母の13回忌法要・・・無事終了・・・・
叔父・叔母孝行が出来たと思っているし、何より、母の為に集まって頂いたことに感謝している。
準備が上手にできる・・・我が家の恥にもなるし、当然、家長代理といての私の責任にもなる・・・しかし、嫁と私、二人で、頑張っても時間的、余裕が無かったし、多くの手が必要な行事、下働きが居ない、結果、色んな動きが出来ないと成る。
叔父から、家長なら、じっと座って、待てと言われたが・・・・私は、今までこの様なポジションの経験が無いので、如何しても、裏方側の振舞い方をしてしまう。
之も母が教えた事・・・勿論、父は何を出来なかったし、知らなかった、何時も上座に座る立場と思って、又は育てられている。
要は、下々が行う事などの経験がない・・・この部分を母は、私に仕込んだ思う。
要は、料理人が居ないのに、食べ手だけが多々居る、状態はバランスが悪い・・・下働きの事は、解る私だが、一人では無理な部分も多々ある。
送迎・・・当然、食材等々の引き取り・買い出し・・・・客の応対に、嫁と二手に分かれるが・・・座り手が居ない・・・本来は家長と叔父は言ってくれたが・・・それが不在・・・
勿論、息子達、特に若嫁に言いたいと思うが・・・現代は、実親からも色々言われたことが無い、指示・依頼等々を、受けた経験も少ない・・・・
結果、私の言葉の取り方が・・・・現代だと怖いと嫁が言うので、黙ってるが・・・・
しかし、これも現代の流れかもしれない、この様な行事・・・・本来は葬儀さえ、自分達で行っていた、特に、地域・隣組が下働きを賄ってくれて、我家での葬儀が昔は一般的だった。
しかし、地域社会の繋がりが薄くなり、下働きの担い手が居ない現実に成り、この様な行事をイベント屋・・・冠婚葬祭業と言われる仕事を作り出している。
当然、法事等々も、業者に依頼する、流れに向かうと思う。要は、お金が全てになる。
些細な行事もお金次第と言う事に成る。
叔父達の年代が、ギリギリと思う。この様な部分が大事と教わった年代が、後継者にギリギリ居る・・・・勿論、我家でも同じ教育を受けたと思うが・・・妹は、価値を見出せずに負参加した。
叔父・叔母の子供達も、妹と同じ様な考えを持つ、人も居る。
しかし、少数だが、大事だと思って・・・行動を起こしてくれる従弟たちも居る。
しかし、私達年代が、高齢に成り、車の運転も出来なくなった時に、兄妹の伴いに、行く事も出来ないと成れば、私は悔いしか残らないと思う。
何故か、己は自立した立派な人間と思っている人に、この様な方向性の人が多い、勿論、今はその価値観でも良いと思えるが・・・将来、老いて、身動きが出来なくなってきたら・・人の手を欲しいと思わなければ、良いが・・・人間なら、思うと思う。
若し、身内が居なければ、国と言う部分に不満を持つことに成る・・・・
国が全ての高齢者の扶助をする、当然、国も破綻する。
本来、後継者がこれを行う事が、普通と言う価値観で、作られたシステム・・・システム自体が崩壊する事にもなる。
国が色んな手段を使って、情報を流す・・・しかし、それを捉えきれる能力が無くなれば・・・誰かが名代と成って、振舞う事に成るが・・・・この部分も居なく成れば・・・
簡単に書けば、孤独死と言う事にもなる。
今、話題の、感染者の自宅待機・待機中に病状が急変して死んでいた・・・高齢者はこれがいつ起きるかも分からない・・・人は一人では生きられない・・・しかし、一人で生きれると妄想を抱いて、自立した、一人で生きれると勘違いを起こす、時期が有る。
この流れで、進めば、将来、どうなるか????・・・当然、想像が付くと言う事・・・一人寂しく、孤独死と言う事に成る。
要は、死の瞬間、死と言う一瞬の時は、一人である。
しかし、それまでの時間が、人で違う・・・一瞬に死と成る人も居る・・・基本・事故死に近い・・・死に向かうまでの時間、生まれた時からだが・・・・どの位、一人で居る事が出来るか????これも人で変わる。
私は、幸せで死を迎えたいと考えている。
その為に、何が必要か????・・・お金・資産・財産・・・私は人だと考えている。
遅くなったが、5人の息子、4人は集まってくれた。長男は、朝仕事前に来てくれたので、5人参加したと言っても良いと考えている。
母は喜んでいると思う。
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