2019年2月20日水曜日

社会の構成・・・三種類・・・・

以前、書いているが、二十歳の時に、有る先輩から「自分にとって、必要な人・不必要な人・どうでもよい人の三種類に分類できる」
と、聞いた・・・先輩は合わせて、「お前はこの三種類のどれを目指すのか」と問われた事が有る。

若いので、当然、必要と思われる人に成る様に、努力したいと、口から出てしまった。

その答えに対し「人にその様に思われる為には、耳に痛い、身に痛い事をするという事・・・之を行えば、お前なら、どう取る???」と再度、問われた。

当然、不必要な人に分類される人に成るだろうと、答えた・・・・

世の中とは、思いと逆の作用を起こす事が、多々ある。この部分は、早い時期に学ばなければ、男なら、30歳を超えたら、価値観の変革が難しくなると、教えてもらった。

之が私の、起点に有る。

今、この三種類、世の中には他にも色々ある、自立している人・人に施しが出来る人・人の施しを受けないと生きれない人・・・この部分も三種類に分類される。

昔、良い子・悪い子・普通の子と言う、テレビも有ったが・・・・

世の中を構成している、人を色々分類すると有りえると私は、考えてます。

勿論、人により、必要な人も変わる。

その為に、社会とは多くの色んな人が居ると言う事が前提に成っていると私は考えている。


先に、書いた、必要な人・不必要な人・どうでもよい人・・・どれを目指すかも各自の価値観や考えに成る。又、誰に対しても千差万別だと成る。

しかし、次に書いた、自立出来ている人・・・人に施しが出来る人・・・火の施しが無ければ生きれない人、という分類が、私は大事だと考えている。

現代は、自立出来る人を目標にしている人が、多い・・・之が意味する事は、人様に迷惑を掛けていないので、人様の面倒まで看らないという側面も含んでいる。

若し、社会に大勢の自立した人が居る。社会、しかし、人には絶対に施しをしないと考えている人が、多く居ても、自立を努力したが、結果的に、施しを受けなければ生きれない人も、厳然と要るはず。

社会の目標が、自立した人、この環境から、人に施しを出来る人が、生まれるか???ここに私は疑問が有る。

世の中とは、色んな人が居る事が前提で、動いていると私は考えている。

よく、悪は悪いと言うが・・・必要悪と言うものもある。

人に解っていただく為に、わざと失敗する、この様な事も有る。

この人の心の状態も色々有ると言う事・・・・しかし、現代は、目に見える現象で全ては判断する・特に善悪に対して・・・この方向に進み過ぎていると私は危惧している。

この様な価値観が蔓延すれば、結果的に社会が分断されて行く・・・同じ価値観の集団が出て来た、他の集団との確執でもめ出す。

結果、勝敗が全てに成るし・・・上下が全てに成って、優劣を競い出す。

弱くて、劣っている人達は、当然、排除される方向に成る。之はファシズムと一緒だと私は考えている。

独裁者ヒットラー有名であるが・・・彼が独裁者に成ったのは、社会が彼を創ったし、必要としたと私は考えている。
彼で無くても、他の人が成っていた可能性が有ると言う事・・・・

本来、人には優秀なら、人を包容出来る器が有る筈だと思う筈。しかし、その包容力を自分に集中させたい、之は赤子さえ有る、本能だと私は考えている。
この部分が、人間に有る。全体へか又は、私個人かに、向かう視線が成長と共に、全体へと成るのが、私は普通の人間と考えている。

それが出来ない理由は、先に書いた境涯の変革・成長が無い為に、結果的に境遇の責任として片付ける、卑怯な命が出る為だと考える。

勿論、私は三流の為に、この部分が無い・・・人様の手を必要としているのが現実だが、それでも少しのお手伝いが出来れば、本望だと考える様に、私の場合努力する事に成る。

日本国は、優秀な人が多い様に耳に入る。この様な振舞いは考えなくても、普通にできる人が一杯いる世界だと信じたい・・・・

又、若し、社会がもう既に、分断しているとすると、手が必要な人と縁しない可能性も出て来る。

又、縁した時の対応も解らないし、なんで・・・・・言って聞かせても駄目・して見せても駄目・・・策を色々講じても駄目・・・この様な場合、大変な事に成る。

之も経験不足が要因かもしれない。

人は、一人前に見えても、若しかすると、赤子と等しい場合もある。当然、対応が変わる。

正しい対応と言っても、人で変わると言う事・・・・この部分を、一つの価値観で、正しいと強制する流れさえ有る。

之に気付く為には、色んなレベルを自由に動ける、立場が一番、学べると考えている。

しかし、私は、力が無いので、泳ぎ易い場所を直ぐに選んでしまう。結果、盲目が永遠に続く・・・レベルを上げる事は、難しいが、レベルを落とす方向は簡単・・・レベルの低い場所を泳ぐ、之も勉強に成ると考えています。

色んな、人との語らいで、良く、レベルを上げたならと言う前提で、言う人も現代は多い気がする。
之が、私の場合、言い訳にしか聞こえない。レベルを上げる事が出来なかったので、仕方が無いと言う、逃げに見える。


誰しも自分のポジション・レベルを正確に解る人はいないと思う・・・しかし、少し目線を下げて、レベルを下げれば、手を差し伸べなければならない人が見える筈。

之を見たくない為に、上を目指す、之なら意味が無いと私は考えている。

一神教的、超一流に成ってからと言う、事に成る。










サイドスピーンターン・・・・

スピーンターンと言う技が有る。

バイクや自転車だと・・・進行中にリアブレーキ操作で、リアタイヤをロック、その少し前の瞬間に、リアを左右、どちらかに出すかで、車体を少し傾ける動作をすれば、簡単にリアが横滑りして、止まる事が出来る。
しかし、余りにも切っ掛け部分のリアをどの方向に出すかに意識が向かい過ぎると、ハンドルに頼り過ぎて、フロントが引っ掛かり、フロント軸に転倒と言う場合も有る。

言葉的にはズッコケルという表現に近い、動きに私は感じる。

基本的には、リアブレーキでリアタイヤをロック、この行為は、走り続けている状態で、リア側は減速方向に作用する・・・加速方向の操作では無い・・・

フロントとリアのスピード差でリアが出ると成れば、リアは減速方向、フロントは真直ぐ抵抗が無い状態で転がり続けていると、当然、真直ぐの状態で減速しながら停止する姿勢を示す筈。

リアを出す為には、必然的にフロントが減速する操作が必要に成る。勿論、真直ぐの走行の場合、横方向への遠心力が働いている場合なら、又話が違うと私は考えている。

真直ぐに進行中にリアを出す為には、必然的にフロントを止める、操作が要ると言う事に成る。この部分がハンドル操作、二輪車でも、加重をライダーが行っているが、若干だがステア操作を行っている。この部分が大袈裟だと、吹っ飛ぶ事に成る。

又、加速中に、意識しないでもリアが出ると言う状態が有る。之は、フロントの進む速さより、リアの進む速さが勝った場合、この様な状態に成る。

この部分が、四駆だと、基本、前後のスピード差が少ない為に、安定して、ドッシリした加速感が得られる事に成る。

リア駆動の、二駆場合、仮にリアの加速を長けさせる為に、色んな策を試みても、結果的にフロントの転がり等々が悪るく、抵抗が強ければ、当然、真直ぐ走る事が不可能に成る。その為に、フロントは抵抗なく、軽く転がる方向に向かう。


朝、UPしたブログに掲載した三輪車のドリフト・・・リア駆動、フロントの転がり抵抗が少ない・・簡単に書けば、加速重視のドラックマシーンに近い、車に成ると私は、考えている。
特にフロント一輪の三輪車は、旋回能力が悪い、理由は転倒の恐れが高くなる。その為に旋回マシーンとは言えないが・・・・リアの強い押しそれを殺す、強いホイルスピーンを演出して、ドリフト状態に、持って行っていると私は感じます。


結果、フロントタイヤの舵角表現が大袈裟すぎるし、舵角の入り方も一瞬に成っている。
之が意味する事を、グググと言うリアのトラクションを演出しながらのドリフトでなく、リアを破綻させた吹っ飛び的、ドリフト、パンと出る、ドリフトに成る。

ダートラー、レーサーのドリフトと比べると、ハンドルを切る速度が大きく違う・・・

室内の動画も写っているが、ハンドル操作も舵角が大きく見えると書いているが、大き過ぎる・・・49度近辺まで使っている・之が意味する事は真横に車が向かっている可能性が高い・・・

勿論、之以上の舵角表現をしてしまえば、ブログに何度か書いているが、カニ走り、溝走りと言う、舵角の引っ掛かりで、結果的に横に走り出す。状態に成る。適正なヨーが発生していない・・・簡単に書くと、真直ぐのグリップ走行が、車の特性で、カニの様に横に走っている状態の挙動に成る。

この部分は、私の初期の二駆ドリの挑戦の際に、周りから駄目だしされていて、この部分がRCカーの問題に、今後成る、注意が必要と、危惧していた部部に成る。

挙動が真直ぐ状態なのに、何故か横に走る・・・之を観た、その当時のRCドリフターはドリフトで無いと言っていた。

この様な、ご指摘を全て、投入して作ったのが、二回目の挑戦の時のSAKURA二駆に成る・・・その為に、舵角、切れ角の減少を目標にしていた・・・当然、ジャイロの搭載も見送った。
大目標が、0カウンタードリフトに成る。

本来、汚い話に成るが、ドリフトはケツの穴で、感じると私考えている。この部分がムズムズする、之をドリフトだと私は考えている。

しかし、カニ走り等に成ると、ケツの穴が何も感じなくなる。

結果、経験等々の必要性も要らない、セット走り、三歳児でも走らせる事が可能な車に成る。


よく、コースで、自分の車、テック・コンバを走らせて、何が楽しい????と疑問を持たれる人が多い・・・・しかし、グリップ走行を試みても、先に書いた、ケツの穴がムズムズする、このムズムズで今右に加重が・・・乗せ過ぎたと成れば、当然、グリップ走行中でもスピーンと成る。

グリップ走行を試みて、この部分が感じられる車は、今までの私の経験では、この車が初めて・・・

私の感覚だと、グリップ走行に見えるが、操作側は、ドリフトと感じている。
その為に、飽きないし、誰でも出来ると思える、グリップ走行さえ面白いと感じている。

ブログを掲載する最初に、このブログは人に勝つ、等々の意味合いで書いていない・・・要は、自分が楽しいと思える、部分を追求する為には、絶対に自分に負けない、之が趣旨だと書いている。

結局は、人眼を気にして、人に合わせた結果、面白みが無くなり、続ける理由が無くなる。

ブログに我家の事も私は書いている、現実的に、趣味等出来る立場で無いと思う・・・しかし、何故続ける事が出来るか、面白いし楽しい殻に成る。

勿論、変わり者で偏屈な私を受け入れてくれるコースが有るから、コースにも伺える、この部分は環境に感謝に成る。

各自、目的が違う・・・之は当然だと私は考えている・・・・しかし、人生と同じで、絶対に諦めない、絶対に生き続ける。この部分と同じだと、私は考えている。

境遇と悪いなら、境涯を上げれば済む事・・・・環境が簡単に変わる訳が無い・・・・

境遇に負けると言う事は無い・・・本質は境涯を成長できなかった、本人に一番の原因が有る。

世界に眼を向ければ、凄い状況でも、必死に生き続けている人が、現代の日本国から見れば、全てに成るかもしれない・・・・

それだけ、恵まれていると私は考えている。

境遇が恵まれていて、何故、境涯では悲惨と感じるのか・・・・この部分と学ぶしかない・・・

昔の人が、買ってでも苦労をせとと言われていた・・・苦労を背負い続け、生き続けると自ずと解る部分だと私は考えている。

しかし、最近は苦労から逃げる生き方が良いと成っている。結果的に、境遇も境涯もイコールと感じる人が多い、この事は、人の個性が無いと言っている事と同じ、他を認めないと言っている事とも同じに成る。

現実に、境遇は自分を取り巻く世間に成る。境涯は自分がどう感じるかと言う部分に成る。

どんなに良い境遇に成っても、境涯が狭く小さいなら、幸せだと感じない方向に向かうし。欲を貪り続ける、生き方が本当に、幸福とは私は思えない。

感謝・・・・

生前・・・母が親代わりで面倒を看・・・又心配していた、家の奥さんから、嫁に電話・・・・

遊びに出ておいで・・・・・野菜等々が沢山とれたから・・・と連絡が有ったと・・・

嫁が、自転車で出掛けて行った。。

身寄りが無く、色んな事を母が生前・気に賭けていた、家からの連絡・・・私は、当然、感謝に成る。

親分肌の、母らしい振舞いに成ると思うが、そのお陰で・・・私はバタバタ・又人がしない苦労等々も経験する事が出来た。

嫁が何時も言う様に、私の本来の命は、冷たいと私も思う・・・・損得勘定が直ぐ表に出るし、絶対に損をしないタイプの正確だと、自覚している。

父に似ていると思っている部分が、動物等々・自分より弱いと思えるものには非常に愛着を持って、大事にする・・・・この部分を、母は見切り・・・色んな事をさせてたと思う・・・・

損と感じ、絶対にしたくないが、可哀そうが出て来て、行動してしまいそうになる・・・この瞬間に上手に尻を叩く、之が母であった。

何度が書いている、近所の老婆家族の世話も、本来の私の命なら絶対に関わりたくない・・・・・しかし、可哀そうが出て、嫌われる事は当然望みに成るので、指摘ばかりしていたが・・・結果は、良い時、周りを取り巻いていた人達は、潮が引くより早く、居なくなり・・・・私が最前列に出てしまう形に成った・・・・それからが、赤の他人が、どう処理していくか、行政との絡み・・・法律的絡み・・・色んな事が勉強できた。

高齢者の、面倒・・・処理は・・・・基本的に第三者の他人がした方が、スッキリ事が進む場合が有ると言う事も解った。

親として、子供が面倒を見れば、当然、両方に甘えが出て来る。この甘えで、損したと思えば、その対価が欲しいともなる。

しかし、最初から、この部分が無いと、奉仕で片付ける事が出来る。その分、強くも言えるし、道理を言える。又、聞く側も、確り身に効く様だ・・・・


今回、嫁が、伺ったが、先方の奥さんが、他人だから言える、この様な事をされる可能性が有る。
それを期待したい・・・・・

世間の風・・・厳しいが優しさも有る・・・・・この風よけに当然、家長と言う立場は成るが・・・之が甘えに成る場合が出て来る。

何度も務め二行くと言っていたが、苛めに有ったと直ぐに辞める。世間の風の免疫が無い可能性が有る。

私は、自分が嫌い・合わないと言う人からなら当然、耳には嫌な言葉に入る事が普通だと考えている。だから、フィルターを通して、頭に入れる。好きな人の言葉も、耳障りの良い言葉にはフィルターを通すが・・・・耳障りの悪い、言葉には、アンプを通して、頭に入れる・・・努力をしている。

フィルターとアンプの使い方を間違えば・・・身の為に成らず、逆に身を滅ぼす方向に成る。

誰しも、解るし、思う事は、三流と自覚しているなら、当然、耳障りの良い、褒め言葉等々有る訳がない之が当然に成る。

一流と思っているなら、当然、耳障りの悪い言葉等々、言われる訳がないと成る。

この部分も、本来、誰にとって、一流かが有る・・・それを全ての人と思いこむ、此処に人の傲慢さが有る。

その世界と限定した、場所でのポジションが本当だと私は考えている。

私の知り合いの県議が、バッチを外せば、タダの人と言われたと言っていたが・・・その通りだと思う・・・・肩書に成る。、之が全てでないと言う事に成る。

肩書の前に、人が存在する、この人は、当然、間違いも起こすし・失敗もする。

この負の部分を、どう処理するかが、人間力の一つに成る。




ドリフト・ロールの勉強に、面白い動画を発見・・・



RCドリフトを趣味にしている私は・・・ドリフトに対して素人レベルの為に、色々学ぶ部分が多い・・・

色んな動画を観て・・・・勉強させられている・・・・又、その中で、私の好みも当然、出て来る事に成る。

知らない、無知な時は、ドリフトも一つだと思っていた・・・しかし、色んな動画を観ていると、ドリフトを色々有る事が、少し解り出す・・・

大枠では、ドリフトだが・・・色んなドリフトが有り、勿論、私の好みも出て来る事に成る。

今回の動画は、三輪車・・・フロント一輪の車に成る。

その為に、フロントがアンダーが強い、グリップ力が少ない方向のアンダーを示す、結果として舵角が深いし、引っ掛かる感じでのドリフトに私は見える。

フロントが負け過ぎている、ドリフトに見える・・・この部分も各自の好みに成る。

私は、四輪車のドリフトをRCで楽しんでいるので、当然、リアとフロントのタイヤのブリップ力は、等しい・・・この部分を基本に、挙動等々、車の動きを考えている。

結果的に、人が乗車して操作している、車に成るが・・・動きが玩具的に私には見える。

勿論、ドリフトには間違いでないが・・・先に書いている様にドリフトの小さな部分の好みが有る。

仮に、この様な挙動を示す車に合わせて走る為には、当然、同じ様な車が必要に成る。

逆に、この様な車に対して、四輪車で追う・・・其れも市販車と成れば、私のイメージでは無理と成る。

又、重心が高いので、ロールをさせる操作をすると、車が倒れそうになる。
この部分も市販車の車に対して、大袈裟すぎる事に成る。

勿論、各自、目的が違う・・・結果的にその目的につかづける為の車に成る。

昔から言っている様に、シャーシを見れば、方向性や目的が見える。

動画の車も低重心を意識していると思うが、結果的に普通のホイルベース等々のタイヤ間の距離から考えると、高重心に成ってしまっている。

車も、特徴を加味すれば、動画の様な動きに成る等々、イメージできる様に、最近は成って来た。

この部分も成長だと考えています。