2019年9月8日日曜日

疲れか????

昼間、長い時間、寝入っていた。

疲れなのか???

心配が尽きない為なのか???・・・・

55歳を過ぎてから・・・体が一気に重く感じている。

以前なら、これ位はやってやれない事は無いと、行動できた。
しかし、今は、挑戦に対して体が重く、腰を上げるのにも疲れる感じがする。

目の前には、多々の問題が積み上がり続けている。
誰か処理してくれる人を、望む方向に向かっている。

例と知れば・・四男が乗り回すバイク・車の修理も有るが・・・手を付けたくないこの気持ちが最近強い・・・
以前なら、黙って修理していたし、解らなくても、今までの経験でどうにかなるこの思いで出来ていたが・・・今は、100%近く、自信がなければ、腰を上げることが出来ない様になってきた。
之が、歳の影響なのか????・・・・私のなまけ症の為かは解らない・・・

歳と考えれば、子供達も大人に成っている。私の20代は家の事、周りの事で、何か有れば率先して協力をしていたし、それが結果として経験値を高めていたが・・・
四男の車等の修理も、上の三人の兄達が・・手助けしても良いと思うが・・・業者に頼めと言って片付ける・・・・

子供成長も、私の思っている方向性で無い為か・・・情けなさを感じるし、それが疲れとして感じているのかも知れない。

要は何もしたく無い・・・この気持ちに向かっている感じがする。

体調も悪いし・・・障害手帳に有る様に・・・右腕も昔の様に思う様に使えない。
不意に・・右腕・特に指が一番強いが・・・強くツル・痙攣を起す・・・之も前触れも無いので、怖い・・・

五男を世間に送るまでは・・・・・と・・・思っている。

上の兄達が・・との思いも親としては有るが・・・・遊び等には兄弟仲良く集まって、動いているようでその部分は、良いが・・・手を貸す、協力する、この部分をもう少しと私は思っている。

若い時に多々の、経験をしとくべきだったと思うし・・・どうせなら齧る程度でなく完璧に近い部分まで学んでいれば、今の気持ちには成らなかった可能性が高い・・・


余裕が・・・

余裕が寛容さを示すとも言われる。
しかし、現代は、見かけは余裕が有る様に見えるが・・・寛容さが無くなって来ているように私には感ずる。
特に私の様な三流は、一流の社会での異質に成る為に、最初に寛容さが無くなると、排除される立場に成るので・・・感じやすい。

不思議なだが、一流の社会・余裕が有る社会なら・・・寛容さで容認できる・・・しかし排除感を感じるのは何故か???

見せかけと大きく違っている可能性が有ると言う事・・・

危機感を感じている事に成る・・・優秀な人が多い社会化を試されている事に成る。
仮に、人の皮を被っている・・・動物と成るなら・・・当然、種族主義方向に向かう。
我・我が家族・我が村を最優先に考えると言うより…優先でなく、この部分だけ後は、排除と言う価値観に成って行く。

要は己さえ良ければ・・・怖い流れだと思うが、過去の歴史を見れば・・・怖い方向に向かっている。

経済が貧しいを通り越して破綻に近付けば・・怖さが先ず事に成る。

本来、余裕が有る時に学ぶ的、部分には興味を持たない・・・尻に火が付いたら学ぶ事より火を消す事に必死に成る・・・・それが出来なければ、崩壊と成る・・・
個の崩壊した時に、初めて、価値観の間違い等々に気付き、新たな価値観を求めだすが・・・それも、熱さものど元過ぎれば・・・忘れ去られる。

人間も、動物としての部分から脱する事が出来ないのか????脱する為には、学ぶ事が大事だが・・・・

何の為に生きるか????・・・何として生きるかも最近は大事なような気もする。
人として・・・動物として・・・生物といて・・・色々有ると思う。
私は三流なので・・・動物として生きる方向に強いと思うが・・・括りが人なので、人の生き方に近付いたとは思っているから・・・学ぼうと努力している。

しかし、不思議なのが・・・三流の私が日々に追われ・・余裕が無い・・・しかし、学びたいと言う思いがある。

一流で優秀な人は、余裕が有る筈だし、その様な言動をしている。それなら学ぶ時間等々・自由に作れるはず。しかし学ぶ事をしないし、気付いても居ない。

尻に火が付いている私は学びたいと思っていて・・・火が付いていない人は、思いもしない。若し、この様の尻に火が付けば・・・どうなるか・・・崖に向かっている。どうして止めるかを考えると思うが・・・当然、唯心部分での対処を考えず。唯物的、対処を考える。生き残る事を考えれば、当然、崖の部分、谷を埋める方法が有る。
谷に、人の死骸を積み重ねても仕方が無かったと言える・・・この方法を用いる可能性も有る

その後、この危機を生き残った人は、又、考えずに生活を続けるが・・・
踏み台に成った人達、生死の境をさ迷った人は、何故と考えだす。
要は、世間的に負け組と言われる人が、考え、学びたいと思う・・・この部分が動物と大きく違う人の特徴に成る。
勝ち組は動物も同じで・・自分ん力に優越感を感じ・・稀に今以上の力の為の努力をする・・・動物的、本能が全てを制する・・・世は弱肉強食と言える人達は、殆どが勝ち組と思って居る人達に成る。

現代は世界で、この流れが増幅している。
力が全て・・・今の世界のシステムはこの部分を底辺で出来ているので・・間違いで無いと思うが・・・納得できない人も増え続けている。

この体制に、不満が有ると言う事に成るが・・・如何する事も出来ない・・・
私は足元、近場を見る事にしている・・・私の分で最大限広げてもこのレベル・・この部分をと考えると・・・何かが見えだす。

私のブログ、開催当初に、将来を危惧している・・・大変で混沌とした時代が来ると書いてきた。
10年程前に成るが・・・この十年間でどうなったか???・・・当然、私の分の見える範囲に成るが・・・末広がりの発展と、逆に成っている。

利を求めず・・損得勘定で得を求めている。
負が見え難い方向を選んで居るだけで得を得たと思っている。
結果、利から遠ざかる方向に成っている。
この部分が、肌に感じる部分に成る。

得を得ている筈だが、感謝の念が出ない・・・逆に、不満の念が出ている。
可哀そうと思える生き方を、何故求めるのか???私は解らない。

和を尊ぶ・・個を尊ぶ

日本国の昔からの芯に有る。和を尊ぶ・・・・

個人主義が台頭してくると・・・個を尊ぶが芯に有る事に成る。

特に、戦後の教育で・・・個が主体者と言う価値観を教え続けてきた。

先の、ブログに書いているが・・・共存共栄と言う意味も・・・個から発すると意味が変り出す。

個から発する価値観だが・・・上下感も先ずは己・・次が等々に成って行く・・・
この発想考え方を、現代は習っていると言う事に成る。

何度がバランスと言って来たが・・・上下感が確りあると、バランスも取れなくなる。

個の上下感が、差別感と言ってもより・・

本来、人間も動物である。畜生道に成りやすい・・このレベルに陥りやすいと言う事に成る。
先ずは自分・次が子供・・・余裕が有れ・・と自分を中心に広がる事に成る。
しかし、余裕が無いと言う前提に成れば・・・己を守る為に仕方が無かったと頭が処理してしまう。動物的・人間に成て行く。

動物の世界を見れば・・・同じ種族でも、家族単位等で、争っている。又は、個として争っている。
之を見た、人間は・・仕方が無いと思うか・・・哀れと思うか・・・色々有ると思うが・・この部分がその人の価値観と言う事に成る。

本来、文化の違い価値観の違いを乗り越えての共存共栄が有ると私は考えている。
互いの価値観の知る必要が有るし、妥協点を探す事に成るが・・・
この部分でも上下感が現実には働いている。

他の価値観を認めないと成れば・・・共存共栄も変わる・・・近い価値案だけで人に限定して、繁栄する事に成るし、繁栄を楽して、苦労もしなくて、安直に明日から等々と成れば、相反する価値観の人から富を奪う事に向かう。

この部部も動物を見れば解る。高崎山のニホンザルを見れば集団性の中に秩序と言われるが上下感が有る。
子ザルたちは秩序を考えず、餌に向かっていく・・・之が畜生道でも餓鬼道の振舞いと言う事に成る。

本来、人間なら、この上の修羅道の次の、人間道に成っているが・・教育次第では、どうしても、畜生道・餓鬼道の方向に、動物と言う部分が人間は有るので、陥りやすい。
これ以下の地獄道が有るが・・・動物としての部分を脱する事が出来なければ・・人間は力と頭が有るので・・・地獄道の世界と成って行く

簡単に書けば、普通の動物が畜生道・餓鬼道で生きていても、不幸とは感じない・当然の事だし、普通の事・・・幸せや不幸等々、思っても居ないと思う。

しかし、人間は、この部分を脱したいと思う・・・しかし、方法を学んでいないので・・解らない・・・・動物が命に係わる、危機に成った場合、同じ仲間を踏み台にして生き残る行動をする。動物でも命に係わる状況に成れば、それに応じた行動を取る。
しかし、人間は、頭が有るので、命が係わる状態を早めに気付く・・・しかし、方法を知らないので・・・動物と同じ、人を踏み台にして上を目指すと成る。
この状態を地獄道と言う・・・

人間にも起きうる部分として、この三種を、三悪道とも言う。

何故この状態に成るのか????・・・先に書いた共存虚栄が行われていない為に成る。
しかし、楽して暮らしている人も居る・・・その人達は余裕が有るので、同じ価値観、似た者同意で共存共栄を楽しんでいる様に見える。

敵・味方の二極化に進むことに成る・・・・

何度か書いているが、お金本位主義・・・之も本来は食う為の動物としての本能・・・之が人間社会だと、お金で手に入るからに成る。

要は、三悪道の上の修羅道的、振舞いを上を目指すと起きると言う事にも成る。

三悪道に住む、場合・・・修羅道的、考えを言えば、凄い・共感・等々の思いが出るのは当然と成る。

何故か、動物でも自分含みで種族・仲間を守る・又食べさせる為に修羅的行動を取る。
捉え方をしだいでは、凄い愛情等々とも受け取ってしまう事に成る。

人間とは、なんと悲しい動物とも思える。
動物なら・・この様な世界でも不幸とは考えない・気付かない・・普通だし・・・当然・・
しかし、人間は、可哀そう・哀れ・等々の思いが出て来る。

何故か・・・・頭が有る上に、情報で魅力あるものが、多々頭に入って来る。
それを得る為には、本来、三悪道から脱する事だが・・・この部分で方法を考えれば、当然、勝・何に、敵に・敵は、その様な楽な世界に居る人達と成る。

この様な流れで、歴史上・色んな革命が有ったが、基本となる人間が、三悪道から脱していなければ、山猿のボスが変わるだけの世界を永遠に続けている事に成る。

本来、ボスが変れば良くなると言う事は有っても、そのボスの尊宅に頼る事に成る。
尊宅を受けれる人が良くなると言う事にも成る。
権力が、富を生むと成れば・・・当然、勝ちそうなボスの下で多くの働きをした方が、尊宅を受けやすい・・・之は動物でも同じ。
動物の世界では、権力争いで負けたなら、去る事に成るが・・・人間の場合、死の危険性も有るし、権力側だった全てを抹殺する、方向にも成る。
勿論、三悪道で生きている為に何の矛盾も感じない。
この世界で仲間が共存共栄という考えも出て来る。

リーダーも立場で変わる部分・・・家のリーダーなら隣近所との共存共栄を模索する事がリーダーに成る。間違っても、隣近所の家より、勝っている之を目指すリーダーは軍隊では認められるが・・・平時の状態では、敵を創るだけで意味が無い。

しかし、今のリーダーは自分の足元を勝たせるためのリーダーが多い・・・足元内の共存共栄を目指している。
部外者は敵と言う発想まである。

立場は区長なら・・・本来は周りの区との共存共栄を目指す必要が有るが・・・家のリーダーが利己主義なら、区内、共存共栄を目指す事に成る。

私の考えは、最小単位の変革が必要と言う事・・・・国のリーダー等が変れば・・・之で全てが変るなら、怖い国に成る。
そのリーダーの尊宅で、得する人損する人が、多く出る世界に成る。

諍いを起す、リーダーを求め過ぎれば、当然、戦争も起きる。

要は、一人一人の人間の、底上げ・・・レベルUPが求められている。

しかし、色んな世界を見て来たが・・・我が国でも、怖い流れのリーダーを求める風潮が有る。
目にに目を・・・winwinの関係と思っている。






帰りを待っている。

母屋で一人・・・家族が帰ってるのを待っている。

母屋は、人が大勢でガヤガヤしている時が、一番安心できるし・・・事務所二階の自室に戻れるが・・・

テレビの音だけが流れる・・・母屋は心配である。

色んな先輩方と話すが・・・世の中が良い方向に向かていない感覚が強いと言われる。
時代が変わる・・当然、良い方向なら・・・悪い方向と感じている先輩が多い事に成る。

この様な時代は・・歴史を見ると、強いリーダーを求める傾向が有る。
又、国としても、強い国に魅力を感じ出す動きをする。

之が結果的に、大きな争いを起す事が、歴史で証明さえている。

人間は、何故・・・同じ歴史を繰り返すのか????・・・・何を学んでいるのか???と私は思う。


私が考える強りリーダーの一人を選ぶ、この流れが問題と考えている。
各々の階層・・又は横の繋がり・・・小さな単位での強いリーダーの排出が求められていると考えている。

不完全な人間・・・この人間個人に全ての権限を与える。危険だと考えてる。

結局は、富を求めた結果・・・それに付随している負の部分に、注視しなかった為に・;目の届く範囲に集約させようとする。権力の集中に向かう・・・

田舎は忘れ去られ・・・高齢化が進み、人口の流出が続く事に成る。
国も同じで・・・国を捨て、富・力がある国に流れて行く事に成る。

要は、得の価値とは・・損の価値とは・・・この部分が、一極に向かっているから・・・世界中で同じ流れに向かう事に成る。
全ての人が同じ価値観に染まれば、その振舞いにも矛盾を感じない事に成る。

この一極が、お金本位主義と私は考えている。
哲学やイデオロギーで命を絶つ人より・・・お金の問題が底辺に有って、命を絶つ人が多いと私は思っている。

お金を得る為には命も捨てる・・・この現実に対して、奇麗ごとを後付けし居ると思う。

お金本位主義の価値観で・・・貧乏人と言われると・・馬鹿にされたと思う・・・事実でも苛めと捉える
様相も現代ではお金さえ有れば、どうにでもなる。

お金を求め・儲けたいと・・試行錯誤する・・之が現代の人間と言う事に成る。
勿論、生きる為にはお金は必要だが・・・それも限度がある。
この限度も考えず、貪り求める奪う・・・之を餓鬼道と言う・・・


昔から・・この様な時代が続いて来ている・・・世が乱れると強いリーダー・・指導者を求める流れも有る。

しかし、このカルマを繰り返していても意味が無いと私は思う。

各自・個の人として確り、自分の足で立ち、自立する事が、先ずは求められている。
当然、先に書いたように、各階層が有るし・・色んな人達がいる為に・・・その場・その時に求められる確りしたリーダーが必要に成る。
要は1000人いればその1000人がリーダーと成りえる、環境・人を創る事が大事だと考えている。

リーダー・指導者を外に求める時代は終わったと言う事・・・自分自身が自分のレベルでリーダーとなる必要が出て来ている。

家族でもリーダーが居るし・・当然、世代交代を行っているし・・・この立場を担える後継者が多々居れば・・・家庭・家も安泰である。
しかし、現代はこの部分でもリーダー不在・・・居るのは親分風を吹かせる人・・

小さな単位の家庭がこの状態なら・・・地域社会も同じだし・・・国さえ同じ・世界の国々も同じと成る。

守り支える・・リーダー・・・恰好よい振舞いには見えない。
しかし、この様なリーダーが不在に成れば・・・世は乱れだす。

見かけの力・格好良さを強く求めている時は・・・乱れた現実が有ると言う事にも成る。

自分の足場の現実からの逃避の為のリーダーでは無い・・・
足場の現実は己で対処するしか方法が無いし・・共に居る人が必要となる。

先のブログにも書いたが・・・共存共栄・・・が、各階層で行われる事が大事だし、例としては各々の家庭の中が共存共栄で・・それが他の家庭もと広がる事が大事だと考えている。
先ずは、足場と言う事・・・各々違う・・・