RCドリフトの趣味・・・このジャンルで何を表現するか????・・・・この部分が、各自の考えで変わる部分に成る・・・・
ドリフトは、表現と言うジャンル・・・他のスピード等を競うジャンルと違う部分に成る・・・
勿論、競技会等では、審査の為に、形が決められる・・・この部分は仕方が無いと思うし、主催者の考えでも変る部分に成る・・・・
私は、下手の為に、大会等は考えていないし、そのレベルでも無い、単純にRCを走らせる、この部分の楽しみを求めている・・・
もう歳も考え、現実の実社会で、荒い運転も実車だと出来ないし、若しもの事が考えれば、到底出来ない・・・
この部分も、危険だが、人様に危害を加え難い、RCカーの世界の魅力でも有る・・・
勿論、この部分に甘えて、危険な事が許されているとは思わないが・・・
与えられた、環境の中で、個人的には走行を楽しみ・・・・その行動が結果として、車の表現に繋がると私は考えている。
結論は、私の個性、キャラクター・人生までをも、表現できれば幸せだと考えている。
勿論、人様かが憧れられる、人生でないし、笑われる人生だが、私には大事な人生だし、歴史になる・・・・
之を、ドリフトで表現できる様に成る、之が私の夢でも有る・・・
この様に考えているから、見栄や飾る、この様な自分の欲を車から無くし続けている・・・この方向が簡単なら、私はしない・・・・心が難しく拒絶もするし、現実の操作も難しい~~と叫びたく成るが・・・それでも、この方向性に、挑戦している・・・
周りの、昔の仲間等からも、何時も言われている部分、何故、楽で、簡単な方法を知っていて、其れを使わないのか????、之が私の個性と成る・・・・
基本、他の車に勝ちたい等々の、競争心は無い、勿論、走行中に前に車が居れば、本能部分が出てしまうが・・・・その様な方向に長けている車で無いので、結果は、予想している・・・・
今、私が考えている部分は、七転八倒の走り、之を目指している・・・・
失敗も楽しいし、格好よく私は感じ出している・・・以前はツルリの失敗、之はオモチャ・・・
この様な考えなので、コースの周りからは、ジャンルが大きく違う、と言われている、勿論、車の挙動、動きも違う・・・しかし、其れが私には格好よく感じるし、失敗を多々しても、快感に成る、その為に、走らせていて、楽しいと思える・・・・
RCドリフトは、表現と教わった・・・何を表現するか、この部分も各自の考えだと思う・・・
唯、私は、自分の表現に対して、自分で評価している・・・・他人の評価が良くても自分が楽しくなければ無意味に考えている・・・・
先ずは、走行が楽しいと思える車を作る事・・・私の場合,この方向が操作を非常に難しくする方向だった・・・難しい車で、どう表現できるか、之が今の醍醐味に成っている・・・・
車は走り過ぎると、車が勝手に表現する、誰が操作しても同じとなる・・・
私の車は、技量次第で、如何にでも成る・・・子供さんもグリップ走行なら出来る・・・後は操作側の技量・個性で、車が動き、表現し出す・・・
この様な車が、私は面白いと考えている・・・・人の個性が車から直ぐに出る、こんな面白い車は無いと考えている・・・・
この考えになる、車に対して、何の欲が無く成って来た・・・タイヤも何でも良いし、出来ればスピードが遅い、之で十分と思える様になった・・・
タイヤはスピードを合せる為と、周りでは言われている、この合せる。何にと私は考えている・・・
速い車が好みの人も居る・・・遅い車が好みの人も居る、要は、速い車が遅い車に合せた操作が出来れば、良いこと・・・・速い車は、遅く走れないと成れば、仕方が無いが、現実の一般公道を見ても、速い車でも、高齢者マークを付けた車に対応している・・・
之と、一般のコースは同じ・・・・速い車は、止まる側にも強い筈。之が基本、この止まる事を考えていない車は、常識知らずとなる・・・・
規格、基準など決めてしまえば、その狭い範囲が好みと言う人しか残らない・・・・
コースに伺う、之を最近は行っていないし、異端児の私が居れば、迷惑で・・色んな個性も集まらないと考えて、出来るだけ伺わない方向にしている・・・・
RCドリフターが増える、之も私の、主題になる・・・・色んな価値感・個性を認め、増え続けていると私は願っている・・・・
コースがドリフターで、一杯、この様に成らなければ、コース運営側も大変に成る・・・・
走る楽しみが解ってきたので、コースが無くなる、悲しい事に成る・・・
2017年7月11日火曜日
社会教育・・・・
親が子供に色々教えても、結果として、今の社会の風潮が、大部分の価値観に影響している・・・
社会教育、社会の中で学ぶ部分に成る・・・
又、価値観で、何を学びたいかも変る・・・
人が興味をそそる・・・このキーワード・・・
「楽に儲かる」「損しない選び方」この様なキーワードには耳を傾ける方向性が、有る・・・
逆に、「苦労する生き方」「毎日が汗だくの人生」・・・誰も耳を貸さない・・・
結局、大事に育てた子供達も、この社会の中で、色んな事を学んでいる事に成る・・・
簡単に書けば、悪知恵を教えて学ぼうとする、方向性が強いと言う事に成る・・・
扇動や誘導に弱い、人を育てている事に成るし、この弱い価値観を持たせた事に成る・・・
此処に、4つの皿があり・・・一つに毒が入っていると成った場合、毒を取らない為の知恵を得ようとする・・・・この究極の判断で、物事を組立てる、話術に弱いと言う事に成る・・・
この部分で、何故、毒が入っている物を選ばないかを考えれば、死にたくないからに成る、しかし、誰かが其れを選べば、その人が死ぬ・・
生命の重さの考え方に成り出す・・・・若い子供達が多く、歳を取っている自分が居るなら、自分が取る之が利に加成っている・・・・
結局、誰かが、被害、損する事なら、先ず自分がと考えて、その後に自分の立場等々を考える方向が本来だと考えている・・・
しかし、社会で習っている事は、損をしない方法・楽に得する方法が蔓延している・・・・
仮に、目の前に、老婆が手を上げている・・・・誰かが手を貸す事に成るが・・・・
若し、知人なら、先ず自分と成るし、若し親なら尚更に成る・・・・
この部分で、手を貸さなくても、国がしてくれる、行政がしてくれると誰かが知恵を付けている・・・
こんな状況なら、老婆が困っているのに国は何をしている、行政の怠慢と、騒ぐ方向に向う・・・
誰しも、自分の立場、責任は気付いている、しかし其れを忘れさせる、知恵を与える環境が有ると言う事になる・・・
之に慣れてくれば、最後は、責任転換の嵐が始まる・・・
誰かが、損をして、苦を味わっても、責任を果たそうとしている・・・之を、現代では褒めないし、馬鹿がしていると罵る・・・・
こんな時代で、父母の面倒を一所懸命に看ている、之は、馬鹿と言われる方向性に成る・・・
私の時代は、先輩を持つことが、人生では大事、特に歳の離れている人が大事だと教わっていたが・・・・最近は同じ様な個性と歳の人が仲間と成っている・・・・
その社会性の中で、何を学んでいるか・・・・之が大事に成る・・・人の価値感・方向性まで、決めてしまう・・・・
獣の知恵を習っているか????・・・・人の知恵を学んでいるか???之が、人生の大事なポイントに成る・・・
少しは、昔の事を学ぶ、之も大事、昔、「おしん」と言う、NHKのドラマが有ったが、明治から、現代までの、人の営みが学べる・・・
勿論、ドラマ、奇麗に飾っている部分が、有る・・・・モット、汚い・酷で、貧しい時代が我が国も有ったと言う事を、知る事が大事だと考えている・・・
現代は恵まれているから、尚更人に手を差し伸べられると思うが、現実が逆に成っている・・・
環境やお金の問題でない筈、しかし、何故、この方向に向うかは、結局、人の心の問題に成る・・・・
社会教育、社会の中で学ぶ部分に成る・・・
又、価値観で、何を学びたいかも変る・・・
人が興味をそそる・・・このキーワード・・・
「楽に儲かる」「損しない選び方」この様なキーワードには耳を傾ける方向性が、有る・・・
逆に、「苦労する生き方」「毎日が汗だくの人生」・・・誰も耳を貸さない・・・
結局、大事に育てた子供達も、この社会の中で、色んな事を学んでいる事に成る・・・
簡単に書けば、悪知恵を教えて学ぼうとする、方向性が強いと言う事に成る・・・
扇動や誘導に弱い、人を育てている事に成るし、この弱い価値観を持たせた事に成る・・・
此処に、4つの皿があり・・・一つに毒が入っていると成った場合、毒を取らない為の知恵を得ようとする・・・・この究極の判断で、物事を組立てる、話術に弱いと言う事に成る・・・
この部分で、何故、毒が入っている物を選ばないかを考えれば、死にたくないからに成る、しかし、誰かが其れを選べば、その人が死ぬ・・
生命の重さの考え方に成り出す・・・・若い子供達が多く、歳を取っている自分が居るなら、自分が取る之が利に加成っている・・・・
結局、誰かが、被害、損する事なら、先ず自分がと考えて、その後に自分の立場等々を考える方向が本来だと考えている・・・
しかし、社会で習っている事は、損をしない方法・楽に得する方法が蔓延している・・・・
仮に、目の前に、老婆が手を上げている・・・・誰かが手を貸す事に成るが・・・・
若し、知人なら、先ず自分と成るし、若し親なら尚更に成る・・・・
この部分で、手を貸さなくても、国がしてくれる、行政がしてくれると誰かが知恵を付けている・・・
こんな状況なら、老婆が困っているのに国は何をしている、行政の怠慢と、騒ぐ方向に向う・・・
誰しも、自分の立場、責任は気付いている、しかし其れを忘れさせる、知恵を与える環境が有ると言う事になる・・・
之に慣れてくれば、最後は、責任転換の嵐が始まる・・・
誰かが、損をして、苦を味わっても、責任を果たそうとしている・・・之を、現代では褒めないし、馬鹿がしていると罵る・・・・
こんな時代で、父母の面倒を一所懸命に看ている、之は、馬鹿と言われる方向性に成る・・・
私の時代は、先輩を持つことが、人生では大事、特に歳の離れている人が大事だと教わっていたが・・・・最近は同じ様な個性と歳の人が仲間と成っている・・・・
その社会性の中で、何を学んでいるか・・・・之が大事に成る・・・人の価値感・方向性まで、決めてしまう・・・・
獣の知恵を習っているか????・・・・人の知恵を学んでいるか???之が、人生の大事なポイントに成る・・・
少しは、昔の事を学ぶ、之も大事、昔、「おしん」と言う、NHKのドラマが有ったが、明治から、現代までの、人の営みが学べる・・・
勿論、ドラマ、奇麗に飾っている部分が、有る・・・・モット、汚い・酷で、貧しい時代が我が国も有ったと言う事を、知る事が大事だと考えている・・・
現代は恵まれているから、尚更人に手を差し伸べられると思うが、現実が逆に成っている・・・
環境やお金の問題でない筈、しかし、何故、この方向に向うかは、結局、人の心の問題に成る・・・・
回転率を上げる・・・
貧乏な我家の家訓・・・母が言っていた「回転率を上げる」・・・
世代交代の回転率を上げると言う意味と・・・又、社会に貢献できる人間を家での出来るだけ確保する、知恵になる・・・・
仮に、二十歳で結婚直ぐに子供を授かる・・・このサイクルを繰り返せば、祖父母が40代に成る・・・その上の曾祖母が60代・・・
この位の年齢なら、社会に貢献できる・・・この事は家の収入が有る事に成る・・・
大人が夫婦で稼ぎ、三世代となれば、6人が稼いでいる事に成る・・・・
この状態で、その上、大世代、大爺・婆が80代・・・介護が必要に成るが、6人の現役が居れば、可能に成る・・・
又、若夫婦の子育ても、6人の大人が居れば、又可能に成るし、子沢山でも子守に悩む事は減る・・・・
家族内での相互扶助の考えになる・・・之も人の数が無ければ、出来ない部分に成る・・・
又、各世代毎に兄弟も居るし、対処は十分出来る事になる・・・
要は、家から社会に貢献できる人間が何人いるか、この部分が大事に成る
しかし、この様な部分を、考えない、簡単に書けば、人の「生老病死」を無視した・・価値観を持っていれば・・・
別の家のシステムを考えている事に成る・・・・
仮に、30代を越えた、時に結婚、勿論、このサイクルなら親は60代を超えている・・・又祖父母は90台に成る・・・
この時点では、祖父母は居ても、その後亡くなる可能性が高いが・・・・結果、30代、半ばで、子供を作れば、親が70代にに近付く・・・・・ソロソロ、介護の必要性が迫る・・・
十五年後50代前・・・・子供にも大きくお金が必要に成る・・・・親は80代、介護が必要と成った・・・
この状態で、家の人の構成を考えれば、2人の介護を必要とする親が居る、子育ては終わったが、2人の子供には教育費等で多大なお金が必要と言う、場合が出て来る・・・
結局、4人が人の手が必要と言う状態で、貸すことが出来る手は、夫婦の2人、しかし、この人達は家の収入源・・・お金を得る為には、仕事で手一杯と言う場合も出て来る・・・
社会全体の問題として、子育てと・高齢者の介護、この二つが大きく、問題化されている。
何故かは、結局各家庭を見れば解る・・・・
生活や子育てに、お金が必要、介護は親の年金等が使える為に、金銭的な問題より、時間を作れるかが問題に成る・・・・
お金を必要とする、人が居て、又、時間を必要とする人が、家に居る事に成る・・・
介護に時間を使えば、収入が減るし、お金を必要とする立場に渡す事が出来ない・・・
之を八方塞と言う・・・・
現実に、「初老病死」を確り自覚していれば、考え方も出て来る、之を考えていなければ、自分の親の歳、又、介護が今後必要に成るか等々は考えていない・・・
勝手に歳を取り、亡くなると考えているし、勿論、この様な往生をされる人も居るが・・・
結局、この部分を考えていない前提で、物事を組立てている・・・・
親は何の為に、子供を育てているか・・・この目的・趣旨を確り知る事が大事、口では中々言わないし、親も気付いていない・・・・しかし、自慢の子供が、巣立って行き、遠くの地で、世帯を持つ、之を本当に望んでいるか、全ての子供が誰も側に居ない、之は悲しいと私は考えている・・・
子供が一流に成っても、側に居なければ意味が無い・・・勿論、子供を沢山、儲ければ、一人だけを側に残して、他の子は社会で、頭角を出してもらう、之も有りと思うが、最近は少子化で、子供の数が少ない・・・・
私の経験上、母の友達等々の話を聞いていて、何時もこの部分を感じ、考える事に成っていた・・・
自慢の子供、頭が良い、その為に教育費も多大に使い・・・医大へ・・・医者に成ったと自慢される母親も居られたが、 最後は、何処のメス犬か解らないが、唆されて・・・我家には寄り付きもしないと、嘆いておられる、パターンを多々看てきた・・・
結局、家で寂しいから、我家に来られていたと私は考えている・・・
子供の数が少ないので、結局は、社会人となり、その力が有れば、奪い合いが始まる・・・子供は知らず知らずに調子に乗る・・・恩・義理の損する方向性より、楽しい・浮かれる・得を取る方向に成って行く・・・・親が望んでいない方向に成る・・・
最近は、特にその特徴が強く成っていると私は感じている・・・・
五人の息子を儲けたが、結果的に、彼女のテリトリー・影響下に居る立場に成っている・・・
こんな時代なら、男の子を儲けるより、女の子の方が得だと成る、昔と180度違う・・・・
イメージをすると解ると思う・・・現代の風潮・・・その中で子供達がどうなるか???予想が出来ると思う・・・・又、自分の父母に対しても、どう今後対処する方向に成るか・・之もイメージ出来ると思う・・・・
この、人本来の問題を避けてるので、何時も不安が有る、この不安を忘れる為に、浮かれる場所を求めている・・・・
最後に、母が言っていた言葉「子供は、道に放置しても、誰かが手を貸すし、国が育ててくれる・・・・・しかし、老いた、人間は、誰も見向きもしない・・・之を人は知っているから、子供を育てている」と、私に言っていた・・・
結局、親の恩を気付く子供を作る事に成るが・・・之を現代の親は、無視している・・・・・・
この様な子供が社会人に成り、若し、自分が体調を壊し、父母の世話が出来ないと、子供に言っても、返ってくる言葉が予想が出来ると思う・・・・
勿論、予想だから、良い返答をしてくれると、期待しているが???・・・・怖い・・・
世代交代の回転率を上げると言う意味と・・・又、社会に貢献できる人間を家での出来るだけ確保する、知恵になる・・・・
仮に、二十歳で結婚直ぐに子供を授かる・・・このサイクルを繰り返せば、祖父母が40代に成る・・・その上の曾祖母が60代・・・
この位の年齢なら、社会に貢献できる・・・この事は家の収入が有る事に成る・・・
大人が夫婦で稼ぎ、三世代となれば、6人が稼いでいる事に成る・・・・
この状態で、その上、大世代、大爺・婆が80代・・・介護が必要に成るが、6人の現役が居れば、可能に成る・・・
又、若夫婦の子育ても、6人の大人が居れば、又可能に成るし、子沢山でも子守に悩む事は減る・・・・
家族内での相互扶助の考えになる・・・之も人の数が無ければ、出来ない部分に成る・・・
又、各世代毎に兄弟も居るし、対処は十分出来る事になる・・・
要は、家から社会に貢献できる人間が何人いるか、この部分が大事に成る
しかし、この様な部分を、考えない、簡単に書けば、人の「生老病死」を無視した・・価値観を持っていれば・・・
別の家のシステムを考えている事に成る・・・・
仮に、30代を越えた、時に結婚、勿論、このサイクルなら親は60代を超えている・・・又祖父母は90台に成る・・・
この時点では、祖父母は居ても、その後亡くなる可能性が高いが・・・・結果、30代、半ばで、子供を作れば、親が70代にに近付く・・・・・ソロソロ、介護の必要性が迫る・・・
十五年後50代前・・・・子供にも大きくお金が必要に成る・・・・親は80代、介護が必要と成った・・・
この状態で、家の人の構成を考えれば、2人の介護を必要とする親が居る、子育ては終わったが、2人の子供には教育費等で多大なお金が必要と言う、場合が出て来る・・・
結局、4人が人の手が必要と言う状態で、貸すことが出来る手は、夫婦の2人、しかし、この人達は家の収入源・・・お金を得る為には、仕事で手一杯と言う場合も出て来る・・・
社会全体の問題として、子育てと・高齢者の介護、この二つが大きく、問題化されている。
何故かは、結局各家庭を見れば解る・・・・
生活や子育てに、お金が必要、介護は親の年金等が使える為に、金銭的な問題より、時間を作れるかが問題に成る・・・・
お金を必要とする、人が居て、又、時間を必要とする人が、家に居る事に成る・・・
介護に時間を使えば、収入が減るし、お金を必要とする立場に渡す事が出来ない・・・
之を八方塞と言う・・・・
現実に、「初老病死」を確り自覚していれば、考え方も出て来る、之を考えていなければ、自分の親の歳、又、介護が今後必要に成るか等々は考えていない・・・
勝手に歳を取り、亡くなると考えているし、勿論、この様な往生をされる人も居るが・・・
結局、この部分を考えていない前提で、物事を組立てている・・・・
親は何の為に、子供を育てているか・・・この目的・趣旨を確り知る事が大事、口では中々言わないし、親も気付いていない・・・・しかし、自慢の子供が、巣立って行き、遠くの地で、世帯を持つ、之を本当に望んでいるか、全ての子供が誰も側に居ない、之は悲しいと私は考えている・・・
子供が一流に成っても、側に居なければ意味が無い・・・勿論、子供を沢山、儲ければ、一人だけを側に残して、他の子は社会で、頭角を出してもらう、之も有りと思うが、最近は少子化で、子供の数が少ない・・・・
私の経験上、母の友達等々の話を聞いていて、何時もこの部分を感じ、考える事に成っていた・・・
自慢の子供、頭が良い、その為に教育費も多大に使い・・・医大へ・・・医者に成ったと自慢される母親も居られたが、 最後は、何処のメス犬か解らないが、唆されて・・・我家には寄り付きもしないと、嘆いておられる、パターンを多々看てきた・・・
結局、家で寂しいから、我家に来られていたと私は考えている・・・
子供の数が少ないので、結局は、社会人となり、その力が有れば、奪い合いが始まる・・・子供は知らず知らずに調子に乗る・・・恩・義理の損する方向性より、楽しい・浮かれる・得を取る方向に成って行く・・・・親が望んでいない方向に成る・・・
最近は、特にその特徴が強く成っていると私は感じている・・・・
五人の息子を儲けたが、結果的に、彼女のテリトリー・影響下に居る立場に成っている・・・
こんな時代なら、男の子を儲けるより、女の子の方が得だと成る、昔と180度違う・・・・
イメージをすると解ると思う・・・現代の風潮・・・その中で子供達がどうなるか???予想が出来ると思う・・・・又、自分の父母に対しても、どう今後対処する方向に成るか・・之もイメージ出来ると思う・・・・
この、人本来の問題を避けてるので、何時も不安が有る、この不安を忘れる為に、浮かれる場所を求めている・・・・
最後に、母が言っていた言葉「子供は、道に放置しても、誰かが手を貸すし、国が育ててくれる・・・・・しかし、老いた、人間は、誰も見向きもしない・・・之を人は知っているから、子供を育てている」と、私に言っていた・・・
結局、親の恩を気付く子供を作る事に成るが・・・之を現代の親は、無視している・・・・・・
この様な子供が社会人に成り、若し、自分が体調を壊し、父母の世話が出来ないと、子供に言っても、返ってくる言葉が予想が出来ると思う・・・・
勿論、予想だから、良い返答をしてくれると、期待しているが???・・・・怖い・・・
何時もの様に、父の病院へ
嫁が、里の父の病院へ向った・・・・里の母から、私の嫁・嫁と義父が言っているらしい・・・
末子で、又、義父には色々迷惑を多大にお掛けしている・・・その為い、義父も思いが強いのか、何時来ると、楽しみに待って有る様だ・・・
この部分は、私の父母の面倒を嫁と言う立場で、看て来た経験が有る・・・・喧しく、我侭で父母を嫁の立場で、看てくれていた・・・
その為に、子供に接するように、我侭を「そうね~~」と基本的に聞き流せる・・・之が、高齢者には良い様だとは解っているが、私の場合、実の親に対して、この様な事が出来ないし、何故、こんな事も解らなく成ったと、攻める応対をしてしまう・・・・
嫁には頭が下がる・・・又出かける前に、私の父からも電話が有ったという事、妹が看ると連れて行った父、何時も、嫁には電話をしている・・・・
ここ一ヶ月、施設にも来ないと父が言っていたと嫁が、私に話した・・・
勿論、嫁は心配だから、父の施設に、行こうと言うが・・・場所も知らないし、妹が責任者、その妹から何の連絡も無ければ、動く訳には行かない・・・
看ると、啖呵をきって、連れて行った妹・・・・
私が看ていた時に、勝手な行動をするな、又父の言葉を信じるなと言っていたが、勝手な行動をして、家では看る事も考えず、施設に入所させている。
結局、病院等々も、実子としての立場で行き、結局、病院等々との話を滅茶苦茶にした妹・・・・
私の嫁が、耐えているから良いようなものだが、それさえ、気付かないと思う・・・・
エリート意識が強い為に、自分の意見を通す、之が、力だし、エリートと考えている・・・結局相手の意見の裏に有る、心を見ていない・・・・
父が言っている事も、信頼をしても、信じると大事に成る・・・又、妹も本当に父の所に病気等で行けないなら、連絡する筈・・・勿論、妹が連絡するとは思わない、この連絡は頭を下げる連絡になり、頭を下げる、之を異常に、嫌うタイプ・・・・
前回も、父から、間違って私の電話したと思うが・・・父が妹が良いと決めた事、今頃、愚癡を言っても、私は聞かないし、それを聞けば、妹に対して悪いと成る・・・
父は男だから、本来は筋論を大事にする筈だが・・自分の感情論、好き嫌いで物事の決断をするタイプ・・・この性格が高齢に成るに従い、強く成っている、簡単に書けば我侭に成っている・・
この人の変化を、妹は絶対に認めない、劣る父だから、自分の子供たちに見せたくないと、自分の家にも入れたくないタイプ・・・
何時も思うのだが、エリートとは大変だと思う、自分の夫が亡くなっても、遺言書通り、葬儀もしない、増して、親族にも伝えなかった・・・たまたま、危篤の時に、駆けつけていた儀父母が居られた状態・・・・・
この状態で、儀父母に葬儀等を尋ねれば良い事を、何故か遺言書を高々に読み上げている・・・・
父母が駆けつける、之は、死んだ夫が、病院側に何かの時は連絡してくれと頼んでいたと考えるのが私なら常識だと考えるが・・・
結果、葬儀もしない、私にも連絡も無い、火葬を済ませ、遺骨は預かると、義父が夫の里に持って帰られている・・・・その後、詫びに伺ったが、立派な墓に記名をして、納骨を済まされていた・・・
この事は、妹と縁を切ると言う、振る舞いに見えるが、法律的には関係ないと妹は言っている・・・
何回も母も、私も来る都度に、〇〇家に嫁いでいる、その意味を話していたが、古い・時代遅れと聞く耳を持たなかった・・・結果、夫は〇〇家の墓に入っている、妹は何処に入る???之も考えていない・・・・
妹は仕方が無いが、甥や姪がいる、彼らの立場も曖昧にしてしまった・・・・家系という文化、歴史から、場外された形に成る・・・・
母の葬儀後、その甥姪とも合っていない・・・又連絡先も妹は教えない・・・・
本人は、人に迷惑を掛けていないと考えているが、私の親族には多大な迷惑・悩みの種に成っている事を知らない・・・
結局、認識の幅、深さが、違うと言う事・・・
一つの同じ行動でも、意味が色々有ると言う事・・・・之に気付かないのも、優秀すぎて、俗世間との縁が薄いからだと私は考えている・・・
この部分の、性格・考え方が、父とソックリ・・・・その為に、今後が怖いし、大変に成ると考えている・・・
妹の老後、上手に歳を取れば、お金も有るので、心配は無いが、上手に歳を重ねる之が現実には難しい・・・・何か有れば、人の手が必要に成る・・・・甥・姪がその部分を学んでいるとは思えない・・・・
結局、気付くものが手を出す方向に成るが、妹、如何しても私が歳が多い、私の嫁や、息子達に頼む事に成る・・・・
一族としての単位で、人様には迷惑を掛けない、之が大事だが、妹は自分だけを考えている・・・・
結局、父を看ている事も、当然の義務や責任とは考えていない筈・・・こんな父が居て兄が馬鹿だから、仕方が無く、私が看ている程度と思う・・・・
私は人様に迷惑を掛けていないが、何故、この親子は迷惑を私の掛けている程度の、レベル、之がエリートと言うらしい・・・・
自分の見栄が有るから、父の所に行けない之を、恥じや欠点と考えている・・・人なら当然、体調が悪い時も有る・・・だから、人が居る、その人に一言、頼めば事が済むが、之を恥だと考えている・・・・
恥じの概念が違う事に成る・・・・
父母の老後を看る、之は子供として当然だし、義務と責任が有る、之を行う事は、褒められる事でもない、それほど当然と言う事・・・・
之を、何故、特種、私だけ何故と考える、環境を作っている事が、逆に私は不思議に考える。
この方向が当然に成り、普通に成れば、私は老いる事が怖いし、避けたいと考える方向に成る・・・・
老いる事は当然だし、自然の摂理・・・之を当然と思えない、社会が問題と私は考える・・
末子で、又、義父には色々迷惑を多大にお掛けしている・・・その為い、義父も思いが強いのか、何時来ると、楽しみに待って有る様だ・・・
この部分は、私の父母の面倒を嫁と言う立場で、看て来た経験が有る・・・・喧しく、我侭で父母を嫁の立場で、看てくれていた・・・
その為に、子供に接するように、我侭を「そうね~~」と基本的に聞き流せる・・・之が、高齢者には良い様だとは解っているが、私の場合、実の親に対して、この様な事が出来ないし、何故、こんな事も解らなく成ったと、攻める応対をしてしまう・・・・
嫁には頭が下がる・・・又出かける前に、私の父からも電話が有ったという事、妹が看ると連れて行った父、何時も、嫁には電話をしている・・・・
ここ一ヶ月、施設にも来ないと父が言っていたと嫁が、私に話した・・・
勿論、嫁は心配だから、父の施設に、行こうと言うが・・・場所も知らないし、妹が責任者、その妹から何の連絡も無ければ、動く訳には行かない・・・
看ると、啖呵をきって、連れて行った妹・・・・
私が看ていた時に、勝手な行動をするな、又父の言葉を信じるなと言っていたが、勝手な行動をして、家では看る事も考えず、施設に入所させている。
結局、病院等々も、実子としての立場で行き、結局、病院等々との話を滅茶苦茶にした妹・・・・
私の嫁が、耐えているから良いようなものだが、それさえ、気付かないと思う・・・・
エリート意識が強い為に、自分の意見を通す、之が、力だし、エリートと考えている・・・結局相手の意見の裏に有る、心を見ていない・・・・
父が言っている事も、信頼をしても、信じると大事に成る・・・又、妹も本当に父の所に病気等で行けないなら、連絡する筈・・・勿論、妹が連絡するとは思わない、この連絡は頭を下げる連絡になり、頭を下げる、之を異常に、嫌うタイプ・・・・
前回も、父から、間違って私の電話したと思うが・・・父が妹が良いと決めた事、今頃、愚癡を言っても、私は聞かないし、それを聞けば、妹に対して悪いと成る・・・
父は男だから、本来は筋論を大事にする筈だが・・自分の感情論、好き嫌いで物事の決断をするタイプ・・・この性格が高齢に成るに従い、強く成っている、簡単に書けば我侭に成っている・・
この人の変化を、妹は絶対に認めない、劣る父だから、自分の子供たちに見せたくないと、自分の家にも入れたくないタイプ・・・
何時も思うのだが、エリートとは大変だと思う、自分の夫が亡くなっても、遺言書通り、葬儀もしない、増して、親族にも伝えなかった・・・たまたま、危篤の時に、駆けつけていた儀父母が居られた状態・・・・・
この状態で、儀父母に葬儀等を尋ねれば良い事を、何故か遺言書を高々に読み上げている・・・・
父母が駆けつける、之は、死んだ夫が、病院側に何かの時は連絡してくれと頼んでいたと考えるのが私なら常識だと考えるが・・・
結果、葬儀もしない、私にも連絡も無い、火葬を済ませ、遺骨は預かると、義父が夫の里に持って帰られている・・・・その後、詫びに伺ったが、立派な墓に記名をして、納骨を済まされていた・・・
この事は、妹と縁を切ると言う、振る舞いに見えるが、法律的には関係ないと妹は言っている・・・
何回も母も、私も来る都度に、〇〇家に嫁いでいる、その意味を話していたが、古い・時代遅れと聞く耳を持たなかった・・・結果、夫は〇〇家の墓に入っている、妹は何処に入る???之も考えていない・・・・
妹は仕方が無いが、甥や姪がいる、彼らの立場も曖昧にしてしまった・・・・家系という文化、歴史から、場外された形に成る・・・・
母の葬儀後、その甥姪とも合っていない・・・又連絡先も妹は教えない・・・・
本人は、人に迷惑を掛けていないと考えているが、私の親族には多大な迷惑・悩みの種に成っている事を知らない・・・
結局、認識の幅、深さが、違うと言う事・・・
一つの同じ行動でも、意味が色々有ると言う事・・・・之に気付かないのも、優秀すぎて、俗世間との縁が薄いからだと私は考えている・・・
この部分の、性格・考え方が、父とソックリ・・・・その為に、今後が怖いし、大変に成ると考えている・・・
妹の老後、上手に歳を取れば、お金も有るので、心配は無いが、上手に歳を重ねる之が現実には難しい・・・・何か有れば、人の手が必要に成る・・・・甥・姪がその部分を学んでいるとは思えない・・・・
結局、気付くものが手を出す方向に成るが、妹、如何しても私が歳が多い、私の嫁や、息子達に頼む事に成る・・・・
一族としての単位で、人様には迷惑を掛けない、之が大事だが、妹は自分だけを考えている・・・・
結局、父を看ている事も、当然の義務や責任とは考えていない筈・・・こんな父が居て兄が馬鹿だから、仕方が無く、私が看ている程度と思う・・・・
私は人様に迷惑を掛けていないが、何故、この親子は迷惑を私の掛けている程度の、レベル、之がエリートと言うらしい・・・・
自分の見栄が有るから、父の所に行けない之を、恥じや欠点と考えている・・・人なら当然、体調が悪い時も有る・・・だから、人が居る、その人に一言、頼めば事が済むが、之を恥だと考えている・・・・
恥じの概念が違う事に成る・・・・
父母の老後を看る、之は子供として当然だし、義務と責任が有る、之を行う事は、褒められる事でもない、それほど当然と言う事・・・・
之を、何故、特種、私だけ何故と考える、環境を作っている事が、逆に私は不思議に考える。
この方向が当然に成り、普通に成れば、私は老いる事が怖いし、避けたいと考える方向に成る・・・・
老いる事は当然だし、自然の摂理・・・之を当然と思えない、社会が問題と私は考える・・
難しい・・・・
夏祭りを、月末に控え・・・・心配が多い・・・
勿論、私が心配する立場でないし・・・考える必要も無いが・・・
文化・歴史を継承する・・・・この部分の難しさを考えている・・・
この継承、天皇制度も、最近、国内で色々、言われている・・・基本男系男子が継いで行く、之も文化だし、歴史に成っている・・・
何故か???・・・・・男女平等・・等々の意識が昨今は強いが・・・今でも、嫁(トツグ)と言う単語が有るが・・・男が嫁ぐか???・・・・女が嫁ぐか???・・・・確り意味が有る・・・
歴史、昔をイメージする・・・昔の財産は、食べ物・其れを得る土地・・跡は人が財産に成る・・・・
この財産を守る、この歴史が文化に成っている・・・
特に子供が生める、女は凄い財産になる・・・
女を守る歴史が文化とも言える・・・・周りに強い集団が居る環境でどう守るか・・・・・之が、特殊な文化、首長族等々、女性に対して、特種で異質に思える、処置を加える、之も一つの手段と成るのは当然・・・
昔は、強い集団は収奪する立場・・・・収奪される立場が、一番の宝を守る手段を考える・・・・人が求める本能を害する、方向を用いれば収奪されない方向にも繋がる・・・
仮に昔、私が一族の長として居て、強い一族だったと考えれば、好みの女が居る、一族を攻めると思うし、好みが強く成れば、攻める力も増す方向に成ると思う・・・・
逆に、弱い一族の長だったら、醜い女にする、方向を考える・・・・この流れが続けば、歴史になり文化に成って行く・・・・
男の立場で考えての話に成る・・・・・もし、文化・歴史等関係ないと成り、少しでも楽な生活をしたいと考える、女がその時代に居れば・・・・・・強い一族に拉致されるように、着飾り、奇麗に見せると私が女なら考える・・・
今の一族で一生暮らすより、モット、楽で奇麗な環境が有るなら其れを求める、之も本能部分に有る。・・・・・
これが人の歴史だと私は考えている・・・・歴史・文化を守る、結局、男の本能部分から、出ている部分に成る・・・・
女は少しでも良い環境・楽な環境を望むし、其れが子育てに、大しても向くし、楽に成る・・・歴史や文化以上にこの部分を尊重するのは、必然だと私は考えている。
現代も同じで、何故、女性は奇麗になりたいと考えているのか・・・・・今の世界から、モット、楽で奇麗な世界からの拉致を期待している、本能に有るからだと私は考えている。
結局、文化・歴史は関係ない、現実の今が、楽で、簡単に生きれるか、之が本能部分に有ると言うことになる・・・
男の吟味を女がしている、事に成るし、男の部分を、狭い世界で考える昔より、広い世界、情報が多々有る世界で、今は吟味している事に成る・・・
勿論、この様な状況に成れば、男も想像が出来ない、財力等が有る人に成るが、この場合は男も選ぶ権利が有るとなる・・・しかし、選ぶ基準は、略、固定していると私は考えているし、その固定化された形へ、女が近付く事が出来れば、夢の世界を得る事が可能に成るし、白馬に乗った王子様の出現に成る・・・・
この世界に成れば、弱い一族は、消滅する危険性を孕む・・・・一族の女が全て外へと向う・・・
世界を観れば、貧乏な農村地帯は、嫁不足・・・女は外へ夢を求めて出る・・・男は文化歴史・土地を守る為に、その場を離れる事が出来ない・・・他所の国では、誘拐して嫁にするという方向に進む・・・・・
若し、この文化・歴史・土地と言う部分の価値を見出せなくなれば、大都市に人は移動するし、国を越えて難民と言う形に成る・・・・・
文化・歴史が無くなる方向に成るし・・・・益々、金(かね)本位制に向う・・・・金が全てと成る世界に成り、歴史・文化も無用と成る・・・
何度かブログ上に男が女性化していると書いている部分がこの部分・・・
アイデンティティやポリシーが歴史や文化を底辺にしなく成って来ている。
その場の一瞬の部分に、色んな拘りを持っていても、全体的流れに対しては、何も考えていない事に成る。
今の日本国は、世界で優秀な先進国と言われている・・若し、経済が衰退し・・・お金が無い、貧乏な国に成ったら・・・・国力を増そうと努力する、人は、殆どが男だと私は考える・・・
一度、裕福な生活が身に付いた、人・女は、外国の裕福な国を目指す、之が当然に成ると私は考えている。・・・・
大き目で見れば、民族の終焉になる・・・血は繋がるが、文化・歴史が無くなる事に成る・・・・
この様な行動を、昔は非国民と言っていたが・・・今は死語だし、今なら当然な事、誰も疑問を持たないと私は考えている。
何が趣旨かが問題・・・・趣旨が正しいなら、少々のボタンの掛け違いも出て来る・・・今の価値観で考えれば、女性に一般の価値観で醜くする処置は、人権無視と言われると思う、しかし、逆に奇麗にする処置なら・・・之も人権無視になる・・・結局、目的趣旨で、意味合いが変わる・・・
この部分の捉え方が、一極に向わせている流れが有ると言う事・・・・些細なボタンの賭け違いを、問題にして、全てが悪い、この方向に向ける・・・この流れが私は怖いと考えている・・・
この方向が正しいなら・・・一所懸命に家族を守ろうと、努力した結果、良ければ良いが、悪ければ、其れを指摘し、努力した人全てを否定する方向に向う、考えが当然と成る・・・・
こんな世界に成れば、誰が努力するかになる・・・成る様に成る・・・生きる事に対しても投げた生き方になる・・・
之が愚民と私は言っている・・・愚民か政策・・・
保護・守ってくれて、お金を多くくれる、大樹を求めている・・・この大樹の大きさの肩書きがその木陰に居る人達のステータスに成っている・・・この大樹が枯れそうになれば、勿論、新たな大樹を探す・・・・大樹を支え守ろうとする考えは無い・・・
この大樹が、国で有り・会社で有り・地域で有り・最後は家庭・夫婦と言う二人以上の集団の価値観に若し成っていれば・・・・私が何度も書く、怖い世界に近付いているという事に成る・・・
結局、亡国・・国を滅ぼす考えにも成る・・・
勿論、庶民は、世間の風潮次第で流されているし責任も小さい・・・結果として、リーダー層の問題だし、意識の愚鈍化と私は、考えている・・・
誘導・扇動が出来る立場の、問題と言う事・・・・
本来、男の価値観と女の価値観は、体の特徴で違う・・・この違いを認めることが大事だし、其れを長年の歴史で、最善策として、出来上がったものを、一気に日本国は、崩壊させている・・・・
歴史・文化と書いたが、簡単に書こう・・・父親・母親の従兄弟を知っているか・・・長男なら教えられている場合が有るが・・・・女として育った場合、殆ど知らないと思う・・・
昔の習慣では、葬儀の際には、従兄弟まで連絡を入れるに成っている・・・親が死んだ、何処の連絡する・・・勿論葬儀社だが・・・親族は????
親の歴史さえ知らない・・・之が現代に成っている・・・
知らなくても、生活には何の影響も無い、特に過去の人、関係無いと考える人が、歴史や文化を考えているか????・・・
この様な人が、長年努力している、しかし結果が出ていない、之に価値を見出す事が出来るか???出来ないと思う・・・・
其れより、目の前にお金を積む、如何して得たかは関係ない、この事が良いと素晴らしいと考えていると私は思う・・・・
之が女性化になる・・・・貧乏でも、白馬に乗った王子様が現れると、この様なお金が目の前に詰まれる等々が当然に起きると考えている・・・・
結局、昔話で有る様に、育てた親や環境・地域を捨てる、之が、女の宿業になる・・・・
勿論、私が心配する立場でないし・・・考える必要も無いが・・・
文化・歴史を継承する・・・・この部分の難しさを考えている・・・
この継承、天皇制度も、最近、国内で色々、言われている・・・基本男系男子が継いで行く、之も文化だし、歴史に成っている・・・
何故か???・・・・・男女平等・・等々の意識が昨今は強いが・・・今でも、嫁(トツグ)と言う単語が有るが・・・男が嫁ぐか???・・・・女が嫁ぐか???・・・・確り意味が有る・・・
歴史、昔をイメージする・・・昔の財産は、食べ物・其れを得る土地・・跡は人が財産に成る・・・・
この財産を守る、この歴史が文化に成っている・・・
特に子供が生める、女は凄い財産になる・・・
女を守る歴史が文化とも言える・・・・周りに強い集団が居る環境でどう守るか・・・・・之が、特殊な文化、首長族等々、女性に対して、特種で異質に思える、処置を加える、之も一つの手段と成るのは当然・・・
昔は、強い集団は収奪する立場・・・・収奪される立場が、一番の宝を守る手段を考える・・・・人が求める本能を害する、方向を用いれば収奪されない方向にも繋がる・・・
仮に昔、私が一族の長として居て、強い一族だったと考えれば、好みの女が居る、一族を攻めると思うし、好みが強く成れば、攻める力も増す方向に成ると思う・・・・
逆に、弱い一族の長だったら、醜い女にする、方向を考える・・・・この流れが続けば、歴史になり文化に成って行く・・・・
男の立場で考えての話に成る・・・・・もし、文化・歴史等関係ないと成り、少しでも楽な生活をしたいと考える、女がその時代に居れば・・・・・・強い一族に拉致されるように、着飾り、奇麗に見せると私が女なら考える・・・
今の一族で一生暮らすより、モット、楽で奇麗な環境が有るなら其れを求める、之も本能部分に有る。・・・・・
これが人の歴史だと私は考えている・・・・歴史・文化を守る、結局、男の本能部分から、出ている部分に成る・・・・
女は少しでも良い環境・楽な環境を望むし、其れが子育てに、大しても向くし、楽に成る・・・歴史や文化以上にこの部分を尊重するのは、必然だと私は考えている。
現代も同じで、何故、女性は奇麗になりたいと考えているのか・・・・・今の世界から、モット、楽で奇麗な世界からの拉致を期待している、本能に有るからだと私は考えている。
結局、文化・歴史は関係ない、現実の今が、楽で、簡単に生きれるか、之が本能部分に有ると言うことになる・・・
男の吟味を女がしている、事に成るし、男の部分を、狭い世界で考える昔より、広い世界、情報が多々有る世界で、今は吟味している事に成る・・・
勿論、この様な状況に成れば、男も想像が出来ない、財力等が有る人に成るが、この場合は男も選ぶ権利が有るとなる・・・しかし、選ぶ基準は、略、固定していると私は考えているし、その固定化された形へ、女が近付く事が出来れば、夢の世界を得る事が可能に成るし、白馬に乗った王子様の出現に成る・・・・
この世界に成れば、弱い一族は、消滅する危険性を孕む・・・・一族の女が全て外へと向う・・・
世界を観れば、貧乏な農村地帯は、嫁不足・・・女は外へ夢を求めて出る・・・男は文化歴史・土地を守る為に、その場を離れる事が出来ない・・・他所の国では、誘拐して嫁にするという方向に進む・・・・・
若し、この文化・歴史・土地と言う部分の価値を見出せなくなれば、大都市に人は移動するし、国を越えて難民と言う形に成る・・・・・
文化・歴史が無くなる方向に成るし・・・・益々、金(かね)本位制に向う・・・・金が全てと成る世界に成り、歴史・文化も無用と成る・・・
何度かブログ上に男が女性化していると書いている部分がこの部分・・・
アイデンティティやポリシーが歴史や文化を底辺にしなく成って来ている。
その場の一瞬の部分に、色んな拘りを持っていても、全体的流れに対しては、何も考えていない事に成る。
今の日本国は、世界で優秀な先進国と言われている・・若し、経済が衰退し・・・お金が無い、貧乏な国に成ったら・・・・国力を増そうと努力する、人は、殆どが男だと私は考える・・・
一度、裕福な生活が身に付いた、人・女は、外国の裕福な国を目指す、之が当然に成ると私は考えている。・・・・
大き目で見れば、民族の終焉になる・・・血は繋がるが、文化・歴史が無くなる事に成る・・・・
この様な行動を、昔は非国民と言っていたが・・・今は死語だし、今なら当然な事、誰も疑問を持たないと私は考えている。
何が趣旨かが問題・・・・趣旨が正しいなら、少々のボタンの掛け違いも出て来る・・・今の価値観で考えれば、女性に一般の価値観で醜くする処置は、人権無視と言われると思う、しかし、逆に奇麗にする処置なら・・・之も人権無視になる・・・結局、目的趣旨で、意味合いが変わる・・・
この部分の捉え方が、一極に向わせている流れが有ると言う事・・・・些細なボタンの賭け違いを、問題にして、全てが悪い、この方向に向ける・・・この流れが私は怖いと考えている・・・
この方向が正しいなら・・・一所懸命に家族を守ろうと、努力した結果、良ければ良いが、悪ければ、其れを指摘し、努力した人全てを否定する方向に向う、考えが当然と成る・・・・
こんな世界に成れば、誰が努力するかになる・・・成る様に成る・・・生きる事に対しても投げた生き方になる・・・
之が愚民と私は言っている・・・愚民か政策・・・
保護・守ってくれて、お金を多くくれる、大樹を求めている・・・この大樹の大きさの肩書きがその木陰に居る人達のステータスに成っている・・・この大樹が枯れそうになれば、勿論、新たな大樹を探す・・・・大樹を支え守ろうとする考えは無い・・・
この大樹が、国で有り・会社で有り・地域で有り・最後は家庭・夫婦と言う二人以上の集団の価値観に若し成っていれば・・・・私が何度も書く、怖い世界に近付いているという事に成る・・・
結局、亡国・・国を滅ぼす考えにも成る・・・
勿論、庶民は、世間の風潮次第で流されているし責任も小さい・・・結果として、リーダー層の問題だし、意識の愚鈍化と私は、考えている・・・
誘導・扇動が出来る立場の、問題と言う事・・・・
本来、男の価値観と女の価値観は、体の特徴で違う・・・この違いを認めることが大事だし、其れを長年の歴史で、最善策として、出来上がったものを、一気に日本国は、崩壊させている・・・・
歴史・文化と書いたが、簡単に書こう・・・父親・母親の従兄弟を知っているか・・・長男なら教えられている場合が有るが・・・・女として育った場合、殆ど知らないと思う・・・
昔の習慣では、葬儀の際には、従兄弟まで連絡を入れるに成っている・・・親が死んだ、何処の連絡する・・・勿論葬儀社だが・・・親族は????
親の歴史さえ知らない・・・之が現代に成っている・・・
知らなくても、生活には何の影響も無い、特に過去の人、関係無いと考える人が、歴史や文化を考えているか????・・・
この様な人が、長年努力している、しかし結果が出ていない、之に価値を見出す事が出来るか???出来ないと思う・・・・
其れより、目の前にお金を積む、如何して得たかは関係ない、この事が良いと素晴らしいと考えていると私は思う・・・・
之が女性化になる・・・・貧乏でも、白馬に乗った王子様が現れると、この様なお金が目の前に詰まれる等々が当然に起きると考えている・・・・
結局、昔話で有る様に、育てた親や環境・地域を捨てる、之が、女の宿業になる・・・・
疲れ・・・が・・・
今朝は、今までの疲れが、ド・バーと来ている・・・・
力不足・・・特に精神面が弱いという事に成る・・・・・
私の許容力を超えそうになるとこの状態に成るし、大好きなRCを触る之さえ出来なくなる・・・・
何事も、念を入れて、イザと言う事も考えている事に成る。之を危機管理と言うのかも知れない・・・
全てが、思い通りに成る・・この様な人には必要ないが・・・・・想定している部分を越えた時が、人の力量とも言われている・・・
有る、大先輩から教えてもらったが「屏風は広部過ぎると倒れる・・・勿論、広げなければ、屏風絵が見えない」・・・・個性を見せる為には、怖いが広げるしかないし、大きく広げた方が、絵がよく見えるが、広げ過ぎれば・・一寸した原因で倒れる・・・・
人にも言えると私は、思い、若い時に教えてもらったが、大事にしている・・・
各自で、描かれている絵は違う、之が個性だが・・・絵を見せる目的か???・・・・屏風の大きさ、囲いとしての目的か???・・・色んな捉え方で、考えも変わりだす・・・・
個性の絵を隠す為に、皆が評価する、写真を貼っていると言う場合も出て来る・・・
色んな人が居ると言う事に成る・・・・
この屏風一つ取っても、人により、形や大きさ・描かれている絵が違うし、その広げ方も変る・・・
又屏風を広げる場所・環境も、違って来る・・・・
特に、人に当てはめると、一番変化する部分が、場所・環境に成る・・・・この変化に耐える、屏風が必要だし、広げ方が必要に成る・・・・
一個の個人としては、この部分までに成るが、人は、家族や・・・親族・地域社会等々の中での立場も出て来る・・・
若しかすると、屏風の前に、他の人・子供等が屏風を開こうとしている場合も有る・・・
この場合、私自身の屏風は、風除けの立場に成る場合も出て来る・・・
環境で変わると言う意味に成る・・・・勿論、自分の絵等を遮られ、見せる事が出来ないが、風除けとして、他の屏風を倒さない努力が必要に成るし、もし、風除けの立場の屏風が無くなったらと、考えて、他の屏風にも意識付けする必要が出て来る・・・
イメージを含まらせると、社会構造が見えて来る・・・・
最近は、形や見栄・人の目を気にする人が増えている、私の子供達も同じ・・・・
その為に、屏風に描く筈の個性が、何故か、世間的に言われている、評価され凄いと言われる絵を描きたがる・・・・その絵の精巧性を求めている・・・利口な人は、描く事を辞め、写真を貼ると言う方法まで用い出す・・・・
結局、同じ絵の屏風が多々有る状態に成り、その屏風が自分が凄いと広げ過ぎる位に広げ・・又、其れをアピールする為に、前へ前へと進んでいる状態・・・・
この環境を、誰かが大きな屏風で囲い、風を遮っている可能性が有ると言う事・・・・気付かないがその屏風が無くなれば、一気に風で倒れてしまう・・・・
屏風には裏面も有る・・・表面は体外的部分とすれば、裏面は本性に成る可能性も有る・・・
この裏面を見せている、方向・・・之がよくよく、考えると、面白いと思います。気付かない・無視している方向性の人達に見せている事に成る・・・・
イメージで屏風の厚みも変るし・・・屏風の枚数も変る・・・この変る、違いが個性だと私は考えている・・・・勿論、描く絵は、心の部分が何を求めているかに成る・・・理想と言うこと・・・逆に裏面が本性・癖や、業と言う部分に成る・・・・
最近は、この表裏が違う事を、マスコミ等で攻めている感じがする・・勿論、大衆も支持しているからこの方向に進んでいる・・・・本性と理想が同じでなければ、駄目と、世論は成っているが、不思議に世間の風潮は、表裏が大きく違う事を、推奨している感じが私はします。
不思議な世界に成りつつある・・・描かれているものは本来各自で違う筈だが、之も表面は固定化方向へ進めさせ・・・見え難い裏面は、見ようとしないし・・・・何かの切っ掛けで、見えた場合、表裏の差が凄いと、文句を言い出す・・・
結局、人が神と成る事を推奨している・・・・間違いを起こし、失敗をする懲りない面々が人だが・・・・
行動等の目に付き易い部分は神に近付け・・・・本性の心はなおざりに成っている・・・・
人は神でない・・・失敗もするし、五体満足でも、生き続ければ、不満足に成る・・・自分の足で立てなくなる場合も出て来る・・・勿論、病気もするし、寝込み動けなくなる場合も有る・・・
之が人、その為に、手を貸してくれる、第三者も必要に成る・・・相互扶助が必要に成る・・・
目に見える部分は朽ちる方向に何時か成る・・・之が現実・・・しかし、心の部分は違う、この精神部分の自立が大事だと考えている・・・之が有るから、人に手が貸せる・・・・
この部分は、目に見える、余裕が有り、力が有ると見える人が、人に手を簡単に貸すか????・・・現実は????
結局、心・精神に成る・・・
力不足・・・特に精神面が弱いという事に成る・・・・・
私の許容力を超えそうになるとこの状態に成るし、大好きなRCを触る之さえ出来なくなる・・・・
何事も、念を入れて、イザと言う事も考えている事に成る。之を危機管理と言うのかも知れない・・・
全てが、思い通りに成る・・この様な人には必要ないが・・・・・想定している部分を越えた時が、人の力量とも言われている・・・
有る、大先輩から教えてもらったが「屏風は広部過ぎると倒れる・・・勿論、広げなければ、屏風絵が見えない」・・・・個性を見せる為には、怖いが広げるしかないし、大きく広げた方が、絵がよく見えるが、広げ過ぎれば・・一寸した原因で倒れる・・・・
人にも言えると私は、思い、若い時に教えてもらったが、大事にしている・・・
各自で、描かれている絵は違う、之が個性だが・・・絵を見せる目的か???・・・・屏風の大きさ、囲いとしての目的か???・・・色んな捉え方で、考えも変わりだす・・・・
個性の絵を隠す為に、皆が評価する、写真を貼っていると言う場合も出て来る・・・
色んな人が居ると言う事に成る・・・・
この屏風一つ取っても、人により、形や大きさ・描かれている絵が違うし、その広げ方も変る・・・
又屏風を広げる場所・環境も、違って来る・・・・
特に、人に当てはめると、一番変化する部分が、場所・環境に成る・・・・この変化に耐える、屏風が必要だし、広げ方が必要に成る・・・・
一個の個人としては、この部分までに成るが、人は、家族や・・・親族・地域社会等々の中での立場も出て来る・・・
若しかすると、屏風の前に、他の人・子供等が屏風を開こうとしている場合も有る・・・
この場合、私自身の屏風は、風除けの立場に成る場合も出て来る・・・
環境で変わると言う意味に成る・・・・勿論、自分の絵等を遮られ、見せる事が出来ないが、風除けとして、他の屏風を倒さない努力が必要に成るし、もし、風除けの立場の屏風が無くなったらと、考えて、他の屏風にも意識付けする必要が出て来る・・・
イメージを含まらせると、社会構造が見えて来る・・・・
最近は、形や見栄・人の目を気にする人が増えている、私の子供達も同じ・・・・
その為に、屏風に描く筈の個性が、何故か、世間的に言われている、評価され凄いと言われる絵を描きたがる・・・・その絵の精巧性を求めている・・・利口な人は、描く事を辞め、写真を貼ると言う方法まで用い出す・・・・
結局、同じ絵の屏風が多々有る状態に成り、その屏風が自分が凄いと広げ過ぎる位に広げ・・又、其れをアピールする為に、前へ前へと進んでいる状態・・・・
この環境を、誰かが大きな屏風で囲い、風を遮っている可能性が有ると言う事・・・・気付かないがその屏風が無くなれば、一気に風で倒れてしまう・・・・
屏風には裏面も有る・・・表面は体外的部分とすれば、裏面は本性に成る可能性も有る・・・
この裏面を見せている、方向・・・之がよくよく、考えると、面白いと思います。気付かない・無視している方向性の人達に見せている事に成る・・・・
イメージで屏風の厚みも変るし・・・屏風の枚数も変る・・・この変る、違いが個性だと私は考えている・・・・勿論、描く絵は、心の部分が何を求めているかに成る・・・理想と言うこと・・・逆に裏面が本性・癖や、業と言う部分に成る・・・・
最近は、この表裏が違う事を、マスコミ等で攻めている感じがする・・勿論、大衆も支持しているからこの方向に進んでいる・・・・本性と理想が同じでなければ、駄目と、世論は成っているが、不思議に世間の風潮は、表裏が大きく違う事を、推奨している感じが私はします。
不思議な世界に成りつつある・・・描かれているものは本来各自で違う筈だが、之も表面は固定化方向へ進めさせ・・・見え難い裏面は、見ようとしないし・・・・何かの切っ掛けで、見えた場合、表裏の差が凄いと、文句を言い出す・・・
結局、人が神と成る事を推奨している・・・・間違いを起こし、失敗をする懲りない面々が人だが・・・・
行動等の目に付き易い部分は神に近付け・・・・本性の心はなおざりに成っている・・・・
人は神でない・・・失敗もするし、五体満足でも、生き続ければ、不満足に成る・・・自分の足で立てなくなる場合も出て来る・・・勿論、病気もするし、寝込み動けなくなる場合も有る・・・
之が人、その為に、手を貸してくれる、第三者も必要に成る・・・相互扶助が必要に成る・・・
目に見える部分は朽ちる方向に何時か成る・・・之が現実・・・しかし、心の部分は違う、この精神部分の自立が大事だと考えている・・・之が有るから、人に手が貸せる・・・・
この部分は、目に見える、余裕が有り、力が有ると見える人が、人に手を簡単に貸すか????・・・現実は????
結局、心・精神に成る・・・
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