2018年3月8日木曜日

叔父から電話・・・・

先週、見舞いに行っていた叔父が亡くなったとの電話が昨晩9時に有った。

直ぐに準備をして。又今父を看てくれている妹にも電話・・・

家を出様としていたら、近所に住む、叔父から送迎依頼の電話が・・・・

叔父を乗せ・・・又、若手の力も要るので・・・次男も迎え乗せて、叔父の家に向った・・・

見舞いの時は、退院される位の元気が有ったと私は感じていたが、その後一週間で体調が一気に変った様だ・・・・・

家に叔父が帰ってきた・・・・人手が要るし・・・特に若い手が要る。

従兄弟達も集まってきているし・・・又、孫等々も集まって来るので、私の手は必要でなかったが・・・

之が本来の姿・・・・・昔は、親族が集まる之にも時間が掛かったので・・・隣組が下働きの全てを賄っていたが・・・現代は、小さな単位の社会さえ崩壊している。

結果、親族が大事に成るが、今度は親族間の繋がりも気薄く成っている。

最後の砦・・・家族に成るが・・・・家族も崩壊している・・・・・

この現実が有るので、死ぬまで現役が目標に成るし・・・・墓を閉じる方向にも進んでいる。

結局、生きる意味が、得ることだけで、何を残すか之を考えない方向に向かっている事に成る。

沢山、得る之が幸せだと考える、価値観が蔓延している事に成る。

無理をして、汗を沢山流して、得るなら道理に成るが・・・之も求めていない・・楽に・簡単に人より多く得る、之が目的の価値観が増えれば、当然、損する立場が増え続けると言う意味にも繋がっている。

何を求めているか・・・・之が社会を創る・・・・・・汗も流さず苦労もしないで、天国を求めるなら・・・当然、人様を地獄に蹴落とす、振舞いをして居ると言う事に成る。
しかし、その振る舞いが、何故か格好よく見える、之が、価値観の怖さに成る。

人が歩けば、足元に居る、虫を、殺しているかも知れない、しかし、イメージもしないし、意識も無い・・・当然と思い、何も不思議に思わない・・・之が価値観に成る・・・・

価値組みの価値観と言うものは、負け組みの事を考えていないのが一般的・・・

色んな価値観が有る、これを知り、広げて行く、許容力が現代は求められている。



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