私の人生は波乱万丈と人様から言われるが、本人は普通と思っているし楽しいとさえ思っている。
私の基本に有る、人生とは、フルイに掛けられる、○○だと思っている。
色んなフルイが次から次と、現れ、それに振るわれ、残れば生きている。落ちれば死ぬだけと言う価値観に成る。
感染症の問題が発生した時も、このフルイに例えて、書いているが・・・・
フルイに掛けられる己が何かが大事とという事にも成る。
仮にフルイの目が、己の○○より小さければ、落ちる事は無い・・・しかし、フルイの目より小さい○○が、落ち続ければ、フルイの目も拡大していく・・落ちる事は無いと思っていた己も落ちる可能性が有る。
それなら、今、落ちないと確信したら、先ずは、己がフルイに掛けられ、落ちなければ、一つの目を塞ぐことに成る。この様な形で、フルイの目を全て塞げば、フルイの目より小さい○○も留まる事が出来ると言う事に成る。
感染症も同じで、免疫を確保する、知らず知らずに、感染し無症状と言う人も増えて行く、様は、フルイに掛けられたら、残ったと言う事・・・同じフルイの目の大きさなら、今後は落ちないと言う事だが、己がその状態を維持できるかは別問題に成る。
差別主義者と自称しているので、その時も書いているが、死ぬ人が出る、仕方が無いと言う考えに成る。
勿論、その数を減らす努力をしたと思うが、その結果の死亡者の数の検証は、不可能に近い・・・・
人間と言う、種も、個々に個性が有るし、特徴も有るし、違う・・・全てが生きられるなら、理想とは思うが、どうしても淘汰と言う流れが有る。
ウイルス側から考えれば、ウイルスがフルイ・・・その目を塞いだら、当然、淘汰されるが、生き残る為に、変異し、別の目の大きさのフルイを創る・・・当然、人間も淘汰されない為に、その目を塞ぐ事が求められる。
この戦いに負ければ、人類は淘汰されたと成る。
免疫の確保で、一番簡単な方法は、感染することに成る。当然、死ぬ可能性も有るが・・・
歴史で言われる事だが、人類は感染症との戦いを続けて、今に成っている。
私は、戦いとは・・・今は思わない・・・避ける・逃げるこの方向に傾き過ぎていると考えている。
結果、この様な方向なので、多大な利を得る立場を創り出す・・・当然、その利は誰かの汗と涙と言う事に成る。
要は、無謀と思われる、行動も必要と言う事にも成る。
この部分も社会全体としてのバランスだとは成るが・・・今の日本国は????・・・・私は他国と比べると、少し、逃げ・避ける方向に強いが、ギリギリ、バランスが保たれていると考えている。