2019年9月8日日曜日

余裕が・・・

余裕が寛容さを示すとも言われる。
しかし、現代は、見かけは余裕が有る様に見えるが・・・寛容さが無くなって来ているように私には感ずる。
特に私の様な三流は、一流の社会での異質に成る為に、最初に寛容さが無くなると、排除される立場に成るので・・・感じやすい。

不思議なだが、一流の社会・余裕が有る社会なら・・・寛容さで容認できる・・・しかし排除感を感じるのは何故か???

見せかけと大きく違っている可能性が有ると言う事・・・

危機感を感じている事に成る・・・優秀な人が多い社会化を試されている事に成る。
仮に、人の皮を被っている・・・動物と成るなら・・・当然、種族主義方向に向かう。
我・我が家族・我が村を最優先に考えると言うより…優先でなく、この部分だけ後は、排除と言う価値観に成って行く。

要は己さえ良ければ・・・怖い流れだと思うが、過去の歴史を見れば・・・怖い方向に向かっている。

経済が貧しいを通り越して破綻に近付けば・・怖さが先ず事に成る。

本来、余裕が有る時に学ぶ的、部分には興味を持たない・・・尻に火が付いたら学ぶ事より火を消す事に必死に成る・・・・それが出来なければ、崩壊と成る・・・
個の崩壊した時に、初めて、価値観の間違い等々に気付き、新たな価値観を求めだすが・・・それも、熱さものど元過ぎれば・・・忘れ去られる。

人間も、動物としての部分から脱する事が出来ないのか????脱する為には、学ぶ事が大事だが・・・・

何の為に生きるか????・・・何として生きるかも最近は大事なような気もする。
人として・・・動物として・・・生物といて・・・色々有ると思う。
私は三流なので・・・動物として生きる方向に強いと思うが・・・括りが人なので、人の生き方に近付いたとは思っているから・・・学ぼうと努力している。

しかし、不思議なのが・・・三流の私が日々に追われ・・余裕が無い・・・しかし、学びたいと言う思いがある。

一流で優秀な人は、余裕が有る筈だし、その様な言動をしている。それなら学ぶ時間等々・自由に作れるはず。しかし学ぶ事をしないし、気付いても居ない。

尻に火が付いている私は学びたいと思っていて・・・火が付いていない人は、思いもしない。若し、この様の尻に火が付けば・・・どうなるか・・・崖に向かっている。どうして止めるかを考えると思うが・・・当然、唯心部分での対処を考えず。唯物的、対処を考える。生き残る事を考えれば、当然、崖の部分、谷を埋める方法が有る。
谷に、人の死骸を積み重ねても仕方が無かったと言える・・・この方法を用いる可能性も有る

その後、この危機を生き残った人は、又、考えずに生活を続けるが・・・
踏み台に成った人達、生死の境をさ迷った人は、何故と考えだす。
要は、世間的に負け組と言われる人が、考え、学びたいと思う・・・この部分が動物と大きく違う人の特徴に成る。
勝ち組は動物も同じで・・自分ん力に優越感を感じ・・稀に今以上の力の為の努力をする・・・動物的、本能が全てを制する・・・世は弱肉強食と言える人達は、殆どが勝ち組と思って居る人達に成る。

現代は世界で、この流れが増幅している。
力が全て・・・今の世界のシステムはこの部分を底辺で出来ているので・・間違いで無いと思うが・・・納得できない人も増え続けている。

この体制に、不満が有ると言う事に成るが・・・如何する事も出来ない・・・
私は足元、近場を見る事にしている・・・私の分で最大限広げてもこのレベル・・この部分をと考えると・・・何かが見えだす。

私のブログ、開催当初に、将来を危惧している・・・大変で混沌とした時代が来ると書いてきた。
10年程前に成るが・・・この十年間でどうなったか???・・・当然、私の分の見える範囲に成るが・・・末広がりの発展と、逆に成っている。

利を求めず・・損得勘定で得を求めている。
負が見え難い方向を選んで居るだけで得を得たと思っている。
結果、利から遠ざかる方向に成っている。
この部分が、肌に感じる部分に成る。

得を得ている筈だが、感謝の念が出ない・・・逆に、不満の念が出ている。
可哀そうと思える生き方を、何故求めるのか???私は解らない。

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