最近・・・路上での車の環境が怖く感じる様になった。
事故が原因だと思うが・・・・私の感覚と、一般の感覚が変わって来たのが・・・・特にバックが怖い・・・
嫁が運転をしてくれているが・・・私のリハビリを兼ねて、近所位はと車の走行量が減る、時間帯で、練習を重ねている。
しかし、以前なら、一気にバックも出来ていたが・・・最近は、走行して此方 向かってくる車の信用が出来なく成っている。
昔も、略、80%は、何故か車が出ようとしているのにフル加速大勢になる。
その加速が良いのか、私のバックの速度が遅いのか、次の瞬間には、クラクションの連打になる。
昔は、一気に早く、この感覚でバックしていたが、之が最近出来なく成った。
その為に、此方に向かってくる、車との距離感も長く要る様に成って来た。
又、何か有れば、怖い、之も益々、強く感じる様に成って来ている。
今日、来訪された、保険屋さんの話だと・・・久留米地域の車は、7台に1台は、任意保険の加入がされていないとの事・・・・
之を信じれば、事故の七件に一軒は、任意保険の加入が無いと言う事になる。
勿論、田舎の為に・・・生活の為に車は必要・・・・又、田舎の為に、所得は少ない・・・・この様な状況で、東京価格の、物価の部分、教育等で、子供にお金も必要に成る。
田舎価格の部分も有るが、全てでは無い・・・特に保険等々も東京価格に成る。
本来、この様な状況・環境なら、お互い様と言う、助け合いの精神が大事だが、この部分まで我 感せずの、東京的価値観の人が増え続けている。
マスコミ等の情報も、殆どが東京の価値観を、宣伝しているように見えるし、その価値観で、又判断している。
情報の正しさの意味が少し変わるが、田舎は田舎の価値観が大事だと、之を古い等々で、否定する人々も増えている。
母を乗せて、運転していた時に、母が怖い・怖いと言っていた事を思い出す・・・・
各自、感覚が違う・・・・自分の感覚で、他を判断すると、大きな間違いを起す。
何故歳を取ると、車が遠くに居ても、出ようとしないのか???之もそのドライバーの感覚に成る。
最近、脇道から出ようとする車に気付くと、減速しても、出ない人が増えている・・・奇麗に止まらないと、出てくれない感じに成りつつある。
昔のこの行動で相手が動かない場合、親切心で、してあげたのに・・・親切を裏切った等々の思いも有ったが・・・・・最近は親切心が有るなら、最後までする、気持ちが無ければ、相手は動かないという時代の様だ・・
この事は、人を信用・信頼できない、この流れが加速していることにも繋がる。
何故か、人々が生き急いでいる感じが私はします・・・・なんで急ぐのか・・・景気が良ければ、急ぐ意味が有るが、現代は景気が良いとは思えない時代に、何故、一瞬一瞬を急ぐのか????
それだけ、人の心の余裕が無く成っているのか・・・・どんなに急いでも、どんなに稼いでも、人は何時かは死ぬ・・・・生きるなら笑顔で生きたいと私は考えているし、笑顔を出す為には、感謝心が無ければ、笑顔は出ない・・・・
人から感謝される、この事は、今の価値観で考えれば、損している事になる・・・・・有難うとが、有難うを生む・・・・感謝の連鎖になる。
今は、矛盾・不満の連鎖が続いている時代になる。
損をしたくない、この様な人ばかりなら、どの連鎖が始まるか、誰しも解ると思う・・・・
2018年2月9日金曜日
不安が・・・
隣国で大きなイベントが有る・・・
大陸的思想で・・・負けは全てを否定される、流れで、時代が進んだ地域・・・・・
日本国は、大陸から得た、漢字を使っているが・・・その漢字の読みが、大陸の変革に伴い変る都度に、其れを継承し続けている。
その為に、同じ漢字でも読みが多々発生している。
大陸のピフォー・アフターは・・・・過去を否定する部分から始まる価値観が有る。
日本国は、過去も歴史として、継承し続ける・・・変化と言うより、成長を言う・・・・
よく、日本でも、過去はこの様に悪かったが、今はこの様に良くなったと、話す人も居るが・・・
過去が有るから、今が有るという部分を、否定している感じに聞える人達が増え続けている。
過去を忘れる為に、今を良くする・・・・之が基本に有る為に、今が良くなければ、結果過去をも出しだす。
全てが因果である・・・・過去の行いが今に繋がっている・・・・急に変わる事は無い・・・
気付かない微小な変化が、時が経てば大きな違いに成っている。
しかし、人間は、社会の中で生きている・・・・この社会の動向で、大きく生活環境も変わる・・・この因果も、社会全体を考えれば、影響しているが・・・その中に居る、寄生虫的人には関係が無い・・・
社会全体が、悪い方向に進んでいても・・・社会の中で、上手に人様の生き血を吸い続ける生き方も現実には有る。
この様な立場なら、逆の悪い方向に進んでいる方が、寄生しやすい・・・・
テレビCMで、黴菌の立場で、商品の評価をしている物が有るが・・・・・環境がいかに大事かになる。
高齢者を、騙す、特種詐欺と言われているが、俺俺詐欺・・・・之も意味しているのは、親子間でも、繋がり薄く成っていると言う環境が、子供に成りすます事を可能にしている。
高齢者と話していると、寂しいという心の叫びが聞える・・・・この部分を利用すれば、上手に騙す事も容易い・・・又、中には、騙されても良い、其れより人恋しさの方が強いという人も居られる。
結局は、環境と言う、社会の中で暮らしているが、人との繋がり、温かみ等を感じない世界に向かっている事を意味している。
因果から言えば、騙される方も悪い・・・・しかし、騙されても良いと言う人を創っている事も有るし、一概には言えない・・・・
私が危惧するのが、二極間で全てを判断する事・・・善か悪・正か邪・・・人が之に支配されてしまえば、最終的に単純な機械になると言う事・・・・
優秀な人は之を厳格に別ける事が出来る人と勘違いをする・・・・何が善か悪かは、時や状況で変る・・・これさえ解らない人を増やす事になる。
勿論、曖昧な事にんるが、この部分が、人間の経験等々が、大事に成る事に成る。
現代は全てを二極、〇・×で判断する方向に向いつつある・・・之を私は大陸的、発想と考えている。
今、自分と思っている、体も、現実には親が生み育ててくれた、ものに成る・・・ものの所有者は親かも知れない・・・・之が、ある年齢に成ったら、急に変る、之も不思議である、それなら、その年齢に達した後、子供が起した問題に対して親に責任を押し付ける事は無いはずだが、現実は有る。
結局、自分と思っている体も含めて、全ての部分が、先人達の思いの集大成と言う事になる。
その思いを感じて生きる、之を求められているが、ツイツイ、自分の欲等々を優先して、結果として、親に迷惑を架けている事は、先祖の顔にドロを塗っているような、行動になる。
先祖も色んな人のお陰で生きていた筈・・・その世間に対しても、当然恩を返す、後継者としての義務が有る。
私は、歴史を知るという事は、この義務を感じる事だと考えている・・・感じれば、どう行動するかになる・・・・之を尤物的に価値観だと、金や形を言い出す・・・
思いを形に変えろ・・・・・行動を見続ける事になる・・・長い歴史なら、これからの長い期間になる。
だから、後継者には、この部分も確り教える必要が有る。
人として、本性も含め・・・・私は大事だと考えている。
しかし、全てが勝ち負けの、格好重視なら、最終的に崩壊する、砂塵に埋もれる形になると考えている。
大陸的思想で・・・負けは全てを否定される、流れで、時代が進んだ地域・・・・・
日本国は、大陸から得た、漢字を使っているが・・・その漢字の読みが、大陸の変革に伴い変る都度に、其れを継承し続けている。
その為に、同じ漢字でも読みが多々発生している。
大陸のピフォー・アフターは・・・・過去を否定する部分から始まる価値観が有る。
日本国は、過去も歴史として、継承し続ける・・・変化と言うより、成長を言う・・・・
よく、日本でも、過去はこの様に悪かったが、今はこの様に良くなったと、話す人も居るが・・・
過去が有るから、今が有るという部分を、否定している感じに聞える人達が増え続けている。
過去を忘れる為に、今を良くする・・・・之が基本に有る為に、今が良くなければ、結果過去をも出しだす。
全てが因果である・・・・過去の行いが今に繋がっている・・・・急に変わる事は無い・・・
気付かない微小な変化が、時が経てば大きな違いに成っている。
しかし、人間は、社会の中で生きている・・・・この社会の動向で、大きく生活環境も変わる・・・この因果も、社会全体を考えれば、影響しているが・・・その中に居る、寄生虫的人には関係が無い・・・
社会全体が、悪い方向に進んでいても・・・社会の中で、上手に人様の生き血を吸い続ける生き方も現実には有る。
この様な立場なら、逆の悪い方向に進んでいる方が、寄生しやすい・・・・
テレビCMで、黴菌の立場で、商品の評価をしている物が有るが・・・・・環境がいかに大事かになる。
高齢者を、騙す、特種詐欺と言われているが、俺俺詐欺・・・・之も意味しているのは、親子間でも、繋がり薄く成っていると言う環境が、子供に成りすます事を可能にしている。
高齢者と話していると、寂しいという心の叫びが聞える・・・・この部分を利用すれば、上手に騙す事も容易い・・・又、中には、騙されても良い、其れより人恋しさの方が強いという人も居られる。
結局は、環境と言う、社会の中で暮らしているが、人との繋がり、温かみ等を感じない世界に向かっている事を意味している。
因果から言えば、騙される方も悪い・・・・しかし、騙されても良いと言う人を創っている事も有るし、一概には言えない・・・・
私が危惧するのが、二極間で全てを判断する事・・・善か悪・正か邪・・・人が之に支配されてしまえば、最終的に単純な機械になると言う事・・・・
優秀な人は之を厳格に別ける事が出来る人と勘違いをする・・・・何が善か悪かは、時や状況で変る・・・これさえ解らない人を増やす事になる。
勿論、曖昧な事にんるが、この部分が、人間の経験等々が、大事に成る事に成る。
現代は全てを二極、〇・×で判断する方向に向いつつある・・・之を私は大陸的、発想と考えている。
今、自分と思っている、体も、現実には親が生み育ててくれた、ものに成る・・・ものの所有者は親かも知れない・・・・之が、ある年齢に成ったら、急に変る、之も不思議である、それなら、その年齢に達した後、子供が起した問題に対して親に責任を押し付ける事は無いはずだが、現実は有る。
結局、自分と思っている体も含めて、全ての部分が、先人達の思いの集大成と言う事になる。
その思いを感じて生きる、之を求められているが、ツイツイ、自分の欲等々を優先して、結果として、親に迷惑を架けている事は、先祖の顔にドロを塗っているような、行動になる。
先祖も色んな人のお陰で生きていた筈・・・その世間に対しても、当然恩を返す、後継者としての義務が有る。
私は、歴史を知るという事は、この義務を感じる事だと考えている・・・感じれば、どう行動するかになる・・・・之を尤物的に価値観だと、金や形を言い出す・・・
思いを形に変えろ・・・・・行動を見続ける事になる・・・長い歴史なら、これからの長い期間になる。
だから、後継者には、この部分も確り教える必要が有る。
人として、本性も含め・・・・私は大事だと考えている。
しかし、全てが勝ち負けの、格好重視なら、最終的に崩壊する、砂塵に埋もれる形になると考えている。
三年ほど前に・・・2駆の大会・・・
昔、2駆の流行り出した時に、大会を開くならと、妄想した事が有る・・・
一つのジャンルが始まる時は、扇動や誘導等々画、強く影響する。その為に、素の状態の大会をすれば、見ている側のギャラリーも解る筈・・・・
先ずは、何度も書いているが、各自のスペックを・・・・コースをグリップ走行で三周していただく間に、する。勿論、セルフステアの必要性が無い、ジャイロ無しでの走行に成る。
シャーシの種類・・・全体の重量・・・前後重量配分・・・モーターの種類・・・ギア比・・・バッテリー等々・・・・走行に関係する部分をのスペックを、発表・・・・その間でグリップ走行をしてもらえば、ギャラリーが如何感じるかは、各自の感覚に成る。
その後、ドリフトの基本・・・スピーンターンの180度旋回で確り立ち上がってくる・・・定常円・八の字と、基礎部分を、又ギャラリーに見てもらう・・・・・
この様な、事を妄想して、RCドリフターの仲間に話したら、誰も参加しない・・・・
口では色々言っているが、所詮RCと考えて、コースでの走りしか考えていない人が略100%と回りは言っていた。
結果、2駆も簡単に、誰れもが走れる、方向に進むし・・・ドリフトの醍醐味等々も求めていない、之が現実と、回りは言っていた。
本音と建前論になる・・・・
男気の世界と口で言っている事は、姑息で女々しい手段を持ち居る世界だと、風潮して居ることだという事に成る。
私も、体では、この様に感じているが、頭の中では、ドリフターの言葉を信じ続けているし、その努力をしなければ、一気に飽きてしまうジャンルと言う事になる。
現実のこの様な事を私に言っていた、仲間も今は去っている。
2駆の行く付く所は、この当時、三歳児でも操作出来るジャンルに成ると、危惧していた・・・
実車の先輩等々も、色々な指摘を、RCドリフトにされていた・・・ドンドン、実車の世界が、RCノ世界に近付いていると・・・この流れが意味する事は、単純にお金が多大に必要になると言う事・・・・
特種車両に、成って行く危険性を言われていた。
破綻走り、前後の喧嘩走りが、当然となれば、ギリギリのポイントでバランスしている、其れも喧嘩と言う、抵抗で・・・・この抵抗が無くなれば、一気に車が吹っ飛ぶ事を意味する・・・・
之は、重大事故につながると言う意味・・・・益々、特殊性を帯びるジャンルに成って行くという事に成る。
RCは、怪我や最悪・・・死亡と言う事は、略無い・・・又、パワー源も色々選べて、価格差も無い・・・この様なジャンルだから可能な部分が有るが・・・実車だと全てがお金に成る。
私は最近のD1には興味が無いと何度も書き続けている・・・・ドリフトは無駄の表現かも知れないが、基本、コーナーを安全に早く、通過する方法と私は考えている。
アピールの為の無駄にも限界が有ると私は思う・・・・無駄を見ていて格好よいとは私は思わない・・・
無駄の無い、奇麗なドリフトが、昔は動画等に多々有った・・・・今のドリフトは無駄のアピール大会、タイヤを多大に苛める・・・・車も多大に苛める・・・駆動系・エンジンを多大に苛めている、之を良いと言う評価に成っている。
勿論、各自の感覚、之が格好良いと思い、賛同する、之も有ると思うが・・・・賛同すれば、結果負の部分も結果的に、責任が有ると言うことになる。
私は、実車も含め、第三者や回りの環境に、迷惑を架けるたと耳に入ると、非常に悲しいし、自分に責任が有るのかと考える。
同じドリフトを楽しんでいて・・・・ドリフトと言う単語が付いた、事故や事件に、無関心では居られない・・・
RCドリフトの世界でも部外者的、異端児の立場でも、責任の一部が有ると、悩む事に成る。
特に、この世界から、去って行く人が居ると、凄く責任感を感じる。
考えすぎと言われるかも知れないが・・・私は之が無ければ、この世界で生きる意味も無いと考えている。
勿論、人間関係等々の人の世界、しかし、車が本当に楽しいと思えるなら、色んな雑音も気に成る事は無い・・・・・・
車の面白みを、知らないで、辞めて行くなら悲しいと私は考えている。
各自が与えられた、場所で、どう振舞っているか・・・之が結果として、回りに影響を与えている。
出きれば、第三者の人から、凄いですね、良い勉強に成りますね・・・等々の評価を得たいと考えている。
子供がするオモチャ・・・無駄なお金緒を使って・・・等々の評価を、されない、良い部分を磨く事に成る。
RCドリフトと世間に問うて・・・・・どう見られ、感じられられているか???・・・この部分が日頃のドリフターの振舞いに成る。
特に大事なのは、当然、家族に成る・・・・家族に認められる為にも努力が必要に成る。
私は、コースでの走りは二流・三流であっても・・・人として、又、家族の一員としての部分が大事だと考えている。
この部分も、シャーシを見れば予想が出来る。
口では誤魔化し続けて・・・行動は自分の欲の思も向く侭・・・この様なシャーシも有る。
この様な人なら、家族の中でもその様に思われている・・・・・
この取り巻く環境も各自で違う・・・一人暮らしの人も居る・・・・色んな環境が有る。
勿論、この世界のリーダーもこの部分を確り考えて有ると思う・・・・
10代後半の暴走族の総長でも、考え模索し、警察に解散報告をした、息子も居るし、その分、色々な辛い目にも合っているが・・・この覚悟が有るので、リーダーと言う。
今は、家庭を持ち、一家の家長として頑張っている。
その子が、何時も私に言う言葉が
オヤジ、俺の尻の毛まで、持っていかれる、又、奉納を求めれる、之が、俺の使命と、ヤット気付いた様だ・・・・長・・リーダーと言うものはその様な事・・・・勝手にイメージしている格好よさは無い・・・
一度、流れ出した、流れを変える、大変な努力が必要に成る。
家族の数人でさえ、大変なのに・・・・多くの人数に成れば、尚更・・・・・
車に例えると、流れに大勢の中で、先頭に居る、舵取りが、頑張っても、プッシュアンダーで流れに押される。
この部分も、シャーシを見ると、解る部分で、集団性の特性もその方向に成っている。
私は、ドリフトカーは、自由度が大事だし、些細な操作で、リアが出る特性が良いと考えている。
駆動輪の特性は、真直ぐに押す、之も必要だが、ドリフトを考えた場合、横に出る、蹴り出す方向も大事に成る。
リアが、出易いなら、フロントの舵角表現は、フロントを止める様な大きな舵角表現も無くなる。
この部分が逆なら、プッシュアンダー走りに成るし、かに走りに成る。
フロントが誘導するという、発想から、強い止まり、引っ掛かりを求めだす。勿論、リアの強い押しに対してになる。この部分が喧嘩走法の考え方になる。
この考えなら、人との関係性もこの様な感飼うに成る、相手が強く出れば、自分はそれ以上強く出る・・・諍いが続く事になる。
この部分は、誰しも肌で、感じて居ると思う・・・・シャーシを見て、可哀相だな~~~、無理を架けてと思えるユーザーは、相手にもこの意識が有ると感じて、寄り付き難い・・・
面白い、人の特性と私は考えている、シャーシを見て、その人間性を感じている・・・何故か解るか、本人も経験が有る為になる。
セットが変わる事は、考え方の変化になる・・・・昔は、この様な車も当然と思っていたが、今では、凶暴で、危険な車と思える・・・感じ方が変った事は、自分が変化している事になる。
基本殿方向に進むか、他人に優しい車の特性に成るのが、普通だと私は考えている。
逆に尖り続けている、車のユーザーは、回りから見れば、普通なら怖いと感じると思う・・・
私の、よく、色んな個性の車を操作して、何故出来るのかと質問されるが・・・経験が有る為と答える・・・この様な車の操作もしていたし、その当時の私の、ドリフトに対しての考え方はこんな感じだったと頭に有るので、色々が解るだけ・・・
ユーザーの考えがシャーシに反映される事は、当然に成る・・・・・・・・・・その意味も、経験すれば解る・・・・
逆に言えば、経験が無い車は、考え方も解らない車に成るので、操作が解らないになる。
大昔、私の、一代目のドリフト教習車を、数人の人に試乗させた・・・一人は、上手に扱い転がし続けて、良い走りをされていたし、その後にこの様な低い回転に転がるポイントが有る等々勉強に成ったという人も居た・・・・又有る人は、全く回転が無い、その為に引き転がしが出来ない、結果、フラフラして走らせる事が出来ない、感想は転がらない車と言われていた・・
その子に、先に試乗した人が、一所懸命に説明をしていたので・・良い関係性のコンビだとその時は思っていた。
様は、経験になる・・・・私は、色々試した為に、色々解るというだけ・・・解るから上手いという訳では無い・・・解っても下手は下手・・・・
出きれば、第三者から、尊敬される。レベルが、ドリフトだと言われるジャンルにしたい・・・
現状では、馬鹿にされたり、白い目で見られる方向に強いと私は考えている。
又、少なくともRCカーの世界では、凄いと言われる様な操作技量のジャンルに成ればと考えている。
特にトラクション等々の単語の使用頻度も他のジャンルに比べると多い・・・・この事はトラクションの架け方の操作に長けている意味に成る。
特にパワー源が大きい、RCの世界、操作技量の差での加速が直ぐに解る・・・・シャーシやタイヤの違いでの加速等々は直ぐに見破る事も簡単・・・・・
誤魔化しが効かない部分に成るので、私は鍛錬する意味が有ると考えている。
之が、グリップ走行だし、小さなドリフトの基本走行に成る。
一つのジャンルが始まる時は、扇動や誘導等々画、強く影響する。その為に、素の状態の大会をすれば、見ている側のギャラリーも解る筈・・・・
先ずは、何度も書いているが、各自のスペックを・・・・コースをグリップ走行で三周していただく間に、する。勿論、セルフステアの必要性が無い、ジャイロ無しでの走行に成る。
シャーシの種類・・・全体の重量・・・前後重量配分・・・モーターの種類・・・ギア比・・・バッテリー等々・・・・走行に関係する部分をのスペックを、発表・・・・その間でグリップ走行をしてもらえば、ギャラリーが如何感じるかは、各自の感覚に成る。
その後、ドリフトの基本・・・スピーンターンの180度旋回で確り立ち上がってくる・・・定常円・八の字と、基礎部分を、又ギャラリーに見てもらう・・・・・
この様な、事を妄想して、RCドリフターの仲間に話したら、誰も参加しない・・・・
口では色々言っているが、所詮RCと考えて、コースでの走りしか考えていない人が略100%と回りは言っていた。
結果、2駆も簡単に、誰れもが走れる、方向に進むし・・・ドリフトの醍醐味等々も求めていない、之が現実と、回りは言っていた。
本音と建前論になる・・・・
男気の世界と口で言っている事は、姑息で女々しい手段を持ち居る世界だと、風潮して居ることだという事に成る。
私も、体では、この様に感じているが、頭の中では、ドリフターの言葉を信じ続けているし、その努力をしなければ、一気に飽きてしまうジャンルと言う事になる。
現実のこの様な事を私に言っていた、仲間も今は去っている。
2駆の行く付く所は、この当時、三歳児でも操作出来るジャンルに成ると、危惧していた・・・
実車の先輩等々も、色々な指摘を、RCドリフトにされていた・・・ドンドン、実車の世界が、RCノ世界に近付いていると・・・この流れが意味する事は、単純にお金が多大に必要になると言う事・・・・
特種車両に、成って行く危険性を言われていた。
破綻走り、前後の喧嘩走りが、当然となれば、ギリギリのポイントでバランスしている、其れも喧嘩と言う、抵抗で・・・・この抵抗が無くなれば、一気に車が吹っ飛ぶ事を意味する・・・・
之は、重大事故につながると言う意味・・・・益々、特殊性を帯びるジャンルに成って行くという事に成る。
RCは、怪我や最悪・・・死亡と言う事は、略無い・・・又、パワー源も色々選べて、価格差も無い・・・この様なジャンルだから可能な部分が有るが・・・実車だと全てがお金に成る。
私は最近のD1には興味が無いと何度も書き続けている・・・・ドリフトは無駄の表現かも知れないが、基本、コーナーを安全に早く、通過する方法と私は考えている。
アピールの為の無駄にも限界が有ると私は思う・・・・無駄を見ていて格好よいとは私は思わない・・・
無駄の無い、奇麗なドリフトが、昔は動画等に多々有った・・・・今のドリフトは無駄のアピール大会、タイヤを多大に苛める・・・・車も多大に苛める・・・駆動系・エンジンを多大に苛めている、之を良いと言う評価に成っている。
勿論、各自の感覚、之が格好良いと思い、賛同する、之も有ると思うが・・・・賛同すれば、結果負の部分も結果的に、責任が有ると言うことになる。
私は、実車も含め、第三者や回りの環境に、迷惑を架けるたと耳に入ると、非常に悲しいし、自分に責任が有るのかと考える。
同じドリフトを楽しんでいて・・・・ドリフトと言う単語が付いた、事故や事件に、無関心では居られない・・・
RCドリフトの世界でも部外者的、異端児の立場でも、責任の一部が有ると、悩む事に成る。
特に、この世界から、去って行く人が居ると、凄く責任感を感じる。
考えすぎと言われるかも知れないが・・・私は之が無ければ、この世界で生きる意味も無いと考えている。
勿論、人間関係等々の人の世界、しかし、車が本当に楽しいと思えるなら、色んな雑音も気に成る事は無い・・・・・・
車の面白みを、知らないで、辞めて行くなら悲しいと私は考えている。
各自が与えられた、場所で、どう振舞っているか・・・之が結果として、回りに影響を与えている。
出きれば、第三者の人から、凄いですね、良い勉強に成りますね・・・等々の評価を得たいと考えている。
子供がするオモチャ・・・無駄なお金緒を使って・・・等々の評価を、されない、良い部分を磨く事に成る。
RCドリフトと世間に問うて・・・・・どう見られ、感じられられているか???・・・この部分が日頃のドリフターの振舞いに成る。
特に大事なのは、当然、家族に成る・・・・家族に認められる為にも努力が必要に成る。
私は、コースでの走りは二流・三流であっても・・・人として、又、家族の一員としての部分が大事だと考えている。
この部分も、シャーシを見れば予想が出来る。
口では誤魔化し続けて・・・行動は自分の欲の思も向く侭・・・この様なシャーシも有る。
この様な人なら、家族の中でもその様に思われている・・・・・
この取り巻く環境も各自で違う・・・一人暮らしの人も居る・・・・色んな環境が有る。
勿論、この世界のリーダーもこの部分を確り考えて有ると思う・・・・
10代後半の暴走族の総長でも、考え模索し、警察に解散報告をした、息子も居るし、その分、色々な辛い目にも合っているが・・・この覚悟が有るので、リーダーと言う。
今は、家庭を持ち、一家の家長として頑張っている。
その子が、何時も私に言う言葉が
オヤジ、俺の尻の毛まで、持っていかれる、又、奉納を求めれる、之が、俺の使命と、ヤット気付いた様だ・・・・長・・リーダーと言うものはその様な事・・・・勝手にイメージしている格好よさは無い・・・
一度、流れ出した、流れを変える、大変な努力が必要に成る。
家族の数人でさえ、大変なのに・・・・多くの人数に成れば、尚更・・・・・
車に例えると、流れに大勢の中で、先頭に居る、舵取りが、頑張っても、プッシュアンダーで流れに押される。
この部分も、シャーシを見ると、解る部分で、集団性の特性もその方向に成っている。
私は、ドリフトカーは、自由度が大事だし、些細な操作で、リアが出る特性が良いと考えている。
駆動輪の特性は、真直ぐに押す、之も必要だが、ドリフトを考えた場合、横に出る、蹴り出す方向も大事に成る。
リアが、出易いなら、フロントの舵角表現は、フロントを止める様な大きな舵角表現も無くなる。
この部分が逆なら、プッシュアンダー走りに成るし、かに走りに成る。
フロントが誘導するという、発想から、強い止まり、引っ掛かりを求めだす。勿論、リアの強い押しに対してになる。この部分が喧嘩走法の考え方になる。
この考えなら、人との関係性もこの様な感飼うに成る、相手が強く出れば、自分はそれ以上強く出る・・・諍いが続く事になる。
この部分は、誰しも肌で、感じて居ると思う・・・・シャーシを見て、可哀相だな~~~、無理を架けてと思えるユーザーは、相手にもこの意識が有ると感じて、寄り付き難い・・・
面白い、人の特性と私は考えている、シャーシを見て、その人間性を感じている・・・何故か解るか、本人も経験が有る為になる。
セットが変わる事は、考え方の変化になる・・・・昔は、この様な車も当然と思っていたが、今では、凶暴で、危険な車と思える・・・感じ方が変った事は、自分が変化している事になる。
基本殿方向に進むか、他人に優しい車の特性に成るのが、普通だと私は考えている。
逆に尖り続けている、車のユーザーは、回りから見れば、普通なら怖いと感じると思う・・・
私の、よく、色んな個性の車を操作して、何故出来るのかと質問されるが・・・経験が有る為と答える・・・この様な車の操作もしていたし、その当時の私の、ドリフトに対しての考え方はこんな感じだったと頭に有るので、色々が解るだけ・・・
ユーザーの考えがシャーシに反映される事は、当然に成る・・・・・・・・・・その意味も、経験すれば解る・・・・
逆に言えば、経験が無い車は、考え方も解らない車に成るので、操作が解らないになる。
大昔、私の、一代目のドリフト教習車を、数人の人に試乗させた・・・一人は、上手に扱い転がし続けて、良い走りをされていたし、その後にこの様な低い回転に転がるポイントが有る等々勉強に成ったという人も居た・・・・又有る人は、全く回転が無い、その為に引き転がしが出来ない、結果、フラフラして走らせる事が出来ない、感想は転がらない車と言われていた・・
その子に、先に試乗した人が、一所懸命に説明をしていたので・・良い関係性のコンビだとその時は思っていた。
様は、経験になる・・・・私は、色々試した為に、色々解るというだけ・・・解るから上手いという訳では無い・・・解っても下手は下手・・・・
出きれば、第三者から、尊敬される。レベルが、ドリフトだと言われるジャンルにしたい・・・
現状では、馬鹿にされたり、白い目で見られる方向に強いと私は考えている。
又、少なくともRCカーの世界では、凄いと言われる様な操作技量のジャンルに成ればと考えている。
特にトラクション等々の単語の使用頻度も他のジャンルに比べると多い・・・・この事はトラクションの架け方の操作に長けている意味に成る。
特にパワー源が大きい、RCの世界、操作技量の差での加速が直ぐに解る・・・・シャーシやタイヤの違いでの加速等々は直ぐに見破る事も簡単・・・・・
誤魔化しが効かない部分に成るので、私は鍛錬する意味が有ると考えている。
之が、グリップ走行だし、小さなドリフトの基本走行に成る。
セット・・・
趣味のRCドリフト・・・・ドリフトセットといっても、各自の目的で変る・・・この部分は昔から書き続けている。
各自で変わる部分を、之が正しいと言うセットは無いと言う事になる。
又、何を目標にしているか????これでも変る・・・
自分の拘り、目的から始める人も居るし・・・・・・・
ドリフトコースでそれなりに走りたいと思い、其れを目的にする場合も有る。
この二つの目的感の違いでも、大きく方向性が変わる・・・・
自分の拘り、目的、この部分は各自、人の数、多彩な方向が有るし、多々な個性が出て来る事を意味する。
ドリフトコースでそれなりに走りたいと成れば・・・車の個性、操作の個性を合わせる事が、楽だし、結果的にこの方向に向うのも、当然と言うことになる。
勿論、各自の拘りという大きな括りでは同じ、コースでそれなりに走りたい之も個人的拘りに成る。
結局は、全て個人の拘りに対して正しいと言う事になる。
唯、コース環境に即している方向は、自ずと、決まると思う・・・・
之が意味する事は、環境が大事だという事に成る・・・・・中には「赤信号皆で渡れば怖くない」と言う環境も有ると思う・・・・この環境内で、赤信号は、止まるべきでないかと考えた場合、排除方向に向うのは、当然と言う事になる。
民主主義と言われる日本国だが・・・この国に生まれても、社会のシステム環境が厳然と有るし、その中で生きる事に成る。
過去の人が決め創ったシステムに乗る事を求めれれて居る・・・・仮に民衆として一人の思いが嫌だと言っても、通用しない・・又変革を求め、先ずは、システムの頂点人立たなければと、努力した、先輩達も居るが・・・結果的に飲み込まれてしまう。
システムを維持しているのは上だと言う、考えがこの様な行動を起こす・・・その為にシステムの頂点を目指す・・・目指して、頂点の首の据え変えになるだけで、システム全体は変わらないと言う、現象になる・・・・革命と言われる現象も結果的に、この流れと同じで、頭が変わっただけでシステムは維持する方向に成る。
結局は、民衆自体が変らなければ、意味が無いと言う事になる。
現代のリーダーは、結果的に啓発活動が出来るかになる・・・・昔は、旗を振り、大きな声で全体を動かせる人がリーダーだった。
目立たないが、一対一の啓発が出来るか、簡単に言えば、営業活動と一緒・・・・
この様な人が居ない事が、現代のリーダー不足と言われている事に繋がる。
又、リーダーの輩出を社会がしているか????又、教育をしているか????・・・・・之も現代は行なっているとは思えない・・・
烏合の衆と言われる人達の輩出に慢心している。
特に、経済活動で、収入を得て生活を経てている、社会人としては、ある程度のカタログ・スペックも必要と成るし、そのスペックも上がる方向が現代である。
之が意味する事は、社会のシステム内に留まれという圧力になるし、守るべき家族が有れば、難しいバランス感覚が必要に成る。
最近、私は、還暦に近付いている為に、体の衰えも感じているし、事故で右腕も思う様に使えない状態だと、今の社会システムで、活躍できるか????・・・スペックも落ちているし、そろそろ排除方向の立場に成っている事も、実感として有る。
趣味の世界位は、色んな立場、能力の人が、平等に楽しめる世界で、有るべきだと私は考えている。
社会のシステムから、脱して・・・楽しめる・・・之を求めているが、現実は同じと言う事になる。
本題に戻り、環境に合わせるセットも有るし、社会人として生きているなら当然、無意識に順応する行動を起こしてしまう。
又、それに順応してしまえは、今のシステムを守ろうとする振舞いも当然と成る。
私は、全て正しいと言っているのは、人として当然と思う行動を誰しもしている。之を前提で考えれば、人の行動は全て正しい・・・
しかし、正しいと若し思っているなら、正しいと言う論理を創らないと、他の価値観とは喧嘩に成る。
よく、イデオロギーの違いを認めると言われるが・・・・・論理が有れば、他との違いが解る筈。
違いを認めるという事は、容認出来ると言う意味に成るし・・解り合おうとする努力がいると言う事に成る。
しかし、論理が曖昧なら、この行動が出来ないし、直ぐに勝ち負けの判断に成ってしまい、排除心が強くて、喧嘩の方向に向う・・・
本来は、この様な大人の、判断、行動が必要だが・・・・
不思議に、大人の判断では、子供の我侭の対処が出来難い側面も有る。
無くす物が無い、立場が強いということ・・・
この勝敗で物事を考え、勝つ事が正しいと強く思えば、子供のような我侭が良いと言うこと・・・・一神教の世界では、神より悪魔が勝つ可能性が高いと言われている。
理由は、尤物的な価値観で支配されれば、冨を得る方法は、駄々っ子で我侭が、回りが神みたいな存在なら、楽だと言う事になる。
趣味の世界も、勝敗を気にする人が多い・・勝つ為には、駄々っ子で、我侭な方が良いと言うことにも成る。
私もこの意識が昔は強かった・・・・今でも有ると思う・・・・だから、失敗が殆どの車で練習を続けている・・・・以前は失敗は、面白くないと思っていた・・・理由は恥だから・・・結局は回りの目に成る・・・・
今は、失敗も面白いと思えるように成って来た。
この部分は、佐賀のキャプテンと、私は言っているが、彼のドリフトに対する取り組みと、走らせ方を見ていると、私の価値観では、解らない、レベルだったが・・・何故か魅力が有った、理由は私に無い部分で楽しんでいるから・・・
略、100%に近い失敗の確立・・・失敗後の対処も、一気にバック等々当然、彼の目的はコースを単純に走り、車を傷めない之に、注視している。
自分の好みでなければ、直ぐに停止する・・・・後を追っていても、怖いし変化を読めない・・・特にコースの殆どの部分は、グリップ走行・・・一部をドリフト・・・
回りの人は下手で、馬鹿だから、絡むことは出来ないと言われていたが、私は、若しその言葉が真実なら、少しは私は長けている、長けていれば当然対応は出来る筈と、絡む事が楽しみだったし、色々勉強が出来た。
私が何時も思う不思議がこの様な部分、長けている方が何故、劣ってる方向に対応できないのか、又、其れをカバーする走りや、教えて上げよとする優しい思いやりの走りが出来ないのか???
操作側の思いを表現出来ない車で、何を表現しようと考えているのか???
私は、今は、車が私の技量より、強過ぎて、走らせる事さえ難儀しているが、この苦労が、キツイとは思えなくなっている・・・逆に楽しい・・・・
モット難しくしたいとも考えているが、今の環境を考えると、今の私の技量では無理・・・
最近思うことは、奇麗に走って、何が面白いか・・・と思う方向に成って来た。回りには良い事だが、個人としては、面白みを感じない・・・・・・・・
私も社会人として、周りに迷惑をかけないで、奇麗な行動が、良いと考えていたし、其れが行き過ぎて、之を楽しいと思える、価値観に成っていた事に成る。
良いと、楽しいとは意味が違うと言う事に成る。
社会人として、良いを増やす之が、楽しく・幸せに繋がると、いう価値観が私には有る事に成る。
現実に良いを増やして、楽しかったか???・・・・一瞬の楽しさは有ったが、残りの時間は空しさしかなかった感じが私の場合多い・・・・・
逆に負が有れば、キツイと頭は考える、したくも無いし、逃げたいが・・・結果、取り組めば、何故か充実感は有るし、時間が経てば、勉強に成った、あの時は生き生きした行動をして、楽しかったと成る。
結局、私の人生で、頭に残っている部分は、この様なキツイ方向が多いし、一般的に言われる、何も悩まず、楽しい環境の時は忘れている。
忘れている時間は、今の私の場合、意味が無いと言う事になる。
若し、この時間が殆どだったら・・・一生なんて、一瞬で終わる事に成る。
生きた実感も無く、死んで行く、何か空しいと私は考えている。
今世で、一杯悩み、一杯苦労した方が、充実感も有るし、楽しいと思うし、生きた実感も有ると思う・・・
その為に、私は、車のセットで、その人の価値観まで見える場合が有ると、書いて来ている。
見えれば、対応も出来る・・・しかし、今は対応できる車では無いが・・・・・勝ちを意識し過ぎると、この部分も見えなくなる。
結局は、今の環境の中で、生かされている・・・・・・その環境の中で、どのポジションを目指し求めているかになる・・・・お神輿の頂点を目指すなら、同じ価値観の人との足の引っ張り合いが始まる。
之も覚悟に成る・・・逆に誰も目指さない、馬鹿にされるポジションは、楽だと言う事を、佐賀のキャプテンの行動で学んだ・・・・
人の汚さを見たければ、どの方向が良いが、又、人の温かさを感じたければ、どの方向が良いかも、各自の判断に成る。
私の場合、排除されて当然、馬鹿にされて当然と思っているから、コースを走らせて頂くだけでも感謝に成る。
質問等されれば、其れは大感謝に成るし、全てを教えてあげたいと成る。
この価値観が、逆なら、この部分も変わると思う・・・
セットは、自分自身の表す、部分に成るので、大事だし注意も必要と成る。
各自で変わる部分を、之が正しいと言うセットは無いと言う事になる。
又、何を目標にしているか????これでも変る・・・
自分の拘り、目的から始める人も居るし・・・・・・・
ドリフトコースでそれなりに走りたいと思い、其れを目的にする場合も有る。
この二つの目的感の違いでも、大きく方向性が変わる・・・・
自分の拘り、目的、この部分は各自、人の数、多彩な方向が有るし、多々な個性が出て来る事を意味する。
ドリフトコースでそれなりに走りたいと成れば・・・車の個性、操作の個性を合わせる事が、楽だし、結果的にこの方向に向うのも、当然と言うことになる。
勿論、各自の拘りという大きな括りでは同じ、コースでそれなりに走りたい之も個人的拘りに成る。
結局は、全て個人の拘りに対して正しいと言う事になる。
唯、コース環境に即している方向は、自ずと、決まると思う・・・・
之が意味する事は、環境が大事だという事に成る・・・・・中には「赤信号皆で渡れば怖くない」と言う環境も有ると思う・・・・この環境内で、赤信号は、止まるべきでないかと考えた場合、排除方向に向うのは、当然と言う事になる。
民主主義と言われる日本国だが・・・この国に生まれても、社会のシステム環境が厳然と有るし、その中で生きる事に成る。
過去の人が決め創ったシステムに乗る事を求めれれて居る・・・・仮に民衆として一人の思いが嫌だと言っても、通用しない・・又変革を求め、先ずは、システムの頂点人立たなければと、努力した、先輩達も居るが・・・結果的に飲み込まれてしまう。
システムを維持しているのは上だと言う、考えがこの様な行動を起こす・・・その為にシステムの頂点を目指す・・・目指して、頂点の首の据え変えになるだけで、システム全体は変わらないと言う、現象になる・・・・革命と言われる現象も結果的に、この流れと同じで、頭が変わっただけでシステムは維持する方向に成る。
結局は、民衆自体が変らなければ、意味が無いと言う事になる。
現代のリーダーは、結果的に啓発活動が出来るかになる・・・・昔は、旗を振り、大きな声で全体を動かせる人がリーダーだった。
目立たないが、一対一の啓発が出来るか、簡単に言えば、営業活動と一緒・・・・
この様な人が居ない事が、現代のリーダー不足と言われている事に繋がる。
又、リーダーの輩出を社会がしているか????又、教育をしているか????・・・・・之も現代は行なっているとは思えない・・・
烏合の衆と言われる人達の輩出に慢心している。
特に、経済活動で、収入を得て生活を経てている、社会人としては、ある程度のカタログ・スペックも必要と成るし、そのスペックも上がる方向が現代である。
之が意味する事は、社会のシステム内に留まれという圧力になるし、守るべき家族が有れば、難しいバランス感覚が必要に成る。
最近、私は、還暦に近付いている為に、体の衰えも感じているし、事故で右腕も思う様に使えない状態だと、今の社会システムで、活躍できるか????・・・スペックも落ちているし、そろそろ排除方向の立場に成っている事も、実感として有る。
趣味の世界位は、色んな立場、能力の人が、平等に楽しめる世界で、有るべきだと私は考えている。
社会のシステムから、脱して・・・楽しめる・・・之を求めているが、現実は同じと言う事になる。
本題に戻り、環境に合わせるセットも有るし、社会人として生きているなら当然、無意識に順応する行動を起こしてしまう。
又、それに順応してしまえは、今のシステムを守ろうとする振舞いも当然と成る。
私は、全て正しいと言っているのは、人として当然と思う行動を誰しもしている。之を前提で考えれば、人の行動は全て正しい・・・
しかし、正しいと若し思っているなら、正しいと言う論理を創らないと、他の価値観とは喧嘩に成る。
よく、イデオロギーの違いを認めると言われるが・・・・・論理が有れば、他との違いが解る筈。
違いを認めるという事は、容認出来ると言う意味に成るし・・解り合おうとする努力がいると言う事に成る。
しかし、論理が曖昧なら、この行動が出来ないし、直ぐに勝ち負けの判断に成ってしまい、排除心が強くて、喧嘩の方向に向う・・・
本来は、この様な大人の、判断、行動が必要だが・・・・
不思議に、大人の判断では、子供の我侭の対処が出来難い側面も有る。
無くす物が無い、立場が強いということ・・・
この勝敗で物事を考え、勝つ事が正しいと強く思えば、子供のような我侭が良いと言うこと・・・・一神教の世界では、神より悪魔が勝つ可能性が高いと言われている。
理由は、尤物的な価値観で支配されれば、冨を得る方法は、駄々っ子で我侭が、回りが神みたいな存在なら、楽だと言う事になる。
趣味の世界も、勝敗を気にする人が多い・・勝つ為には、駄々っ子で、我侭な方が良いと言うことにも成る。
私もこの意識が昔は強かった・・・・今でも有ると思う・・・・だから、失敗が殆どの車で練習を続けている・・・・以前は失敗は、面白くないと思っていた・・・理由は恥だから・・・結局は回りの目に成る・・・・
今は、失敗も面白いと思えるように成って来た。
この部分は、佐賀のキャプテンと、私は言っているが、彼のドリフトに対する取り組みと、走らせ方を見ていると、私の価値観では、解らない、レベルだったが・・・何故か魅力が有った、理由は私に無い部分で楽しんでいるから・・・
略、100%に近い失敗の確立・・・失敗後の対処も、一気にバック等々当然、彼の目的はコースを単純に走り、車を傷めない之に、注視している。
自分の好みでなければ、直ぐに停止する・・・・後を追っていても、怖いし変化を読めない・・・特にコースの殆どの部分は、グリップ走行・・・一部をドリフト・・・
回りの人は下手で、馬鹿だから、絡むことは出来ないと言われていたが、私は、若しその言葉が真実なら、少しは私は長けている、長けていれば当然対応は出来る筈と、絡む事が楽しみだったし、色々勉強が出来た。
私が何時も思う不思議がこの様な部分、長けている方が何故、劣ってる方向に対応できないのか、又、其れをカバーする走りや、教えて上げよとする優しい思いやりの走りが出来ないのか???
操作側の思いを表現出来ない車で、何を表現しようと考えているのか???
私は、今は、車が私の技量より、強過ぎて、走らせる事さえ難儀しているが、この苦労が、キツイとは思えなくなっている・・・逆に楽しい・・・・
モット難しくしたいとも考えているが、今の環境を考えると、今の私の技量では無理・・・
最近思うことは、奇麗に走って、何が面白いか・・・と思う方向に成って来た。回りには良い事だが、個人としては、面白みを感じない・・・・・・・・
私も社会人として、周りに迷惑をかけないで、奇麗な行動が、良いと考えていたし、其れが行き過ぎて、之を楽しいと思える、価値観に成っていた事に成る。
良いと、楽しいとは意味が違うと言う事に成る。
社会人として、良いを増やす之が、楽しく・幸せに繋がると、いう価値観が私には有る事に成る。
現実に良いを増やして、楽しかったか???・・・・一瞬の楽しさは有ったが、残りの時間は空しさしかなかった感じが私の場合多い・・・・・
逆に負が有れば、キツイと頭は考える、したくも無いし、逃げたいが・・・結果、取り組めば、何故か充実感は有るし、時間が経てば、勉強に成った、あの時は生き生きした行動をして、楽しかったと成る。
結局、私の人生で、頭に残っている部分は、この様なキツイ方向が多いし、一般的に言われる、何も悩まず、楽しい環境の時は忘れている。
忘れている時間は、今の私の場合、意味が無いと言う事になる。
若し、この時間が殆どだったら・・・一生なんて、一瞬で終わる事に成る。
生きた実感も無く、死んで行く、何か空しいと私は考えている。
今世で、一杯悩み、一杯苦労した方が、充実感も有るし、楽しいと思うし、生きた実感も有ると思う・・・
その為に、私は、車のセットで、その人の価値観まで見える場合が有ると、書いて来ている。
見えれば、対応も出来る・・・しかし、今は対応できる車では無いが・・・・・勝ちを意識し過ぎると、この部分も見えなくなる。
結局は、今の環境の中で、生かされている・・・・・・その環境の中で、どのポジションを目指し求めているかになる・・・・お神輿の頂点を目指すなら、同じ価値観の人との足の引っ張り合いが始まる。
之も覚悟に成る・・・逆に誰も目指さない、馬鹿にされるポジションは、楽だと言う事を、佐賀のキャプテンの行動で学んだ・・・・
人の汚さを見たければ、どの方向が良いが、又、人の温かさを感じたければ、どの方向が良いかも、各自の判断に成る。
私の場合、排除されて当然、馬鹿にされて当然と思っているから、コースを走らせて頂くだけでも感謝に成る。
質問等されれば、其れは大感謝に成るし、全てを教えてあげたいと成る。
この価値観が、逆なら、この部分も変わると思う・・・
セットは、自分自身の表す、部分に成るので、大事だし注意も必要と成る。
唐突な挙動・・・・この対策・・・
タイヤが路面を確り摑む、之が出来る・・・・・・実車だと当然の部分だが、私の場合、之が難しく、結果的にトルクを、減らす方向に成っている。
勿論、操作の癖が有る為に、一気には難しく・・・可也の年数が必要だった・・・・
この当然の部分が、どうにか出来る感じに成ると・・・・今度は唐突な挙動が気に成り出す・・・
実車に詳しい人が多い、RCドリフトの世界なので誰しも解る部分だが・・・路面のミューが高まると、シャーシが負けている、等々が解り出す・・・又、変な路面との引掛かり等々も気に成り出す。
何故気に成るのか???・・・一気に挙動を乱すから、この部分をスムーズな挙動変化にしたいと無意識に、感じていると思う・・・
タイヤを上手に使うために、アライメント変化を極力なくす方向にして、真直ぐタイヤが減る方向を模索する・・・・簡単な方向は、ダンパーが硬ければ、この部分も有る程度、解消できる。
又、路面の凸凹等の対処の為に、足の動きはスムーズで軽く・・・之が大事に成るので、当然バネ下は軽い方向に向う・・・
又、車の慣性力、之が、挙動にも大きく影響するので、当然、車全体の重量も軽くなるのは、実車だと当然と私は考えている。
路面を確り、摑む、特性が有る、パワー源の場合、この方向になる。
路面を摑む之を恐れる場合は、車の特性も逆に成るのは当然と言う事になる。
RCの場合、この路面を摑む、この部分を余り意識しないで、如何したら走る、早くなる等々に意識が向う、勿論、私の場合で、実車志向の強い、RCドリフターには居ないと思うが・・・
長年RCを経験しているが、この部分を強く意識する公言・目標にしていると言うジャンルは、他には無かったし、RCはRCで良いと言う発想が私には有ったので、スピード・飛距離に拘り、回りが23Tブラシモーターで2万回る等々を自慢していた時代に・・・・6万も回るブラシレスモーターで、吹っ飛んで走る、之がRCドリフトだー・・・と・・・思い込み、走っていた為に・・・RCドリフトは等々を言われる事に成る・・・・・環境と大きくは成れば異端児に成る。
その当時のモーターKv値8000も結局は、数年使って、お蔵入り・・・その後、友の手に渡っている。
結局、現実を見て、感じて、この方向性だろうと、思い、試みると、否定される・・・・・之が続いたので、今度は、人々が口で言っている、表現を信じて、之を組立て、RCに取り入れると、どうなるか・・・・勿論、否定されるが、今度は理論的に口での対応が出来る様に成る。
以前は、回りが皆この様にしていると、見えたからと言う、曖昧な理屈に成る。又、言葉での否定の為に、この回りがという曖昧な対処では、対応出来ない・・・
回りがこの様な事をしていたので、ツイツイ私もしました・・・・警察には通用しない・・・
この様な・・環境は、異質な物を排除する方向に向う・・・同じ事をしていても異質だと感じられたら、排除方向に向う・・・・簡単に書けば、ドングリの背比べ程度は認めるが、それ以外は認め無いと言う世界に成る。
人間社会に多い慣習と言うものにもかも知れない・・・・・増すは、溶け込む・・・之が求められる・・・・もし向上心が強く、回りの雰囲気で、之が良いと、その方向に強く進めば・・・排除方向に向う・・・
先に書いた様に、私は、モーターの回転が高い之が良いと言う雰囲気だった・・・又走行スタイルを見れば、スピード・飛距離に長けている、之を求めているように見えた・・・・この私の感じた事を、そのままシャーシに取り入れると、今度は、否定・・・否定は必ず、実車は・・・・リアルとは・・・と言われる。
勿論、この部分は意識していないし、皆、考えているような走行スタイルでも無い・・・しかし、排除の為に、論理を持ち出す。
警察と一緒・・・・・しかし、その警察官も一人のドライバーとして、走っている時は、一般ドライバと同じ・・・・
今まで、長く、RCドリフトを楽しんでいるが、この否定の部分は、全て、持ち出してくるのが、実車・・・・
それなら、実車の特性の有る、車を操作しているか???と見れば、RC独特の操作に対しての処置をしている。
この流れは・・・・簡単に書けば、権力側が、思う様に成る、システムに成る・・・・このポジションは警察・・・・しかし、一人ドライバーとして、走っている時は、回りと一緒・・・・・しかし、警察の立場に変異した時は、簡単に排除できる、事を意味している。
メール等で・・・・もう耐え切れない等々で、このRCドリフトの世界から去っていった人を多々知っているが・・・・この部分が、私は、社会と同じ・・・日本国の縮図だと考えている。
間違っていると声を上げる・・・事の難しさにも成る。
勿論、生活に影響する部分で、行なえば、家族まで崩壊させる可能性が有るので、難しいと思うが・・・この部分に影響が少ない、趣味世界位と考えて居たが・・・・基本同じだと、私は考えている。
人は論理も無く、行動し、振舞う・・・・回りの動きに準じるこの部分が有るし、人の本能と今では考えている・・・・・・この集団の動き、之に、看板が付き・・・・・その看板が金が付けば、益々、加速的にこの方向に進む・・・・・
何度が書いているが、日頃は「赤信号皆で渡れば怖くない」と扇動していた人が、有る日突然、警察に変貌するという事・・・簡単に、「赤信号は止まれ」之が本来、基準・常識と言えば、誰も論破する事が難しくなる。
結局は、否定は、簡単だと言う事・・・・・指摘も簡単・・・・・・・・之が解れば・・・・二種類の方向性に成る・・・・一つは、指摘されて当然と、努力を続ける、勿論、個人としての拘りで・・・この思いが有れば、続けれれる。 自分との勝負で、他人との勝負を考えない事になる。
後一つは、環境の中に溶け込み、ギリギリの個性の表現を目指すか・・・強い個性を出せば、排除される危険性が有る。
之が、環境と言うものの怖さ・・・・道理が無く、論理・哲学が無い、集団の怖さにも成る・・・・
現状のRCドリフトの世界を見ると、勿論狭い範囲だが・・・ヤット、私の伺っているコースでは、スピードや飛距離に、大きく拘る、特に早い等々に拘る人が減りだした。
しかし、不思議な事だが、ラップタイムは上がっている。
この事は、ドリフト中のスピードが増している事に成る・・・タイヤが路面を捉え加速方向に車を進めている。以前は、無駄な重さで、慣性力頼りで部分が多かったが・・・・
ドリフトを、ストレートエンドの一部から、その後のRの部分に意識が移っていると言う事・・・
車の重さが、軽くなる事は、路面にも優しくなる・・・・特に駆動輪の面圧は、路面を痛める・・・
特にPタイル等のコースなら、溝が入る事にも成る・・・この事は、同じ個性の車しか走れないコースと言う限定した形に成り易い・・・・
実車と同じだが、タイヤに優しい、走法が、結果的にタイムに繋がる・・・この事は路面にも優しいと言う意味に成る。勿論、低速でユックリ走る方が、全てに優しいが、攻める走りと限定した場合・・・
車の作り方にも成るし、其れを大きく支配しているのが、操作方法に成る。
この操作方法は本来、人の部分で多々有る筈だが・・・・何故か一方向に向う、之が環境である。
よく、素人さんに質問すると、何度かブログに書いているが・・・・何を目指している、D1等々と言われる人が多い、D1車両を知っている???と質問すると、知らない人が多い・・・・
その人のシャーシを見て、D1の最高速度は500km/hを越えるのと質問・・・そんなスピードは出ない筈と言われる・・・其れなら、何キロ位????300km/h以下で、200km/h強と言われる人が多い・・・・この時に自分の車の意外感、矛盾を感じられていない・・・
再度、何故このモーターを付けた???前回伺った時に、スピードが遅く回りに付いて行くことが出来なかったので、8.5Tから6.5Tに変更して来た・・・・この様な人が多い・・・・
6.5Tの現状で、私の計算なら貴方の車は実車に当てはめると音速を超える、速度に成ると、説明しても?????状態の人が多い・・・
誰しも解ると思うが、タイヤと路面の関係性は、破綻状態・・・・この状態で車を前に進める、操作はアクセルを抜く、回転下がりの弾み車の特性で走らせる事に成る。又、当然、牽引力を求めて、重く車をする方向に成る。
この処置は、実車と180度違う、措置に成ると私は考えている。
何故この方向に進むのか、大昔から書き続けている、パワー神話が強く、この世界に有る為に成る。
タイヤのトラクションを強く意識すれば、タイヤと路面との接触音が大事に成るが、駆動系の音が其れを邪魔する・・・音が邪魔だと考えている人は、トラクションを操作で演出したいと考えている人が多い・・・
以前も若し、私が競技会を主催して、最初にトラクションと言う課題での大会なら、無負荷での音を確認して、煩い、之で失格にする・・・・勿論、反論が有ると思うので、反論も確りしてもらう・・・
私の論理では、路面とタイヤの関係性を確り、認識できる為には、駆動系の音は邪魔と考えると言って、如何、反論できるか、トラクションは車、タイヤで演出する、その為に重くしている、等々の策を言われると思う・・・・・之を皆が如何判断するか・・・
個人的は仕方が無い等々思っても、皆になれば、実車やリアルと言う単語の束縛が有る。
又、音はアクセルを入れているアピールの為と言われた場合、入れた時点で車は死んでいる様に、挙動が出ていない、その後の回転下がりで車が動き出していると、私は言うと思う・・・
言われているアピールの趣旨と少し違うと私なら、言う・・・
その後、グリップ走行での検証になる。・・・・・当然ドリフトは、凄い操作と私は考えているので、誰しも出来るグリップ走行も出来るはずだし、その時の車の挙動を、評価する・・・
勿論、各自、好みのボディで走らせられる、何故かFRのボディなのに、RRの車の挙動に見える等々の、評論が出来ると思う・・・
私はドリフトは詳しくないが・・・普通のグリップ走行等々の簡単と言われる部分の評論は出来るはず。
私は、昔、何度も書いているが、RCは実車と違うと言う考えから出発している。
RCはRCで良いと言う発想・・・・又ドリフトの場合、特種車両に成っても仕方が無いと言うのか私の見解だったが、この部分を全て、RCドリフターから否定された・・・RCドリフトは実車やリアルが大事と・・・
私のブログの見ている人は解ると思うが、環境から出過ぎると、否定される、実社会と一緒・・・・
趣味であれ、この部分は一緒と言う事・・・
その環境を創っているリーダーの素質に成る・・・・本来、各自が確りした、思いが有れば良いが、日本人の場合、回りに合わせる、之を無意識にしてしまう為に・・・・環境を創った人の思うままと言う事になる・・・結果、昔の私の様に、所詮・スピード・飛距離、カウンターの深さとこの部分を追求過ぎると、当然、排除する為に、色んな否定的、言葉を言われ出す。
本来、この時に、も一歩考えて、事を進めれば、良いが、殆どの人は、この部分で、この世界から去って行く・・・・
ドングリの背比べの時までは、許すが、それ以上は、許さないと言う環境も存在している様だ・・・・
私の場合は、自分の目的感を変えた、回りが之を求めていると感じた事が駄目なら、言葉での理想の部分を言われている、之を試す、この方向になった。
コースで、変態と言われているが、何故か否定できないと言われている。
自分自身も、行き過ぎた、方法と自覚しているし、操作も不可能に近いくらいに難しい・・・・
本来、RCドリフトが目指している、乗車して操作する実車とは大きく違う・・・この違いをどう埋めるかを考えることだと考えている。
外部操作と乗車操作の違いを、どの部分に妥協点を置くかになる。
外部操作として考えれば、今見ている状況は全て正しいに成る。
しかし、乗車して走る実車とは????・・・・可也の違いが有る。
又、各自目的や目標も違う・・・・・・絡み付く之が目的の人もいる、何が何でも絡み付く・・・操作等々以前にこの部分が大事だし、その走行は、その人の思いなら正しいと成る。
環境に溶け込んでいる時は、容認できるが・・・・其れが出来ないレベルに成った時が・・・・問題に成る。
何の世界でも、環境の中で、人は育つ、しかし育ち過ぎると、結果的に飛び出す事に成る。
出る釘は打たれる・・・・打たれ続ければ、飛び出るに成る。
しかし、この世界に留まって欲しいと私は願っている。
勿論、操作の癖が有る為に、一気には難しく・・・可也の年数が必要だった・・・・
この当然の部分が、どうにか出来る感じに成ると・・・・今度は唐突な挙動が気に成り出す・・・
実車に詳しい人が多い、RCドリフトの世界なので誰しも解る部分だが・・・路面のミューが高まると、シャーシが負けている、等々が解り出す・・・又、変な路面との引掛かり等々も気に成り出す。
何故気に成るのか???・・・一気に挙動を乱すから、この部分をスムーズな挙動変化にしたいと無意識に、感じていると思う・・・
タイヤを上手に使うために、アライメント変化を極力なくす方向にして、真直ぐタイヤが減る方向を模索する・・・・簡単な方向は、ダンパーが硬ければ、この部分も有る程度、解消できる。
又、路面の凸凹等の対処の為に、足の動きはスムーズで軽く・・・之が大事に成るので、当然バネ下は軽い方向に向う・・・
又、車の慣性力、之が、挙動にも大きく影響するので、当然、車全体の重量も軽くなるのは、実車だと当然と私は考えている。
路面を確り、摑む、特性が有る、パワー源の場合、この方向になる。
路面を摑む之を恐れる場合は、車の特性も逆に成るのは当然と言う事になる。
RCの場合、この路面を摑む、この部分を余り意識しないで、如何したら走る、早くなる等々に意識が向う、勿論、私の場合で、実車志向の強い、RCドリフターには居ないと思うが・・・
長年RCを経験しているが、この部分を強く意識する公言・目標にしていると言うジャンルは、他には無かったし、RCはRCで良いと言う発想が私には有ったので、スピード・飛距離に拘り、回りが23Tブラシモーターで2万回る等々を自慢していた時代に・・・・6万も回るブラシレスモーターで、吹っ飛んで走る、之がRCドリフトだー・・・と・・・思い込み、走っていた為に・・・RCドリフトは等々を言われる事に成る・・・・・環境と大きくは成れば異端児に成る。
その当時のモーターKv値8000も結局は、数年使って、お蔵入り・・・その後、友の手に渡っている。
結局、現実を見て、感じて、この方向性だろうと、思い、試みると、否定される・・・・・之が続いたので、今度は、人々が口で言っている、表現を信じて、之を組立て、RCに取り入れると、どうなるか・・・・勿論、否定されるが、今度は理論的に口での対応が出来る様に成る。
以前は、回りが皆この様にしていると、見えたからと言う、曖昧な理屈に成る。又、言葉での否定の為に、この回りがという曖昧な対処では、対応出来ない・・・
回りがこの様な事をしていたので、ツイツイ私もしました・・・・警察には通用しない・・・
この様な・・環境は、異質な物を排除する方向に向う・・・同じ事をしていても異質だと感じられたら、排除方向に向う・・・・簡単に書けば、ドングリの背比べ程度は認めるが、それ以外は認め無いと言う世界に成る。
人間社会に多い慣習と言うものにもかも知れない・・・・・増すは、溶け込む・・・之が求められる・・・・もし向上心が強く、回りの雰囲気で、之が良いと、その方向に強く進めば・・・排除方向に向う・・・
先に書いた様に、私は、モーターの回転が高い之が良いと言う雰囲気だった・・・又走行スタイルを見れば、スピード・飛距離に長けている、之を求めているように見えた・・・・この私の感じた事を、そのままシャーシに取り入れると、今度は、否定・・・否定は必ず、実車は・・・・リアルとは・・・と言われる。
勿論、この部分は意識していないし、皆、考えているような走行スタイルでも無い・・・しかし、排除の為に、論理を持ち出す。
警察と一緒・・・・・しかし、その警察官も一人のドライバーとして、走っている時は、一般ドライバと同じ・・・・
今まで、長く、RCドリフトを楽しんでいるが、この否定の部分は、全て、持ち出してくるのが、実車・・・・
それなら、実車の特性の有る、車を操作しているか???と見れば、RC独特の操作に対しての処置をしている。
この流れは・・・・簡単に書けば、権力側が、思う様に成る、システムに成る・・・・このポジションは警察・・・・しかし、一人ドライバーとして、走っている時は、回りと一緒・・・・・しかし、警察の立場に変異した時は、簡単に排除できる、事を意味している。
メール等で・・・・もう耐え切れない等々で、このRCドリフトの世界から去っていった人を多々知っているが・・・・この部分が、私は、社会と同じ・・・日本国の縮図だと考えている。
間違っていると声を上げる・・・事の難しさにも成る。
勿論、生活に影響する部分で、行なえば、家族まで崩壊させる可能性が有るので、難しいと思うが・・・この部分に影響が少ない、趣味世界位と考えて居たが・・・・基本同じだと、私は考えている。
人は論理も無く、行動し、振舞う・・・・回りの動きに準じるこの部分が有るし、人の本能と今では考えている・・・・・・この集団の動き、之に、看板が付き・・・・・その看板が金が付けば、益々、加速的にこの方向に進む・・・・・
何度が書いているが、日頃は「赤信号皆で渡れば怖くない」と扇動していた人が、有る日突然、警察に変貌するという事・・・簡単に、「赤信号は止まれ」之が本来、基準・常識と言えば、誰も論破する事が難しくなる。
結局は、否定は、簡単だと言う事・・・・・指摘も簡単・・・・・・・・之が解れば・・・・二種類の方向性に成る・・・・一つは、指摘されて当然と、努力を続ける、勿論、個人としての拘りで・・・この思いが有れば、続けれれる。 自分との勝負で、他人との勝負を考えない事になる。
後一つは、環境の中に溶け込み、ギリギリの個性の表現を目指すか・・・強い個性を出せば、排除される危険性が有る。
之が、環境と言うものの怖さ・・・・道理が無く、論理・哲学が無い、集団の怖さにも成る・・・・
現状のRCドリフトの世界を見ると、勿論狭い範囲だが・・・ヤット、私の伺っているコースでは、スピードや飛距離に、大きく拘る、特に早い等々に拘る人が減りだした。
しかし、不思議な事だが、ラップタイムは上がっている。
この事は、ドリフト中のスピードが増している事に成る・・・タイヤが路面を捉え加速方向に車を進めている。以前は、無駄な重さで、慣性力頼りで部分が多かったが・・・・
ドリフトを、ストレートエンドの一部から、その後のRの部分に意識が移っていると言う事・・・
車の重さが、軽くなる事は、路面にも優しくなる・・・・特に駆動輪の面圧は、路面を痛める・・・
特にPタイル等のコースなら、溝が入る事にも成る・・・この事は、同じ個性の車しか走れないコースと言う限定した形に成り易い・・・・
実車と同じだが、タイヤに優しい、走法が、結果的にタイムに繋がる・・・この事は路面にも優しいと言う意味に成る。勿論、低速でユックリ走る方が、全てに優しいが、攻める走りと限定した場合・・・
車の作り方にも成るし、其れを大きく支配しているのが、操作方法に成る。
この操作方法は本来、人の部分で多々有る筈だが・・・・何故か一方向に向う、之が環境である。
よく、素人さんに質問すると、何度かブログに書いているが・・・・何を目指している、D1等々と言われる人が多い、D1車両を知っている???と質問すると、知らない人が多い・・・・
その人のシャーシを見て、D1の最高速度は500km/hを越えるのと質問・・・そんなスピードは出ない筈と言われる・・・其れなら、何キロ位????300km/h以下で、200km/h強と言われる人が多い・・・・この時に自分の車の意外感、矛盾を感じられていない・・・
再度、何故このモーターを付けた???前回伺った時に、スピードが遅く回りに付いて行くことが出来なかったので、8.5Tから6.5Tに変更して来た・・・・この様な人が多い・・・・
6.5Tの現状で、私の計算なら貴方の車は実車に当てはめると音速を超える、速度に成ると、説明しても?????状態の人が多い・・・
誰しも解ると思うが、タイヤと路面の関係性は、破綻状態・・・・この状態で車を前に進める、操作はアクセルを抜く、回転下がりの弾み車の特性で走らせる事に成る。又、当然、牽引力を求めて、重く車をする方向に成る。
この処置は、実車と180度違う、措置に成ると私は考えている。
何故この方向に進むのか、大昔から書き続けている、パワー神話が強く、この世界に有る為に成る。
タイヤのトラクションを強く意識すれば、タイヤと路面との接触音が大事に成るが、駆動系の音が其れを邪魔する・・・音が邪魔だと考えている人は、トラクションを操作で演出したいと考えている人が多い・・・
以前も若し、私が競技会を主催して、最初にトラクションと言う課題での大会なら、無負荷での音を確認して、煩い、之で失格にする・・・・勿論、反論が有ると思うので、反論も確りしてもらう・・・
私の論理では、路面とタイヤの関係性を確り、認識できる為には、駆動系の音は邪魔と考えると言って、如何、反論できるか、トラクションは車、タイヤで演出する、その為に重くしている、等々の策を言われると思う・・・・・之を皆が如何判断するか・・・
個人的は仕方が無い等々思っても、皆になれば、実車やリアルと言う単語の束縛が有る。
又、音はアクセルを入れているアピールの為と言われた場合、入れた時点で車は死んでいる様に、挙動が出ていない、その後の回転下がりで車が動き出していると、私は言うと思う・・・
言われているアピールの趣旨と少し違うと私なら、言う・・・
その後、グリップ走行での検証になる。・・・・・当然ドリフトは、凄い操作と私は考えているので、誰しも出来るグリップ走行も出来るはずだし、その時の車の挙動を、評価する・・・
勿論、各自、好みのボディで走らせられる、何故かFRのボディなのに、RRの車の挙動に見える等々の、評論が出来ると思う・・・
私はドリフトは詳しくないが・・・普通のグリップ走行等々の簡単と言われる部分の評論は出来るはず。
私は、昔、何度も書いているが、RCは実車と違うと言う考えから出発している。
RCはRCで良いと言う発想・・・・又ドリフトの場合、特種車両に成っても仕方が無いと言うのか私の見解だったが、この部分を全て、RCドリフターから否定された・・・RCドリフトは実車やリアルが大事と・・・
私のブログの見ている人は解ると思うが、環境から出過ぎると、否定される、実社会と一緒・・・・
趣味であれ、この部分は一緒と言う事・・・
その環境を創っているリーダーの素質に成る・・・・本来、各自が確りした、思いが有れば良いが、日本人の場合、回りに合わせる、之を無意識にしてしまう為に・・・・環境を創った人の思うままと言う事になる・・・結果、昔の私の様に、所詮・スピード・飛距離、カウンターの深さとこの部分を追求過ぎると、当然、排除する為に、色んな否定的、言葉を言われ出す。
本来、この時に、も一歩考えて、事を進めれば、良いが、殆どの人は、この部分で、この世界から去って行く・・・・
ドングリの背比べの時までは、許すが、それ以上は、許さないと言う環境も存在している様だ・・・・
私の場合は、自分の目的感を変えた、回りが之を求めていると感じた事が駄目なら、言葉での理想の部分を言われている、之を試す、この方向になった。
コースで、変態と言われているが、何故か否定できないと言われている。
自分自身も、行き過ぎた、方法と自覚しているし、操作も不可能に近いくらいに難しい・・・・
本来、RCドリフトが目指している、乗車して操作する実車とは大きく違う・・・この違いをどう埋めるかを考えることだと考えている。
外部操作と乗車操作の違いを、どの部分に妥協点を置くかになる。
外部操作として考えれば、今見ている状況は全て正しいに成る。
しかし、乗車して走る実車とは????・・・・可也の違いが有る。
又、各自目的や目標も違う・・・・・・絡み付く之が目的の人もいる、何が何でも絡み付く・・・操作等々以前にこの部分が大事だし、その走行は、その人の思いなら正しいと成る。
環境に溶け込んでいる時は、容認できるが・・・・其れが出来ないレベルに成った時が・・・・問題に成る。
何の世界でも、環境の中で、人は育つ、しかし育ち過ぎると、結果的に飛び出す事に成る。
出る釘は打たれる・・・・打たれ続ければ、飛び出るに成る。
しかし、この世界に留まって欲しいと私は願っている。
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