2020年10月24日土曜日

寒い・・・・散歩も、防寒具が必要な季節に成ってきた。

 モンキーでの何時もの散歩・・・

五時から、出かけたが・・・・一時間は無理・・・寒さが体の芯まで冷やす・・・

防寒着の必要性を感じる様になって来た。

モンキーの方も・・・触っているバイクの為に、全天候に対応できない、特殊な劣っているバイクと成っている・・・そろそろ・・・バイクも冬支度に調整が必要に成って来たと感じれる様になって来た。

何度も書く様に、一流の優秀な人材を有している。メーカーが考え市場に出したバイク・・・メーカー出荷時が、一番、優れている。

勿論、市販車として公道を走るバイクとしてになる。

コストも考え、ユーザーに安く提供する・・之も売る目的なら大事な部分に成る。

色んなファクターを考え、バランスしているのが、市販車に成る。

このバランスを、己の我欲で、壊す行為が、好みにすると言う事にも成る。

私は、触る事が好きな人間だ有る。

嫁が、言うが、私が色々模索し、触っている時の私の目が一番輝いていると言う・・・私も楽しいと感じているし、この時間が何時までも続く事を願っている部分も有る。

息子達が、壊す・・・私の技量の範囲の場合は、私は喜んでいると嫁は言う・・・・

要は、私の個性と言う事に成る。

触るのも嫌、当然、その様な事を学びたくも無い・・・この様な個性が一番、良いバイクは????当然、メーカーが市販車として発売してる。ノーマルのバイクと言う事に成る。

人の個性で、良いバイクと言う部分も変わると言う事に成る。

己の個性・好みが大事に成るが・・・この部分が何故か解らないのが、一般的な人に成る。

結果、周りの言葉や扇動に、誘導され・・・選んだが、己に向かず飽きると成る。

何度が書いているが、生きると言う事には、己の個性を知る・・・この部分が有ると私は考えている。

還暦に成る、私も、未だに己の個性の全てを理解していない。

論語に有る「子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず(私は十五才で学問を志し、三十才で学問の基礎ができて自立でき、四十才になり迷うことがなくなった。五十才には天から与えられた使命を知り、六十才で人のことばに素直に耳を傾けることができるようになり、七十才で思うままに生きても人の道から外れるようなことはなくなった)」・・・・

昔の寿命の長さと、今とでは違うと思うが、人の一生の一部を言っているように感じる。

私は、60に成るが・・・未だに天命を知らずに成る。未だに、己をよく知らないが、惑わない方向に成って来たと思うが、定かでない・・・要は、昔の40歳程度と言う事に成る。

惑わないと言う意味????は・・・・己の欲、見栄・等々で世間や周りの動向に惑わされると言う意味だと考えている。

私も若い時は、周りが求めている、その方向に早く到達する、之を求めていた時期も有る。

しかし、己が求めたもので無い・・・要は、誰が決めたか解らない、ゴールに早く到達しても、己に何の感動も無いと言う事に成る。

その当時は、勝ち負け論・・・勝負・競い合う、当然、勝つ事に執着するが、勝つ意味は????と己に問うと、答えが出て来ない・・・肩書・等々を求めていた事に成るし、その肩書が、己に何の意味が有るのか???問うと、答えが出て来ない・・・

私も、色んな表彰状を頂いた・・・勝負事に成る、優秀と言う事は、周りより数値的に多くをしたと言う事に成る。それが何の意味に成るのか???と問うと、お金・肩書等々が増えるだけ、それも永遠と思っているが、その時の一瞬の評価・・・っそれを知らず、結果的に分も無いのに、プライドだけが増す、要は、世間知らず・我儘な方向に向かっていると成る。

それも、10年程、行っていると、私は、飽きた。

以前も書いているが、私は、天命を知りたいと考えている。師曰くでは、50にして天命を知ると成る。

この次元には、未だに到達できないでいる。

要は、人間に成れていない、未熟な人間と言う事に成る。

劣っている、三流の人間だから、遅れているのは理解しているが・・・後、何年生きれば、到達できるのか?????

又、其れ迄、寿命が有るのか????・・・之が今の私の悩みに成る。

ブログに、私の耳に入る事を、正直に書き、その様な個性も有ると認められる人間に成りたいと考えている。未だに命の何処かに否定したいと命が囁く・・・之が私のダメだ部分だと考えている。

特に、家庭人として・社会人として、この世間様の中で生かされている。世間に感謝できる様に、成りたいし・・・現実の世間を、確り身に入れたいと考えている。

裸で生まれ・・・死ぬ時も裸で、プラス・マイナス・・・ゼロに成る。

私の最終目標でもある。

若い時、世間様に一杯の迷惑を掛けた・・・マイナスである。

之が有るので、老いた時、当然、周りに迷惑を掛ける訳にはいかないと思っているが、体は己の思う様にならない・・・人生前半で、迷惑を掛け・・・人生終盤で又迷惑を掛ける可能性が高い・・・ゼロにする為には・・・その間に答えが有る。

先祖の生き方、又、人生を教えて貰い・・・結局は、先に書いたゼロで死寝たらと思う様になった。

多々のお金を残しても、後が怖い・・・多々の財産が結果的に、一族を揉めさせる。

子孫の為、家の為、一族の為と、多々を残しても、子孫がそれをどう捉えているかは解らない。

プラスで死のうと思うからと私は思っている。

ゼロが目標・・・マイナスなら、当然、地獄が有るなら、地獄も楽しいと思っている。

プラスで、己は幸せに死ねても、後が、地獄の様相を創る、因を創ったなら・・私は、怖い・・・子孫に申し訳ないと考える。

ある人が、私に、何故、天国を求めないのか???と問われたが・・・己の性格を考えると、天国なら、バカに成ると思うし、ボケると思う。

多くの刺激が有り、危機感が有った方が、私は幸せな様な感じがすると、話したことが有るが、変り者と言われた。

何を求めるかも、各自の勝手・・・

嫌な世界が、楽しい、面白いと言う人も居てよいと私は考えている。





仕事・・・バイク・・・

 土曜日・・・・午前中は・・・昨日のお礼に、バイク屋へ・・・・費用を払い、肩の荷が降りた。

気に成ると、私の場合イライラしだす・・・お世話になったら、出来るだけ早く返す・・之を礼儀だと私は、考えている。

中々、お金の事を言われない為に、今回は此方から、お金を渡したら、計算された。

序に、スクーターのリアブレーキシューの注文を依頼してきた。

午後・・・仕事が・・・・天気も良いし・・・長い付き合いのお客さん、又、その為なのか急がれる・・・・お散歩の足の、モンキーで出かけて来た。

物を乗せる能力が低い、モンキー・・・リアキャリアーに荷物を括りつけて、出発・・・・

昔は、バイクでの納品等々が、贅沢だった時代が有る・・・・普通は、自転車・・・祖父が、自転車にリアカーを取付・・・柳川の地から、福岡市内まで・・・物を運ぶ等々、普通だったと言っていた事を思い出す。

隣の市は、家具の町として有名な大川だが・・・一日で、家具をリアカーに乗せて、自転車で引っ張り、福岡へは当然だったと、教わった記憶が有る。当然、往復に成るし一日仕事と言う事に成る。

その際、犬が一匹、リアカーを引かせると、楽に成ると私は教わった。昔は、飼い犬がペットで無く、稼ぎ手だったと言う事・・・・

動物さえ稼ぎ手として考える、当然、人間は、子供さえ稼ぎ手として活躍していた。

今は、児童虐待と捉えられるし、現代ではペット扱いが、子供に成っている。

その為に、稼ぎ手で有る、子供にも、お金に繋がる部分は確りと教えていたし、叩き込むと言った方が良いかも知れない・・・しかし、この行為も虐待と成っているのが現代に成る。

豆腐を四等分・等々・子供さえ直ぐに理解できた・・・又、三等分も直ぐにイメージが出来る・・・・必要だったし、それが無ければ稼ぎ手に成れない・・極潰しと言われる存在に成る。

この様な時代が普通だった、祖父が生きていれば、今の子供達、ペットの極潰しと見えている可能性が有る。

計算が出来る等々で無い、反射的に答えが解ると言うより、知っていると言うレベル。

理屈等々で無い、体が覚えていると言う時代に成る。

現代、理屈を確り学んできたが、答えを見つけ出す事が出来ない人が何故か多い・・・

昔は、理屈は知らないが、何故か答えは知っている・・・・

この様な事を、考えながら、モンキーで散歩がてらの、仕事を行ってきた。

感謝である。自転車で無く・・・汗も流さず、目的地に着ける。当然、幸せと思う。

良し悪し・・弱い強い・・・幸せ不幸と・・・色んな対義語が有る・・・何かを基準にしてこの様な言葉が出ている。

その基準が大事だと考えている。

又、基準は固定・・・又その他、大勢の人と同じ・・この様な考えも有るが、私は、各自、違っても良いと考えている。

私の基準が有り、その基準から見れば、どうかに成る。

特に、見聞を広げる・視野を広げると言う意味は、この基準も多々あると言う事だと思う。何の為に、当然、感謝できるためだと私は考えている。

現代、この部分は広がっている・・・と、言う事は、感謝できる人が増えていると私は思うが、現実には逆に成っている。

何故???・・・私の考えだと、己を知らないからだと思う。

己は????と、よくよく考えれば、タダの人間・どちらかと言えば、劣っている人間と思えば、基準も当然、己が適えられる部分に成って来る。

情報も、色々有る・・・私は、失敗談・・苦労談を探す事にしている。

自慢談、等々は、溢れるほど情報が有る。

劣っている己と考えれば、当然、失敗も間違いも人様より多い筈・・・それに近い人達の体験が、私は糧に成ると考えている。

分相応・・・バイクのモンキー・・・モンキーが楽しいと思える部分が有る。それを探す事が、楽しむ事だと私は考えている。

一般的に、バイク等の乗り物は、パワー・最高速度・加速度等々が、問われる。しかし、それを求めるバイクで無いバイクがモンキーの様なバイクだと考えている。

この様な部分しか、魅力・価値を認められないなら、それに長けるバイクを求める事に成る。

人各々の価値観で変わる部分に成る。

バイク、趣味だが・・・今日は、お金を稼ぐ、糧として働いてくれた・・・感謝に成る。

スクーター・・・今度は・・・リアブレーキシューが限界

 スクーターの修理後、私なりにテストは行ったが・・・・・五男がアルバイトで使うと言う事で・・・・感想等を聴こうと思っていたが・・・・「べつに~~~」程度の回答・・・

問題を感じないのか???又は問題自体を認識できないのか????・・・バイクが走る間な問題と思っていない様に見える。

今朝、四男にテストをお願いしたが・・・これまた、興味を示さないし・・・問題と騒いでるのは私、父親だけと言う態度・・・・

結局は、私が、再度、テストを繰り返した。

駆動系の問題は、解消方向に成っている。勿論、無負荷での回転は、新品の同車種に比べると重いが・・・走行部分では、殆ど感じ取れない。

しかし、ミッションが重い方向から、正常に戻ると、今度は、リアブレーキが利かないと言う感覚が強くなった。

調整も限界に来ているので・・・ブレーキシューの交換を考えている。

嫁に言わせると、息子達に、気を使って、対処しても感謝の念は無い・・・だから、してやる方が、バカだと言っていた。

しかし、若し、走行不能等の大きな問題に発展して、それが原因で、事故に成れば、自己責任と、本人が処理するのか????・・・又、世間様がそれを認めるのか????

一人前の大人の世界でも、大きな問題が有れば、個人で対処できないし、世間的に、その集団の責任者等の、管理不足等々に成る。

子供の分で・・・家と言う集団に属し・・・・若し、子供が問題を起こして、自己責任と、家の方が対処しないで、事が済むなら良いが・・・現実は、そうで無いと私は考えている。

上の息子達は、手が付けられない悪ゴロだったが・・・・問題を起こし、警察等に迷惑を掛ける・・・その際、親の私は、無視し、何もしなくても現代は良いのか????

必ず、身元を引く受ける成人した大人が、対処する事に成る・・・・名前を消す程度で無い・・・・頭を下げ・・詫びる・・この様な行為でも済まないと言うのが、世間に成る。最終的には、金銭等々での対処に成る。

勿論、当事者本人が、その処理をすれば済むと思うが・・・世間は済ましてくれない。

親として、責任者としての管理不足を指摘されるし、それを数度繰り返せば、管理能力が無いと、見なされる・・・家と言う集団で管理が出来ないなら、当然、最場所等で別の集団の中での生活と言う方向に成る。

子供が勝手にしたことで、世間様は済ませる事が出来ない、之が現代に成るし、昔なら若いから等々で、許す人も居たが・・・その様な人は減って来ている。

私の若かった頃は、親が出て来ると言う事態は、余ほどの大事だったが・・・現代は些細な事さえ、親を出せ・責任者を出せという、流れが有る。

昔は、自己責任、己での思いで、頑張れば、済んでいたが・・・現代は、当事者の言葉等より、その集団の責任者等の言葉、対処等が求められている。

結果、当事者は何の努力もしない・・・しても意味が無いからに成る。

この様な流れを私は、肌で感じるので・・・子供達に、問題点を説明し、その対処を見守っているが、当然、対処しない・・・放置状態・・・・見かねて私が対処する方向に成っている。

今回の修理も、放置し続けたら・・・ベアリングのボールがあと少しで抜ける状態だった・・・若し、ギアに噛み込めば・・・当然、リアータイヤはロック状態に成る。

又、その様な状態の時は、駆動系に大きな負荷が掛かっている時、二人乗り等はダメと言っていても、二人乗り状態で、アクセル全開で走っている・・・高負荷時にタイヤがロックしたら・・・息子の技量なら、転倒・・・大転倒と成ると思う。

この問題に対して・・・自己責任と、当事者が出来るか????

世間は許さないと思う。

警察等に、私は何度も、問題を起こした息子達の件で、伺ったことが有るが・・親として知らない・・認知していない・子供の言葉を信じて、それ以上の事をしていないと、正直に言うと、親としての資格が無いと言われていた。

それを、数えられない位、各警察署でして来たので・・・・最後の方では資格が無い親・・・私に来てくれと言われても、意味が無いと、警察からの電話に答えていた。

警察官が個人として、電話も何度もしてくる。

警察も諸事情が有り、今日中に処理しないと、裁判所の方に届けているので、申し訳ないが来署して頂けないかと成る。

資格が無い、私で良いのかと、何度も確認して・・・・伺うと、警察署の玄関で、私を待ち受けられていて、若し訳ないが、この書面に氏名、捺印をと言われる。資格・信用が無い私でと、数度確認するが・・・頭を下げられるだけで、書き終えたら、直ぐに息子を預かり、帰路につかれた。

私は、人間として生きている。之が基本・・・人間だから、寝る時間も必要・・勿論、余暇も必要だし、一人に成りたい時も有る。

しかし、責任者と成ると、この人間部分も認めて貰えない。

飯を食う時間も、糞をする時間も、認められないと言うのが、現代の責任者・特に問題が派生した時に成る。

私は、何時も、親等々の前に、人間だ有ると言う事を、強調する・・・その為に、信用と部分では弱くなる。しかし、事実である。

私は、不可能と可能に出来る様な、スーパーマンで無いし、神でも無い・・・当然、失敗も間違いも起こす、人間として生きているし、その立場を変える事も出来ないと思っている。

人間として、生きている・・・勿論、立場は???と尋ねられたら、親等々と成るが、この部分は、立場・・・私は同じであるし、人間である。

失敗も間違いも起こす、私が、親と言う立場を演じている事に成る。

又、親として、人間の息子を育てている。当然、失敗も間違いも起こす・・・・間違ってもスーパーマンや失敗をしない神を育てている訳でない。


この様な感覚を、妹も、義兄も、責める・・・・この様な考えが、結果的に、悪ガキと言う子供を育てると、思われている。

しかし、何故か・・・毎日、外へ巣立っている、息子達、誰かは我家に来訪して来る。

私の場合、四十年くらい・・・我子の子育てに、費やしている。

その為に、子が居ないと言う、環境の経験が少ない・・・息子達、孫達が誰も来ないと成れば、私は、耐えがたい、苦痛を感じると思う。

人間の子を育てる。それ以上の部分は自己研鑽に成るし、社会の要望に成ると思う。