私は無知、それも底なしの無知だと思っている。その為に、色々な事を学びたいと思う・・・何の為・・私の場合は無知を埋める為と思っているし、無知が深いで、当然、己の人生では足らないとも思っている。
学ぶと言っても、何の為と成ると・・・憂愁に成る為や、学ばなくてよく成る為と言う人も居ると思う。
要は、一つの事柄に対しても、捉え方が多々有ると言う事に成る。
お願いする、依頼する・・この行為に対して、どう捉えるかが相手で変わる。
私は無知だから、無知を埋めると思うし、当然、感謝と成る。
感謝とは・・・・対義語を探すと「無礼」「迷惑」と成るが、最近は「当たり前」も対義語と言われている。
要は、当たり前と思わないから感謝と成ると言う事・・・・当たり前とは、之も捉え方が色々ある。私の場合、私を基本に考えているので、何度も書く様に、無知と言う基本が有る。この無知を埋めたいと考えているので、私の場合・・・当たり前が感謝と成る。
しかし、先に書いている様に、感謝の対義語が「当たり前」と現代は成っていると言う事は、当たり前の事が、「無礼」「不満」と言う事にも成る。
要は、現代は周りい普通に存在するものが「無礼」「不満」の環境だと言う事に成るし、当然、その様に感じ捉えている人が多いと言う事にも成る。
勿論、私も己に多くの不満を持っている。この不満を埋める事が出来るなら、感謝に成ると思っている。
色んな人からの依頼等を処理する中で、色々学べるし、見識が深まる。これに対して私は感謝だと思うが・・・・「無礼」「不満」と捉えたら、学ぶと言う捉え方が出来ていないと言う事に成る。
勿論、学びきった完璧な人ならそれも有るかと思うが・・・不完全な私は学び続けるしか、完全に近づく方法無いと思っている。
現に、今、主婦業を行っている、以前は簡単と思っていた・・・しかし、洗濯も行っていると、色んな知恵を得る・・・又、洗濯物の出し方等々、人の個性が見えて面白いと成る。
何度が書いているが「馬鹿もんが~~~~」と言いながら、処理を続ける、之を楽しいと私は捉えている。
人を学ぶ・・・母は、人様から熟されろと言っていた。要は、人様の手足に成り、下働き等々を熱心に行う、このレベル・立場が一番、人間観察には良いし、己も成長できると言っていたが、その通りだと私は考えている。
母は当然、女・・・昔の為に、メタとして立場で生きていたので・・底辺から人を見てる環境に居た・・・その経験から、私、男である・・・男だから尚更、底辺に身を置き人を見ると言う経験が大事と言っていたと思う。
しかし、今は女も男も、底辺が良いとは思っていない・・又、その様な立場には絶対い成りたく無いと教わっている。
それなら、どの部分で、人間としての教育を受けているのかと成る。
学ぶ場は多々有るが、気付かないと言う人が多い様だ・・・・・