以前、書いているが、二十歳の時に、有る先輩から「自分にとって、必要な人・不必要な人・どうでもよい人の三種類に分類できる」
と、聞いた・・・先輩は合わせて、「お前はこの三種類のどれを目指すのか」と問われた事が有る。
若いので、当然、必要と思われる人に成る様に、努力したいと、口から出てしまった。
その答えに対し「人にその様に思われる為には、耳に痛い、身に痛い事をするという事・・・之を行えば、お前なら、どう取る???」と再度、問われた。
当然、不必要な人に分類される人に成るだろうと、答えた・・・・
世の中とは、思いと逆の作用を起こす事が、多々ある。この部分は、早い時期に学ばなければ、男なら、30歳を超えたら、価値観の変革が難しくなると、教えてもらった。
之が私の、起点に有る。
今、この三種類、世の中には他にも色々ある、自立している人・人に施しが出来る人・人の施しを受けないと生きれない人・・・この部分も三種類に分類される。
昔、良い子・悪い子・普通の子と言う、テレビも有ったが・・・・
世の中を構成している、人を色々分類すると有りえると私は、考えてます。
勿論、人により、必要な人も変わる。
その為に、社会とは多くの色んな人が居ると言う事が前提に成っていると私は考えている。
先に、書いた、必要な人・不必要な人・どうでもよい人・・・どれを目指すかも各自の価値観や考えに成る。又、誰に対しても千差万別だと成る。
しかし、次に書いた、自立出来ている人・・・人に施しが出来る人・・・火の施しが無ければ生きれない人、という分類が、私は大事だと考えている。
現代は、自立出来る人を目標にしている人が、多い・・・之が意味する事は、人様に迷惑を掛けていないので、人様の面倒まで看らないという側面も含んでいる。
若し、社会に大勢の自立した人が居る。社会、しかし、人には絶対に施しをしないと考えている人が、多く居ても、自立を努力したが、結果的に、施しを受けなければ生きれない人も、厳然と要るはず。
社会の目標が、自立した人、この環境から、人に施しを出来る人が、生まれるか???ここに私は疑問が有る。
世の中とは、色んな人が居る事が前提で、動いていると私は考えている。
よく、悪は悪いと言うが・・・必要悪と言うものもある。
人に解っていただく為に、わざと失敗する、この様な事も有る。
この人の心の状態も色々有ると言う事・・・・しかし、現代は、目に見える現象で全ては判断する・特に善悪に対して・・・この方向に進み過ぎていると私は危惧している。
この様な価値観が蔓延すれば、結果的に社会が分断されて行く・・・同じ価値観の集団が出て来た、他の集団との確執でもめ出す。
結果、勝敗が全てに成るし・・・上下が全てに成って、優劣を競い出す。
弱くて、劣っている人達は、当然、排除される方向に成る。之はファシズムと一緒だと私は考えている。
独裁者ヒットラー有名であるが・・・彼が独裁者に成ったのは、社会が彼を創ったし、必要としたと私は考えている。
彼で無くても、他の人が成っていた可能性が有ると言う事・・・・
本来、人には優秀なら、人を包容出来る器が有る筈だと思う筈。しかし、その包容力を自分に集中させたい、之は赤子さえ有る、本能だと私は考えている。
この部分が、人間に有る。全体へか又は、私個人かに、向かう視線が成長と共に、全体へと成るのが、私は普通の人間と考えている。
それが出来ない理由は、先に書いた境涯の変革・成長が無い為に、結果的に境遇の責任として片付ける、卑怯な命が出る為だと考える。
勿論、私は三流の為に、この部分が無い・・・人様の手を必要としているのが現実だが、それでも少しのお手伝いが出来れば、本望だと考える様に、私の場合努力する事に成る。
日本国は、優秀な人が多い様に耳に入る。この様な振舞いは考えなくても、普通にできる人が一杯いる世界だと信じたい・・・・
又、若し、社会がもう既に、分断しているとすると、手が必要な人と縁しない可能性も出て来る。
又、縁した時の対応も解らないし、なんで・・・・・言って聞かせても駄目・して見せても駄目・・・策を色々講じても駄目・・・この様な場合、大変な事に成る。
之も経験不足が要因かもしれない。
人は、一人前に見えても、若しかすると、赤子と等しい場合もある。当然、対応が変わる。
正しい対応と言っても、人で変わると言う事・・・・この部分を、一つの価値観で、正しいと強制する流れさえ有る。
之に気付く為には、色んなレベルを自由に動ける、立場が一番、学べると考えている。
しかし、私は、力が無いので、泳ぎ易い場所を直ぐに選んでしまう。結果、盲目が永遠に続く・・・レベルを上げる事は、難しいが、レベルを落とす方向は簡単・・・レベルの低い場所を泳ぐ、之も勉強に成ると考えています。
色んな、人との語らいで、良く、レベルを上げたならと言う前提で、言う人も現代は多い気がする。
之が、私の場合、言い訳にしか聞こえない。レベルを上げる事が出来なかったので、仕方が無いと言う、逃げに見える。
誰しも自分のポジション・レベルを正確に解る人はいないと思う・・・しかし、少し目線を下げて、レベルを下げれば、手を差し伸べなければならない人が見える筈。
之を見たくない為に、上を目指す、之なら意味が無いと私は考えている。
一神教的、超一流に成ってからと言う、事に成る。
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