由に成る。
奪う・奪われる・・・・・与える・与えられた・・・・現象は同じだが・・・・哀れ・天晴の違いに成る。
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