2019年9月8日日曜日

和を尊ぶ・・個を尊ぶ

日本国の昔からの芯に有る。和を尊ぶ・・・・

個人主義が台頭してくると・・・個を尊ぶが芯に有る事に成る。

特に、戦後の教育で・・・個が主体者と言う価値観を教え続けてきた。

先の、ブログに書いているが・・・共存共栄と言う意味も・・・個から発すると意味が変り出す。

個から発する価値観だが・・・上下感も先ずは己・・次が等々に成って行く・・・
この発想考え方を、現代は習っていると言う事に成る。

何度がバランスと言って来たが・・・上下感が確りあると、バランスも取れなくなる。

個の上下感が、差別感と言ってもより・・

本来、人間も動物である。畜生道に成りやすい・・このレベルに陥りやすいと言う事に成る。
先ずは自分・次が子供・・・余裕が有れ・・と自分を中心に広がる事に成る。
しかし、余裕が無いと言う前提に成れば・・・己を守る為に仕方が無かったと頭が処理してしまう。動物的・人間に成て行く。

動物の世界を見れば・・・同じ種族でも、家族単位等で、争っている。又は、個として争っている。
之を見た、人間は・・仕方が無いと思うか・・・哀れと思うか・・・色々有ると思うが・・この部分がその人の価値観と言う事に成る。

本来、文化の違い価値観の違いを乗り越えての共存共栄が有ると私は考えている。
互いの価値観の知る必要が有るし、妥協点を探す事に成るが・・・
この部分でも上下感が現実には働いている。

他の価値観を認めないと成れば・・・共存共栄も変わる・・・近い価値案だけで人に限定して、繁栄する事に成るし、繁栄を楽して、苦労もしなくて、安直に明日から等々と成れば、相反する価値観の人から富を奪う事に向かう。

この部部も動物を見れば解る。高崎山のニホンザルを見れば集団性の中に秩序と言われるが上下感が有る。
子ザルたちは秩序を考えず、餌に向かっていく・・・之が畜生道でも餓鬼道の振舞いと言う事に成る。

本来、人間なら、この上の修羅道の次の、人間道に成っているが・・教育次第では、どうしても、畜生道・餓鬼道の方向に、動物と言う部分が人間は有るので、陥りやすい。
これ以下の地獄道が有るが・・・動物としての部分を脱する事が出来なければ・・人間は力と頭が有るので・・・地獄道の世界と成って行く

簡単に書けば、普通の動物が畜生道・餓鬼道で生きていても、不幸とは感じない・当然の事だし、普通の事・・・幸せや不幸等々、思っても居ないと思う。

しかし、人間は、この部分を脱したいと思う・・・しかし、方法を学んでいないので・・解らない・・・・動物が命に係わる、危機に成った場合、同じ仲間を踏み台にして生き残る行動をする。動物でも命に係わる状況に成れば、それに応じた行動を取る。
しかし、人間は、頭が有るので、命が係わる状態を早めに気付く・・・しかし、方法を知らないので・・・動物と同じ、人を踏み台にして上を目指すと成る。
この状態を地獄道と言う・・・

人間にも起きうる部分として、この三種を、三悪道とも言う。

何故この状態に成るのか????・・・先に書いた共存虚栄が行われていない為に成る。
しかし、楽して暮らしている人も居る・・・その人達は余裕が有るので、同じ価値観、似た者同意で共存共栄を楽しんでいる様に見える。

敵・味方の二極化に進むことに成る・・・・

何度か書いているが、お金本位主義・・・之も本来は食う為の動物としての本能・・・之が人間社会だと、お金で手に入るからに成る。

要は、三悪道の上の修羅道的、振舞いを上を目指すと起きると言う事にも成る。

三悪道に住む、場合・・・修羅道的、考えを言えば、凄い・共感・等々の思いが出るのは当然と成る。

何故か、動物でも自分含みで種族・仲間を守る・又食べさせる為に修羅的行動を取る。
捉え方をしだいでは、凄い愛情等々とも受け取ってしまう事に成る。

人間とは、なんと悲しい動物とも思える。
動物なら・・この様な世界でも不幸とは考えない・気付かない・・普通だし・・・当然・・
しかし、人間は、可哀そう・哀れ・等々の思いが出て来る。

何故か・・・・頭が有る上に、情報で魅力あるものが、多々頭に入って来る。
それを得る為には、本来、三悪道から脱する事だが・・・この部分で方法を考えれば、当然、勝・何に、敵に・敵は、その様な楽な世界に居る人達と成る。

この様な流れで、歴史上・色んな革命が有ったが、基本となる人間が、三悪道から脱していなければ、山猿のボスが変わるだけの世界を永遠に続けている事に成る。

本来、ボスが変れば良くなると言う事は有っても、そのボスの尊宅に頼る事に成る。
尊宅を受けれる人が良くなると言う事にも成る。
権力が、富を生むと成れば・・・当然、勝ちそうなボスの下で多くの働きをした方が、尊宅を受けやすい・・・之は動物でも同じ。
動物の世界では、権力争いで負けたなら、去る事に成るが・・・人間の場合、死の危険性も有るし、権力側だった全てを抹殺する、方向にも成る。
勿論、三悪道で生きている為に何の矛盾も感じない。
この世界で仲間が共存共栄という考えも出て来る。

リーダーも立場で変わる部分・・・家のリーダーなら隣近所との共存共栄を模索する事がリーダーに成る。間違っても、隣近所の家より、勝っている之を目指すリーダーは軍隊では認められるが・・・平時の状態では、敵を創るだけで意味が無い。

しかし、今のリーダーは自分の足元を勝たせるためのリーダーが多い・・・足元内の共存共栄を目指している。
部外者は敵と言う発想まである。

立場は区長なら・・・本来は周りの区との共存共栄を目指す必要が有るが・・・家のリーダーが利己主義なら、区内、共存共栄を目指す事に成る。

私の考えは、最小単位の変革が必要と言う事・・・・国のリーダー等が変れば・・・之で全てが変るなら、怖い国に成る。
そのリーダーの尊宅で、得する人損する人が、多く出る世界に成る。

諍いを起す、リーダーを求め過ぎれば、当然、戦争も起きる。

要は、一人一人の人間の、底上げ・・・レベルUPが求められている。

しかし、色んな世界を見て来たが・・・我が国でも、怖い流れのリーダーを求める風潮が有る。
目にに目を・・・winwinの関係と思っている。






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