今日は、約束していた友との件も延期に成ったので、少し、余り書きたく無かったが、国等々の価値観を書きたいと思う・・・・
以前、企業が正社員として雇用する、この危険性を書いた、理由は、雇用する社員の価値観を、判断し難い為に成る。
雇用後に、その価値観が解り、其れが会社の価値観と違った場合、大きな会社なら許容力は有ると思うが、小さな会社だと、之が問題に成りだす。
家と言う、部分でも判断が出来る・・・之が名字に成る場合も有るが、明治維新後、この部分も判断がし難い方向に成っている。
又、結婚相手を判断する為に、昔は親を見ろと言われていた・・・親の情報が有れば、その子の価値観も有る程度判断できる。勿論、限定は出来ない之が前提に成るが・・・・
国も同じ事で、その歴史等々から来る、価値観が有るし、文化が有る・・・・この部分は経験から来る、個人が培った知恵に成る。
今が有るのは、過去が有るから・・・・この過去から判断している事が多い、しかし、この部分を無くす方向性も現代は有る。
今、政界の超大国と言われる、アメリカ・・・・本来は原住民が居た時代も有るので、歴史は古いと成るが・・・・現実には、その様な人々は、隅にやられ・・・国の主体者とは成って居ない。
殆んどが、アメリカ以外から来た、移民による、国に成る。
この移民が西欧諸国から、来訪しだした、500年ほど前からの、歴史がアメリカと成っているし、その様な認識で私は見ている。
移民が住む世界、之を植民地と本来言うと思うが、その土地は、結果的にアメリカ原住民から奪った、之からの出発に成る。
この植民地、場所を、西欧の角国が争い手に入れたと言うのが、始まり・・・その後、200年余り、西欧の植民地としての歴史が続くが、西欧人同士の戦争で独立したのが、今のアメリカ合衆国に成る。
何故独立したのか???・・・同じ西欧人でも、利権等々の富の部分の不均等さが原因と私は考えている。
最初に、何故、移民を西欧からしたのか???・・・当然、不均等を感じて、各々の国を捨てたり、追い出された人達に成る・・・勿論、宗教的な部分も有る・・・同じキリスト教でも色々有る、その為に、同じ価値観の人が集まり、一つの村を形成・・・又は国、今は州と言うが・・・この様な流れだと私は考えている。
アメリカの歴史の基本にこの部分が有る。
その為に、移民国家とアメリカを言う場合が有る。
しかし、先の大戦に参戦したアメリカ、何をそれで得たか・・・・基本基軸通貨が、イギリスのポンドから、アメリカドルに成った・・・之が意味する事は、お金本位主義が進めば、独裁国家と言う事にも繋がる。
簡単に書けば、尤物的部分を全て手に入れた、形に成る。
西欧を追われ、逃げて来た人達が創った国・・・・之が世界最大の超大国家と言われる立場に成ったと言う事に成る。
今、この国が、建国の原動力に成った、移民を受け入れないと、言っている。
弱い時は、移民を受け入れ、強く成れば、移民は受け入れない、之が意味する事は力本位主義国家と言う事を、自ら言っている事に成る。
移民が解ら見れば、移民国家と思って居るが、現実は、違うと言う事に成る。
資本主義の考えなら、解る部分に成る、会社で考えれば、弱い立場、対価も多くは与えられない、しかし、人は居る。この様な時はどんな人でも良いと受け入れる。
力が付けば、当然、人を選びだす。求めている価値観の人を欲しがるのは、当然と言う考えに成る。
人が持つ欲を利用して、発展させると言う、価値観が基本に有るのが資本主義・・・
馬の目の前に、ニンジンをつるす様な、主義とも言ってよいと私は考えている。
勿論、人間、通用しない人も居るが、若し、この主義に染まると、意味がないと後で思える、争いも勝手に勝ちたいと言う、本能が出て来る。
今の一瞬が良いか悪いか、勝ちか負け、この様な価値観に成って行く・・・・
人の動物的、本能に近い・・・
仮に、金本位主義が蔓延すれば、お金が全てに成るが、お金もランクが有る、ランクの高いお金が良いと思うのは当然と成る。
そのお金を発行している国、その国にも力が有ると成る。
現代、一番力のある、お金を発行している国が、アメリカに成るし、そのアメリカの歴史文化は、移民国家と言うのが、一般的な認識に成る。
しかし、超大国としての、怖さが最近出て来ていると私は考えている。
解り易い、二極化で判断させる論法を、使いだしている。
敵か味方か・・・この二極で分類しだしている。
当然、この価値観が世界に蔓延している。
唯物的、富を求める、之を目指すならこの価値観で、超大国に成った国を目指す、之も必然と成る。
しかし、その超大国・・・近隣諸国の問題を、どう考えているか????ヨーロッパは、内部で、処理しようと努力しているが、その行動を世界は、当然だと思っている。
若し、アメリカ大陸でこの様な状態に成れば、何処に人々は向かうか???当然、アメリカ合衆国に成る。又、其れを世界は望みの目で見ているが・・・私のアメリカ感では、虫けら程度でしか見て居ないと思う。
勿論、民主主義国家、国民の意向に成るし、そのバランスで河wるが・・・・
同じ事で、国家間でも、枠組みが有る・・・その枠組みの中でのリーダー的国が有る、その国も色々で、枠組み内の、問題の処理の方法も、リーダー国で変わる。
アメリカがリーダー的枠組みなら、リーダーのアメリカの処理の方法も、私はイメージが有る。
中国がリーダー的枠組みなら、リーダーの中国の処理の方法も、私はイメージが有る。
その国のイメージ、国民の価値観、等々を基本に私は考えている。
勿論、建前と本音が有る世界・・・・このバランスも国で違う・・・・・
家と枠組みも、世界中で崩壊方向に向かっている・・・・結局は枠組みも各々の損得勘定だけに成って行く・・・・・誰も負を背負わない世界と向かう、負が残れば、当然、争いが高まる。
世界が変わらなければ・・・・・・今は、一極集中主義方向に向かっている、之も、終りに成らないと、私は思っている。
2018年12月2日日曜日
他の命を頂く・・感謝
先のブログに、他の命を頂く・・と・・書いたが・・・
この部分も考えると、多くの命を頂いて私の現在が有る事が解る・・・
又、自然保護や環境保護・・・最後には地球保護と言う、部分を一流の人は言っているが・・
自然を痛めつける、殺生は出来るだけ、避けたいと私は考えている・・・
何度か書いているが、残飯を頂く、之が私の任務・立場に成っている、家族の食べ残した部分に成る。
勿論、家族・子供達には、この部分を言っているが、聞く耳を持たないし、残飯等々を食べる、汚い・下品、等々と言う・・・
この様な価値観・考え方が、現代の普通なのかもしれないが・・・・この様な部分が大事だと考えている。
環境保護等々を、叫んでいる人の、姿を看ると、身成り等々、環境を考えているとは思えない人も多い・・・
人の汗・又、自然の物質を多く使った物で、着飾っている・・・・環境に負荷を与える姿が、何故か普通と言う・・・
又、其れが長けている事が格好良いと言う、風潮まで有る様に感じる。
子供は、現代の社会の縮図だと私は考えている。我が子の振る舞い、価値観も見ると、マスコミ等々で、言っている、指針と逆方向の価値観と言うのが正しい・・・
結局、言葉等々より、振る舞いで得ている、価値観が強い様に感じる。
格好良い振る舞いを真似する・・・この部分が価値観に成るが、何が格好良いか之を、身を持って振る舞って見せる、之が、リーダーの姿だと私は考えているが、
自称、一流・優秀・その様な人が、目立つ部分で振る舞っている姿を、子供達が見て、真似をしている事に成る。
世の中の、尻拭きを誰がするのか????・・・・現代では弱い立場と言う考えが有る様だ・・
強い立場が作った負を、弱い立場が、処理できるか???・・・不可能に近い・・・後は多々の人数が必要と言う方向に向かう・・・之が意味する事は、少数の強者と、大多数の弱者の世界を、目指している事に成る。
国家間でも同じ、様相に成っている。
本当の弱者は、この処理をすると思うか???絶対にしないと私は思うし、出来ない、之を、強者のせいにする流れに成る。
本当の強者の振る舞いを出来る、この様な人や組織・国を創るしかない・・・
しかし、其れを徳と思う価値観が、どんどん無くなって行く方向に向かっている。
唯物的、勝者論だけに向かっている。
建国間も無い、国が、世界の頂点に居て、その価値観を、全ての国に押し付ける、之も疑問が私は有る。
勿論、強者の価値観を押し付ける、簡単で有るし、利己主義・個人主義なら、尚更原理に合っている。
長い歴史で、積み上げて来た価値観・・・之が有ったのが日本国に成る。
現代の、庶民の大きな悩み・問題も、急に西欧的価値観が入って来て、100年弱で出て来た問題に成る。
西欧の一神教的、価値観で言う、神がこの様な世界を望んでいたのか???
何度が書いているが、完璧なロボット的、人間を現代は目指している。
不可能である・・・何度も書くが、生物は生老病死が有る、之を、苦と取るか、当然と取るか、之が有るから、幸せだと取るか・・現象に対しての、捉え方も本来多々あっても良いが、現代人なら苦と取る人が多いと思う・・
苦だから、避けたい、逃げたい・成りたくないと言う思いが、結果的に、他を痛めつけ負担を与えるなら、意味がないと思うが、之が、逆に当り前と成っている。
現代は、現象が全てだし、その現象だけに光が当たる・・・本来はその捉え方が大事だし、その部分が、教育に成る。
しかし、人は集団心理が有る・・・誰かの現象の捉え方を正しいと扇動する可能性もあるし、其れに従う人も出て来る・・・之を民衆心理だと言う人も居るが、考えようでは馬鹿だと言っている事にも繋がる。
結局は、損得勘定で、Oが基本、得する人が居れば、損する人も居る・・・
私は三流だし、低空飛行で、余裕も無い為に、直ぐに損は厭だし、損すれば、直ぐに落ちる・・・・しかし、弱い立場は、この損を背負う可能性が高いのも不思議である。
本来、余裕が有る人なら、損も負担と感じにくいと思うが・・・この部分が強者の価値観に無いのが不思議・・・・
この部分が、西欧化の価値観だと私は考えている。
道理・原則も大事、しかし、処置は違っても良い・・・
之が私の考えに成る。
家の単位で考えて、何か、問題が有る、子供が起こした問題も、結果的に親と言う立場の私が処理する事に成る。
若し、この括りで変な平等と言う、価値観を入れてくれば、子供は子供と成る。之で、事の処理が出来るか???・・・・お出来ないと思う・・・
之が集団の括りに成る・・・結局は、リーダの処理の仕方・・・道理原則と処置とは違う場合が有ると言う事・・・
以前も書いているが、地球・国と言う個人が居る、国の括りも出て来る・・・
有る国が問題を起こした・・・当然、当事者能力が無い場合が有る。
誰かが負を処理する事に成る、この場合は別の国に成る。
我が住む、日本国は西欧の価値観で見れば、極東に位置する。
若し、極東の国が問題を出した場合、世界は何処に問題の処理をするのが正しいと考えるかに成る。
簡単に書けば、ヨーロッパの一国が問題を出した、その処理は???・・・当然、現代はEU連合と成っているので、その連合が処理すると成るのは当然と思える、しかし、各国、力の差が有る、結果、リーダーと思える国に責任が集中しだす・・・
要は、独り立ち、確り自立できる人を創る・・・この大きなバージョンが、地域社会だし、国に成って行く・・・
最終的に、国の問題と言うより、人の問題に成る。
しかし、先進国と言われる国は、何故か少子化が問題に成るし、晩婚化・未婚率のUPが問題に成る。之が意味する事が、個人主義の台頭だし、利己主義に染まった人が増えたと言う事だし、他の負を背負いたくないと言う、意思表示に成る。
人は心配もするし、間違いも起こす、この負の部分の対処が、又 人に掛っている、自己完結出来ない場合も有る。その為の括りだと考えてもよい・・この最小単位が、家と言う事に成る。
しかし、この家と言う考え価値観も崩壊してきている。
之が意味する事は、本当に「生老病死」を克服しているのか???にも繋がる。
若しかすると、この部分を考えず、崩壊方向に向かっているなら、その様な考えの人の、負の部分は誰が背負うのか????・・・・・之が現代の問題に成っている。
他の集団の負を背負う、当然、有りえない思う人にこの様な価値観の人が多い・・・
しかし、自分が成ったら・・・自己完結で黙って死ぬのか???・・・当然、人権等々を叫び出し、誰かに背負われようとする方向に向かう。
しかし、背負う人が居ないと成れば、集団化して暴動に近い行動を取りだす。
結果、国と言う大きく括りが処理する方向に成るし、若し、国が処理できないなら、他国が処理する事に成る。
之が、現代の世界の情勢だと私は、考えている。
何が要因かは、個人の価値観の勉強が、一極に向かい過ぎた結果だと考えている。
人に本来、今世紀は光を当てなければ成らないと、書き続けているが・・・二十世紀は、力、特に経済力、等々の唯物的、部分の追求の世紀だったと思うし、それでも、問題が表面化し難かった世紀だと思う・・・富を求め損得勘定で、走り、結課、世界全体で見れば、格差が広がった・・
又、一方向に向かう価値観が、世界を支配して行く・・・結果、この差を、認めきれない人々が増えだしている。
之も情報の氾濫も有るが・・之が原因でなく、この情報の捉え方の問題に成る・・・捉える人の教育が整っていない、為に、耳さわりの良い方向の情報しか、真実と認めない方向に成っている。
グローバル化と言う、言葉も氾濫しているし、この言葉の趣旨は???・・・・若し、富を得る為には、又は負を背負わない為には、国の垣根も無いという発想に考える人も居ると言う事に成る。
之が意味する事は、家と言う単位、家が厭なので、裕福な家に移る、之が許される世界と言う事に成る。
裕福な家が、負を受け入れるか???・・・
欲を貪る、之が人の生き方と、肯定した考えに繋がる。
浮草家業に成る・・・要や、哲学無き生き方、使命無き生き方、個人主義に慢心しているが、結果自分の氏名も捨てている事に成る。
単なる、餓鬼道の人々で片付けられる、世界を創っている事に成る。
今の住む場所を、変えなければ・・・この変えるが、場所でなく、環境を創っている、人を変える、心・命を変える、之が大事に成る。
今回、私は事故の件で警察に伺った・・理由は終わった事なので、仕方がない部分も有るが、今後この様な事が無い様に、警察側の見解を纏めてくれと、お願いした。
仮に、苛められるからと、その場を逃げても、結果、今度は別の人が苛められる・・・苛める環境が残っていれば、其れが続く・・・
問題は、苛める側と言えれるが、この側は考えても居ないし、其れが自然だと思っている。要は、苛めを感じた方の振る舞い行動に成る。
之が、現代では苛めた側が悪い、その為に、その場を逃げて別の世界に行く、之を当然と思っている。
要は、駄目だと感じた人の行動・振る舞いに成る、感じるから対処を考えるし、どうすれば苛める側に解ってもらえるか、之が求められる。
この行動もしなければ、この様な環境は変わる訳がない・・・しかし、一神教の価値観だと、救世主が現れて、其れを是正できると信じている。
全てキツイ部分は、その様な神に近い存在に任せる生き方とも言える。
感じたなら、自分が改革する、捨て石に成ろうと言う、価値観が無い・・・
私も老いた、昔は背負う、之を頑張って居たが・・最近では背負いきれないと思う方向に向かっている。之が意味する事は、後継者を創って居ないと言う証拠にも繋がる。
三流の限界を感じだしている。
今回の事故も、結局は自業自得に成る、人々の価値観の問題に成る。其れに影響を私も与えている、この部分が私の責任に成る。
三流でも責任を感じる、二流や一流の立場の人の責任感は凄いと考えられる、しかし、この様な問題も、意識無い、下等だから成るので、私には関係ないと言う立場が、高等レベルなら、価値観に問題が有ると私は考えている。
又は、自称一流だが、命の次元は、餓鬼道で環境は地獄図状態と思う・・・
この部分も考えると、多くの命を頂いて私の現在が有る事が解る・・・
又、自然保護や環境保護・・・最後には地球保護と言う、部分を一流の人は言っているが・・
自然を痛めつける、殺生は出来るだけ、避けたいと私は考えている・・・
何度か書いているが、残飯を頂く、之が私の任務・立場に成っている、家族の食べ残した部分に成る。
勿論、家族・子供達には、この部分を言っているが、聞く耳を持たないし、残飯等々を食べる、汚い・下品、等々と言う・・・
この様な価値観・考え方が、現代の普通なのかもしれないが・・・・この様な部分が大事だと考えている。
環境保護等々を、叫んでいる人の、姿を看ると、身成り等々、環境を考えているとは思えない人も多い・・・
人の汗・又、自然の物質を多く使った物で、着飾っている・・・・環境に負荷を与える姿が、何故か普通と言う・・・
又、其れが長けている事が格好良いと言う、風潮まで有る様に感じる。
子供は、現代の社会の縮図だと私は考えている。我が子の振る舞い、価値観も見ると、マスコミ等々で、言っている、指針と逆方向の価値観と言うのが正しい・・・
結局、言葉等々より、振る舞いで得ている、価値観が強い様に感じる。
格好良い振る舞いを真似する・・・この部分が価値観に成るが、何が格好良いか之を、身を持って振る舞って見せる、之が、リーダーの姿だと私は考えているが、
自称、一流・優秀・その様な人が、目立つ部分で振る舞っている姿を、子供達が見て、真似をしている事に成る。
世の中の、尻拭きを誰がするのか????・・・・現代では弱い立場と言う考えが有る様だ・・
強い立場が作った負を、弱い立場が、処理できるか???・・・不可能に近い・・・後は多々の人数が必要と言う方向に向かう・・・之が意味する事は、少数の強者と、大多数の弱者の世界を、目指している事に成る。
国家間でも同じ、様相に成っている。
本当の弱者は、この処理をすると思うか???絶対にしないと私は思うし、出来ない、之を、強者のせいにする流れに成る。
本当の強者の振る舞いを出来る、この様な人や組織・国を創るしかない・・・
しかし、其れを徳と思う価値観が、どんどん無くなって行く方向に向かっている。
唯物的、勝者論だけに向かっている。
建国間も無い、国が、世界の頂点に居て、その価値観を、全ての国に押し付ける、之も疑問が私は有る。
勿論、強者の価値観を押し付ける、簡単で有るし、利己主義・個人主義なら、尚更原理に合っている。
長い歴史で、積み上げて来た価値観・・・之が有ったのが日本国に成る。
現代の、庶民の大きな悩み・問題も、急に西欧的価値観が入って来て、100年弱で出て来た問題に成る。
西欧の一神教的、価値観で言う、神がこの様な世界を望んでいたのか???
何度が書いているが、完璧なロボット的、人間を現代は目指している。
不可能である・・・何度も書くが、生物は生老病死が有る、之を、苦と取るか、当然と取るか、之が有るから、幸せだと取るか・・現象に対しての、捉え方も本来多々あっても良いが、現代人なら苦と取る人が多いと思う・・
苦だから、避けたい、逃げたい・成りたくないと言う思いが、結果的に、他を痛めつけ負担を与えるなら、意味がないと思うが、之が、逆に当り前と成っている。
現代は、現象が全てだし、その現象だけに光が当たる・・・本来はその捉え方が大事だし、その部分が、教育に成る。
しかし、人は集団心理が有る・・・誰かの現象の捉え方を正しいと扇動する可能性もあるし、其れに従う人も出て来る・・・之を民衆心理だと言う人も居るが、考えようでは馬鹿だと言っている事にも繋がる。
結局は、損得勘定で、Oが基本、得する人が居れば、損する人も居る・・・
私は三流だし、低空飛行で、余裕も無い為に、直ぐに損は厭だし、損すれば、直ぐに落ちる・・・・しかし、弱い立場は、この損を背負う可能性が高いのも不思議である。
本来、余裕が有る人なら、損も負担と感じにくいと思うが・・・この部分が強者の価値観に無いのが不思議・・・・
この部分が、西欧化の価値観だと私は考えている。
道理・原則も大事、しかし、処置は違っても良い・・・
之が私の考えに成る。
家の単位で考えて、何か、問題が有る、子供が起こした問題も、結果的に親と言う立場の私が処理する事に成る。
若し、この括りで変な平等と言う、価値観を入れてくれば、子供は子供と成る。之で、事の処理が出来るか???・・・・お出来ないと思う・・・
之が集団の括りに成る・・・結局は、リーダの処理の仕方・・・道理原則と処置とは違う場合が有ると言う事・・・
以前も書いているが、地球・国と言う個人が居る、国の括りも出て来る・・・
有る国が問題を起こした・・・当然、当事者能力が無い場合が有る。
誰かが負を処理する事に成る、この場合は別の国に成る。
我が住む、日本国は西欧の価値観で見れば、極東に位置する。
若し、極東の国が問題を出した場合、世界は何処に問題の処理をするのが正しいと考えるかに成る。
簡単に書けば、ヨーロッパの一国が問題を出した、その処理は???・・・当然、現代はEU連合と成っているので、その連合が処理すると成るのは当然と思える、しかし、各国、力の差が有る、結果、リーダーと思える国に責任が集中しだす・・・
要は、独り立ち、確り自立できる人を創る・・・この大きなバージョンが、地域社会だし、国に成って行く・・・
最終的に、国の問題と言うより、人の問題に成る。
しかし、先進国と言われる国は、何故か少子化が問題に成るし、晩婚化・未婚率のUPが問題に成る。之が意味する事が、個人主義の台頭だし、利己主義に染まった人が増えたと言う事だし、他の負を背負いたくないと言う、意思表示に成る。
人は心配もするし、間違いも起こす、この負の部分の対処が、又 人に掛っている、自己完結出来ない場合も有る。その為の括りだと考えてもよい・・この最小単位が、家と言う事に成る。
しかし、この家と言う考え価値観も崩壊してきている。
之が意味する事は、本当に「生老病死」を克服しているのか???にも繋がる。
若しかすると、この部分を考えず、崩壊方向に向かっているなら、その様な考えの人の、負の部分は誰が背負うのか????・・・・・之が現代の問題に成っている。
他の集団の負を背負う、当然、有りえない思う人にこの様な価値観の人が多い・・・
しかし、自分が成ったら・・・自己完結で黙って死ぬのか???・・・当然、人権等々を叫び出し、誰かに背負われようとする方向に向かう。
しかし、背負う人が居ないと成れば、集団化して暴動に近い行動を取りだす。
結果、国と言う大きく括りが処理する方向に成るし、若し、国が処理できないなら、他国が処理する事に成る。
之が、現代の世界の情勢だと私は、考えている。
何が要因かは、個人の価値観の勉強が、一極に向かい過ぎた結果だと考えている。
人に本来、今世紀は光を当てなければ成らないと、書き続けているが・・・二十世紀は、力、特に経済力、等々の唯物的、部分の追求の世紀だったと思うし、それでも、問題が表面化し難かった世紀だと思う・・・富を求め損得勘定で、走り、結課、世界全体で見れば、格差が広がった・・
又、一方向に向かう価値観が、世界を支配して行く・・・結果、この差を、認めきれない人々が増えだしている。
之も情報の氾濫も有るが・・之が原因でなく、この情報の捉え方の問題に成る・・・捉える人の教育が整っていない、為に、耳さわりの良い方向の情報しか、真実と認めない方向に成っている。
グローバル化と言う、言葉も氾濫しているし、この言葉の趣旨は???・・・・若し、富を得る為には、又は負を背負わない為には、国の垣根も無いという発想に考える人も居ると言う事に成る。
之が意味する事は、家と言う単位、家が厭なので、裕福な家に移る、之が許される世界と言う事に成る。
裕福な家が、負を受け入れるか???・・・
欲を貪る、之が人の生き方と、肯定した考えに繋がる。
浮草家業に成る・・・要や、哲学無き生き方、使命無き生き方、個人主義に慢心しているが、結果自分の氏名も捨てている事に成る。
単なる、餓鬼道の人々で片付けられる、世界を創っている事に成る。
今の住む場所を、変えなければ・・・この変えるが、場所でなく、環境を創っている、人を変える、心・命を変える、之が大事に成る。
今回、私は事故の件で警察に伺った・・理由は終わった事なので、仕方がない部分も有るが、今後この様な事が無い様に、警察側の見解を纏めてくれと、お願いした。
仮に、苛められるからと、その場を逃げても、結果、今度は別の人が苛められる・・・苛める環境が残っていれば、其れが続く・・・
問題は、苛める側と言えれるが、この側は考えても居ないし、其れが自然だと思っている。要は、苛めを感じた方の振る舞い行動に成る。
之が、現代では苛めた側が悪い、その為に、その場を逃げて別の世界に行く、之を当然と思っている。
要は、駄目だと感じた人の行動・振る舞いに成る、感じるから対処を考えるし、どうすれば苛める側に解ってもらえるか、之が求められる。
この行動もしなければ、この様な環境は変わる訳がない・・・しかし、一神教の価値観だと、救世主が現れて、其れを是正できると信じている。
全てキツイ部分は、その様な神に近い存在に任せる生き方とも言える。
感じたなら、自分が改革する、捨て石に成ろうと言う、価値観が無い・・・
私も老いた、昔は背負う、之を頑張って居たが・・最近では背負いきれないと思う方向に向かっている。之が意味する事は、後継者を創って居ないと言う証拠にも繋がる。
三流の限界を感じだしている。
今回の事故も、結局は自業自得に成る、人々の価値観の問題に成る。其れに影響を私も与えている、この部分が私の責任に成る。
三流でも責任を感じる、二流や一流の立場の人の責任感は凄いと考えられる、しかし、この様な問題も、意識無い、下等だから成るので、私には関係ないと言う立場が、高等レベルなら、価値観に問題が有ると私は考えている。
又は、自称一流だが、命の次元は、餓鬼道で環境は地獄図状態と思う・・・
統制力・・・個人の自由・・・
最近の社会的、雰囲気は、統制力の低下・・・と・・・・個人の自由度の上昇に向かっている。
結論を書けば個人個人の資質が、非常に大事に成る社会に成って行っている事に成る。
牧畜に当てはめると・・・野放しに、家畜を放牧・・・・この状態で、管理をする、之が管理者の立場に成っている。
勿論、昔も同じと言えば同じ、しかし、管理者は、各家畜の行動に責任を負い、その対処で、鞭等々で、牧畜業を円滑に続ける方向だった・・・
しかし、各家畜の人権が大事だと、この様な策が使えなく成れば、当然、牧畜業を円滑にする為に、決まり乙等を多く作り、家畜に之を遂行してもらう、之が前提に成って居るのが現代である。
よく人を家畜等々と言う事自体、人権無視と言う人も居るが、キリスト教では、人を子ヒツジと表現したりしている。
人が完璧でという方向での、組み立て方が最近の、方向性の様だ・・・
この方向に向かえば、益々、弱者は大変に成る。
完璧でない、之が大きな問題に成る・・・何故なら、社会のシステムが完璧な人を前提に出来て行く事に成る。
仮に、電車に遅れた・・・当然、自己管理の問題だが、仮に、誰かが遅れている、走れと言ってくれたら、乗れたかもしれない・・・・しかし、其れをしない方向が現代に成っている。
こうなれば、弱者はドンドン、物事に乗り遅れだす。
この様な方向性は、人々を二極化、出来る・出来ないで区別する方向に成るし、当然、出来ない人など、気にする世界で無いと言う事に成る。
この様な全体部分を、見る目を持つ人が本来、統治者に成るが・・・この部分のリーダー感を教えるシステムも無い・・・・
簡単に書けば、牧畜業の形態から、自然の中に野放し状態を続ける、この流れに向かっているし、其れが意味する事は、野生の弱肉強食方向に向かっていると言う事に成る。
尚更、弱者が生き難い世界に向かっていると言う事に成る。
又、この様な世界は、弱者の定義が、一瞬の弱さ、この瞬間的部分さえ、問題化に成るし、固定化される傾向に成る。
強者の立場も、結果的に弱者と言う事・・・結果、この部分を悟られない動きに成るし、発展等々望めない世界に成って行く。
現実に牧畜業をイメージして、自然に野放し、管理と言う、家畜に対しての抑圧に繋がる行動が出来ないと成れば、業の崩壊に成ると私はイメージする。
勿論、家畜が、管理側の思いに即した行動を取ってくれれば、業も発展するが・・・
簡単に書けば、完璧な人だけの世界を目指す・・・当然、人のサービスも必要としない人だけの世界、警察も要らない、裁判所も要らない、世界・・・・・
私は、不可能と考えている。
人とは、生物である以上「生老病死」が必ずあるし・・・当然、間違いも失敗も起こす・・・この部分を無視した価値観が、最近多い感じが私はします。
結局は、完璧でない人は、負け組・弱者と成る世界に向かっている。
誰しも起きる、負の部分、之も自分だけと、思える世界に成っている。
この状況下は、負と感じたら、勝手に死ね・社会から消えろ、と言う世界と言っても過言でない。
この様な世界で、生き残れるのは、神に近い存在に成る。
仮に神が居るなら、この様な世界を望んでいたのか????・・・私は疑問が有る。
全てが今に即した、完璧が普通・・それ以外は居ない世界・・・・之を若し、天国の世界と思うなら、怖い人達と思う・・・之こそ、地獄図に成る。
色んなレベル・色んな命が共々に住める世界・・・当然人間だけでなく、全ての生命が・・・之が天国だと私は考えている。
その中で、生きる為には、他の命を頂く、之も現実だし、仕方がない部分に成るが、頂くと言う感謝の念が必要に成る。
結局は、何の為に、又誰の為に、努力し、模索しているかに成る。
強者の論理も有り、逆に弱者の論理も有る・・・このバランスを取れる人が、リーダーと言う事に成る。
結論を書けば個人個人の資質が、非常に大事に成る社会に成って行っている事に成る。
牧畜に当てはめると・・・野放しに、家畜を放牧・・・・この状態で、管理をする、之が管理者の立場に成っている。
勿論、昔も同じと言えば同じ、しかし、管理者は、各家畜の行動に責任を負い、その対処で、鞭等々で、牧畜業を円滑に続ける方向だった・・・
しかし、各家畜の人権が大事だと、この様な策が使えなく成れば、当然、牧畜業を円滑にする為に、決まり乙等を多く作り、家畜に之を遂行してもらう、之が前提に成って居るのが現代である。
よく人を家畜等々と言う事自体、人権無視と言う人も居るが、キリスト教では、人を子ヒツジと表現したりしている。
人が完璧でという方向での、組み立て方が最近の、方向性の様だ・・・
この方向に向かえば、益々、弱者は大変に成る。
完璧でない、之が大きな問題に成る・・・何故なら、社会のシステムが完璧な人を前提に出来て行く事に成る。
仮に、電車に遅れた・・・当然、自己管理の問題だが、仮に、誰かが遅れている、走れと言ってくれたら、乗れたかもしれない・・・・しかし、其れをしない方向が現代に成っている。
こうなれば、弱者はドンドン、物事に乗り遅れだす。
この様な方向性は、人々を二極化、出来る・出来ないで区別する方向に成るし、当然、出来ない人など、気にする世界で無いと言う事に成る。
この様な全体部分を、見る目を持つ人が本来、統治者に成るが・・・この部分のリーダー感を教えるシステムも無い・・・・
簡単に書けば、牧畜業の形態から、自然の中に野放し状態を続ける、この流れに向かっているし、其れが意味する事は、野生の弱肉強食方向に向かっていると言う事に成る。
尚更、弱者が生き難い世界に向かっていると言う事に成る。
又、この様な世界は、弱者の定義が、一瞬の弱さ、この瞬間的部分さえ、問題化に成るし、固定化される傾向に成る。
強者の立場も、結果的に弱者と言う事・・・結果、この部分を悟られない動きに成るし、発展等々望めない世界に成って行く。
現実に牧畜業をイメージして、自然に野放し、管理と言う、家畜に対しての抑圧に繋がる行動が出来ないと成れば、業の崩壊に成ると私はイメージする。
勿論、家畜が、管理側の思いに即した行動を取ってくれれば、業も発展するが・・・
簡単に書けば、完璧な人だけの世界を目指す・・・当然、人のサービスも必要としない人だけの世界、警察も要らない、裁判所も要らない、世界・・・・・
私は、不可能と考えている。
人とは、生物である以上「生老病死」が必ずあるし・・・当然、間違いも失敗も起こす・・・この部分を無視した価値観が、最近多い感じが私はします。
結局は、完璧でない人は、負け組・弱者と成る世界に向かっている。
誰しも起きる、負の部分、之も自分だけと、思える世界に成っている。
この状況下は、負と感じたら、勝手に死ね・社会から消えろ、と言う世界と言っても過言でない。
この様な世界で、生き残れるのは、神に近い存在に成る。
仮に神が居るなら、この様な世界を望んでいたのか????・・・私は疑問が有る。
全てが今に即した、完璧が普通・・それ以外は居ない世界・・・・之を若し、天国の世界と思うなら、怖い人達と思う・・・之こそ、地獄図に成る。
色んなレベル・色んな命が共々に住める世界・・・当然人間だけでなく、全ての生命が・・・之が天国だと私は考えている。
その中で、生きる為には、他の命を頂く、之も現実だし、仕方がない部分に成るが、頂くと言う感謝の念が必要に成る。
結局は、何の為に、又誰の為に、努力し、模索しているかに成る。
強者の論理も有り、逆に弱者の論理も有る・・・このバランスを取れる人が、リーダーと言う事に成る。
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