2019年2月21日木曜日

一人増え・・・又・・・と続いて貰いたい。

昨日も嫁は、三男の若嫁の病院へ・・・・当然、孫を見る、之が目的だと思う・・・

六人目の孫に成るが・・・初孫の時を思い出す。

肩から、荷物が一つ降りた感覚が有り、又、一つ乗掛る、感覚が有った。

○○家としての、責任に対して、孫を儲ける事が出来た事で、一つの責任・義務が私の肩から一気に降りたが・・・代わりに新たな命への責任感が、時間と共に増す方向に成った。

私は、よくブログにも信頼と言う言葉を使う。

理由は、人を性善説で考えているから、初めて会う人も、基本、信頼方向で対応する。
野のものとも、海のものとも解らない状態でも、先ずは、信頼したいと考えている。

しかし、最近の風潮を見ると、性善説も危うくなって来ている。

孫達が、活躍する時代は????と考えると、不安が有るし、危惧が募る。

人として信頼する・・・しかし、人でない人も現実には増えている。

亡者と言われる人達・・・・

共々に之が無い・・・お互いさまもない・・・全て利は自分・・・逆に言えば負は他人・・・この様な価値観の人も増えている。

この様な価値観で、物事を判断すれば、先の大戦で、亡くなった人達は、犬死と言う人もいる。
無駄と言う事をこの犬死と表現していると思うが、本来は目的もない、何の意味もなさない死を犬死と言うが・・・・誰しも必死に、何かを守ろうとした結果の死、私は犬死にとは思わない。

要は、その結果が利でなければ、無駄と解釈する、価値観に成る。

私の周りで、よく耳にする言葉、信用していたのに・・・・・裏切られた・・・この言葉が私は、解らない・・・・

仮に、実子が裏切ったとすると、信用していたのにという言葉に成らない。

信用と言うものは、今までの振舞い・言動・等々から、導かれる、部分・・・当然、その人・全体を解らなければ、信用と言う言葉は出来ないし、解らない状態で繋がっていて、ある日、裏切られた・・・・この裏切られると言う事は、その本人の思う通りに成らなかったと思える・・・

人其々、厳密に同じ価値観・同じ目的・・・この様な事は存在しないと私は考えている。

今、新たな孫が、生まれたが、何故か、希望が持てるし、私は、その孫を信頼したいと考えている。
未来を託し、共に生きる、之が信頼だと私は考えている。

勿論、我子もそうだったが・・・悪ガキで世間様に迷惑を掛けた、その都度、頭を下げて回った。何故するのか????・・・責任・義務と言うが、私は子供を信頼しているから、この様な事が出来たと考えている。

勿論、その信頼に答えてくれるかは、相手の問題・・・私がどうこう言える立場でない・・・先に書いた頭を下げて回る、私の本意でないし、私の思う通りでない・・・しかし、裏切られたとは言えない・・・・
勝手に信頼している、私の責任だと考えている。

若し、最初から信用が必要で、其れが信頼に繋がるとするなら・・・・本当のカタログスペックを知る事が大事に成る。

しかし、私の場合は、カタログスペックは、散々な状態・・・この様な人間を信用する人など居ない。

今までの結果が、信用に成るが、その信用も、目に見える部分と成れば、資産は預貯金は・・・等々が大事に成る。

若しこの部分が、多々ある状態で、初めて信頼して付き合う・・・・下心が有る様に私は感じる。
この下心の慾を叶えてくれないから、裏切られた・・・・結果、信用していたのに裏切られたと言う言葉なら、私は理解できるが・・・・・殆どの場合、信頼していたのに私がバカだったと私には聞こえる。
どの部分がバカだったか???変な期待で自分の慾が叶えられると信じている・この部分を私は指摘すると思う。

仮に、五体不満足・お金も謝金だらけ・・・この様な人に何を期待して付き合う????
自分の利に成る部分が無くても付き合うと言う事は、その人に少しでもお手伝いしたいと言う、命がさせていると私は考えている。
この様な、思い・命で、付き合って人なら、当然、信頼していたのに、私の力不足でと言う言葉に成って行く。

今回、孫が増えたので、書いたが・・・・親に成り、生まれた子供・・・信用と言うより、希望や不安等々、心や命に芽生える。しかし、最終的に信頼して、子育てを開始している。
義務や責任で行って射る人も居るかも知れないが・・・殆どは、信頼を通り越して愛と言う部部に成ると思う。

赤子・・・自分の思う通りに成らない・・・・それが普通・・・・大事な時に病気をしたり、予定等々も組めない・・・・この様な振舞いをする。仮に他人がと成れば、どう感じる。
大きな差が有ると思う。

人の振舞いをどう捉えるか????・・・之も変わるのが人間だと私は考えている。
其れを、対応や策で、正しいと言う方向の、風潮が続いている感じがする。

仮に、自分の子供なら、当然と思えても、他人だと、一気に怒り出す・・・・之も相手で変わる事に成る。

要は、この様な部分を、幼い時に、知らず知らずに、学んで着る。
この人なら、この程度の事は許す。この人はダメ・・・等々を学んでいるのが、子供である。

私は、この時代に多くの人達と接する、之も大事だと考えている。

実社会を肌で学ぶ、之を最初にする事が、私は良いと考えている。
逆に、之が正しい等々の、部分を学んでから、実社会に接すると・・・・裸の王様的方向に進み出す。

肌で感じた経験は、将来、役に立つと私は思っています。

子供が生まれた、色々・尽くす、其れに対して、赤子がお礼を言うか???・・・・恩を覚えているか????・・・・無いと解っていも、する行動が有る。その行動に対して、信用していたのに裏切られたとは言わない。

よく、この様な事を言う人に多い、個性が、直ぐに普通は・一般の人なら等々を言い出す。
勝手に、相手を自分の規準の範囲の人と、思い込んでいる事に成る。

これこそ、我儘だし、傲慢な考え方だと私は、考えるし、言葉にして言う事が有る。

結果は、価値観の違いを気付き・・・最終的に縁を切った・・・・私はハ~~~と成る。
相手を少し知っただけで、当然、違う・・・之が許されないから、縁を切ったでなく、之からがお互いの学びに成ると思うが・・・・・

この様な人の個性は・・・・誰しも解ると思うが、自分勝手で、自分の思う通りの境遇に成ると思っている。其れを相手まで、要求する。之を私は、傲慢だと考える。
その証拠に、思う通りの境遇に成らなければ、その責任を全て相手に押し付けて、縁を切る。

負を他人にん渡す、行動に成る。


若し、この様な方向性の人が世間に蔓延しだせば・・・どんな世界に成るか????地獄の中の地獄に近づく事に成る。

この部分を私は危惧しているし、孫の時代はどうなるかと心配している。





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