2018年3月8日木曜日

仁義・・・

母の兄弟・義兄弟が、亡くなって行く・・・・

母が、昔、兄弟等間の、冠婚葬祭等々の、仁義に対して・・・米、一表の金額と決めていた。

最近は、物価、インフレの変動が無い為に・・・一定の金額に成っているが・・・・

前回の伯父が亡くなった時は、父を看ている、妹にも連絡を入れたが、法的には、憲法には記載が無い等々、言って・・・話か噛みあわず・・・・又、葬儀に参列する之も、曖昧な返答だった・・・・

結果、私は〇〇家の名代としての仁義と・・・甥としての、仁義と二つ、する事に成ったし・・・

其れを妹に言うと、証拠等々言い出す・・・・香典を渡して、領収書を書いて貰う・・・この様なシステムを私は聞いた事が無いが・・・

彼女の、価値観だと、お金の動きが有れば、書面が必要と言う・・・・裁判等に成れば、之が無ければ、意味が無いと見なされるし・・・・意味が無い事は、国が認めていないからとなる。

今回もこの様な揉め事を、妹とやり合うのかと、案じていたが・・・・

嫁が今回は、妹に話すと、電話をしたら、素直に認めたとの事・・・・

一安心・・・・妹も若くして嫁いだ・・・・結果、私の母も、妹に色々教えていないし、嫁に出す身、相手様の家の仕来りに沿う為には、無地が良いと言う考えも昔は合った。

その為に、花嫁衣裳の白無垢の着物の意味が有る・・・・・各家の、家訓や家の風習が有る、それに沿う・・守る・・・・之が家を守る女・・・嫁と言う・・・

しかし、嫁いだ先が、親との同居で無い・・・・夫婦だけの世界からの出発・・・・・誰も、この様な事を教えている人が妹には居なかったと思うし・・・又居ても、聞く耳は持たなかったと思う・・・

前回の伯父の葬儀の際に・・・父に付き添って来た妹・・・・他の従兄弟達が全て集まっていた事に驚いていたし、其れも遠くに住んでいる、従兄弟まで来ている。

少しは、世間を知ったと思う・・・・

夫が、日本国の法の番人の、判事をしていた妻としての、立場で、親族は見る・・・・レベルが高いと見えれていれば、振舞いもそれに沿う必要が出て来るし、親族の中での扱いも、上げ膳・据え膳の立場に座る事が出来る。

私等は、下働きの立場・・・・其れなりの振舞いで済むが・・・・この様な流れも、妹は解っていない・・・・

叔父や叔母から、簡単に送って行け等々の、依頼も、彼女の立場なら受けることは無い・・・

之が意味する事は、頭が無い馬鹿は当然、稼ぎも悪い、その為に体で、恩を返している事に成る。
一流やエリートと言う立場は、当然、色々な事で忙しい・・・その為にお金で恩を返す、この様な考えも有ると言う事・・・・

受けた恩を返す、これもレベルや立場で、形が変るのは当然・・・・・出来る範囲で返す・・・之が私は人だと考えている。

この様に人の扱いが違う・・・・之を差別と言う人も居るが・・・私は逆に、レベルに応じた平等性が有ると考えている。

母は、仁義は、金を借ってでもせろと、私は教わっている。

最近の親は・・・・子供にこの様な事を、言わないし、教えていない・・・・仮に、自分の親が亡くなり・・・親の兄弟の葬儀等が有った場合・・・・甥の立場での仁義は当然・・・・親の名代としての仁義も存在する・・・之に気付かない人も多い・・・・若しかすると自分の兄弟で兄が其れをしているかも知れない・・・

勿論、家の仕来り・・・又、親族の仕来り・・・・各々違う・・・・当然、国の憲法等に記載は無い・・・

この気付かない、見えない、部分を担っている人も居る・・・之が無ければ、親族間の繋がりが一気に薄れる。


現代は、大事な集団に・・・親族が無い・・・だから解り難い・・・

若し、大好きな趣味の集団が有った場合・・・如何振舞うかを考えれば、答えが出ると思う・・・
自分の立場やレベル等も考えて、振舞い方を変えるはず・・・・又、お金、等の、費用分担も、立場やレベルで、配慮と言う形に行なっていると思う・・・・

組織や集団を維持する為には、世間で言われる損と言う部分を、担う立場が必ず必要に成る。
大事なグループと言う、思いが有るから、その損を担う事も出来る。

昔、同情するなら!!金をくれ!!・・・こんな台詞が有ったが、お金が出せる人は出す、無い人は、何を出せるかに成る。

この部分が一番、顕著に出るのが、家族の筈だが・・・・思いが有り、努力をしているから、言いたい事が、出て来る・・・之が私は人だと考えている。

この人間と言う部分まで、否定される時代に、成りつつある・・・結局は、孤立化の方向へ向かっている事に成るし、一人になれば、当然、強大な力を求めだす。

この流れに、国が成れば、戦争と言う、非常・悲惨の流れに成りだす。



叔父から電話・・・・

先週、見舞いに行っていた叔父が亡くなったとの電話が昨晩9時に有った。

直ぐに準備をして。又今父を看てくれている妹にも電話・・・

家を出様としていたら、近所に住む、叔父から送迎依頼の電話が・・・・

叔父を乗せ・・・又、若手の力も要るので・・・次男も迎え乗せて、叔父の家に向った・・・

見舞いの時は、退院される位の元気が有ったと私は感じていたが、その後一週間で体調が一気に変った様だ・・・・・

家に叔父が帰ってきた・・・・人手が要るし・・・特に若い手が要る。

従兄弟達も集まってきているし・・・又、孫等々も集まって来るので、私の手は必要でなかったが・・・

之が本来の姿・・・・・昔は、親族が集まる之にも時間が掛かったので・・・隣組が下働きの全てを賄っていたが・・・現代は、小さな単位の社会さえ崩壊している。

結果、親族が大事に成るが、今度は親族間の繋がりも気薄く成っている。

最後の砦・・・家族に成るが・・・・家族も崩壊している・・・・・

この現実が有るので、死ぬまで現役が目標に成るし・・・・墓を閉じる方向にも進んでいる。

結局、生きる意味が、得ることだけで、何を残すか之を考えない方向に向かっている事に成る。

沢山、得る之が幸せだと考える、価値観が蔓延している事に成る。

無理をして、汗を沢山流して、得るなら道理に成るが・・・之も求めていない・・楽に・簡単に人より多く得る、之が目的の価値観が増えれば、当然、損する立場が増え続けると言う意味にも繋がっている。

何を求めているか・・・・之が社会を創る・・・・・・汗も流さず苦労もしないで、天国を求めるなら・・・当然、人様を地獄に蹴落とす、振舞いをして居ると言う事に成る。
しかし、その振る舞いが、何故か格好よく見える、之が、価値観の怖さに成る。

人が歩けば、足元に居る、虫を、殺しているかも知れない、しかし、イメージもしないし、意識も無い・・・当然と思い、何も不思議に思わない・・・之が価値観に成る・・・・

価値組みの価値観と言うものは、負け組みの事を考えていないのが一般的・・・

色んな価値観が有る、これを知り、広げて行く、許容力が現代は求められている。