2019年10月6日日曜日

四男の様子が・・・

四男が必死に、彼女を守っている、姿が可哀そうに見える・・・・

彼女も幼過ぎる・・・精神的部分に成る。

どの部分かと言えば・・・・自己保身の部分が、余りにも幼い・・・

四男も同じだが・・・・現象に対して、問題が起きれば、本来、逃げようとするのが人間である・・・・しかし、それが無い・・・・その場に留まる傾向が有る。

結果、当事者だからと責められると・・・素直に応じるタイプに成る。

警察等でも、この様な傾向性なので・・・ただ頂け・・・周りは逃げた・・・何故自分が????この思いでいる様だが・・・責任が有ると言われると、従う傾向が有る。

逃げない事が、彼には正義だと思っている・・・・勿論、大事な部分だが・・・原状の認識が出来ていない部分が、一番の問題だと私は考えている。

この様な部分が、発達障害が疑われると、医師が言う部分に成る。

彼女も似ている様に、一時間ほどの会話で、感じる・・・・

悪知恵の有る人達から、利用され続けていると思われる。

知り合った、場所・日時も、二人の見解は同じ・・・しかし、何かが合わない・・・
私が、彼女を我家で見る様になった、日にちと合致する・・・それ以前は、他の女の子が来ていた。

この部分を、言う事が、彼らに取って、どう影響するか等も考えている。

上の息子達が言う様に、命は何に代えても大事・・・私もそのように思うが・・・

しかし、四男達は、今は必死に悩んでいるので・・・否定的意見等、聞く耳が無いと思う。

子供以上に、悩む・・・之も親としての責任だと思う。

その都度思うのが・・・力が欲しいと言う事・・・・手を差し伸べるにも力が必要な時が有る。

上の子供達の時と比べ・・・力が劣っている・・・

色々おきる・・・

昨日は、昼前、何時もの後輩が・・・家の改築で、居る場が無いと昼前に来た・・・

勿論、昼食を狙ってに成る・・・・お昼からは、同じ友達に成る会社のお手伝いと言う事・・・・入れ替わる様に、今度は長男が来訪・・・

お腹が減った・・・タバコが無いと・・・来た・・・
色々有るが・・・

夜は、三男家族が来訪・・・・五男の髪をそろえる為に来訪・・・

全てが感謝に成る。

勿論、その他も色々あるが・・・何時も思うのが、人様に何が出来るか????・・・之を模索しているし、分に応じた対処も考えている。

この地に生まれた・・・この意味は、この地・環境に対して何が出来るかだと私は考えている。

しかし、普通の教育を受けると・・・何故か、何を得るか・・・この部分を基本に、多く得る為の教育のようである。

生まれた事に感謝できれば、この地・環境に対して、何かをしたいと思うのは当然と私は考えている。

仮に、会場を借りる・・・借りて得た、感謝に対して・・当然、何かを返したいと思うのが、人間だと考えている。

それと同じで、生まれた地に対しても、感謝に成るし・・・生きた場所にも当然、感謝と言う事に成る。

何かを得たから、感謝と言う事に成るが・・・この得るものは・・・この部分が教育だと私は考えている。

責任と義務を得た、之も感謝に成る・・・・

人間なら、特に大事だと考えている。

若し、教育が、この部分からの逃避の為の、教育なら間違っていると思う。


考えれば、人間も、宇宙に有る物質で構成されている。

宇宙と同じと言う事に成るし・・・分子の集合体で、石に成るか、人間に成るかの違いに成る。

石と形成される、物質も有るし、人間として形成される物質も有ると言う事に成る・・・

簡単に書けば、石も人間の、同じ、宇宙の一つの姿と言う事に成る。

私は、人間い生まれた事に、当然、感謝する事に成る。

資産・ダイヤは金が欲しい、それが全てで、他を認められないと言うタイプなら、微惑星でダイヤと金で構成された、惑星で孤独に、宇宙空間を浮遊する、之を求める人も居ると思うが・・・

私は、この世に人間として生まれた、この奇跡に感謝している事に成る。

人として生まれたなら、石では出来ない事が出来る・・・結果、何が出来るかが大事だと考えている。

人間は、色んな生物や物質を解る・・・他のその様な立場で生まれなかったことに、気付くはずである。その時、悔やむのか????・・・感謝できるのか????
私は、感謝する事に成る。

当然、ガス状で物質化しない状態も有るので、物質化しただけでも感謝だと私は考えている。

しかし、形あるものには、限りが有る・・・・太陽でさえ寿命が有る。

勿論、寿命を付き、又、再生へとの過程を進むが・・・・人間もこの摂理に準じている。
生にも感謝に成るし、死にも感謝に成ると思うが・・・中々、この次元には到達できないでいるのが、私である。

現実に、生き続ける為には、ほかの物質を用いている。
生きれたと言う事は、他にも感謝に成ると私は考えている。

この基本部分を誰が教えるのか????・・・・この部分を危惧している。

若し、この部分を知らず・・・自分の権利を主張しだせば・・・大変な事に成る。
勿論、本人自身が思っている、基準での主張なら、解るが・・・・与えられた情報等で、妄想を含まらせた、権利の主張なら、怖い事に成る。

若し、己を過大評価してしまえば・・・当然、権利の主張も大きくなるのが、現代社会の構造に成っている。

人でなく、肩書等々で、変わる部分に成る。

先に書いているが・・・私の捉え方が違えば、全て暴力に成る・・・奪われている事にも成る。
私は、それを見て、納得している・・・から、問題に成らない・・・当然、相手も問題に成る所では、しないと思う。

若し、その様な分と言う事に成れば・・・分が高く優秀で裕福な人には、モット、我儘な振舞いをしても、問題に成らないと言う事にも成る。

しかし、現実は、逆である。何故か、何の為に、分を高めたか、優秀に成ったか、この目的が、違う為に成る。

様な、人に生まれた、この部分をもう少し、学ぶ事だと私は考えている。





完璧を装う・・・・

私は、人間は完璧でないと思っているし・・・・叩けば誇りが出るのが人間だと思っている。

しかし、社会は完璧方向に向かっているし・・・それを求めている人が多い・・・
結果、完璧でない人間は、住み難い方向に向かっていると言う事にも成る。

何故、人間の完璧でない部分を受け入れる、度量が無いのか????とも思う事に成る。

私は人間を信頼している・・・この不完全と言う部分も含みに成る。
しかし、現代は、基準が完璧なので、信頼は当然・・・しかし、不完全部分が見えれば、信頼できない・信用できないという方向性を創っている感じが私はします。

先に書いている、人間は完璧でないと仮定すると・・・全ての人間は信頼に値しない事に成ると思う。
この方向性が進めば・・・人・人間は信頼できない・信用できない・・・何が信頼・信用に値するか????それを求めだす・・・・何か????・・・・何度も書いている、お金に成る。
お金も色々ある・・・・お金で力が有る・・・ドルを頂点にした・・信用・信頼度が全てと成る。

簡単に書けば、ドルをどうして得るか????・・・当然、動物なので、楽で得たいと成る・・・・・楽に得た人が優秀と言う事にも成る。

人間・人の価値は????・・・当然、持っている資産・・・最終的にはお金・ドルと言う流れが、現代と言う事に成る。

結論から言えば、人間・人を尊重していないし、タダの箱・・・この程度の認識に成っている。

箱の器が大きいか小さいか・・・その中に有る、資産が大きいか小さいか・・・・之が現代だと私は、肌で感じている。

仮に、器が大きければ、器から溢れ出す、中に有る資産も大きくならざるおえない・・・溢れるか????・・・当然、人間は欲が有る・・・溢れさせないと器を大きくする方向に成る。
他の人は、器の中の資産が欲しいい・・・しかし溢れ出す事は無い・・・結果、器たる箱を壊す方向に向かう・・・・

色んな、事が社会で起き・・・マスコミ等がニュースとして流している。全てがこの様な流れから起きている様に私は考えている。

間違いを起し、完璧でない、人間を信頼できるか???その為の私は教育だと思うが・・・この部分を、行っていない感じさえする。

現代の風潮を見れば、この不完全部分を指摘して・・・人を阻害するこの方向に向かっている。結果、完璧を装う方向も、完璧を目指す方向に成る。
完璧さに対して、指摘等も抹殺する流れに成る。
之が出来る、事も力と思い込む流れに成っている。

日本国は、自由主義国家でもある・・・自由とは????・・・この部分を多く学ぶ事が大事だが・・・身に感じる部分は、資本主義と言う部分に成る為に、先に書いた部分に強く影響される。

結果、資本主義に縛られた、自由が一極の範囲内という、狭い自由主義と言う事に成る。

私は、家族的・・・社会を望んでいる・・・・子供が失敗・事件を起こしても、排除するか???・・・・・子供が着飾っていても、凄い・優秀と思うか??・・・
当然、家族の考え方も、色々有ると思うが・・・・・・この部分もどの方向に進んでいるのか???・・・之も危惧している。

私は、心配も私の個性と考えているし・・・・苦労も私の現実だと思っているので・・・当然と受け入れている。
勿論、生物として、嫌だと感じるし、逃げたいとも思うが・・・背中に背負っている人も居るので、耐える、之を人間として学んできたから出来ていると感謝している。

若し、生物・動物しての部分だけが、拡大した社会なら、畜生道の世界と言う事に成る。
又、我欲の飽くなき、欲求を求め貪る人が増えるなら・・・餓鬼道の世界と言う事に成る。
この、命の持ち主が、我先に、争い、人の足を引っ張る世界に成れば、地獄道の世界と言う事に成る。

この世界なら、もがき苦しむ人たちを足元に見えて、自分は少し上だと思った、優越感が幸福だと思う、事に成る。

この流れを、扇動する・・・之が、情報・マスコミにも成っている感じさえする。

仮に、不完全な人間と、確り理解している・・・損得勘定で事を判断する価値観なら・・・当然、個の方向に向かう・・・人が信用できない・信頼できない前提に成る・・・家庭も作らない方向に向かうのは当然と言う事に成る。

作っても、結果は、騙されたと、家庭崩壊に向う事も当然と成る。

本当に、完璧な人間が基本なのか???・・・之を家庭に当てはめれば、完璧は父・完璧な母・完璧な子供・・・有る筈がない・・・

しかし、社会や会社に之を求める人も多い・・・・この部分が不思議でならない・・・

看板に、不完全な社員だけの会社だと言う、謳い文句が有っても良いと思うが・・・
何故か、商売の維持が出来ない・・・之が現代の社会に成る。

偽りの完璧を装わなければ、生きて行けない世界と言う事に成る。

この部分が、ブランド品を身に付けた人たちが、地獄図の中で生きていると、私が評する理由に成る。

一瞬の優越感を、幸福と勘違いし・・直ぐに空しさが襲ってくる。この怖さから逃げる為に、同じ価値観の人達を求める・・・又、その中で競い合い・何を優越感を・・・無限に続く地獄と言う事に成る。

人間の不完全さを、許容できる、家庭が私は理想と思う・・・当然、社会もこの方向が理想と考えている。

国も同じと思っている。

出来ない人は出来ない・・・出来る人が背負う・・・その為に、出来る人を優秀な人と言う・・・

現代は、優秀な人は、汗を流さない・・・有鬚でない人が汗を流すが・・・出来ない人が、行っても結果は出ない・・・その様な人は、必要ないと捨てられる時代と言う事に成る。

この、流れに属している為に・・・苦労が多い人が多い事にも成る。
出来る人なら苦労とは成らない・・・出来ないから苦労となる。

しかし、出来ないと言う、不完全部分の意味が、人間失格と言う部分に成る為に・・・この部分を隠し、見えなくするための、能力を使う方に、力の殆どを使っている事に成る・・・