2018年12月2日日曜日

統制力・・・個人の自由・・・

最近の社会的、雰囲気は、統制力の低下・・・と・・・・個人の自由度の上昇に向かっている。

結論を書けば個人個人の資質が、非常に大事に成る社会に成って行っている事に成る。

牧畜に当てはめると・・・野放しに、家畜を放牧・・・・この状態で、管理をする、之が管理者の立場に成っている。

勿論、昔も同じと言えば同じ、しかし、管理者は、各家畜の行動に責任を負い、その対処で、鞭等々で、牧畜業を円滑に続ける方向だった・・・

しかし、各家畜の人権が大事だと、この様な策が使えなく成れば、当然、牧畜業を円滑にする為に、決まり乙等を多く作り、家畜に之を遂行してもらう、之が前提に成って居るのが現代である。

よく人を家畜等々と言う事自体、人権無視と言う人も居るが、キリスト教では、人を子ヒツジと表現したりしている。

人が完璧でという方向での、組み立て方が最近の、方向性の様だ・・・

この方向に向かえば、益々、弱者は大変に成る。

完璧でない、之が大きな問題に成る・・・何故なら、社会のシステムが完璧な人を前提に出来て行く事に成る。

仮に、電車に遅れた・・・当然、自己管理の問題だが、仮に、誰かが遅れている、走れと言ってくれたら、乗れたかもしれない・・・・しかし、其れをしない方向が現代に成っている。

こうなれば、弱者はドンドン、物事に乗り遅れだす。

この様な方向性は、人々を二極化、出来る・出来ないで区別する方向に成るし、当然、出来ない人など、気にする世界で無いと言う事に成る。

この様な全体部分を、見る目を持つ人が本来、統治者に成るが・・・この部分のリーダー感を教えるシステムも無い・・・・

簡単に書けば、牧畜業の形態から、自然の中に野放し状態を続ける、この流れに向かっているし、其れが意味する事は、野生の弱肉強食方向に向かっていると言う事に成る。

尚更、弱者が生き難い世界に向かっていると言う事に成る。

又、この様な世界は、弱者の定義が、一瞬の弱さ、この瞬間的部分さえ、問題化に成るし、固定化される傾向に成る。

強者の立場も、結果的に弱者と言う事・・・結果、この部分を悟られない動きに成るし、発展等々望めない世界に成って行く。

現実に牧畜業をイメージして、自然に野放し、管理と言う、家畜に対しての抑圧に繋がる行動が出来ないと成れば、業の崩壊に成ると私はイメージする。

勿論、家畜が、管理側の思いに即した行動を取ってくれれば、業も発展するが・・・

簡単に書けば、完璧な人だけの世界を目指す・・・当然、人のサービスも必要としない人だけの世界、警察も要らない、裁判所も要らない、世界・・・・・
私は、不可能と考えている。

人とは、生物である以上「生老病死」が必ずあるし・・・当然、間違いも失敗も起こす・・・この部分を無視した価値観が、最近多い感じが私はします。

結局は、完璧でない人は、負け組・弱者と成る世界に向かっている。
誰しも起きる、負の部分、之も自分だけと、思える世界に成っている。

この状況下は、負と感じたら、勝手に死ね・社会から消えろ、と言う世界と言っても過言でない。

この様な世界で、生き残れるのは、神に近い存在に成る。

仮に神が居るなら、この様な世界を望んでいたのか????・・・私は疑問が有る。

全てが今に即した、完璧が普通・・それ以外は居ない世界・・・・之を若し、天国の世界と思うなら、怖い人達と思う・・・之こそ、地獄図に成る。

色んなレベル・色んな命が共々に住める世界・・・当然人間だけでなく、全ての生命が・・・之が天国だと私は考えている。

その中で、生きる為には、他の命を頂く、之も現実だし、仕方がない部分に成るが、頂くと言う感謝の念が必要に成る。

結局は、何の為に、又誰の為に、努力し、模索しているかに成る。

強者の論理も有り、逆に弱者の論理も有る・・・このバランスを取れる人が、リーダーと言う事に成る。



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