2021年4月23日金曜日

私は嫁を貰った・・・・

 嫁里の・・・家長に頭を下げ・・・私は嫁を貰った・・・勿論、嫁里の家長に成る、義父は「大人に成り切っていない・・人様にくれるレベルで無いので、駄目だ」と言われたが、それを曲げて、下さいと食い下がって、貰い受けが出来た。

当然、その後の、家同士の調整は、仲人さんにお願いしていた。

結婚式の時に、嫁に、俺は嫁を貰った・・・今日からは優先順位が変わる、それを認識してくれと嫁に頼んで・・・・

○○家の嫁として、振舞ってくれ・・・間違っても俺の妻とは思わないでくれ・・その為に、先ず・・終戦順位の一番が・・・先祖に成る・・次が、私の父母・・・次が、親族・一族・・・・それと同等に、隣組等の近所の人々・・・・・最後が私と言う順序で、優先順位を考えてくれと頼んだ・・・・

当然、誰の言葉を尊重するか???この順序に成る・・・之が私の価値観の順序に成る。

それを出来る様に、カバーを徹底すると私は誓った・・・・

私は、嫁とはこの様な価値観が無ければ、務まらないと思っている。

若し、夫の妻的、思いで、結婚する、女を私は選んだわけでもない。

誰の為の、妻なのか???当然、夫と成ると思う。

誰の為の嫁なのか????当然、家の為、家とは???地域が有り、親族が有り、当然、父母・祖父母・先祖が居る・・・その全ての人達から、嫁と思われる人が嫁と言う存在に成る。

その為に、私には、悪妻であっても、家には良い嫁と成って欲しいと思っていた。

その結果が、嫁が里に帰ると・・・周りの高齢者たちが集まって来るとの事、理由は、嫁ぶりが良いと言う評判が有る為に成る。

里の義母も、これが自慢らしい・・・良い娘より、良い嫁を育てた、これが自慢と成っている様だ・・・・

沢山の、諸先輩・先人たちが居たから、今の私が有る、当然、感謝の思いを伝える振舞いが大事に成ると私は考えている。

勿論、難儀しているが、生きているこの現実だけでも、凄い事だし、感謝に値する。



おもてなしに向けて・・・廃棄・・・

 今日は、嫁も休み・・・25日に向けての、準備で・・・寿司屋・和菓子屋と周り・・・最後に何時もお世話に成っている肉屋さんに、仕出しを一鉢頼みに行ったが・・・今は、カレー等々の製造で忙しく、手が回らないとの事・・・・

先輩の肉屋だし、後輩が専務として働いている。恩ある先輩・・・発展に対して、私は喜びしかない・・・・

私にはこの様な先輩が多い・・・私の様な跳ね返りの面倒を看てくれた人達・・・一歩間違っていたら、この世に居ないと私は考えている。

先輩方から色んな事を学ぶ事が出来た・・・当然、人が違うから価値観も違う・・・しかし、学べる部分は多々ある。

又、母の13回忌と言う事を、伝える事も出来たので、私としては良かったと思っている。

寿司屋も、和菓子屋も全て知り合い・・・今は息子が仕切っている様だが・・・共に生きれたと言う、部分で感謝に成る。

和菓子屋の方は、脳梗塞で、9日入院されたとの事・・・・右足の感覚が無くなり、座り込んでいたら、正常に戻ったとの事・・・・しかし、家族が心配したので、近所の医院に診せたら・・・直ぐに紹介状を書かれ、その後、入院となったらしい・・・・後遺症も無く、軽く済んだことに対して、感謝されていた。

私も、近い歳に成る・・・私も当然、成る可能性が有る・・・その為に、初期の症状等を、体験として聴けるだけでも感謝に成る。

あと残るのは、肉屋に頼もうと思っていた・・・・・若い者の為の、仕出しに成る。

近所のスーパーに頼もうと考えている。

本来、息子達が多く居る・・・息子達が協力・又は、率先して下働き、費用面も振舞える様に、育てたつもりだが・・・現実は程遠い・・・・

之も、親として私の、問題に成る。親としても三流と言う事にもなる。

その為に、午後からは、ゴミ等々の、廃棄物の撤去・捨てに行く作業を行っていた。

おもてなしに向け・・・母が何を私たちに残したかを見せる場に成る。

当然、母に恥をかかせる訳にはいかない・・・・恥・失敗と言う部分は、当然、私が背負う事に成る。

勿論、失敗をしたくないから、分を超える事に成るかもしれないが、背一杯の準備を行う事に成る。

勿論、姑親に成る・・・私の嫁の、若嫁に対しての教育の度合いを、見せる場ともなる。


主・親の心・気持ち・・・・

 一神教世界は、主を神と言っている場合が多い・・・・

仏教は、仏とは????と問い続ける法である・・・逆説で人とはと成る・・・

しかし、偶像がした方が、人の心を掴み易いと、偶像化を始めたために、仏がものに成り、神との違いが判らなくなっている。

私は、少なくとも親の気持ちは解るつもりである。

親を子に対して、何を望み・何を期待しているか????・・・・子が思う通りに成る為に、無い脛を齧らせ続ける事を望んでいるか????・・・・私は親だが望んでいない・・・

親として、子には、人様の為に成る様な人になってほしいと、最低な部分だが思っているし、それを願いに成っている。

若し、神・仏と死う存在が居るとして、何を望んでいるのか????・・・この様に考える時が有る。

分を超える、欲を叶えて欲しいと、縋って来た・・・私は親だが、足蹴に追い出すと思う・・・理由は己の分を知れと言う思いが私には有るからに成る。

当然、私の力、力量とのバランスに成るが・・・・若し、個人が持つ、全ての欲を叶える、神・主・親と成れば、当然、凄い力が必要に成る。

若し、地震が起き、無い世界を神に願った・・・当然、叶えられる力量を神が持っていると言う事に成る。地球さえも造れ・逆に壊せる力が有ると言う事にもなる。

私は、周りを見ていると、殆どの悩みが、本当は心に要因しているが・・・原因と問うと、物質世界の、周り・環境と言い出す人が多い・・・・

物質・唯物的世界は、当然、形有るものしか、操作が出来ない・・・

仮に、お腹が減った・・何か食べたいと思った・・・ここ迄は心の部分が多い、しかし、思っていても食材が目の前に現れない・・・若し、神に願って、又、仏に願って、目の前に神が・仏が食材を提供する事が出来るか????・・・私は出来ないと思う。

要は、物質世界の中で、物を動かす等々は、物質として存在する物が介在しなければ成らないと言う事に成る。

仮に、親と子の関係で・・・親は子の能力を、よく理解していると思う・・・その能力を超える事を、目指すこの部分までは解る・・・しかし、それが出来ないからと、親に縋ると成れば、少し話が変わる・・・勿論、子は、親は完璧な力を有していると思い込んでいるので、親の分を超える事さえ縋れば・・・それを容認できるか????

しかし、現実的には、子は親の事もよく理解しているので、不可能と言う部分までの要求・縋り方はしないと思うが・・・・・・

若し、他人の親は、力が有り、色んな人の欲を叶えてくれると教えられれば、己の親に縋るより、他人の親に縋る事にもなる。

しかし、不思議な現象が起きる、力が有ると噂の親・・・しかし、何も唯物的に動かない・・・しかし、欲を叶えたいと子が努力する・・・結果、欲が叶えられたと成ると・・・何もしていない親に力が有った・正しかったと成るのが、人間社会の中にある。

仮に、宝くじを買う・・・確率は決まっているので、当たる人の人数も決まっている。

当然、その外れる人は、数え切れない数に成る。

しかし、ここに願いをすれば、当たると成る・・・宝くじを買った、全ての人が願いに来たら・・・当然、当たりの人が居ると言う事に成る。

現実に当たった人が居ると成れば、益々、願いをしに来る人が増えると言う図式に成る。

人の扇動・誘導は簡単という事にもなる。

要は、願う、縋る・・本来、人に成る・・・その人とは、親に成るのが、生物としては普通と私は考えている。

しかし、親にも限界が有る・・・それを超える欲は????・・・本来は、己の努力しかない・・・しかし、親が悪い、力がないと、卑下する事に成る・・・この方向に捉えると、結果的に、力の有る親を探そうとしだすと言う事にもなる。

親も人間である、その為に、完璧でない・・・失敗も間違いも起こす・・・之が私は普通と考えている。しかし、子から見れば、親は完璧で有って欲しいと思っている・・・この思いが結果的に、先に書いた卑下する方向に向かうなら・・・親、子に見栄を張る必要性も無いと考えている。

要は、この様な子育て期間中に得た、経験・知恵が、結果的に社会人に成った時に、影響しだす。

上は完璧であるべき等々、己の親さえ完璧でないと言う事を知っているが、それは極一部の私の場合で、殆どの人は完璧な親から育てられていると思っている人も居る。

私は全ての親が、人間と思っている、人間は間違いも失敗もする・・・完璧な親など存在しないと思っている。

当然、それ以上に超が付く完璧は、神的存在が居る等々、勿論、唯物的に物質で居るとは思っていない。


人は、不思議に、関わった人に対して、過大な期待を持つ習性が有る。

その為に、小さな施し等々に気付かない・・・仮に親は産んだ後、私は捨てたと言っても、生んだ親が居るから、今の己が有ると言う事・・・生んで貰ったと言う部分に感謝が出来るはず。

しかし、何故か出来ない・・・それは己が不幸と己自身を思っているからだと思う。

何故、不幸なのか???・その為の理屈は多々言える・・・しかし、逆に、今、何故、幸せなのか???と成ると、理屈を言えないからに成る。

要は、多々の事柄に対しての、損の理屈を考えるより・・・得の理屈を考えた方が、幸せと言う事に成る。

釈迦とは、これを人に諭していた人に成る・・・・この振舞いが、菩薩でも有るし、それで幸せを感じた人は、仏の意味が解ったと言う事にもなる。

環境や状況と言う物は、己ではコントロールが付かない、仮に地獄と言われる世界に生まれた、地獄を環境を一気に変える事は出来ない・・・しかし、環境や状況はどうであれ、己は何を感じたかが、大事だと言う事に成る。

人を扇動・誘導する事の容易さは、人は、事柄に対しての、損を感じやすい、その為に損しない・損したくないと言う思いが強い、この部分を誘導する事がたけている人が、現代は優秀や一流と言われている。

仮に、この指にとまれと・・・二人が、指を出す。一人は、不可能を可能にする。どんな問題も解決できると叫びながら・・一人は、逆に、負を背負う事が出来る。背負う楽しさを味合う事が出来ると叫びながら・・・・

どっちの人に人は向かうのか?????

一人は、具体性が無い・・・得する・利に成る様に勝手に思い込み、その人に近付く・・・

後の一人は、損する・キツイ事、誰がする。とうとう思われて、逆に避けられると私は考えている。

しかし、現実的である。キツイ・損すると思える事を、楽しめると言う事に成る・・・何か、己が知らない、価値観が有るかもしれないと成ると思うが、それが無いのが、現代に成る。

若し、信仰者なら、神や仏を信じていると思う、神や仏は何を望んでいるのか????

要は、親は何を子に望んでいるのか???・・・之と同じと私は考えている。

求めると言う思いが、何かして貰えると言う方向に成っている。


「無理はしないで~~」と言われるが・・・

 よく、人様から「無理はしないで~~」と言われる。

申し訳なく思う瞬間にもなる・・私の様相が悪いからその様に見え、言われていると思うからに成る・・・・

身軽に颯爽と出来れば、この様な言葉は言われないと思うし、その様に振舞わなければと言う𠮟咤とも私は捉えている・・・

その言葉に、私は、「無理なら出来ないし、しない」と答えると・・・相手様は基本????に成られる事が多い・・・・

無理と言う事は不可能と言う事・・・不可能な事が出来るか??・・・・この様に考えると、出来るから、行っていると言う事にもなる。

私は、体の部位の色々壊している・・・勿論、痛む・・・しかし、痛みに対して慣れると言う方向も有ると私は考えている。

痛いから、それ以上に負荷を与える・・・当然、悲鳴を出したい状態に成るが、これを繰り返すと、何故か、痛みが軽減する場合が有る。

しかし、この時の形相・雰囲気が・・・人様には良いと捉えれれないから、心配と言う意味で言われていると思うが・・・・

私は、三流だし、劣っている・・・その為に、現状よりと言う思いが強い・・・要は、現状を変えたい・・・仮に、私は肩を壊し、可動範囲が狭くなった、それを放置していれば、どんどん、可動範囲が狭くなると思ったから、痛いが「ワ~」と声を出して、動かし続けた・・・結果、可動範囲が大きくなった。

現状より、変化させる・・・出来れば、己の思う良い方向ならと私は思っている。

その為には、何が必要か????・・・私は、命ギリギリの部分まで追い込むことが大事だと考えている。

人生片道切符と母は言っていたが・・・・何を得るかと思う、その為には損を背負おうと思うことから始まると考えている。

勿論、損だから、怖い、己の分とのバランスも有る・・・・しかし、分以上を背負えば、つぶれるか???・・又は、凌げるかのどちらかに成る・・・生きたいとの思いが強ければ、踏み止まれると私は考えている。

要は、楽しいなら無理が出来る。人様から奪っても楽しいと思えると思う。

己が楽しい・充実していると思えるなら、人様にも勧められるし、その姿も、清々しい姿で出来る。

要は、好きでだから行える・・・その為に、好きに成るように、己を向ける事に成る。

仮に、仕事で、嫌な仕事・・・誰もしたくないと思っている仕事も、楽しい・面白い等々・最後には好きだから行っていると成るなら・・・人様にも勧める事が出来る。

逆に、嫌だから、己に力が付けば、部下にさせる・・・理由は、誰しも嫌う仕事・・・当然、部下は、何故と成るし、その仕事から、何も学ばないと言うより、妬みと恨みしか得る事が出来ないと成る。

若し、上司や管理職が、この様な価値観の人なら、部下は、当然、奴隷と己を思う事に成るし、当然、己が上に上がれば、その恨み妬みを部下に与える事に成る。

本来、部下とは、己の子供と思えば、配慮と言う方向性に向かう・・・・

しかし、先に書いている様に人物だが・・・己より上の上司には配慮する。これを尊宅と言う・・・下には、傲慢に振舞う、独裁者的振舞いをする事に成る。

本来、上の立場には、現実の負の部分を強く、見せる為の振舞いをするのが部下である。

前もって、危機を知ってもらう・・・部下には安心を与えるのが、役職が有ると言う意味だと私は捉えている。

要は、戦争と社会を捉えると、野外戦で戦い、玉が飛び交っている部分に、現場員は居る、当然、何時、死ぬか等々の不安が多々あるし、死の現実を身で判るポイントに居る。

しかし、指示系統は・・安全な場所、保護される建物の中で、お茶の飲みながら、談笑が出来る・・・

現実を一番知っているのは、現場員に成る・・・・

その立場が尊宅し、上に報告していたら、直ぐに砂上の楼閣と言われる状態に成ると言う事・・・・

要は、人様が嫌がる、損と思って居る方向に、対して、喜んで出来るような人でなければ、指導者には成らないと私は考えている。

その点、私は、未だに、様相が、悪いから、「無理をしないで~~~」と言われている事に成る。

「楽しいでしょう~~~」と言われる様に成らなければ・・・三流を脱する事は出来ないと考えている。

勿論、己が嫌で、キツイと思う方向の振舞い方でに成る。