2019年2月20日水曜日

サイドスピーンターン・・・・

スピーンターンと言う技が有る。

バイクや自転車だと・・・進行中にリアブレーキ操作で、リアタイヤをロック、その少し前の瞬間に、リアを左右、どちらかに出すかで、車体を少し傾ける動作をすれば、簡単にリアが横滑りして、止まる事が出来る。
しかし、余りにも切っ掛け部分のリアをどの方向に出すかに意識が向かい過ぎると、ハンドルに頼り過ぎて、フロントが引っ掛かり、フロント軸に転倒と言う場合も有る。

言葉的にはズッコケルという表現に近い、動きに私は感じる。

基本的には、リアブレーキでリアタイヤをロック、この行為は、走り続けている状態で、リア側は減速方向に作用する・・・加速方向の操作では無い・・・

フロントとリアのスピード差でリアが出ると成れば、リアは減速方向、フロントは真直ぐ抵抗が無い状態で転がり続けていると、当然、真直ぐの状態で減速しながら停止する姿勢を示す筈。

リアを出す為には、必然的にフロントが減速する操作が必要に成る。勿論、真直ぐの走行の場合、横方向への遠心力が働いている場合なら、又話が違うと私は考えている。

真直ぐに進行中にリアを出す為には、必然的にフロントを止める、操作が要ると言う事に成る。この部分がハンドル操作、二輪車でも、加重をライダーが行っているが、若干だがステア操作を行っている。この部分が大袈裟だと、吹っ飛ぶ事に成る。

又、加速中に、意識しないでもリアが出ると言う状態が有る。之は、フロントの進む速さより、リアの進む速さが勝った場合、この様な状態に成る。

この部分が、四駆だと、基本、前後のスピード差が少ない為に、安定して、ドッシリした加速感が得られる事に成る。

リア駆動の、二駆場合、仮にリアの加速を長けさせる為に、色んな策を試みても、結果的にフロントの転がり等々が悪るく、抵抗が強ければ、当然、真直ぐ走る事が不可能に成る。その為に、フロントは抵抗なく、軽く転がる方向に向かう。


朝、UPしたブログに掲載した三輪車のドリフト・・・リア駆動、フロントの転がり抵抗が少ない・・簡単に書けば、加速重視のドラックマシーンに近い、車に成ると私は、考えている。
特にフロント一輪の三輪車は、旋回能力が悪い、理由は転倒の恐れが高くなる。その為に旋回マシーンとは言えないが・・・・リアの強い押しそれを殺す、強いホイルスピーンを演出して、ドリフト状態に、持って行っていると私は感じます。


結果、フロントタイヤの舵角表現が大袈裟すぎるし、舵角の入り方も一瞬に成っている。
之が意味する事を、グググと言うリアのトラクションを演出しながらのドリフトでなく、リアを破綻させた吹っ飛び的、ドリフト、パンと出る、ドリフトに成る。

ダートラー、レーサーのドリフトと比べると、ハンドルを切る速度が大きく違う・・・

室内の動画も写っているが、ハンドル操作も舵角が大きく見えると書いているが、大き過ぎる・・・49度近辺まで使っている・之が意味する事は真横に車が向かっている可能性が高い・・・

勿論、之以上の舵角表現をしてしまえば、ブログに何度か書いているが、カニ走り、溝走りと言う、舵角の引っ掛かりで、結果的に横に走り出す。状態に成る。適正なヨーが発生していない・・・簡単に書くと、真直ぐのグリップ走行が、車の特性で、カニの様に横に走っている状態の挙動に成る。

この部分は、私の初期の二駆ドリの挑戦の際に、周りから駄目だしされていて、この部分がRCカーの問題に、今後成る、注意が必要と、危惧していた部部に成る。

挙動が真直ぐ状態なのに、何故か横に走る・・・之を観た、その当時のRCドリフターはドリフトで無いと言っていた。

この様な、ご指摘を全て、投入して作ったのが、二回目の挑戦の時のSAKURA二駆に成る・・・その為に、舵角、切れ角の減少を目標にしていた・・・当然、ジャイロの搭載も見送った。
大目標が、0カウンタードリフトに成る。

本来、汚い話に成るが、ドリフトはケツの穴で、感じると私考えている。この部分がムズムズする、之をドリフトだと私は考えている。

しかし、カニ走り等に成ると、ケツの穴が何も感じなくなる。

結果、経験等々の必要性も要らない、セット走り、三歳児でも走らせる事が可能な車に成る。


よく、コースで、自分の車、テック・コンバを走らせて、何が楽しい????と疑問を持たれる人が多い・・・・しかし、グリップ走行を試みても、先に書いた、ケツの穴がムズムズする、このムズムズで今右に加重が・・・乗せ過ぎたと成れば、当然、グリップ走行中でもスピーンと成る。

グリップ走行を試みて、この部分が感じられる車は、今までの私の経験では、この車が初めて・・・

私の感覚だと、グリップ走行に見えるが、操作側は、ドリフトと感じている。
その為に、飽きないし、誰でも出来ると思える、グリップ走行さえ面白いと感じている。

ブログを掲載する最初に、このブログは人に勝つ、等々の意味合いで書いていない・・・要は、自分が楽しいと思える、部分を追求する為には、絶対に自分に負けない、之が趣旨だと書いている。

結局は、人眼を気にして、人に合わせた結果、面白みが無くなり、続ける理由が無くなる。

ブログに我家の事も私は書いている、現実的に、趣味等出来る立場で無いと思う・・・しかし、何故続ける事が出来るか、面白いし楽しい殻に成る。

勿論、変わり者で偏屈な私を受け入れてくれるコースが有るから、コースにも伺える、この部分は環境に感謝に成る。

各自、目的が違う・・・之は当然だと私は考えている・・・・しかし、人生と同じで、絶対に諦めない、絶対に生き続ける。この部分と同じだと、私は考えている。

境遇と悪いなら、境涯を上げれば済む事・・・・環境が簡単に変わる訳が無い・・・・

境遇に負けると言う事は無い・・・本質は境涯を成長できなかった、本人に一番の原因が有る。

世界に眼を向ければ、凄い状況でも、必死に生き続けている人が、現代の日本国から見れば、全てに成るかもしれない・・・・

それだけ、恵まれていると私は考えている。

境遇が恵まれていて、何故、境涯では悲惨と感じるのか・・・・この部分と学ぶしかない・・・

昔の人が、買ってでも苦労をせとと言われていた・・・苦労を背負い続け、生き続けると自ずと解る部分だと私は考えている。

しかし、最近は苦労から逃げる生き方が良いと成っている。結果的に、境遇も境涯もイコールと感じる人が多い、この事は、人の個性が無いと言っている事と同じ、他を認めないと言っている事とも同じに成る。

現実に、境遇は自分を取り巻く世間に成る。境涯は自分がどう感じるかと言う部分に成る。

どんなに良い境遇に成っても、境涯が狭く小さいなら、幸せだと感じない方向に向かうし。欲を貪り続ける、生き方が本当に、幸福とは私は思えない。

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